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■第一〇五夜:戦旗を掲げて(6)


 

 ゴグンッ、と巨大なブロックが組み合わさる音がした。

 精密なパーツ同士が寸分の狂いもなく接合を果たした振動。

 それは、この巨大な塔と下界からせり上がってきた〈ログ・ソリタリ〉が、元々からして一体となるべき存在であったことを示している。  

 

 御簾みすの降りるような音とともに展開された光翼が、周囲を真昼のように照らし出す。

 実際にそれは陽光にも勝る聖なる光であり、死に損ないアンデッドの類いは無論、デイウォーカーでなければシオンのような夜魔でさえも焼く破魔の輝きであった。

 

 だが、いまこの場に立つ者のなかにそれに脅かされるものは、誰ひとりとしてない。

 あえて言うなら、土蜘蛛たちの得意とする呪術系異能の効率が減じられるわけだが──エレもすでにそれは先刻承知のことであった。

 もとより《ねがい》という強大な呪いを練りつけられた存在であるオーバーロードと、そこに《ちから》を与える《フォーカス》に、呪術系攻撃は極端に効きづらい。

 この戦場にあって、エレはすでに自分は補佐役であることを十二分に理解していたのだ。

 

 つまり、アシュレを中心に、シオン、アスカの三名から成る楔形陣形こそが、この戦隊の主戦力となる。

 

 そして、先鋒を務め戦隊を率いるアシュレは、〈ログ・ソリタリ〉の出現を察知しても、振り向きすらしなかった。

 両翼を担う美姫ふたりも、準ずる。

 

「ほう……これほどのスペクタクルを前にしても動じず、とは肝の座ったことだな、アシュレダウ」

「なぜだろうか。地の底から響いてくる戦闘音楽と、周囲を取り囲む光の檻が発する大気の焼ける音のなかに身を任せていると……不思議だが、心だけは凪いだ湖面のようになる」

「それはアシュレダウ、オマエがこちら側に、我々の側に近づいている証拠だ」


 あるいは精神的動揺を狙ったものだったか。

 それとも、本心からの言葉であったか。

 未練を思わせる調子が、ユガディールの声にはあったのかもしれない。

 アシュレは無言で、返した。

 小首を捻り、苦笑を浮かべて。

 そうかもしれない、と。

 だが、あなたの側には行けない、と。

 

 そう言うと思っていたよ。

 ユガディールの側も、同じ仕草で返した。

 

 二騎は進み出ると、ゆっくりと互いを見定めるかのように対峙し、逆方向へと動く。

 相手に馬身と装備を見せ、自身を誇示するディスプレイ。

 ふたりの間に挟まれた大気が帯電したかのようの光を放ち、ぶつかり合うオーラの姿を可視化する。

 片や《ねがい》の、片や《スピンドル》の激突が引き起こした超自然現象。

 両翼を護るシオンとアスカは高揚を覚えるだけだが、二重の防護結界に護られたスノウはその内側で、両膝をついて両雄の激突を見守っている。

 

 やがて、ユガディールは馬首を巡らし、距離を取った。

 値踏みは終わった、とばかりに背筋を伸ばし、アゴを反らす。

 なるほど、それがオマエたちの陣営か、と。

 それから言った。


「では、わが軍勢を紹介しよう」


 言いながら羽織っていた漆黒のマントを脱ぎ払う。

 瞬間、ごうおう、とそれが渦を巻き、世界が切り捌かれるのをアシュレは見る。

 そして、漆黒の渦があっという間に飛び去ると──そこには異貌・異相の自動騎士が二騎、片膝をついて待っていた。


 それぞれが特徴的な武具を帯びて。

 片方は両腕に巨大なシールドを。

 もう一方は、右腕そのものを身の毛もよだつような形状の鈍器にして。 

 仮にこれらを盾の騎士、破城鎚の騎士、とでも呼称しようか。

 

 立ち上がれば身の丈三メテルはあるだろうか。

 全身に施された白黒の縞柄が距離感を狂わせる。

 彼らはひと目見て人類ではありえなかった。

 いや、その場にいた全員が理解していた。

 これは、そもそも生物ですら、ない。

 

園丁たちザ・ガーデナーズ。アスカリヤ殿下はすでにむこう側・・・・で一度、手合わせされたはずだ」

 

 言われるまでもない。

 アスカは、瞬間的に記憶を探っていた。

 我々、“庭園ガーデンサイドの仕事を現実にあって代理遂行する尖兵たち。

 主に物理的障害を排除し、現実と“庭園ガーデン”の接点=《ポータル》を防衛するのを任務とする。


 個々が強力な戦闘能力を持ち、そのすべてが《フォーカス》。

 そのなかでもいま眼前に現れた二個体からは、極めて危険な匂いがする。

 “庭園ガーデン”にいた個体はすべて純白だったが、この二個体はまるで警告を促すような白黒ツートーンの縞柄だ。

 危険な動物が帯びる警告色そっくりだ。

 

 こちらとの駒数を“再誕の聖母”を含めて合わせてくるなどというのは、度の過ぎた美学、というわけではあるまい。

 このテラス上で展開できる最大最強の戦力投下数がこれだ、とユガディールは判断したのだ。

 下手に密集隊形を取れば、聖剣:ローズ・アブソリュートを始めとする広範囲殲滅技の格好の餌食だ。

 

 そして、いま、わたしたちは〈ログ・ソリタリ〉を背負ったカタチでいるのだ。

 

 だからこそユガディールは自分たちの勝利を絶対的に信じている。

 アシュレが予想した通りに、確信している。


 思惑通り、そのための舞台に、わたしたちを誘い込むことに成功したのだから。

 まさに、敵の思うツボだ。


 だとすれば──だからこそ、突破口は、アシュレの話してくれたアレ(・・)にしかないように思える。

 アスカはそう結論し、口元を引き結んだ。

 

 シュッ、シュッ、と機敏な音がして自動騎士二体が立ち上がり、武器を構える。

 馬上のアシュレはともかく、己が両脚で舞台を踏みしめるアスカとシオンからは、まさに巨人のように、それらは見えた。

 

 ユガディールが槍を立て、騎士の礼を取る。

 後の史書にトラントリム戦役と記された戦争の最後の戦い、その始まりだった。 


         ※ 

         

「わたしたちを、あのテラスに誘い込むのが敵の思惑だとして。だとしたら、舞台に上がったわたしたちは、どういう動きを強いられることになるのか」


 アシュレはヴィトライオンに拍車をかけながら、シオンの問いかけを思い出している

 まさにその舞台に向かう直前でのことだ。

 

獅子面馬人レオトールを憶えている? 塩鉱山で戦った強敵を」

 

 質問を質問で返され、シオンは目をぱちくり、とした。

 貴族の男のやり方としてはかなりの礼儀知らずな行いだが、虚をつかれたシオンは怒った様子もなかった。

 うん、と頷いて話を促す。

 

「彼と、彼に随伴していた仕込まれていた仕掛け──あの気味悪い目玉の怪物:〈バロメッツ〉は、要するに〈ログ・ソリタリ〉の切れ端みたいなもんなんだよ。相手に超常的な《ちから》を授けるかわりに、己の意のままに置くための……なんていうんだろ、中継点、みたいなもので」

「〈バロメッツ〉──たしか、ユガディールの背にもそれが植えられていたな」


 うん、とこんどはアシュレが首肯した。

 続ける。

 

「あの塩鉱山での戦いのとき、獅子面馬人レオトールはあきらかに誘っていた。シオン、キミがボクを助けに飛び込んで来るのを」

「そう──だったのか。だとしたら、そなたの機転でわたしは助かったのだな。だが、なんのために?」

「ボクらを仕留めるのに時間をかけすぎたら、キミっていう最強の増援が来るのがわかっていたのに、アイツは回りくどい手を使った。随伴のインクルード・ビーストをすべて失ったのにも関わらずだ。まともな司令官なら……あそこは引き際だ。それなのに、執拗にボクらを追い詰めようとした。だとしたら、そこには意図があったと考えるのが当然じゃないか? そして、その意図がなにか、はもう明白だ」


  アシュレは息を吸い込み言った。

  シオン──キミに取り憑きたかったんだよ。

  あれは、〈バロメッツ〉は、と。


「わたしに、か?」


 どういうことだ、とシオンが聞き返す。

 ぶるりっ、とその身体が震えたように感じられたのは、見間違いではない。


「もちろん、キミが欲しかったからだ」

 ずばり、と核心を突いてアシュレは言った。

「わたしが……欲しかった?」

 揺れる瞳で見つめてくるシオンに、アシュレは頷いて言った。

「アイツは、あの獅子面馬人レオトールは、ユガディールの《ねがい》を受け継いでいた。いや、正確には影響されていた、というのが正しい。自覚できない意識の裏側の部分で、ずっとキミを求めていたんだ。だから、キミを捕らえて〈バロメッツ〉を植え付けて──理想郷の、“庭園ガーデン”の風景を流し込もうとした」


 そのために、ボクらを追い詰め、接触の機会を作ろうとした。


「結局は、アテルイの機転と、ボクらの戦いがそれを打ち破ったわけだけど……」

 そこまで話して、アシュレはいったん言葉を切った。

 シオンが思い詰めたような表情で、地面を凝視していたからだ。

「……ごめん。デリカシーのない物言いをした。そうだね、いまのはボクがいけなかった」


 自分自身が他者にいかに執着されているのか。

 そんなことを、愛する男の口から面と向かって指摘され、気分のいい女性ひとはいないだろう。

 アシュレは直截ちょくさいに謝罪する。

 しかし、シオンの反応は、すこし違っていた。


「いいや、かまわない、アシュレ。そうではないのだ。そうか。アレは……ユガディールは、わたしをそれほどに欲していたのか」

 四百年を超える生、そして、祖国を敵として二〇〇年に渡る放浪を経た夜魔の姫には、ユガディールの抱える孤独が別の響き方をしていたのだ。

 続くシオンの言葉には、我が身を引き裂いてユガに与えてしまいそうな悲壮さが乗っていた。

 

「残酷なことを、わたしはしたのだな」

「運命は、いつだってそうだ。残酷を、ボクたちに強いてくる」


 だから、同じくかつて想い人を失い、いまもまたその結果としての“再誕の聖母”を葬ろうという男の言葉でなければ、シオンはすぐにはその言葉を受け入れられなかっただろう。

 自分をここに引き止めてくれる相手は、アシュレダウという男でなければならなかったのだ。

 数秒、夜魔の姫と人間の騎士は見つめ合う。

 それからアシュレは言った。

 けれども、と。


「けれども、そこから見えてくるものがある」

「……見えてくるもの?」


 シオンの当然の問いに、アシュレは答えた。


「ユガディールは、もういちど、近しい手を講じてくる。恐らくはもっと強力で直接的な。キミへの執着は、消えてなくなったりなどしない。むしろ、表層から深層へと潜った分、強烈な本能としてそれは働く。〈バロメッツ〉を用いたあの行動が、それを裏付けている。だとしたら、そこにこそ打つ手がある」


 その因子を受け継いでいる獅子面馬人レオトールたちは、ユガディールが無理やり心の奥底の淵に沈めたキミへの想いに忖度そんたくしたんだよ。

 つまり、主の、言葉にすることを禁じられた《ねがい》を叶えようとしたんだ。

 アシュレの説明に、シオンは震えて訊いた。

 嫌悪感や恐怖からではない。

 許されざる恋に身を割かれる乙女のように。

 

「そなた、そこまでわかっていて……なにをするつもりなのだ」と。


 アシュレはシオンを安心させるように微笑み、それはね、と目配せしてアスカを呼んだ。


「アスカ、もう一度、話してくれないか。キミが体験した〈ログ・ソリタリ〉内部への突入と、その後の体験を」


 こうして、奇策の要諦ようていは説明された。


         





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