■第四夜:聖母の消失
ふっ、という掛け声とともに、まず“場”を成す基礎の石たちが投じられた。
便宜上、石、と呼ばれているがそれはここでは占いに関わる触媒のことである。
さてまずは占術の対象であるところの“再誕の聖母”——イリスを取り巻く事象を決めるための第一投目だ。
これは占者であるイズマが行う。
がらりがられり、と音を立てながらさまざまな彩りとカタチが転がり出て、“場”が作り上げられる。
といっても、敷布上に現われた景色がなにを意味しているのか、アシュレたちにはまったくわからない。
“場”を構成している石のなかには、なにか巨大な鱗や小人サイズの仮面までもが見受けられる。
異国情緒というか、他種族の文化の匂いだけは濃厚に嗅ぎ取ることのできるアシュレだ。
だが、その場に居合わせた土蜘蛛の姫巫女姉妹だけは、現われ出でた占いの“場”の景色に顔色を変えた。
「イズマさま、これは」
「わたくし、長く姫巫女を務めて参りましたが、ここまでのものは、はじめて見ました。この星辰の並び……ティラント宮、ハバキ宮、ガラング宮、マヒルヒ宮……星々が……合を成そうとしている。一度に、こんな……」
ただごとではありませんの。
だれに聞かそうとしたわけではないであろうエルマの呟きが、すべてを代弁していた。
いつも薄っぺらい笑みを張り付けているはずのイズマまでもが、左目を見開いたまま真顔で固まっている。
形成された“場”を成す石の種類。
互いの距離、配置。
それらすべてを、追う赤い瞳が動揺に揺れている。
つつぅ、とその額から汗がおとがいに沿って流れ落ちた。
ぐい、とそれを拭う。
「イズマ?」
「……ん? んん、うん。じゃあ、アシュレ……えーと、前の手順でキーストーンを選んでくれる?」
チリチリとした緊張感を、このときすでにアシュレは感じ取っていた。
賭場であれば大きな役が成りかけている、そういう空気だ。
あるいは鉄火場が出来上がりかけている、とでも言えばいいのか。
イズマや土蜘蛛の姫巫女姉妹の態度から、なにかとてつもないことが起きようとしていることだけはわかるが、いまは自分ができることに集中するほかない。
眼前の光景から意味を見出そうとする心を追い出し、アシュレは自分が選ぶべき石を探した。
邪念は占いの結果を変えてしまうからだ。
そして、そんなアシュレの手のなかに自ら転がり込んでくるようして、それは掌中に収まったのだった。
おおぶりの真珠。
アシュレは、いつかイリスに贈った品とよく似たそれを無意識にも選んでいた。
それを見てイズマがむせる。
えっ? とアシュレは弾かれるようにイズマを見たが、なんでもないよ、と打ち消すように否定された。
「えと……これを、なにか彼女の身近にあった品と触れ合わせて……投げれば良かったんですよね?」
かつての手順を思い起こしながらアシュレは確認する。
以前の占いではユーニスから贈られた晴れ着の袖でキーストーンを包み、投じたのだ。
しかし、イズマからの返答は以前とは異なるものだった。
「いや、今回は、その必要はない。というか、そんなことをするほうが逆効果だよ、アシュレ。なぜって、アシュレ。キミほど、この世界にあって“再誕の聖母”を深く知る存在はいない。深い契りと縁を交し、《魂》を彼女に見せつけた男はほかにいない。いるはずがない。どんな物品をもってしようと、それを超えることは限りなく不可能だよ」
そうなのか。
いや、そうかもしれない。
アシュレはイズマに目だけで確認した。
では、振りますよ、と。
うん、とイズマからも了承というか、覚悟めいた頷きが返ってくる。
「鋭ッ!」
短い気合いとともにアシュレが投じた真珠は、あちこちの石に、骨に、玉にぶつかりながら、なかなか動きを止めなかった。
全員が“場”を注視する。
占いの結果というものは、最終的に盤上に現れた景色だけを言うのではない。
途中経過を含めてまでが、そうなのだ。
そして、いま眼前で繰り広げられるありさまは、占いに精通した土蜘蛛たち三人の身を乗り出させるものだった。
「これって……」
「しいっ、黙って、エルマ」
「でも、でも……姉さま」
「わかっている。だが、しずかに」
交される姫巫女たちの会話すら耳に入らぬ様子で、イズマとアシュレは盤面の趨勢を固唾呑んで見守っていた。
周囲の顔ぶれも一様に緊張の面持ちだ。
といっても、そう長くはかからない。
ついに結果の出るときがきた。
かつん、こつん、と最後に真珠を弾いたのは“場”を成す石のうちでも、ひときわ個性的なふたつだった。
ひとつは、奇妙な小人の仮面。
木製のそれに細かく銀色のタイルが埋め込まれいる。
ところどころ剥落した部分からのぞく地肌は血でも吸い込んだかのようにドス黒い。
もうひとつは目の醒めるような色合いの美しい鱗だった。
おそらくはドラゴンスケイル。
本物の。
なんと、それらに立て続けに弾かれ、真珠は占い用の敷布から外へ転がり出てしまった。
これはまさか……不成立……失敗なのか?!
「「あっ」」
と同時に声を上げたのは、アシュレとイズマ、まったく同時であった。
「これって?」
けっきょく手元近くまで転がり戻ってきてしまった真珠を見、それからイズマを見て、アシュレは訊いた。
「これは……いったい、どう解釈したらいいんだろうネ」
困惑気味に指を彷徨わせ、一同を見渡したイズマには、だれからも返答がなかった。
さすがの土蜘蛛王も、にわかには事態を把握できなかったらしい。
占いの場に投じられたキーストーンが手元に戻ってくるなどというのは、よほどのことだったからだ。
「もしかして……失敗ってこと?」
当然、占術のなんたるかを知るわけでないアシュレや他の面々からは、そんな問いかけも出る。
だが、心配げなアシュレに首を振りイズマは思案顔に戻る。
「うんにゃ、チガウ。違うよ、アシュレ。あまりのことに動揺しちゃったけれども……これは、ちがう」
失敗なんかじゃあない。
まっすぐにアシュレを見たイズマの瞳はそう言っていた。
「いいかい、アシュレ、落ち着いて聞いてくれ。彼女は──イリスベルダは」
「この世にいない」
イズマより早く答えを声にしたのは、エレとエルマ、ふたりの姫巫女だった。
唱和するようなふたりの声は完全に揃っていた。
「え?!」
それは、どういう。
アシュレの驚きは土蜘蛛の三人を除く、いまこの場を半円に取り囲む、すべての人々の心中と同じであった。
「この世にいないとは、どういうことだッ!!」
ノーマンが吼える。
「飛び去った……というのは……世界を去った……ということなのか……」
「どういうことだッ、説明しろイズマッ!!」
呆然と呟くアシュレに対し、シオンのそれはもうちょっと性急だ。
掴み掛かり、怒鳴る観衆をイズマは両手で押しとどめた。
さわるなッ、占いの場を乱すなッ!! と珍しく、怒号で。
よく見て、と“場”を指す。
「ちがう。この世にいないんじゃない。イリスは……“再誕の聖母”は、地に足を着けていないんだ」
「どういうことです?」
「そのまんまさ、アシュレ。前にも言っただろ。ボクちんたち土蜘蛛の占術は、地面と関わり合いのない場所では没交渉になるんだ、って。でっかい水たまりとか、池くらいならなんとかなるけど……湖、内海、海原……」
「そうか、漂流寺院のときもそうだったもんな」
それ、とイズマはアシュレを指さした。
よく憶えてたね、と。
「ダシュカちゃんのあの銀仮面を使った未来予知とかならともかく……すくなくとも地上と地下世界……そういうところにはもう彼女はいない」
「じゃあ海か、それとも《不可知領域》みたいな場所か……あるいは」
推論を立てる男ふたりにシオンが言った。
「イズマ……オマエの占いを信じないわけではないが、失敗の可能性というのは本当にないのか? もう一度確かめて見たらどうか?」
食い入るように“場”を見つめたままシオンが言う。
「いえっ、それだけは、決してありませんッ!! この占いの結果は、絶対です! それはベッサリオンの、我が神:イビサスの姫巫女の誇りにかけて、このエルマが保証いたしますのッ!! イズマさまは我らが土蜘蛛の頂点に立たれる御方。その占いの精度は世界最高です!」
シオンの提案には、珍しくエルマからの断言が返ってきた。
「付け加えさせてもらうならば、このわたし、エレも同じくだ。ハッキリ申しあげるが、これほどの相が現われる確立はおそらく、数兆分の一、あるいはもっと低い。これだけの星の配置、地の配置、月の配置があって、強力な合が成されている場で失敗だけは絶対に、絶対にありえない」
こちらは姉であるエレ。
普段は冷静沈着を絵に描いたような元女凶手が、語気も強く言い切った。
猛烈な勢いで姫巫女ふたりに断言されれば、シオンも頷かざるを得ない。
「まいったね。こりゃ」
イズマが珍しく真顔で唇を噛みながら首を捻る。
本当に参っているらしい。
「では、どうすればいいのだ。現世界最高の占者にわからない、というのであれば……どうすればいい」
訊いたのノーマンだ。
実働的には、ほかになにか打つべき手はないのか。
そういう声だった。
他者を責めるのではなく、自らが果たすべき役割を探そうという、じつにノーマンらしい態度だ。
だからこそイズマも渋面になる。
「……さっきも言ったけど……ダシュカちゃん級の能力がいるかもなあ。ボクらじゃ、お手上げだよ、これ以上は」
唸るイズマに、ノーマンの眉根が寄せられた。
だが、肝心のダシュカマリエは現在、“再誕の聖母”と五感を共有される状態にある。
ダシュカマリエ側からはできないが……イリス側からは、上位者としていつでも、自由に。
先だって確認したではないか。
それはつまり……いま、ダシュカマリエは……。
「やはり、急ぎ戻らねばならんッ!!」
突きつけられた占術の結果に、叫び立ち上がりかけたノーマンを止めたのは、占いの社を襲った突然の攻撃だった。




