■第四十九夜:死者の写本
※
「ぬ」
通常の戦隊であれば、正面突撃を受けた直後の混乱時に、脇見をしている兵など考えられない。
だが、ノーマンは必勝を期した己の突撃が相手に認識されたことを、ハッキリと理解した。
インクルード・ビーストの襲撃により総崩れになりかけたエスペラルゴ陣営。
それを押し返したのは玉虫色の装甲と巨大な刃を全身から生やし、疾風迅雷の速度で駆けつけた殺戮の権化だった。
ビオレタ──すなわちオウガの末裔と、彼ら特有の死生観が結実したかのような武具:鏖殺具足。
魅入られるような魔性を秘めた美貌が、己自身を武器として、血の歓喜に豪奢な笑みを広げるのを、ノーマンは見た。
そして、間髪入れず、美しき殺戮者が押し広げた空隙に死をまき散らす竜巻が突入してきた。
メナス。いや、現エスペラルゴ皇帝:メルセナリオ・エル・マドラ・エスペラルゴ。
両手に構えた小型のファルカタ──いや、銃器を兼ねるそれは、もはや銃剣と呼ばれるべき代物であり、コンセプトだけが応用され、のちに歴史を変えるほどの隆盛をみせるのだが──を構え、舞い踊るように敵陣を破砕していく姿に、胸中、ノーマンは素直な称賛を送った。
最前線に、しかも、全滅しかけた味方陣営の窮地を救いに、ふつう皇帝は飛び込んでこない。
セラをたぶらかし人質に取ったという所業は許せないが、ただ者でないことだけはよくわかる。
なによりも、彼の加勢はエスペラルゴ人たちを奮い立たせた。
崩壊寸前だった戦線が踏まれることで強さを増す麦のように、みるみる勢いを盛り返していくではないか。
悪党だが、いや、スジの通った大悪党ゆえに人心掌握術に優れ、支持を集める。
それがメナスという男のキャラクターなのだと、ノーマンはものの数秒で見て取った。
味方として酒を酌み交わせば、なるほど、面白い男なのだろうとさえ思う。
そんな未来が、もしかしたら、可能性としてあったかもしれない。
だが、消えてもらう。
カテル病院騎士団に対峙し、敵対するとは、つまりそういうことだ。
筆頭騎士たるノーマンを敵とするとは、そういうことだ。
もしかしたら、あるいは──そういう未練は存在しない。
無だ。
両腕のひと凪ぎですべてを虚無に還す男は、駆けながら心を決めた。
味方が勢いを盛り返しかけたタイミングで、よそ見をしている男もいて、なるほど面白い連中だとも思うが、関係ない。
眼鏡面の優男が発した警告にメナスが気付き、迎撃を試みる。
いい連携だ、ノーマンは称賛する。
しかし──甘い。
ひゅッ、と鋭く呼気を放ち、速度もそのままにノーマンは技を放った。
荒れ狂う刃牙。
全てを引きずり込み飲み込む、漆黒の螺旋。
その攻撃をノーマンは明らかな射程外から放った。
敵勢力の対応力・反応速度への焦り、からではない。
繰り出された荒れ狂う刃牙は、内包する虚無空間に周辺のあらゆるものを喰らい尽くす。
途端に浜の砂塵が巻き上げられ、恐ろしい速度で唸りをあげて吸い込まれ始めた。
それは小規模な砂嵐だ。
メナスが迎撃に放った射撃も例外ではない。
《スピンドルエネルギー》を核とするのだろうそれは、もしかしたら、ごくごく初歩の技である闘気撃を、遠隔射撃として撃ち出すことができるという特性なのかも知れない。
初歩といえど、板金鎧すら撃ち抜くだけの威力を有する闘気撃だ。
発想の転換だが、それを矢継ぎ早に次々と打ち出すことを可能とするメナスの武器、魔銃:ギャングレイは、もしかしたら歴史を変えるきっかけではないのか。
そんなことをすら思いながら放たれた、ノーマンの荒れ狂う刃牙は、牽制に放たれたメナスの攻撃のことごとくを引きずり込み、咀嚼した。
そう、ノーマンは射線を遮るとともに、メナスに対する牽制として技を用いたのである。
「なんだあ? オレの弾がッ!」
メナスがあげた声さえ、直後には全てを喰らい尽くす漆黒の螺旋に飲み込まれ、噛み砕かれる。
シィイイイイイ! ノーマンは笑みを広げ、さらに加速した。
なるほど、その攻撃距離から、魔銃:ギャングレイの有効射程は約二〇メテルだと、ノーマンは目星をつける。
このようなことさえ、瞬時に把握されていくのが異能者たちの戦場だ。
その頭上を効果時間を過ぎ、勢いの弱まりかけた荒れ狂う刃牙を突き抜けて、強力な一閃が貫いた。
おそらくは、射程の短い牽制で手の内を把握したと油断した相手を、撃ち抜くためのまさしく飛び道具なのだろう。
しかし、その至近弾を頭上に見ながらなお、ノーマンの笑みは止まらない。
当然、このような奇手など、織り込みずみ。
舐めるな小僧、とノーマンは笑う。
カテル病院騎士団が蓄積してきた戦闘データがどれほどのものか、オマエはしらない。
まずは、手始めにオレを発見した優男を殺る。
動揺し、あたふたとわめきつつ帳簿などめくる男は、目端は利き、商売や内政の才覚はあるかもしれないが、戦場に連れてきてはいけないタイプだ。
「哀れ」
そう呟き、ノーマンが両腕──浄滅の焔爪:アーマーンを振いかけた瞬間だった。
砂塵渦を巻く視界のなかで、ゆっくりと立ち上がるふたつの姿。
「うぬ」
ノーマンは正体を見極める間を惜しんで、浄滅の焔爪:アーマーンを振り抜いた。
さきほどまで、己と対象の間には、なにものもなかったはずだ。
だから、突如として現われた人影にノーマンは最大限の注意を払った。
すなわち、無警告からの浄滅の焔爪:アーマーンによる消滅攻撃である。
そして、その対処は正解だった。
ビュッ、ギィインッと、振ったアーマーンの表面装甲に一撃が弾かれ、ほとんど同時に、胴を狙って突込んできたもう一刀を、ノーマンは捻って躱す。
そのまま回転して、走り抜けたであろう敵を削り取った。
受けたのが《フォーカス》でなければ、初撃の段階で、ノーマンの腕は失われていただろう。
獅子の咆哮にも似た唸りをあげて振り抜かれた浄滅の焔爪:アーマーンだが、そのあまりの手応えのなさに、ノーマンは眉をひそめた。
「だが、確かに殺った──」
「ああああ、そーですよ、たしかに、アンタは殺しやがりましたですよ。こんどこそホントにな!」
効果時間が完全に切れ、消え去るつむじ風のように勢いを失っていく荒れ狂う刃牙を横目でにらむノーマンの眼前に、優男が立っていた。
エスペラルゴ陣営の副官:ギュメロンだ。
奇妙だな、とノーマンは思う。
同時に警戒する。
足元に残る痕跡──足跡に。
ノーマンの振った一撃はたしかに、消滅をもたらすが、それほど広範囲なものではない。
人間の上半身を薙ぎ払えば、その部分だけを消し飛ばし、たとえば、両脚はその場に残る。
ちょうど巨大な肉食生物がその顎門で、齧り取ったように、だ。
だが、砂浜には、消し飛ばし殺害した相手の痕跡は、残っていなかった。
この足跡以外には。
そして、振り返らずとも気配でわかるのだ。
いま、己の脇をすり抜け一撃を食らわせかけた相手もまた、同じく、完全に消え去ったと。
「面妖な」
「なんにも不思議はねーですよ! そういう効果なんだ、この死者の写本:デッドブルーはッ!!」
分厚い皮で装丁を施され貴金属で装飾された大振りな書物を開いた優男が、戸惑うノーマンに叫んだ。
「ちっきしょう、せっかく呼び出した仲間を瞬殺でふたりも消し飛ばしやがってですッ!! いっかいこっきりなんだぞ、こっちはッ!! えーと、あー、だれだったか……とにかく貴重な人材をッ!!」
「人材……もしや、貴様……死人使いかッ!!」
「あー? そんなデリカシーのねー奴らと一緒にしねーでくれますかッ?! オレはね、もうちょっとエレガントにしたいんだッ!! 美しくですッ!」
書物のページをつまんで、優男:ギュメロンは喚く。
理知的な相貌をしているが、戦時にあって、一本線が切れるとこのように激昂するタイプなのかもしれない。
「この死人の写本:デッドブルーは、生前の姿のままのそいつらを、一回だけ召喚することができる、最高にエモーショナルな逸品なんだッ!」
この男は、阿呆か、天才か。
いずれかだと、ノーマンは思う。
一瞬にしてもノーマンの行き足が滞ったのは、先ほど行われた二名の死者による(優男の説明が正しいとするなら)であり、また、いまノーマンが攻撃をためらった理由は、どこからその死者たちが召喚されたのか、わからなかったからなのだ。
その謎を懇切丁寧に説明してしまっては、脅威という名の抑止力が雲散霧消してしまうのだが。
なかなか、興味深い存在だが、今後のこともある。
消えてもらおう。
瞬間的に判断したノーマンの攻撃を、しかし今度は跳躍して舞い降りた大質量が阻んだ。
そう、オウガの末裔、ビオレタが。
「アンタの相手は、わたしだよ。カテル病院騎士団筆頭:ノーマン・バージェスト・ハーヴェイ──いちど、手合わせを願いたいと思っていたんだ」
美しき戦溺狂は、獰猛な笑みを広げ、告げる。




