■第一一四夜:希望と絶望の狭間で
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「浄滅の焔爪:アーマーンが得意とする消去型の技の多くは、相手が同等かそれ以上の《フォーカス》であった場合、効果を発揮しません! 質量系直接攻撃を進言します!」
「了解したッ!!」
大気の層を突き抜けながら、エルマが直震型の指示を飛ばす。
耳骨を直に振動させる異能だ。
それに応じ、ノーマンは攻撃用の異能を切り替えた。
「おおおおおおおおおおおおおッ、鉄血の神拳ッ!!」
落下の衝撃を和らげるため、また微細な姿勢制御のためエルマが展開したエネルギーの飛翔翼をはためかせながら、それでも時速数百キトレルの超高速でノーマンは自由落下攻撃を敢行した。
拳のカタチに握りしめられた浄滅の焔爪:アーマーンは文字通り巨大な鉄拳となって真下にいた自動騎士のうちの一体:盾の騎士を頭頂部から叩きのめす。
強烈な衝撃波が周囲の大気を圧し、闘気が物理的現象となって渦を巻き、立ち昇り、嵐のように吹き荒れる。
いくら、自律判断で攻撃を開始したとはいえ、さすがにこの状況での上空からの直接攻撃など予想しようもなかったのだろう。
残された破城鎚の騎士と、ユガの抜け殻の動きが止まる。
それはアシュレたちも同様だった。
一瞬、それらしき姿を確認したもののいったいだれが、塔の上にある舞台へとさらに上空から自由落下攻撃をしかけてくると考えるだろうか。
それも生身の男が、たったひとりで。
まさに狂気の沙汰。
だが、だからこそ、この奇襲は完璧だったのだ。
そして、その直撃が引き起こした現象が徐々に収まりゆくなかで、アシュレは見た。
圧倒的な防御力を誇った盾の騎士が頭部を完全に破壊され、胴体部分までもひしゃげて擱坐するさまを。
まさに圧壊、というのがふさわしい状態に追い込まれ動きを止めた自動騎士を踏みつけて立ち上がる男の姿を。
岩棚のような筋肉が全身を覆っていた。
落下速度と姿勢制御のためにエルマが用いた飛翔翼の異能の導体となった上着はそのことごとくが光の粒子に還元されてしまっていた。
巌のごとき相貌に、強い《意志》の《ちから》が漲っていた。
両腕は異形のものでありながら純白の神器で。
そこから、技の余韻が竜のごとく輝く煙のカタチでたなびいている。
アシュレは息を呑んだ。
シオンが瞳を見開き、呆然となった。
アスカが、口元に手をやり、言葉を失う。
エレが、ヒュー、と口笛を吹いた。
その男の名を、いまさら告げる必要はないだろう。
ノーマダリウス・デストニアス。
カテル病院騎士団が誇る最強の騎士が、いまこの問答無用の殺戮の場を征するべく舞い降りたのだ。
だが。
しかし。
それだけではなかった。
アシュレを初めとする戦隊、特に女性陣の反応の理由は。
あった。
背中に。
絵が。
理不尽な暴力を、それを上回る《ちから》で地に打ち倒し、雄々しく立つ男の背中には。
あー、ええとう、刺青?
刺繍、かな? が。
豪奢な巫女服を着崩し艶然と微笑む土蜘蛛の姫巫女の姿が。
土蜘蛛の異能、背中や衣服に潜む背負子蜘蛛は、使用者を図像とすることで可能となる技である。
というわけで(本人は背中を確認できないのでノーマンはまったく現在の状況を把握できないのだが)、背中一面に見目麗しい土蜘蛛の巫女さんを背負った男が、戦場に参上してしまったのである。
古来より戦場に赴く男たちは、愛する女の姿や品物を携えてきた。
それはたとえば、頭髪を入れたお守りであったり、カメオのごときものであったりした。
女神像を船乗りが船首に戴くのも、騎士が想い人の衣装の袖を腕に巻くのも、あるいは北方の戦乙女の伝承もそうかもしれない。
戦場で孤独に死ぬとき、せめて愛しいヒトの思い出とともにありたい、というのは人情というものだ。
戦御輿に自分の愛人の意匠を施して、ひんしゅくを買った昔の皇帝の故事を紐解けば「痛車」なる単語が目に飛び込んでくるが、それに習うとするならコイツはまさしく「痛人類」というのが相応であろう。
「またせたな」
そして、ものすごくいい顔を浮かべ、この世界最強の両腕を組みながら男は振り返ったのだ。
アシュレは硬直した笑顔を浮かべた。
女性陣に至っては、表情というものを失っている。
どう反応すればいいのかわからなかったのである。
そして、奇しくも振り返る、という行為はユガの抜け殻に背を見せる、ということでもある。
襲いかかるならばまさにここであっただろう。
しかし、その背に刻まれた姫巫女の絵には、自動殺戮装置を押しとどめるだけの《ちから》があったのだ。
たぶん、混乱を来した判断機構が処理できなかっただけだと思うが。
「なにを惚けている? 驚かしたのは悪かったが──ここは戦場だぞ、アシュレ?」
「あ、アッハイ!」
アシュレたちの陥った混乱と自失呆然を引き起こしたのは自分だなどと思いもせずに、男は力強い笑みを広げる。
「ノーマン、あの!」
「挨拶とこれまでの経緯は後にしよう。まずは、この場を制圧するぞッ!!」
そして、ものすごい勢いで戦闘モードに自分を切り替える。
このヒトは、ほんとうに変わらないなあ。
アシュレは苦笑する。
そのことにどんなに自分が救われてきたのかを思い出して。
だから、答える。
溌剌と。
「はいっ!」
そして、同じく覚悟も固める。
告げなければならないのだ、ノーマンには。
“再誕の聖母”のことを。
※
この國が滅びるのは、自分たちが国を構成しているという自覚を──端的に言えば「責任」を他者に預けてしまったからだ。
考えることを、《意志》を持つことを、だれかに委託し続けてきたからだ。
「ちがう……そうではないのだ、アシュレダウ。それは強者の論理だ。だれしもが、オマエたちのように強くは──強くはなれない。必要なのだ、人間には、すがるものが。絶対的で確実で安寧を保証してくれるものが。赤子にとっての母たる存在が」
考えなくてもいい世界が欲しい。
それは、人々の叫びなのだ。
疲れた、という。
残酷な世界を生きるのに、疲れ果てた、という。
もう楽にしてくれ、という。
「だとしたら、考え続けることを強制し続ける《意志》とは──もはや病ではないか。だから、人々は編み出したのだ。悩みや、迷いを代行して、忘れさせてくれるための方法を。それが“義識”であり、“庭園”なのだよ」
現実を「理想にする」ことの困難さが、世界から“希望”を減じていることに旧世界の人々は気がついたんだ。
だから、せめてそれを“庭園”に保存しようとした。
そして、そこと繋がることで《意志》から逃れる方法を確立したのだ。
「これはもう、ずっとずっとむかし、繰り返された愚行の末に出された結論なのだ。過酷な世界と時代にあって《意志》を保ち続けることは苦行であり、もしそれを可能とする者があるとすれば──それはヒトを超えて行く別の存在なのだ」
そして、と“再誕の聖母”は言う。
「そして、それはほとんどの人々には到達不可能であると同義。《みんな》はそちら側にはいけない。だから、《救済》によって《意志》を手放し、《みんな》で一斉に、世界を変えねばならないのに」
それなのに、あなたは──示してしまった。
「《魂》の実在を。そして、それがどれほど希少なものなのかを。いかなる天文学的確率でしか、再現できない現象なのか、を」
ほとんどの人間にはそれは訪れることもなく、感じることも、見ることさえできないというのに。
それを生じせしめる生き方は「特別なのだ」となぜわからない。
「だから、皆、それは平等に与えられたものだと定義し続けてきたのに。見たことがないからこそ。決して実在を証明できないからこそ──本当は自分に無くとも気にせずにいられたのに」
どうして。
どうして、わかってくださらないの。
“再誕の聖母”は嘆く。
震えて。
もしかしたら、わたしは《魂》を消さなければならないのか、と予感して。
どくん、と胎内に宿るものが、動くのを感じた。




