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■第六夜:襲撃

         ※


 アシュレとアテルイが、浴場に響く戦闘音楽を聞きつける直前。

 シオンとアスカもまた、互いにサウナで親睦しんぼくを深めていた。

 

「それにしてもつややかな肌だ……アシュレが耽溺たんできするのも、わかるというもの」

「ア、アスカ殿下、そ、そのっ、あまり触られては困るっ──きゃうっ」

「きゃうっ、だと? ああー、悲鳴も可愛らしい。ちょっと触られただけで恥じ入ってしまうこの桜色の柔肌が、毎晩、あんなやこんなに、されておるなど……だれが、だれが想像できようか」

「ちょっ、アスカ殿下! そそそ、そのようなことをっ。あれは、ひ、秘事にて!」

「否定できまーい。なにしろわたしは、なんども同衾どうきんしてつぶさに観察しておるのだから。わたしだってあんな風にされたーい」


 たちの悪い酔っ払いのようにシオンに抱きつき、くだを巻くアスカをしかし、シオンは放り出すこともできない。

 いま、アスカは義足を兼ねる《フォーカス》:〈アズライール〉を装着していない。

 サウナ風呂で武装はなかろう、という至極まっとうな理由からだが、そうなると歩くことのできないアスカの補助をシオンが行うことになる。

 

 サムサラ宮は遠征に出向くオズマドラの王族が滞在するために作らせた離宮のひとつだが、時代の流れとともにその時代の皇帝が、正妻とは別の寵姫ちょうきたちを囲っておくための、つまり個人的なハレムとして機能していた場所である。

 

 現在の皇帝:オズマヒムは、正妻であり、すでに故人であるブリュンフロイデを愛し抜いたため、ハレムは閑散としている。

 このサムサラ宮も、軍事侵攻の尖兵として任ぜられたアスカリアが赴任してくるまでは、その役目を終えたかのように思われていた場所だ。

 

 ちなみに皇位継承権第一位:皇子としてのアスカリアは、戦上手ではあるが恋の相手を選ばない……つまり女だけでなく男も愛するという意味での好色家というのが、世間一般での評判だった。

 

「あっあっあっ、あれは、アシュレのあの態度は……そのこう……罰なのだ、わたしがいけないから」

「なにが罰なものか! あんなに嬉しそうに、悦んで」

「ななあ、ななあああっ!!」

 アスカはアシュレが自分を優しく扱いすぎるのが、どうも、ご不満らしい。

 生き方に、激しさを求めるタイプなのだ。

 そのせいか、ことあるごとにシオンに絡んでくるのだが。

 それもやたらと楽しげなので、困ってしまう。

 

「あーあー、ずるいな、シオン殿下は。そんな反応されたら、男どもはみな、いぢめたくなるに決まっておる。あー、ほしいなー、その可憐ちから・・・・・

「いいい、いつも、他の者たちにもこのように接しているのか、アスカ殿下は!」

「いーやー、シオン殿下とアシュレ、まー、あとはせいぜいアテルイぐらいかなー」


 あなた方がいらっしゃってから、アスカリアさまは変わられました。

 シオンにそう告げたのは、他の誰でもないアスカの補佐官を長年務めてきたアテルイだった。

 たしかに、アシュレとシオンに接するアスカは常に上機嫌で陽気だ。

 声を上げて笑うアスカの姿に目を見張る侍従たちの姿を、シオンは何度も目撃している。

 

 そして、その陽気はたちまち侍従たちにも感染した。

 サムサラ宮での生活は、ここが軍事行動の舞台裏であるとは考えられぬほど、ほがらかで闊達かったつとしたものとなっていたのである。

 それも実際には戦略的撤退という言葉で糊塗されているとはいえ、事実上、第一次トラントリム攻略戦敗退後の状況でありながら、だ。

 

 侍従たちの接し方の変化を見るにつけ、以前はさっぱりとした性格であっても、戦場以外では滅多に感情を表に出さず、黙々と任務に従事する、有能だが、どこか冷淡な気質とアスカは捉えられていたようだ。

 幾人かのごく親しい間柄でのみ、あるいは寝所をともにする恋人たちだけが、その内側の太陽のごとき陽気さと、烈火のごとき感情を知るのみだったのである。

  

「悔しいですが、わたしではアスカリアさまを解放してさしあげられなかった。シオン殿下、そして……アシュレダウのおかげです」

 なぜかアシュレには冷然たる態度を取りがちなアテルイが、浴室でのアスカの補助を頼みながら漏らした言葉をシオンは忘れない。

 

「生まれてはじめて対等に接してくれる友を得て、はしゃいでいらっしゃるのです」

 どうか、アスカリアさまの友で、ずっといてさしあげてください。

 同じ女として、補佐官、そして恋人のひとりでもあったアテルイは、まぶしいものを見るように目を細めてシオンにそう告げのだ。

「案ずるな。すくなくとも、アスカ殿下がわたしとの友情を、わずらわしいと思う日が来るまでは、そなたたちの友であるつもりだ」

 その手を取り告げたシオンに、アテルイは頬を赤らめた。

 

 そんな経緯でふたりは、浴室係を伴うこともなくふたりサウナで汗を流しているのだが。

 

「ちょっまっ、どこを、どこを触っているのかっ、手ェ!」

「ふふふ、だがなー、昨夜は違ったのだよ、殿下ァ。こうな、こうな、このようにな?」

「やめっ、だめだっ、それ以上は、いかん!」

「なにを言っている、ふふ、一晩のお預けがどれほど堪えるのか、知らぬアスカではないぞー。口先で拒んでも、焦らされ切った肉体はもう今宵を期待して、このようにこのようにー」

 はしゃぎ過ぎが行き過ぎてアスカは、もはやただのエロオヤジと化している。

 

 どんなにいいようにされても、アスカを放り出せないシオンとの間で交わされる会話を、もしアシュレが立ち聞きしてしまったなら、鼻血ですむのかわからぬ大惨事に発展することは確実あろうと思われた。

 

 だが、そんなふたりの無邪気な(シオンからすれば邪悪な)スキンシップは、扉の開け放たれる音で中断されることになる。

 がちゃり、と断熱のための特別にぶ厚く作られた扉を潜って入ってきたのは、四名の浴室係──いずれもその顔に見覚えのあるアスカ側仕えの女官たちである。

 全員がバスローブとガウンを携えての入室である。

 

「どうした。今日はシオン殿下とふたりきりで親睦を深めるのだと命じたはず。余計な気遣いは無用だ。ローブもガウンも室外に置いておくがいい。下がって休め」

 それまでのエロオヤジ調を瞬時に改めると、叱りつけるというより言い聞かせるような口調でアスカが言った。

 

 もっとも、その顔は半ばシオンの胸に埋もれているのだから、まあその、なんというか。

 だが、主君の命を受けたはずの四人の女官たちに反応はなかった。

 

 その瞬間には、アスカもシオンも異変を感じ取っていた。

 グンッ、と《スピンドル》が渦を巻く。

 傀儡くぐつのように小首をかしげる女官たちの腹部で。

 シオンの両腕で。

 そして、己自身にスピンをかけることで駒のように跳躍したアスカの全身で。

 すべては刹那の交差だった。

 

 翼のように広げられたシオンの両手が女官ふたりの腹部にあてがわれる。

 同時にバスローブを搦め捕ったアスカの両脚:〈アズライール〉接続用ソケットの先端が、残されたふたりを捕縛した。

 

 それこそが、相手の異能を封じ込める《カウンター・スピン》の予備動作。

 アスカとシオンは、同時に《スピンドル》能力を打ち消す異能を放っていた。

 これはふたりの美姫が同時に仕掛けられた攻撃の内容を見極め、最速、最適の対処を行ったということである。

 

「四人とも、なにか疑似的な《フォーカス》を飲まされている。《スピンドル》エネルギーでキックすると、爆発するスイッチか?!」

 アスカが状況分析を口にした。

 ソケット部分とはいえ《フォーカス》を経由している分、精度が高いのだろう。

 

 だが、瞬間的な対処で危機を乗り切ったふたりを、さらなる脅威が襲った。

 音もなく女官たちの影から、ふたつの影があらわれたのである。

 

 その顔を覆面で覆い、全身に暗器を満載した強行暗殺スタイルの凶手たち。

 離宮とはいえオズマドラの宮廷に侵入してくるほどの手練だ。

 それも事前に準備を行い、平然と人間を爆弾に変える冷酷な思考を持つ。

 

 シオンは両掌に集めた《スピンドル》へさらなる捻転を加えると一気に女官の腹部を撃ち抜いた。

 吹き飛んだふたりは床にくずおれるまえにがぼり、がぶりとその口からウズラの卵ほどの物体を吐き出す。

 表面にムカデに似た節足動物を彫刻されたそれが消耗品として作られた《疑似フォーカス》だった。

 それは《スピンドル》のキックで起動し、崩壊エネルギーを炸薬に、人体を内側から四散させ、その骨片を散弾のように飛び散らせる殺傷兵器に変える。

 まさに忌むべき呪具であった。

 

「この手口──土蜘蛛の」


 いけない、とシオンは思った。

 過去、イズマをつけ狙う暗殺者との交戦からの経験だ。

 強力な《フォーカス》と、それを扱うための《スピンドル》発動は、オーバーロードのテリトリーである《閉鎖回廊》以外では、求められる代償が格段に跳ね上がる。

 アスカとシオンが振う《カウンター・スピン》程度の使用でも、かなりの負荷がかかる。


 土蜘蛛の暗殺者たちが、複数の武具を使い捨てる多刀流を好むのは、そのような背景があるのだ。

 そして、この陰惨な手段も。

 

 人間爆弾は陰惨きわまりない広範囲殺傷兵器だが、高位夜魔を殺しきるにはまるで火力が足りない。

 たとえ逃げ場のない密室で、至近距離、同時に四体を炸裂させたとて、シオンにとっては時間稼ぎにしかならない。

 アシュレとの心臓共有により、もはや簡単に死ぬことのできぬ身になったとはいえ──この程度の傷、問題にはならない。

 本物の《フォーカス》による徹底的で継続的な殲滅攻撃ならばともかくも、その程度の傷では夜魔の復元能力を上回るようなダメージを生み出すことなどできはしない。

 

 だが、人類は違う。

 これはシオンではなく、アスカを狙った暗殺なのだ。

 

 気がついた瞬間にはその首に絞殺紐が食い込んでいた。

 土蜘蛛の暗殺者の使うそれは、シルクのようにしなやかでありながら鋼線に匹敵する強度を持つ強靭な繊維で編まれており、熟練の暗殺者の手にかかればわずかに二秒で犠牲者の息の根を止める凶器へと早変わりする。 

 呼吸を止めるのではない。全体重をかけ、頚椎けいついを折るのだ。


 だが、いま、この場面において、これはあきらかに夜魔の姫であるシオンを押さえ留めておくための戦法であった。

 

 そのことによって、フリーなったもうひとりが、床に伏したままのアスカに襲いかかる。

 両手に握られた凶刃が濡れたように光っている。

 毒だ!

 

 すぐさま女官たちから手を放すことのできたシオンと違い、アスカは《スピンドル導体》にバスローブを使わなければならなかった。

 通常、《スピンドル》を流された物体は崩壊していくのだが──この場合は、凶手の襲撃が、その崩壊よりもはるかに素早かった。

 異能者・達人たちの領域では、あらゆることが一瞬の攻防なのである。

 

 そして、そのわずかな遅滞がアスカを窮地に陥れた。

 アスカは両脚をバスローブにからめ捕られた状態である。

 すぐには抜け出すこともできず、肉体の自由も制限される。

 ギィイン、と刃が擦れ、身のすくむような音がした。

 

 迫り来る刃を、アスカの護り刀であるジャンビーヤが、辛うじて受けきった音だった。

 

 だが、両脚を欠いた状態のアスカが、そう何度も受けきれるわけがない。

 そして、アスカが、この宝刀で得意とする広範囲殲滅系の異能では、シオンどころかこの部屋ごと消し飛ばしてしまう。

 高位夜魔であるシオンはともかく、女官たちはあとかたも残るまい。

 この襲撃はそこまで計算されたものだった。

 

 理解におよんだ瞬間、シオンは、その身を宙へと踊らせていた。

 首筋に巻き付いていた絞殺紐が、白熱して一瞬で燃え尽きる。

 

 なるほど《フォーカス》でないならば、《スピンドル伝導》で焼き切れるというわけだ。

 それにしても、首筋にかけられたそれを、使い手の《意志》を上回って一瞬で破壊するのは、相当の錬磨を要する技術だ。

 

「夜魔の女の首筋に手をかけるとは──死に勝る恐怖を覚悟しろ」

 美しい裸身を翻して位置を入れ替えたシオンが言い放つのと、瞬時に状況を判断した凶手が打ち込んでくるのは同時だった。

 土蜘蛛特有の長いリーチを生かした手刀。

 シオンはその攻撃をコマのように肉体を回転させて紙一重で躱し、ひじを相手の脇の下へ打ち込む。

 

 その肘に《スピンドル》を乗せた打撃業──《デモリッション・インパクト》。

 外傷より、内部を破壊することに主眼を置いた攻撃で、無手の状態で重武装の敵を相手取らなければならなくなったときのための組み打ち技だ。

 肉体を武器に使う格闘技は、そこに《スピンドル伝導抵抗》が存在しないため、このような状況では使い勝手がよい。

 頼りになる最後の砦だ。

 そして、脇の下は多くの哺乳動物にとって、致命的な急所である。

 決まれば一撃必殺のその技は、しかし、予期した効果を上げなかった。

 

 暗殺者は吹き飛んだが、破壊されたのは着込んでいた鎖帷子の方だった。

 目の細かい鎖が《スピンドル伝達》を受けた時のように白熱して崩壊していく。

 敵もさるもの。

 状況から考えられうる敵の反撃手段に対して、対抗策を講じておくのは戦いの基本である。

 

「自壊することで焦点をずらす消耗品か! ええい、面倒な」


 そこからもわかるように、この襲撃は周到に用意されたものなのであろう。

 本来なら一撃でしとめることができたはずの相手が、ふらつきながらも立ち上がってくる。

 アスカへの助力か、眼前の敵の確実な排除か。

 シオンですら、ごくわずかな時間、迷う。

 そこに生み出されたわずかな遅延が、アスカの生死を分ける事態を招いてしまう。

 

 転がり逃げようとしたアスカの脚に絡まったままのバスローブが、崩壊しながらも、また動きを阻害する。

 一瞬の差で、死線が走る。

 それが死地というものだ。

 かろうじて躱した刃が床板に突き立つ。

 

 ほとんど間を空けず振われた左手の一撃が、アスカの心臓を正確に貫こうとした瞬間。


 がちり、と凶刃が、空中で縫い止められた。

 毒に濡れた切っ先を受け止めたその武器は、凶手の手にある凶器と同じか、それ以上に禍々しい代物に見えた。

 

 枝鉤ブランチ・フックと呼ばれるトゲを持つ植物のような、それ。

 その奇怪極まりない武具が、凶手とアスカの間に落ちる影から湧き出るかのようにして、こつぜんと姿を現したのだ。

 

 刺突を受けられたカタチとなった刺客が瞬間的に床に刺さった獲物から手を放したのは、凶手としての勘働きの為せる技であっただろう。

 だが、からめ捕られた二刀目──左手側の得物から手を放すわずかな時間差を、染み出るように現れた存在は許さなかった。

 

 ぐるり、と枝鉤ブランチ・フックが回転し、凶刃を巻き込みながら引く。

 バランスを崩された凶手の肉体が前のめりに泳ぐ。

 

 そこへ頭突きが打ち込まれた。


 相手のみぞおちを、下から突き上げる強烈な一打。

 通常の打撃であっても、このタイミング、この箇所に打ち込まれたなら、それはよくて悶絶、悪ければ内臓破裂を引き起こす一撃である。

 着込んだ鎖帷子が白熱して飛散し、込められていた《スピンドルエネルギー》を相殺するが、打撃力までを完全に吸収できるわけではない。

 血混じり胃液と唾液を迸らせながら、舌を突き出したまま凶手が吹き飛ばされ、壁に打ち付けられて動かなくなった。

 

 一瞬、呆気に取られたアスカの視界を、影のなかから現れた女の背中が覆い隠す。

 異種族の戦装束──いや、こちらも土蜘蛛の意匠。

 ただし、それは暗殺のためではなく戦場にはべるためのものであったが。

 

 そして、シオンの一撃を凌いだほうの凶手が、いずこからともなく現われた長身の男に取り押さえられるのを、アスカは、たしかに見たのだ。

 長い手足をおどけたように捌き、軽薄な笑みをはりつけた男に。

 

 サウナのドアが吹き飛ぶように開いて、半裸のアシュレとアテルイが乗り込んできたのは、その直後の話だ。





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