■第二十四夜:半魔のふたり
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どこかで咆哮を聞いた気がした。
アシュレはいま、単身、船倉に赴いている。
シオンが用いた侵入口とは、また別の経路だ。
増援を求めるべく訪ったエルマの私室は、もぬけの殻だった。
いやな予感がした。
逸る心を抑えてノーマンに報せれば、こちらは船長や上級の航海士への伝令と護衛、甲板・船室での動きを監視すると申し出てくれた。
指揮官クラスを最初の標的と選ぶのは軍団でもそうだが、船舶のような特殊技術で運用される乗り物のような場合はなおさらだ。
いざというとき、熟練の船乗りとしても立ち回れるノーマンにはなるべく、船長たちと行動をともにしてほしい。
ただ、無用の混乱を避けるため、情報共有は最小限に留めたい。
アシュレはそう願い出た。
ノーマンはこれを即座に受諾した。
船倉への増援に向かう人員としてアシュレは最適だった。
ノーマンよりはるかに小柄であること。
シオンの使い魔・コウモリのヒラリが懐いて離れないこと。
なるほど、大人は腰をかがめて移動する必要があるほど狭い。
ノーマンほどの体躯では、うっかり通路に挟まって身動きが取れなくなる可能性すらあった。
さらにヒラリがともにあれば、限定的にしてもシオンとの意思疎通が可能となる。
これは連携する際、他には替えられぬアドバンテージだ。
そして、決定的だったのは、夜目の利きである。
シオンとの心臓の共有によって、アシュレはいまや、闇夜でも見通せるほどの視覚を得ていた。
狭く可燃物を満載した船内で火種を持ち込まずに捜索に当たれる人員として、これ以上の適任者はないと判断されたのである。
「たのんだぞ」
「はい」
任されれば、力強く頷くアシュレだ。
細身で取り回ししやすいスモールソードは、エクストラム法王庁が制式採用していた武器だ。
宮殿内戦闘を意識したそれは、幼なじみのユーニスと嫌になるくらいに練習した馴染みの武器でもある。
加えて、ここ数ヶ月の間にアシュレはイズマやアスカ、シオンを相手に苦手だった格闘戦・寝技などの訓練もずいぶんとこなした。
結果、敵がどうあれ簡単に遅れは取らない、という自信を得るほどには成長した。
しかもいまはまだ、アスカと契った戦乙女の契約の効果がその肉体と精神のキレを高めてくれている。
アスカの心にこれまでにないくらい迫ったあの夜以来、効果はあきらかに増している。
「た、たぶん、これまでとは比べ物にならないくらい、そ、その、おまえが深く、わ、わたしのなかに入ってきてくれたせいだと、おもう」
はにかんだ様子で告げられた。
アシュレは面映ゆいような、罪深いような気持ちになったものだ。
絶対に必要であったからといって、女性の心を暴き立てたのだ。
それを「入ってきてくれた」など感謝するように言われては、男としては言葉がない。
肉体の内側にアスカの《スピンドル》の香りであるスミレを強く意識しながら、アシュレは船倉へと降り立った。
その途端に聞いたのだ。
追いつめられた獣のもののような声を。
ためらわず、抜刀した。
左手には航海士のひとりから借り受けたバックラー。
後付のスパイクで攻撃面を強化されたこの小さな円形の盾は、習熟を要求される反面、軽量かつ取り回しがよいのでこういう局面で重宝する。
スモールソードとは一対で訓練されることが多いもので、こちらも当然のように従士時代以前からアシュレの手に馴染んだ武具だった。
さて、揺れる足場に気をつけながら、アシュレは進む。
そして、見つけた。
おそらく、先ほどからときおり聞こえ来る声の正体。
なんと、その主は──倒れていた。
「?! スノウ?! な、なんで、どうして──!!」
アシュレはハンマーで頭を殴られたような衝撃を覚えた。
うまく現実が理解できず、言葉になりきらない悪態が口をつく。
剣を収め、駆け寄る。
震えるカラダを抱き起こせば、彼女はぐっしょりと汗をかき、瞳を潤ませて泣いている。
だめだめだめだめだめだめ。
歯の根の合わぬ唇の奥で、必死にすがるように繰り返している。
わけがわからないまま、アシュレは腕に力を込める。
怯えた猛獣の子供のように、スノウがしがみついてきた。
なんでなんでなんでなんでなんで──なんで、来ちゃうの。
たしかにアシュレも混乱しただろう。
狼狽しただろう。
しかし、ほんとうに壊れそうになっていたのはスノウのほうだった。
不意打ちだった。
もうどうにもならないところまで追いつめられていた。
震えて、涙も唾液も汗も、とまらない。
そこにいきなり、名を呼ばれた。
次の瞬間には抱き寄せられた。
全身を電流が駆け抜けて、意志とは無関係に肉体が痙攣した。
思えば、こうして抱きしめられたことが以前にもあった。
一度目ははじめての邂逅で。
食ってかかったスノウをアシュレは難なく組み伏せた。
最後の手段として、噛みついたことを憶えている。
そして、彼の血と、そこに溶けた夢を味わってしまった。
二度目は、その直後、彼ら戦隊がトラントリムの中心へと斬り込んでいったときのことだ。
物語として聞きかじり想像していた戦場と本物の死地との違いを、思い知らされた。
彼の──アシュレのなかで燃え盛る《スピンドル》とその先にあるもの──《魂》の実在に触れてしまった。
たぶん、あのとき、自分は魅入られてしまったのだ。
それまで大人びた口調で必死に取り繕っていた自分を保てなくなった。
圧倒的な存在としての差を見せつけられてしまった。
彼や彼を取り巻くヒトたちを相手にしたとき、自分がどうしようもなく子供に戻るのを感じる。
それがまた腹立たしくて、さらに駄々っ子のような振る舞いを助長する。
悪循環だった。
しかし、スノウは気がついていないのだ。
アシュレを前にして駄々をこねてしまうのはなぜなのか、ということに。
気づいていなかった、というのが正しいのか。
そして、今日、三度目の抱擁を受けた。
抱きしめられた瞬間、わかったのだ。
いいや、本当は、あの丘で英霊の自爆攻撃から身を挺してかばってくれたとき、すでにわかってはいたのだ。
認めたくなかっただけなのだ。
こうやって密航までしてついてきたのは、見張るためなんかじゃない。
置いていかれるのが、恐かったのだ。
なぜって──それは。
だから、わたしの両手は、このヒトを掴んでしまうんだ。
「あ、あ、アシュレ。わたし、わたし、わたし──」
喉元まで出かかった想いを、しかし、アシュレは最後まで言わせてくれなかった。
突然、押し倒された。
いいや、この言いかたは正しくない。
横っ飛びに抱きかかえられたまま庇われたのだ。
なにが起ったのかわからないまま、ぐるり、と世界が回った。
ズラリ、と刃が引き抜かれる音に、木材が砕け散る衝撃が続いた。
「スノウ、ボクの後にッ!」
アシュレが命じる。
理解するより早く、力強い腕によって突き飛ばされるようにして背後へと回された。
混乱した視界のなかで、スノウは見る。
いったいどこから現われたのか。
真っ白い体毛と甲冑のごとき外皮。
この世のものとは思えぬほどに獰悪なフォルム。
鋭い牙を剥き出しにした顎門。
それは、スノウから母親を奪った忌むべき存在であった。




