■第十六夜:心に従って
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「変革の日だ。変わるべきときが来たのだ。おまえも。わたしも──父は、オズマヒムはそう言った」
アシュレの腕のなかで、汗みずくになりながらアスカは告げた。
熱いアスカの肉体を感じながら、アシュレは聞かされた顛末に冷たい戦慄を禁じえない。
ここまでの話が本当ならば、オズマヒムは真騎士の乙女たちと結んでいたことになる。
アラムの覇者が率いる大帝国と、はるか北方、霧のヴェールに包まれた地に住まうという真騎士の乙女たちとが結託していたなどと……だれが想像できるだろうか。
アスカが口ごもり、アシュレにさえ相談することもできないまま、なにに苦しんできたのかがようやくわかりかけてきた。
これは第一級の国家機密である。
いったい、いつから、どれほど、深く。
アシュレは言葉ではなく、肉体を用いて問う。
事件のさらなる真相を。
霊薬の効能とアシュレの質問に、アスカは息も絶え絶えに答える。
喉を震わせて。
「わ、わたしが、その影に気がついたのは……じゅう……十七の春だ」
それではもう五年以上前、ということか。
アシュレは思う。
アスカは続ける。
泣きながら。
「だ、第十一回十字軍が完全に消滅した後での話だ。だが、蟄居を命じられていたわたしが気がつくのが遅かっただけで、本当は……本当はそれ以前だったのかもしれない。思えば、父が迫り来る十字軍に対して聖戦を宣言したとき、その背後にはすでに、彼女たちはいたのかもしれない」
もしかしたら、と嗚咽混じりに言う。
「わたしが遠ざけられた理由そのものと、彼女ら、真騎士の乙女たちとは関係があるのかしれない」
父が変わったのは、そのころからだった。
アスカはアシュレの腕のなかで熱に浮かされたように、途切れ途切れに話す。
アシュレはいつか漂流寺院で、アスカが呟いたセリフを思い出している。
『助けたいヒトが、いるのさ』と、いう。
それは伝説に語られた神器・告死の鋏:アズライールをなぜ求めるのか、と問うアシュレに対するアスカの答えだった。
その直後、戦闘に陥ったこともあり、彼女のセリフの意味を深く考えたことはなかった。
これまでは。
さらに思い出している。
トラントリムで、アスカと戦乙女の契約を結ぶべく、契った夜のことだ。
アスカはアラムの英雄:オズマヒムと、真騎士の乙女:ブリュンフロイデとの禁じられた愛の間に生じた娘であったことを告白した。
そもそも、ヒトと真騎士とは、姿形こそ似通ってはいても別種族。
その間に子を設けることは……自然には、ほとんど不可能。
不自然な交わりを持ってでしか、それは成立しない。
ならば、その果てに受肉したアスカこそは、まさしく不義の子。
それどころか、正確には、オズマヒムの血を受け継いではいないのかもしれないのだ。
その存在を真騎士の乙女たちがどう考えてきたのか。
考えたうえで、どうして彼の父に接触してきたのか──想像するだけでゾッとする。
さらに追い討ちをかけるのは、
「変革の日だ。変わるべきときが来たのだ。おまえも。わたしも──」
というオズマヒムの言葉だ。
「アスカ、アスカ──」
アシュレは呼びかける。
耳元で、名を呼ぶ。
アスカは心の奥底に、もっと深い秘密を抱え込んでしまっている。
四肢に、肉体にあらわれるおびえ、萎縮、強張り。
尋問の対象から発される言葉にならないそのようなサインを、決して見逃さぬ訓練を受けてきたアシュレだからわかる。
アスカは嘘をついているのだ。
無意識のうちに。
これまでそれらを暴き立てる聖騎士としての技術は、神敵を炙り出し、追いつめるための武器だと思ってきた。
いまアシュレはそれを「心を救うために」用いようとしている。
もしかしたりせずともそれは、世の良識からは大きく外れ、非難される行いだろう。
だが、すでに己は世間でいうところの「正解」の外に踏み出してしまっているではないか。
アシュレは思い直す。
国を捨て、地位も名誉もかなぐり捨てた。
悪党となると決めたではないか。
そう決心した男が、いまさら「正しさ」によって指弾されることに、どんな恐れがあるというのか。
そして、いまアスカの心を脅かしているのは、そういう「正しさ」そのものなのだ。
不義の子として生まれた。
性別を偽ることとなった。
父にも疎まれ、蟄居を言い渡されながら、それでもアスカは第一皇子としての重責に耐え、責務を果たすべく奔走してきた。
正しくあるべく。
だが、呪いのごとくつきまとう「正しさの証明」は、いわば精神の牢獄。
あるいは《閉鎖回廊》──そのものだ。
気がつけば、アスカの唇から連祷のごとく紡がれる言葉は、いつしか謝罪に変わっている。
それは自分が抱え込んできた秘密を漏らしてしまうこと、そして、それにアシュレたちを巻き込んでしまうことへの罪悪感に彩られていた。
不義の子であると知られてはいけなかった。
母の、皇帝の子であってはいけなかった。
生まれてきてはいけなかった。
素直になることなど許されなかった。
決断力と行動力にあふれた皇子という役割演技の裏側に押し込め、殺し続けてきた自分自身を吐露してしまうことに、アスカはおびえていたのだ。
正しさがアスカに強制してきた呪縛のカタチ。
ならば、その牢獄から彼女を救い出そうという自分が、悪党と指弾されることを恐れている場合ではない。
思い至り、アシュレは腹を括り直す。
アスカが胸の内に封じ込めてきたすべてを知ろう、と決意する。
秘密を暴くことへの、恐れを捨てようと決める。
そして、心に従う。




