■第十七夜:黒き翼のオディール
「オマエが不義の子か」
固く閉じていたはずの心の扉をこじ開けられる恐怖と、愛した者に自らが理解されていく歓喜の板挟みで泣きながら、アスカはあの日のことをさらに思い出している。
父:オズマヒムとの会談を遮るように舞い降りたのは、黒鳥の翼を持つ美しい女であった。
「貴様ッ、なにやつだッ!」
「オディルファーナ。オディルファーナ・モルガナ。親しいものはオディールと呼ぶ」
輝ける白銀の甲冑にアシュレの竜槍:シヴニールにも似た《フォーカス》を携えた美女は、鷹揚な態度で名乗ってみせた。
いっぽう。突然頭上から「不義の子」と呼びかけられたアスカは、反射的に宝剣:ジャンビーヤに手をかけていた。
不義──その言葉、その単語こそは、アスカをして激発にいたしめる撃針そのもの。
瞬間的に沸騰した激情のまま抜刀し、武神光裂断を見舞わなかったのは、女の背後に父:オズマヒムがいたからにほかならない。
ギリリッ、と奥歯を鳴らし、アスカはオディールと名乗った女を睨みつけた。
怒りを隠そうともしないアスカとは対照的に、真騎士の乙女たちのなかでは極めて珍しい黒髪を薫風になびかせ、オディールは楽しげに目を細めてみせた。
「ほうほう、激発を抑えたか。不義の子にしては、えらいぞ」
子供をあやすような口調で揶揄する。
いや、おそらくは皮肉を言っているつもりすらないのだ。
あくまで事実を列挙しただけ、思ったところを素直に述べただけ。
これこそが真騎士の乙女たちの典型的な性情。
そのあらわれであった。
かたや、激怒一色に染まりかけた心を理性で押さえつけ、アスカは素早く周囲に視界を走らせた。
ひいふうみい。
眼前のオディールを含めて全部で五人の真騎士たちは、いつのまにかアスカを取り囲むように展開し、それぞれが樹上に陣取っている。
それは父と娘を完全に分断する陣形。
だが、攻撃対象として取られているのはいまのところアスカだけだ。
ならばよし。
「父上ッ! しばらく、そのまま、しばらくお待ちください!」
アスカは警告を発する。
下手に動きさえしなければ、父:オズマヒムにいますぐの危険はない、と判断したのだ。
そんなアスカの言動に、オディールはますます笑みを広げた。
「ほーう、ふむふむ、もうすこし愚かな娘かと思っていたが。なるほどオズマヒムよ、これならば、見込みはあるかもしれん。しかるべき手順を踏めば、あるいは英霊として清めることもできるかもしれんぞ」
いかにしてこの場を突破すべきか──アスカのそんな思考は、しかし、オディールの言葉によって木っ端みじんに打ち砕かれる。
なんだ、と?
己の耳が捉えたはずの言葉の意味を理解できずに、アスカは視線を泳がせた。
「いま……なんと言った」
思いが、意識するとはなしに言葉になる。
「英霊として清める、と言ったのだ、不義の子よ。キサマの不備不足を埋め、英雄として高められるであろう、とそう言ったのだよ」
「英霊として……清める、だと?」
なにを言っている。
どういう意味だ。
いや──どうやってだ。
アスカの震える唇が、無言のうちに問うている。
知りたいか、とオディールは胸をそびやかす。
答えろ、とアスカの瞳が言う。
「我ら真騎士の乙女にとっては、それは簡単なことだ。しかるべき儀式を執り行い、聖なる道具による、聖なる死を受け入れれば──その御霊はもれなく英霊となる。キサマの母にして、我が妹:ブリュンフロイデがそうであったように」
ブリュンフロイデ。
失われた母の名前。
そして、それを妹と呼んだオディールに、アスカの視線と思考は釘づけにされた。
真騎士の乙女たちはある程度の年齢になると母親ではなく、能力ある年長者が年下の乙女を認めて教育する制度を持っている。
オディールの言う「妹」とはまさにその制度上のことではあるが、たとえ血縁関係でなくとも、いや、そうでないからこそ、この魂の姉妹の絆は他者の立ち入りを許さない強固な結びつきなのだ。
アスカはいまだ、その制度を知らない。
知らぬにしても、オディールの「妹」という呼び方に、ひとことでは言い表しがたい感情が込められていたことだけは、たしかにわかった。
そのオディールは続ける。
「しかし、キサマら人類では、そうはいかない。おまえたちは不純物の塊だ。私利私欲と煩悩が詰め込まれた頭に、肉体は肉欲に翻弄される。種として未熟なのだよ。だが……土蜘蛛や夜魔、戦鬼などといった連中に比べれば、はるかに見込みがある」
たとえば、とオディールは続ける。
「たとえば、かつて、キサマの父:オズマヒムにはその資格があった。我ら真騎士の乙女の導きによって真の英雄としての階段を昇った上で、聖柩へと身を投じることを許されるかもしれない。そういう資質が。だが──」
つい、とアスカへの注視を外し、オディールはオズマヒムへと視線を巡らせた。
そこには、右手で顔面を覆い、左手で心の臓を押さえた父:オズマヒムの姿があった。
「己が地上での栄華・栄達に目がくらみ、真の英雄に、そして、真騎士の国へと迎え入れられるための禊を経た、ほんとうの愛に至れなかった」
まるでそれが罪であるかのように、オディールは語る。
そして、それを恥じるかのように、あるいは恐れるかのように身を折る父を、アスカは見た。
こんな父の姿は初めてだった。
このゾディアック大陸にあって、ほかに並ぶもののない大君主にして希代の英雄だった。
西方列強の諸侯たちをして“東方の騎士”とまで讃えられた、本物の英傑だった。
だからこそ、母は、真騎士の乙女:ブリュンフロイデは、オズマヒムが現世に留まり己が帝国の 治世に力を振るうことを望んだ。
だからこそ、人間としての父の子を望んだ
だからこそ──だからこそ、わたしはいま、ここに。
「英雄の定義を、そしてヒトの愛の、愛のカタチを決めるのは、貴様らではないッ!!」
気がつけば、アスカはオディールへと駆け出していた。
それ以上、語らせん、と。
ぶわっ、とふたりの間の大気が膨張し、強い風を生じさせた。
オディールとアスカ、ふたりが同時に、同じ異能を行使したせいだ。
白き翔翼。
真騎士の乙女たちが用いる高機動空中戦闘を可能にする飛翔の《ちから》だ。
オディールの黒き、アスカの純白の翼が地面をしたたかに打ち、互いの肉体を宙に運び去る。
「ほう、真騎士の乙女の《ちから》には目覚めていたか。やはり、見込みはあるようだな」
「ほざけっ。父上の人生を愚弄したこと、地に這わしたうえで謝罪させてやるッ!」
もちろんオディールには、オズマヒムの過去を侮辱したり愚弄したりしたという感覚は皆無である。
ただ彼女は自身の正義に乗っ取り咎人を断罪しただけ。
いいや、これもまた事実を列挙した程度にしか感じていまい。
しかし、打ちかかってきたアスカの挑戦を受け止め、己が正義を《ちから》でもって証明することに、なんら異論はない様子で笑みを広げた。
さて、ここドールドラオンはオズマドラの首都となる前は、アガンティリス時代から受け継がれた都市のひとつである。
かつての名をアンティリアノウム。
《閉鎖回廊》やエクストラムほどでないにしても、《スピンドル》の回転に不利な制約のすくない特異点であったのだ。
もちろん、だからこそ強力な異能の使用は固く禁じられてはいたのだが。
両者の激突に際して、その間に入って法を持ち出して仲裁しようなどと考える愚か者は、ここにはいなかった。
そして、《ちから》を加減しなければならないということは、オディールもアスカも心得ていたのであろう。
アスカは宝剣:ジャンビーヤを引き抜く動作すらみせず、挑戦を受けるカタチとなったオディールもあの特徴的な槍からは手を放していた。
もちろん、アスカも告死の鋏:アズライールに秘められた《ちから》を開放しようとはしない。
そのぶん、両者の戦いはハヤブサ同士の空中戦を見るかのごとくに目まぐるしかった。
「皆、手出しは無用ぞ!」
「舐めるなッ!」
取り巻きの四名へと、なぜか喜色を滲ませて命じるオディールにアスカが喰らいつく。
ゴキンッ、ガギンンッ、という重金属の槌同士がぶつかっているかような響きは、互いが手足に通した闘気撃がぶつかり合って生じた衝撃音だ。
ふたりは超高速で空中を、かと思えば木々をすり抜け、地面スレスレでカラダを入れ替えながらぶつかり合う。
この場にもし、観客がいたのなら大歓声が湧き上がったことであろう。
それほどに互いの技量は凄まじく、天翔る戦いは華麗であった。
しかし、永劫に続くかと思われた空中戦は、あっけなくカタがついた。
告死の鋏:アズライールによる必殺のケリを見舞ったアスカの大振りを、空中戦の技量と経験値ではるかに勝るオディールが舞うようにして躱し、アスカの脇腹に肘を叩き込んだのだ。
たとえ、最弱クラスの威力しかない闘気撃であっても、通っていたのならアスカは内臓破裂を起こしていただろう。
そうならなかったのは、オディールが手加減したからだ。
アスカの肉体はそのままスレスレを飛んでいた池に落ちた。
「勝負あったな……悪くないセンスだ。不義の子にしては、だがな」
いっぽう、いくら異能によるダメージはなかったとはいえ、無防備だった脇腹に肘を喰らい水中に落下したアスカは、池の中洲に這い上がるのだけで精一杯だった。
激しく咳き込み、しこたま飲んだ水を吐き出す。
「わかっただろう、アスカリヤ。いまのキサマでは我々、真騎士には敵わない。それはキサマが不純だからだ。汚れているからだ。だから、その不純物の重さで負けたのだ」
荒い息をつくアスカにオディールが宣告する。
「そして、だ。よく聞くがいい。今回のヘリアティウム攻略の真の目的は、キサマやキサマの父:オズマヒムからその不純物を──過去の過ちという汚濁を──取り除くことなのだ。そうすれば、オマエたちは過ちから解き放たれる。誤りの側から、正しさの側へと行くことができる」
それまで上から見下ろすかのごとくだったオディールの言葉は、いつしか、奇妙なやさしさを帯びている。
アスカはそのやさしさに、悪寒めいたものを感じた。
オディールの口調に、聞きおぼえがあった。
声が似ている、というような似方ではない。
彼女が語る計画の内容が、だ。
悪寒が最大限となったのは、直後だった。
「そうだろう、オズマ」
オディールは父を愛称で呼んだ。
続いて、甲冑で覆われてはいても緩やかな曲線を描く自らの胸乳へと、その頬を導いた。
それは妻であるブリュンフロイデにしか許されない行為のはずだ。
だのに、それなのに。
「おまえからも、キチンと命じてやってくれ。我が……姪に。おまえたちの正義を取り戻す方法は、これしかないのだと。過ちを消し去り、歴史を書き変えるのだ、と」
そして、水の狂女が歌うようなオディールの声に、なんどもオズマヒムは頷く。
それから、言った。
「行くのだ、アスカリヤ。変わるために。過ちを正すために」と。




