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■第二十九夜:サイレント・ソビング


 なーるほどなあ、とセラの話を聞き終えて、メナスが大きく伸びをした。

 理解はできるけど、というそういう空気をまとわせて。


「オレから言わせてもらえれば、キチンと伝えるべきだと思うぜ? トラーオ、だっけか? あの若旦那。奥さんはいるけど、さ。だって……本気で、ずっとむかしから好きだったんだろ?」


 メナスの直截ちょくさいな物言いが、このときのセラには逆に自然に心に届いた。

 ずっと行動にも言葉にできず、押し殺してきた想いが肯定してもらえた気持ちだった。

 ぼろぼろっ、と涙が出た。


「でもっ、でもっ、そんなの……やっぱり、できない、いけないわ」

「じゃあ、諦めるかい? ずっと想いを押し殺して、この先、生きるのかい? キチンと気持ちに決着をつけなきゃ、キミは先に進めない」


 だからその言葉に、思わず噛みついてしまったのは、気持ちを肯定してもらった嬉しさと、眼前に立ちふさがる現実の厳しさをメナスがいとも簡単に乗り越えられるように言ったことに──セラの立場をわかっていない──というミスにつけ込む、甘えだった。

 

「無責任な言い方!」


 そう言って、メナスに言葉をぶつけた。

 免罪符を得たように。

 この男になら、駄々をねてもいい、と。

 口火を切った想いを、セラは吐き出した。

 どんなにトラーオを愛しているか。

 どんなに想ってきたか。

 それなのに口にも出せず、わかってももらえないつらさを。

 小一時間は喋り続けていただろう。

 メナスは相づちを打ちながら、そんなセラを邪険にするでなく、タバコをくゆらせ、ときおりセラのカップに茶を注いでくれた。

 

 なるほどなあ。

 もう一度、メナスは想いを放ち終え、頬を紅潮させたセラに言った。

 

「そこまでの想いがあるんじゃあ、もうそれはしかたないなあ。ずっと胸に秘めて生きるしかないなあ」

「だからっ、それがつらいって、胸が潰れそうなくらい、苦しいって!」


 そう言ってるじゃないですか! セラの言動は、もう辻褄つじつまがあっていない。

 感情が爆発して、否定されても同意されても相手に噛みついてしまうのだ。

 

「じゃあ、逃げるか、だな」


 泣きながら、凄い剣幕で迫るセラにしかしメナスは微動だにせず、ゆっくりとタバコの煙を吐き出しながら言った。

 

「逃げる? 逃げるってなんです? どこへ?」

「まあ、遠く離れちまうってのも、ありっちゃありだが。距離は確実にヒトの心を冷ますからな。オレが言うのは、酒とかタバコとか、もうちょっと身近な逃避手段さ」

「そんなの堕落だわ!」

「だけど、そのままじゃ、キミの心が壊れちまう。たしかに酒には麻酔的な部分がある。タバコには麻薬的なところがある──でも、いっときのまぼろしの慰めでも、傷ついた人間には必要なことがあるのさ。セラ……キミも、カテル島に生まれたなら知っているんじゃないか? 外科手術に使われる麻酔は、もとは麻薬の一種だ。そうであっても、手術中の激痛を和らげるために使われる。ヒトが死ぬのはなにも、外傷や出血、病によってだけとは限らない。痛みでだって人は死ぬ。心もそうだ」

 

 飄々ひょうひょうとしてとらえどころのない──悪く言えば軽薄な普段のメナスからは考えられない博識さに、セラは、はっと胸をつかれた。

 医師の娘として、両親の背中を見つめて育ってきたセラである。

 メナスの指摘の正しさが、他のだれよりもわかった。

 

「でも」

「無理に、とは言わない。ただ、そうやって苦しんでいるキミを見るのは、つらいことだぜ。事情を知っちまったからな」


 メナスが自分のために心を痛めてくれる.

 その告白に、セラの頬が別の意味で紅潮した。

 悟られなかった、とセラは思いたい。

 ただ、その高揚と胸の高鳴りが、これまでなら決して起こさなかったであろう行動に、セラを駆り立てた。


「……じゃあ、それ、試してみます……き、効くかどうか、だけっ」


 柔らかい背もたれ付きの椅子にお尻を半分だけ載せて、前のめりにセラが指さしたのは、メナスのキセルである。

 

「え? これ? いやあ、やめときな、けっこうキツイぞ。はじめてなんだろ? 女のコにはオススメしかねるぜ」

「メ、メナスが言ったくせにっ」


 その指摘に、まいったなあ、とメナスは頭を掻き、じゃあ、と葉を取り換えてくれた。

 

「なんです、それ」

「薬草だよ。代用品。その辺に生えてるのを乾燥させてブレンドしたやつで、まあ、オモチャみたいなもんだ。タバコがないときゃ、これでやるんだ。船の上でタバコを切らすとつらいからな。まあ、オレたちが吸ってるのに比べたら、効果なんてないのに等しい健康第一の気分転換だが、口寂しいのは緩和できる。いくらかはましだろう」

「子供扱いしてッ!!」

「ちがうって、ちゃんとレディだとわかっているさ。だから……優しくしたいのさ。タバコなんて呑ませられねえよ」


 きゅん、と鳴った胸の音を聞かれなかったかどうか、セラは心配になって思わず手を当ててしまった。

 この優しさの半分でも、トラーオにあったなら。そう思ってしまう。

 

「あー、たぶん、これでいいだろう」


 言いながらメナスは炉に細い木片を差し入れ、その燃えさしで、よく揉みキセルに詰めた薬草に火をつけた。

 何度か吸い口を吸い、火をしっかり移してやる。


「ん、まあ、いいだろ。ためしてみな」


 あ、とキセルを手渡されたセラは、動揺してしまった。

 大振りなそれの意外な重さや、美しい造形、精緻な象眼細工の見事さにだけではない。

 これ、間接キス──ということにだ。

 ワイングラスやゴブレットを触れ合わせることに、口づけと同様の意味を見出していた時代のことだ。

 カテル病院騎士団は基本的に聖職者と貴族階級を組織の根幹としていたから、礼儀作法についてはそれに準ずる。

 そのセラの常識では、この行為は、互いの唾液を交換しあうくらいの意味に感じられたのだ。

 

「どうした? やっぱやめとくか?」


 きょとん、とした顔でメナスがセラを覗き込む。

 その戸惑いにはまったく気がついてない様子だ。

 無理もない。

 恐らく庶民出で、貿易家業に従事してきただろうメナスが、そのあたりに疎くてもこれはしかたのないことだ。

 それに、とセラはその吸い口に唇をつける理由を自分のなかで再確認した。

 トラーオとのことを自分のなかで整理をつけるための一歩なのだと、言い聞かせた。

 意を決して口にする。

 甘苦いタバコの味が、吸い口に残っていた。

 だが、それにつづいて口腔に流れ込んできた煙は、清涼感のある薬草のすがすがしい薫りがした。

 遅れてサクランボの残り香も流れ込んでくる。

 あ、これ、好きかも、と思った瞬間だった。

 

「──ゲッホゲッホッ」


 セラは盛大にむせた。

 油断して肺まで一気に煙を吸い込んだのだ。

 

「あー、やっちまったか。まあいい、最初はそんなもんだ。一気に行かずに、ゆっくり、小分けに胸のなかで小さな煙の塊を転がすみたいな気分でやるんだ」


 メナスが笑いながら背中をさすってくれた。

 その手が暖かい。

 落ち着いてから、あらためて挑戦する。

 こんどはうまくいった。

 薬草を燻した煙を吸っているだけなのに、たしかになんだか心が落ち着く気がした。

 セラはあっという間に、それを吸いきってしまった。

 

「あ、もう終わりなんだ」

「それほど長く吸うもんじゃねえからな。葉巻とは違う」

「もう一回、いいですか?」

「あー、そうだなああ。ずいぶん溜め込んでたみたいだし、そうするかい? ただ、みんなが心配してないか?」

「いいんです、心配させておけば」

「じゃあ、一応、オレの部屋にいるってことだけは知らせておくぜ?」


 言いながらメナスは席を外し、外の様子を見るのと副長に全権を委任する手続きをしに行った。

 しばらくして、メナスがもどってくるまで、セラはここしばらく感じたことのない安堵感に包まれていた。

 全身から強張りが消える感じ。

 力みが抜け、とろりとろりと眠りに誘われそうになる。

 けれど、その内側にまだ消えきらぬ激情のようなものが埋み火のようにあって、それがどくりどくりと脈打つ。

 激高しているときはそれほど意識できなかったその想いのありかが、強張りが解けたことで明らかになったようにセラには思えた。

 そっと、下腹に手を当てる。

 途端にその内側で獰猛な蛇が暴れ回るような反応があって、セラは慌てて手を離した。

 おまたせ、とメナスが扉を潜り入ってきた。

 施錠されるが、これは船の扉では常識だ。

 突然ぶ厚く重い扉が開いたら危険だからだ。


「どうする? 葉を替えるか?」

「あ、いえ、この薫り、すごく好きかも、なんで」


 オーケーオーケー、と言いながらメナスは同じようにして二度目を作ってくれた。

 

 その行為と優しさに、セラは動悸を憶える。

 胸が、動悸が、ドキドキがとまらない。

 落ち着けないと──そう思いながら、二回目のそれを口にした。

 けれども、こんどはいくら吸っても、落ち着けなかった。

 火照りが全身に、燎原の火が燃え広がるように走るのをセラは感じた。

 いけない、と気がついたときにはもう遅かった。

 立ち上がれないくらい全身があつく、ぬかるんでいた。

 ずくんずくん、という脈動が耳の奥で大きくなった。

 

「こ、これっ……」


 がらりっ、とセラは大振りなキセルを取り落とした。

 投げ捨てようとしたのではなく、手が震えて支えられなくなっていた。

 キセルは床を滑り、灰をまき散らしながら転がって止まった。

 メナスは無言でそれを拾い上げ、灰は踏みつぶした。


「どうしたい?」


 長椅子にもたれる姿で座っていたセラの上に、覆いかぶさるようにしてメナスが身体を差し入れてきた。

 

「これっ、どうしてっ、な、に?」


 麻薬? なにか、そういうクスリ? 

 直接、触れられたけではないのにざわざわざわっ、と肌の上を撫でられたようにセラは感じた。

 おもわず、のけ反る。

 そこにメナスの顔があった。


「どういう、かんじだい?」


 冷たい瞳がセラを見つめていた。

 凍えるほど透明で、それなのにその内側に轟々と燃えさかる業火を秘めた瞳だ。


「なにっ、なにをしたのっ?」

「だから、オレは止めたんだぜ? なんども、繰り返し。それなのに、おたくは、気がつかずにここまで踏み込んだ」


 オレは悪党なんだ──手段は選ばない。

 

「薬草、じゃなかった?」

「いいや、薬草だったよ? 健康にも問題がない、昔から、だれでも使ってる嗜好品さ。喉の炎症を抑える効果もある」

「じゃあ、あのお菓子?」

「それは半分正解。まあ、五つも六つも食べるとは、正直想定外だったけど」

「ひどい。……メナスも食べたのに」

「ああ、経口型の薬物は、その成分にもよるが効き目が現れるのに時間がかかるヤツが多いんだ。特に食い物に混入されてる場合は、その消化・吸収のプロセスによるからな。ただ、利点もあって継続時間が長い。体外に排出されるまで、十数時間、ときには三日くらいかかる場合もある」


 それから、とメナスは言った。


「もちろん、オレも同じものを食べた。だから、いま、こんななのさ」


 おたく、話すだけ話して、そのまま坊ちゃんの部屋に夜這いすりゃよかったんだよ。

 ぐずぐずしてるから、効いてきちまったろ?


「これっ、これっ、毒?」

「失敬な。ただ、なんでも気持ちよくなるだけのもんだよ。敏感に、鋭敏に、鮮明になる──そして、忘れられなく、な」


 のしかかる男の体を、もうセラには押し返す力がなかった。

 いや、潮とタバコと汗の入り交じったその体臭を嗅いだ瞬間、反射的にしがみついてしまった自分がいることに、セラは驚愕した。

 

「なんでっ、なんでっ」

「そりゃあ、人間が動物の仲間だ、ってことさ。特別、高等でも高尚でもない──いや、もっとタチが悪いかもだ」


 そう言い放つメナスの声は、下劣な感情など欠片さえ感じられず、逆に荒漠としていた。

 この男が歩んできた半生を想像とさせる、どうしようもなく救いようのない道のりをうかがわせるものだった。

 凍てつく砂漠の夜を照らす、暗い焚き火のような──そんなヴィジョン。

 

「わたし、わたしを、どうしたの──どう……するの?」

「どうしたか、はこれさ」


 メナスは先ほどセラが取り落としたキセルを差し上げた。

 抱え込んだメナスの首筋越しに、セラはそれを見る。

 床にぶちまけられた灰の代わりに、その雁首の奥で、光が瞬き回転するのを、セラは見た。

 

「《スピンドル》!! それじゃ、これは──《フォーカス》?!」

「視える、ってことはおたくも、《スピンドル能力者》、か」


 言下にセラの問いをメナスは肯定する。

 

 なんて……迂闊うかつな。

 セラは自身の観察能力の欠如に激しく後悔した。

 あの日、ビブロンズの皇帝:ルカティウスの私邸での晩餐会、その席上でトラントリムが《閉鎖回廊》に堕ちたことを知らされた瞬間、腰を浮かせた者のなかに、メナスがいたことをいまごろ思い出すなんて……。

 わたしはバカだ、とセラは自らを心中でなじった。

 しかし、すべてはもう、完全に手遅れだった。


「オレの《フォーカス》:〈テンプテイル〉、そして異能:《サイレント・ソビング》──声なきすすり泣き、とでも訳すのかね? こいつは煙を媒介にして拡散・媒介するタイプの異能でね。ちょっと特殊だし、遅効性なもんで、なかなか使いどころが難しいんだが、逆にバッッチリ決まれば簡単には解呪できないタイプの呪術系の異能なのさ。効果は──不治の病:使用者への愛を植え付ける。《閉鎖回廊》のなかじゃ、ほとんど役に立たんうえに、外で使うとえらい疲れるんで、よっぽどじゃなきゃ使わねえんだが」


 ま、だから、安心しな。

 いま、おたくが感じている恋慕の情は、強制されたもんだ。

 メナスははっきりと、そう言いきった。

 ひどく誠実な言葉遣いで。


 心臓に氷の杭を打ち込まれるような感覚を、セラは味わった。

 メナスが説明した異能に対する恐怖は、もちろんあった。

 だが、真にセラを震わせたのは、この感情が──身体を突き動かすこの想いが、ほんとうに強制・・・・・・・されたもの・・・・・かどうか、わからなかったからだ。

 ぶっきらぼうだが優しくコートをまとわせ、茶と菓子を振る舞い黙って話を聞いてくれた男を、セラはこんなことをされなくても、どこかですでに好きになりはじめていたのかも知れなかった。

 

「オレの生きてきた場所、その前半はひどく暗く惨めな場所でね。奪われ、貶められ、追い立てられる日々だった。正直、思い出したくもない陰惨な記憶だよ。ああ、だからって、オレが世界を憎んでいるとか、恨んでいるとか、そういう話をしたいんじゃない。

 ただ、オレの生きてきた場所では愛はとか信頼とかいうのは、いつもなぜか品切れか、期限切れでね。見つけたと思っても、そのほとんどが紛い物だった。愚者の金パイライトって知ってるか? このキセル:〈テンプテイル〉は、そういう色をしてるだろう? きっと、ガキの頃のオレは望んでいたんだろうな──こうやって、オレを本当に愛してくれる存在を。いつのころか、それが紛い物でも期限切れでさえなければいい、と願うようになっていた」

 

 それでこんな発露の仕方をしたんだろうさ。

 異能、《スピンドル》の《ちから》のカタチ、がね。

 

「《スピンドル能力》と、その効果は、《フォーカス》だけでなく、使用者の《意志》に依存する、からな」

「こんなの、ひどいっ、どおして、どうしてッ!!」

「目的は当然、おたくを利用するためだ。その心を縛りつけて、オレへの奉仕で悦びを感じるようにする。そして、カテル病院騎士団への伏毒に仕立て上げるためさ」


 組織はどんなに強固に見えても人間が運営している以上、つけ入りどころはいくらだってある。

 敵方の宮廷内に信頼できる内通者がいることがどんなに、戦いを、政治を、外交を有利にするか、おたくもわかるはずだ。

 

「どうして、知ってるの」

「あのビブロンズ皇帝との話の流れでピンとこないようでは、海洋貿易のプロとしちゃもぐりだぜ──と、言いたいところだが、オレは知っていておたくたちに、接触したんだ」


 がくがくと身体を奮わせながら食い下がるセラに、メナスは淡々と答えた。

 恐るべき事実を告げた。


「あなた、だれ、だれなの──」


 その問いに答えがなされることなどあるまいと知りながら、セラは問うた。

 こんな狡猾なやりかたで相手を陥れるような精神性の持ち主が、そんなミスを犯すわけがない、と思ったからだ。

 だが、メナスは返答した。

 最初から本名は名乗ったんだぜ、と。

 

「メルセナリオ・エル・マドラ・エスぺラルゴ。オレが、皇帝だ」

 がつん──頭部をハンマーで強打されるような感覚を、セラは味わった。

「皇帝? エスペラルゴの?!」

「そうだ。オレがメルセナリオ。愛称で呼ぶときは、メナスでよろしく」


 ぐっと抱き寄せられ、長椅子から引き剥がされた。

 もう、自力では立つこともできない。

 自らの《意志》ではどうしようもない愛しさが溢れてきて、強く抱擁し返してしまう。

 

「わたしっ、敵を、敵なのにっ」

「だから言ったろ? その感情は紛い物だ。だが、おたくはその《ちから》を持つ煙を、深く深く吸い込んじまった。自分で、望んで、だ。もちろん、それ以前に少しずつオレが吸っているあいだにも仕掛けたがね? ああ、こんなにガッチリはまっちまったら、もう絶対抜け出せないぜ?」


 それから──安心していい。

 植え付けるのは、愛情と恋慕の感情だけだ。

 無理やりおたくを服従させたり、隷属させたりすることまではできない。

 たとえばいまの話しを、だれかに──そうさな、たとえばあのカテル病院騎士団筆頭騎士:ハーヴェイ卿に相談するのもありだ。


「そして、おたくの大事なお坊ちゃん=トラーオ坊への想いも、消えたりしない」


 すでに感情の手綱を取りきれず、セラは泣き出していた。

 ただ、声を上げることだけは、己の誇りにかけてできない、と感じていた。

 だが、メナスのひとことが、セラに嗚咽を上げさせた。

 心臓に突き込まれた氷の杭を、靴底で踏み躙られるような痛みを与えた。

 追いつめられた獣のような声で、セラは泣いた。

 

「ひどいひどいひどいひどい」

 口から漏れる怨嗟の声とは裏腹に、ベッドの上で抱きすくめられたとき感じたのは、法悦とも言えるほどの強い歓喜だった。

「イクス教徒は、結婚を前提とした交際の間柄においてしか……厳格に教理に従うなら、夫婦の契りにおいてしか男女の交わりを赦さない」


 セラの衣装を解きながら、メナスは言った。

 

「刻印してやろう。その肉体にも、心にも。罪の烙印を。強く。だれが見てもわかるように。焼きつけてやろう」

 ただし、とメナスは言った。

「オマエが望むなら、オレにはオマエを妃に迎える準備と覚悟がある。正しい交わりの当然の帰結として。選べ──どうしたいのか、を」


 酷薄こくはくにそう告げるメナスの顔に浮かぶのは、風のない湖面のような静けさだった。 





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