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■第十三夜:素直さの霊薬(エリキシル)


 ハッハッ、と荒い息づかいをアシュレは感じた。

 カラダも呼気も、ひどく熱い。

 抱き寄せるとアスカの匂い──スミレの香りが強くした。

 

「アスカッ?!」

「アスカ殿下ッ?!」

「アスカさん?!」


 事態の急変に動転したのは、その場に居合わせた者のうち、アシュレとシオン、そして、スノウの三名である。

 

「カラダがひどく熱い──病か、まさか」

「いや、病魔の姿は感じられん。だが、これは?!」


 アシュレがアスカの額に手をやる。

 シオンが人類の血液を食事と見なす夜魔としての特性からの見地を述べる。

 スノウはオロオロするばかり。

 

 対照的な反応を見せるのは、額を床にこすりつけ謝罪するアテルイ。

 小振りな胸を自慢げにそびやかすのは土蜘蛛の姫巫女:エルマである。

 

「アスカさまっ、申しわけございませんっ、申しわけございませんっ」

「アテルイさま、大丈夫ですの。相当に薄めておきましたから、逆に効き目が出るのかどうかのほうを心配してたんですの。まあ……がぶ飲みしはじめたときには、ちょっとだいぶ、おもしろくなりそうだな、とは思いましたけれども」


 うふふ、とエルマが笑う。

 効き目、という言葉にアシュレは弾かれるようにふたりを見た。

 アテルイは縮こまって後退し、エルマはますます笑みを広げた。

 

「どういうことなんだ」

「すみませんの、アシュレさま。じつは、ずいぶんとお話しにくいことをアスカさまが抱え込んでいらっしゃるようでしたので……アテルイさまに相談して、わたくし勝手ながら楽になれるおクスリを処方いたしましたの」


 さらり、ととんでもないことをエルマが告白してきた。

 食事に、クスリを混ぜた、だって?

 アシュレでなくとも、その響きの不穏さには眉間にシワが寄るというものだろう。


「クスリ? それって……」

「はいの、土蜘蛛謹製の霊薬エリキシル。素直になれるおクスリですの」

「土蜘蛛の霊薬エリキシルって……それは、大丈夫なヤツなの?!」

「んー、アテルイさまにエレ姉さまがお渡しした原液に比べたら、ずいぶん希釈してありますし」


 アシュレは自分の顔から血の気とともに、表情がごっそり抜け落ちるのを感じた。

 土蜘蛛の姫巫女の姉のほう=エレがアテルイに渡した素直になれるクスリ、というのは例のアレであることは間違いない。

 トラントリム攻略戦のまっただなか、アテルイがあおって大変なこと・・・・・になったヤツである。

 

「なんでそんなことを!」

「さきほども言いましたけれど、アスカさまはひどく無理をしてらっしゃいましたの。それはアシュレさまも感じられていたでしょう? わたくしが感じ取っていたくらいなのですから、アテルイさまも同様に、ということですわ。それでこういう方策に。これでもずいぶん悩んだんですのよ。今日の遠乗り、アシュレさまとアスカさまとのおふたりだけにして差し上げたのも、そこで解決できていたならよし、と思ったんですけれど……」


 声を荒げるアシュレに、エルマが説く。

 

「ぜんぜんわからなかった……」

「わたしもだ」


 いっぽうで、遠乗りに随伴しようとしていたシオンとスノウの夜魔チームは、料理の仕込みを手伝うようにアテルイから厳命され引きとどめられた理由を、このときようやく理解しはじめていた。

 余談だが太麺ラグマンの麺の長さや太さがマチマチであったり、パンの焼き加減に焦げやムラがあったのは、完全にこのふたりの仕業である。


「よほど抱え込んでらしたのでしょう、こんなになるまで飲んで、乱れて……ささっ、アシュレさま、素直にしてあげてくださいませ」

「えっ、ええっ?!」


 あまりの急展開にアシュレならずとも声が出るというものだ。

 いつのまにか、周囲の料理皿はキレイに片づけられている。

 エルマがパンパンッ、と手を叩けば、どういう素早さか、寝具やらクッションやらを捧げ持ったアテルイが現われる。

 

「えっ、えっ、ええええ?!」

「驚いているヒマはございませんの。さあ、身も心も解きほぐして差し上げてくださいまし。ホントにおつらそうなんですもの」

「ちょ、ちょっとまってくださいっ。というか、ボクらも同じもの食べましたよね?!」


 アシュレの確認というか指摘の体裁を取った非難も当然だろう。

 ところがエルマはこれにもしれっ、と応じた。

 

「大丈夫ですの。おクスリ入っていたのはぶどう酒だけですの。加熱すると成分が揮発したり、変質が進むので」

「ぶどう酒だけって……飲んだよ、ボクも?!」

「わたしも……飲んだぞ」


 アシュレとシオンが言う。

 いや、そんなことを言い始めたら、この場でぶどう酒に口をつけなかったのは成人前ということで杯を取り上げられたスノウだけだ。

 エルマもアテルイも飲んでいた。

 間違いなく、それもわりと分量を。

 

「大丈夫なの、そっちは?!」

「わたくしたちが口をつけなければ、アスカさまに怪しまれてしまいますし、アテルイさまは奥さまなんですから、問題ないでしょうに」

「わたしは……」

「シオンさまは夜魔」

「あ、そうか」


 奥さまだから妻だから問題ない、という理屈がどうなのかアシュレにはさっぱりわからない。

 シオンの天然過ぎかつ、なぜかすこし残念げなリアクションが混乱に拍車をかける。


「エルマさんはっ、え、エルマさんは、どうするんですかっ」

「ふふふ、それは、もう、アシュレさまの御好意におすがりするほか……としても良かったのですが、さすがにそれはちょっと修羅場ハードコアすぎますし。大丈夫、わたくしとアテルイさまは事前に解毒薬を含んでおりましたので」 


 ね? とアテルイに確認するエルマ。

 だが、アテルイは真っ赤になって丸まってしまった。


「あらあらまあまあ」

 そこからなにを察したのか、エルマが喜色に笑顔を輝かせる。

「これは修羅場ですわ♡」


「どどど、どういうことなのっ、ねえ、これ、あなたたちいまから、どうするつもりなのっ」


 なぜか耳まで真っ赤になったスノウが、瞳をうるませて横たわりもはや息も絶え絶えで限界いっぱいいっぱいという感じのアスカと、それを取り囲むアシュレたちの状況を指さして叫ぶ。


「ちょっと、まさか、まさかっ」

「そのまさか、ですのよ。ここからはオトナの時間ですの」

「だ、だって、そ、そんなの、いきなりっ、クスリとかっ、そ、それに不潔だわっ」


 醸成されつつある状況を良識の側から指弾するスノウに、エルマは微笑む。

 にやーり、という不穏な擬音を感じさせるそれは笑みだ。


「いいえいいえ、面々をご覧になってくださいまし。すでに魂に触れるほど固く結ばれた妻、戦乙女の契約を結んだ戦友にして恋人、肉体の一部を共有しさらには自らを所有物とまで明言する夜魔の姫、そして希代の英雄っと。世間様の常識とかもう完全に関係ないゼ、の世界ですわ、これわ。許すとか許されないとか、そういうものの彼岸にいらっしゃるのですよ、この方々は」

「だからって、だからって、こんなこんなっ、ひゃっ──」


 足がしびれたのか、立ち上がるのに失敗して転んだスノウが可愛らしい悲鳴を上げる。

 ともかく、と状況に翻弄されるもうひとりスノウの肩を抱いて、エルマは促した。


「わたくしたちは、今夜はおいとましたほうが良さそうですの」

「ひっ」


 両肩に手をおかれてスノウは跳び上がる。

 うまく立ち上がれない。

 足がしびれているのではないのだ。

 けれどもその理由は明かせない。

 明かすわけにはいかない。


 じつは、大人たちの目を欺いて三口ほど、ぶどう酒を味見していたなどと言えないではないか。

  



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