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■第六九夜:愛は無慈悲に(1)

         ※


 愛しいバラの薫りがした。

 いつのまにボクは微睡まどろんでしまったのだろうか。

 アシュレは思う。

 

 身を起こすと、もうすこし状況が確認できた。

 

 ここはシオンにいざなわれるようにして潜り込んだ陣屋のひとつ。

 あちこちから漏れる陽光に、時刻はまだ、なんとか日中なのだとわかる。

 大気を舞うちいさなチリの粒が、光に踊ってキラキラと輝いている。

 

 どうやら、完全に眠り込んでしまったらしい。

 もう一度、瞳を閉じたら暗闇に落ちていきそうな眠気が、ある。

 

 無理もない。

 昨夜は、夜明け直前に拠点への攻撃を仕掛けるために強行軍を行ったのだ。


 塩鉱山跡地に設けられた軍事拠点への強襲作戦。

 今朝の戦い──その概要を説明すれば、こうだ。


 夜魔同士が持つ、血の共振能力を逆手に取るべく《ムーブメント・オブ・スイフトネス》の加護を受けたシオンが先鋒となり、戦端を開く。

 あえて堂々と正面から姿を見せつけ、夜明けに動揺する夜魔の騎士たちに挑戦状を叩きつけて、引きずり出す。

 そのスキに拠点へと潜り込んだエレが、要救助者を捜索し、拠点の施設群に破壊工作を仕掛ける。

 さらに、その混乱に乗じて、背面からアシュレがシヴニールによる長射程攻撃で、強襲に浮き足立ち混乱する孤立主義者たちを殲滅せんめつする。

 

 これがアシュレたちの採った戦術のあらましだ。

 そして、大括りな意味での作戦は、成功裏に終わった。


 拠点に立て篭もった数百人とインクルード・ビーストが数匹、そして、獅子面馬人レオトール一頭。

 これに相対したのはアテルイを含めて、たった四名。

 

 たしかに伏兵としての獅子面馬人レオトールの存在は予想外だったが、これだけの人数と軍事拠点とを、片手の指にも満たぬ数の戦力で制圧してしまうのが、《スピンドル能力者》なのである。

 寡兵かへいをさらに分けるという判断は、素人が見ても愚の骨頂なプランだが、アシュレたちにそれは当てはまらない。

 

 いわゆる、常識というものさしの外にあるのが、彼ら異能者たちの戦場なのだ。


 もちろんこれほどの大戦果が上げられた背景には、複数の強力な《スピンドル能力者》たちが緊密に連携したことに加えて、ここが《閉鎖回廊》であることも関係している。

 そうでなければ、アシュレもこれほど異能を振うことはできはしなかったであろう。

 

 それほどに《閉鎖回廊》の内と外では、《スピンドル》の働きに大きな差が生まれる。


 そういえば、アシュレの考古学部門の師匠であり、聖遺物管理課のボスである“教授”:ラーンベルト・スカナベツキはこんなことを言っていた。

 

「《閉鎖回廊》という場所は、端的に説明するならば、物語のなかだと思えばわかりやすい。そこへ飛び込むというのは、一冊の閉じた本のなかに赴くようなものだ。物語のなかでは肉体の働きに、精神のそれが大きく勝る。想いの《ちから》、願いの《ちから》、とでも仮称しておこうか。《意志》の強さが問われ、そこから引き出された《ちから》が、大きく増幅される世界だということだ。まるで、物語のなかの主人公たちが、そうであるように。だから、《閉鎖回廊》によって奪われた土地を人類圏に奪還する、というのはつまり、物語の側から現実へと世界を取り戻す、ということになるのだろうかな。概念論的な話をすれば」


 だから、アシュレは序盤戦から惜しみなく大技を投入して、敵を撃滅することができた。

 ここが、なかば物語のなか──《閉鎖回廊》のなかでなければ、とうていそんな無茶はできなかったハズだ。


 だが、それにしても、今朝は大盤振る舞いをしすぎた。

 城塞攻撃用の技だけではない。

 シオンとヴィトラに《ムーブメント・オブ・スイフトネス》の加護を授けたのはアシュレだ。

 そこに加えて、獅子面馬人レオトールとの大立ち回り。

 アテルイを護るために、数回に渡って回転力場を発生させる能動防御:《ブレイズ・ウィール》を行使している。

 

 結果として生き延びたからよかったものの、なにかがひとつズレていたら、死んでいたという確信が、アシュレにはある。

 命は拾ったが、代償は決して軽くはない。


 そして、そのとき負った傷の回復過程も、この眠気には関係がある。

 

 アシュレの肉体は、すでに驚異的な回復能力を得ている。

 それは、シオンとの臓器共有がもたらした副作用だ。

 肉体が再建する間、ひどい眠気に襲われることをアシュレはすでに学び終えていた。

 たぶんそれは多くの生物がそうであるし、夜魔ですらほんとうはそうなのだ、とのシオンの言もある。

 

 だが、いまアシュレに襲いかかる睡魔の誘惑には、さらに別の原因が加わっていた。

 その原因を作った存在が、いまアシュレのかたわらで意識を失っている。

 引きずり込まれるような、蕩けるような微睡みをもたらした本人。


 夜魔の姫:シオンザフィルの肉体が、そこには、ある。

 スノウを拘束していた道具に、今度は自分が囚われた姿勢のままで。

 だれかのしわざ、ではない。

 ボク自身と、そして、シオン自身のしわざだ、とアシュレは思い出す。

 

 あのあと、噛みつかれるようにして求められた。

 いや、最初に求めたのがどちらなのか、アシュレにはもうわからない。

 ふたりの間で交される愛は、もはや暴力としか言いようのない強度で、互いを結びつけるからだ。

 一度それに捕らわれたら、抗うことはできない。


 ただ、はっきりと憶えていることがある。

 

 逃げられないようにして、と懇願されたこと。

 あなたのものだということを、忘れられないようにしてください、と訴えられたこと。

 あの日、ユガに強いられた愛の記憶を焼き尽くしてください、と。

 泣いて、震えて、必死に。


 たしかにアシュレは今日、シオンの目の届かぬ場所で、命を落としかけた。

 それが、シオンにあのトラントリムでの日々を、鮮明にフラッシュバックさせた。

 アシュレが昏睡状態にあったとき。

 そしてまた、孤立主義者との戦闘で疲弊し倒れたアシュレとの別離。

 一睡も許されず、〈ジャグリ・ジャグラ〉を振われながら、ユガの元で過ごした日々を。

  

 だから、シオンの性急な要求は、しかし、正当であり、責任はアシュレにあった。

 だから、その望み通りに、アシュレはシオンを捕らえ、強いた。

  

 こんな愛しかたを、アシュレは他のだれにも振ったことがない。

 

 それは奪い去る愛だ。

 束縛し、引きむしり、踏み躙る愛だ。

 彼女の持つあらゆる自由と権利と尊厳を。

 

 暴力的な衝動そのものと、それは言い換えてもいい。

 

 これまでは、暴れ馬の手綱を引き絞るようにして、アシュレは己の衝動に立ち向かってきた。

 だが、ここにきて自分は変わった、とアシュレは思う。

 その暴れ馬を乗りこなしているのは間違いない。

 だが、いまは抑制のために、その背に跨がってはいない。

 

 征服のため、蹂躙じゅうりんのために、その衝動がもっとも効果的に働くやりかたを、いまや、アシュレは衝動という軍馬に与えているのだ。


 王たれ、と望まれるなら、ボクはその望みを超えていかなければならない、とアシュレは思う。

 たしかに、夜魔の姫君の基準と要求はとてつもなく高い。

 なにしろ、これから正対するのは八〇〇年以上を生き、そして、オーバーロードとなった男:ユガディールなのだ。

 その男が刻んでいったわだちを超越してみせてくれ、と言われているのだ。

 

 無茶すぎる、とむかしの自分なら怖じ気づいたかもしれない。

 けれども──シオンを賭けて彼に決闘を挑んだあの日から、アシュレは変わった。

 いや、正確にはいまも変わり続けている。

 

 自らそうあれと望んだとはいえ、シオンは己を領土と見なして君臨する男が、降伏を認めない冷酷さを心にまとうやりかたを憶えたことについて、どう想うだろうか。

 

 目覚めたら聞いてみよう、と自然にアシュレは思う。

 その精神性が、すでに常人から逸脱し始めていることには、疑問もない。

 肉体だけではなく、精神も変わりつつあることを、自然と受け入れている。

 

 それを残酷な変容と捉えるか、王の資質の開花と見るかは、きっと善悪ではなく時代が判断することなのだろう。

 

 ただ、自分の王として立ってくれと望んだ本人が、そのための教材として、己と己自身の人生すべてを与えてくれる。

 それは、ほとんどの人間が手にすることはできない本物の奇跡のように、アシュレには思える。

 

 いったいほかのだれが、こんなに可憐で健気で高潔な教科書を手に入れられるだろうか。


 あるいは、いま、アシュレの掌中に魔性の具:《ジャグリ・ジャグラ》が揃っていることさえ──そうなるべくしてそうなったように、感じられる。

 悪意というインクによって、ヒトを改変する道具があるのだとしたら、その悪意の向かう先を御し切ってみせろ、と言われている気がするのだ。

 

 だとすれば、これは試練だ。

 アシュレが、王、あるいはそのずっと先を目指すための。

 善悪の彼岸を超えていくための。

 

 その訓練として、夜魔の姫:シオンザフィルというノートを、おまえの記述で埋め尽くしてくれ、と言われているのだ。


 このヒトの心と肉体に、精練と錬磨の足りぬ記述など、残してはいけない。

 その想いに突き動かされて、気を失ったままのシオンを、アシュレは夢現ゆめうつつにも、また愛してしまう。

 

 そういえば、陣屋に向かうまでの間に、こんな話をした。

 

「夜魔というのは、ほんとうに厄介な種族でな」


 たしかに、そうシオンは切り出した。

 

「夜魔の男が夜魔の女にはらませるには、女の側の心を完全に踏み折らなければならないのだ。我が一族ながら淫靡いんびな話だとは思うが……不死性を持つ、桁外れの再生能力を持つ、とはつまりそういうことだ」


 つまり、肉体とそれを制御している精神が「変化を拒む」というわけだ。

 

「理屈はわかるだろう? 子を宿す、というのは劇的な変化だからな。自身のなかにもうひとつの命が宿るのだ。神秘というほかない。これぞ奇跡だ。そう思うだろう? だが、我らが夜魔の一族の女たちは、その変化を屈辱と見なす傾向が強くてな」


 当然だろう。

 性差ではなく、その才能のみを評価基準とする存在が、どうして女である、というだけで「変えられなければならないのか」と思うのは。

 

「だから、その変化を受け入れる……いや、受け入れさせるためには、男の側が圧倒的な上位者であると認めさせなければならないわけだ」


 それはまあ、こんな事情を知れば、人類が夜魔を淫靡いんびで邪悪な一族と見なすのは、無理からぬことかもしれん。

 

「夜魔、というのはほぼその一族が貴族だけで構成されている。統治者たちの集まりなのだ。臣下はいてもよいが、臣民はいらん。全人類をそのように見なしている節さえあるからな。くだらんプライドと、とんでもない思い上がりだ」


 けれども、と続けた。

 

「けれども、その精神性からわかるとおり。愛を交して、子を宿し、育む、という行為そのものを夜魔の女たちは耐えがたき屈辱、苦役ととらえているのさ。たしかに、受胎から出産まで十年、長ければ二十年もかかる場合があるのだからな。苦役、という表現は、根拠ないこととは言い切れぬ」


 それほどに、夜魔同士で子を成すことは難しい。

 

「上位存在ともなれば、その寿命は一〇〇〇年を遥かに超える。そんな種族にあって、愛を交して子を成すというのは酔狂以外のなにものでもないのかもしれんな。だいたい、ヒトの子を一族に加える《ちから》を夜魔は持っているわけで」


 だから、ときおり、その戯れを夜魔の男たちはヒトの娘を的にして行うことがある。

 もちろん、種族の壁を超えようというのだから、簡単ではない。

 

「簡単ではない、の意味はわかるな?」


 尋常ならざるほどの密度が必要だということだ。

 シオンが静かに瞳を伏せた。

 

 たとえばあの娘:スノウだ。

 母親はヒトの子。

 父は夜魔の騎士。

 そういうことだろうよ。


「ただ、彼女が見せた夜魔の血への憧れと、そこに端を発する誇りへの執着を見ると、たしかに、そこに愛はあったのかも知れぬ」


 我らは魅了系の異能や、支配系のそれに通じた種族であるから……母親の側の心の動きがほんとうだったか、は確かめようもないが。


「すでに故人だというし。だが、今日、わたしたちと会ったことで、あの娘の運命は大きく変わってしまった……信ずるべき寄辺を、わたしたちは打ち砕いたのだから」


 シオンの言葉に、アシュレはちいさく胸元を押さえた。

 あのメモワール、ユガディールの遺稿を押し当てて。

 

「この国をカタチづくり、根底をなしてきた“血の貨幣共栄圏”──それが自作自演の虚栄だと……ボクたちは看破したんだものね。それは精神的支柱を根元からへし折られるようなものだものね」


 人類と夜魔の調和を謳い歩んできたくにを、スノウとその両親は体現している。

 いわば、理想の姿だ。

 いや、姿だった。

 アシュレが今日、彼女にあの手帳を見せるまでは。

 

 スノウがすべてを受け入れ、納得したかどうかはわからない。

 だが、少女の心に国家と自分自身の生い立ちへの疑念を、植え付けたことだけは間違いない。

 

 おまえの母と父の愛は、まがい物だ。

 言葉こそ違えど、そう面罵めんばしたのに等しい。

 

 性急すぎたかもしれない。

 スノウの壊れたような泣き顔が脳裏に甦り、アシュレはちいさく後悔を口にした。 


「あれは、そうするほかなかったであろう。互いが信じる道を提示し続ける限り、わたしたちはスノウやトラントリム、そして、これに同調する周辺の小国家群を説得などできん。平行線だ。そこを飛び越えるには……痛みをともなってでも、ああするほかなかったように思う」

「……それでも、なにかほかにできなかったか、と思い悩むのがボクなんだ」

「アシュレ」


 わたしも考えてみたが、実質的に選択肢はなかったよ、とシオンは伝える。

 アシュレは頷くが、表情は晴れない。

 無理もないが。

 これが戦争の責任を背負う者の痛みだ。

 アシュレ、とシオンは続けた。


「平時であっても、言葉を尽くせばわかりあえる、というのは幻想に近い。戦時にあっては、それはもはや、試みることすら困難な場合が多いのだ。そなたは、あの少女を殺すこともできた。情報の漏洩ろうえいを考えれば、そんなに珍しい処置ではない。男は殺され、女は犯される。価値のあるものは売り飛ばされ、そうでなければ野辺に転がされる。多くの場合、遺体となってな。いいや、なにに価値があり、なにが無価値なのかさえも、気まぐれで断じられる場所と時間──それが戦争だ」


 百年以上も、人類圏を旅してきたわたしだ。

 いやになるほど見てきたさ。

 定命の者たちの暗部も、な。

 

「だが、そなたは、そうしなかった。危険を承知で、スノウを説得することを選んだ。……たぶん、恨まれるだろうことも覚悟の上で。痛みを支払って」

 

 わたしは誇りに思うぞ。

 シオンはアシュレの行いを、そうやって肯定してくれた。

 こういうとき、真っ先に自分の行いを認めてもらえる、というのは、ほんとうに重要なんだな。

 アシュレは思う。

 こんなに可憐で誇り高い夜魔の姫のものからであれば、それは万の軍勢を得るより心強いことだ。


「ありがとう。ちょっとだけ……心の重し・・がとれたよ」

「だがな、あれはよくなかった」


 それまで理知的に話していたシオンが、急に態度を変えた。

 感情的な怒りに直面し、アシュレはたじろくことになる。




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