■第十八夜:真実は刃となって
冬季にして異例の軍事行動が行われることをユガが報せてくれたのは、三週間ほども前のことだった。
アシュレからのインクルード・ビースト発見の報に、それは触発されていた。
インクルード・ビーストとそれ操る孤立主義者の拠点を叩くため、まずギルギシュテン城を目指す計画だとユガは言った。
白魔騎士団の約半数に加え、五百名の兵士、猟師、森番が参加する大掛かりな掃討作戦である。
五百名というと小規模に感じるが、この時代の小国家同士の小競り合いは多くても数十名で行われるものであったから、これはトラントリム国内のほぼ総戦力を投入する戦いであると理解していただいて間違いない。
そして、ユガは軍事行動の開始日より以前に、この国から退去するようアシュレたちに要請してきた。
退去要請といえば仰々しくよそよそしい感じを受けるが、これはアシュレとシオンが関わった相手を見捨てられない性格であることをユガが見抜き、先手を打ったのだ。
他国の事情にこれ以上関わる余裕などないだろう──君たちは一刻も早く、君たちの仲間と合流すべきだ──そうユガは言ってくれていたのだ。
その気遣いが、アシュレには痛いほどわかる。
ありがたかった。
「どうかな、体調は、それまでには復帰しそうかな?」
「はは、ちょっと研究に根を詰めすぎたかも、です」
「その後、姫のお相手をしていては……ね? アシュレ、しばらく研究はお預けだ」
やんわりとユガにたしなめられた。
もし、自分に兄がいたなら、こんなヒトであったならな、とさえこの頃のアシュレはすでに感じていたのである。
なぜか、イズマの顔がちらついたが、こちらは早々に打ち消した。
だからこそ、ユガに伏せたままのアスカたち──オズマドラ帝国の介入──について、心苦しさを覚えた。
だが、ユガはすで独自の情報網からその影を察知している様子だった。
「エスペラルゴの失地回復運動の活性化に呼応するように、オズマドラでも軍事的行動の予兆が見て取れる。今回、孤立主義者たちの活動が活発化しているのだとしたら、この二国が裏で糸を引いている可能性が高い」
ざっと、周囲の地図を広げユガがアシュレに情勢を説いた。
アシュレは胸のつかえが取れたような気分になり、ほっと息をつく。
「このままでは、やがてこの二大国は衝突する。その間に挟まれる形になっている我が国と連合諸国が、いつまでいまの体制を保てるものか……それはわからないが、全力を尽くすのみだ」
実際のところユガの戦闘技量と彼が率いる白魔騎士団の練度、加えて彼らがすべて夜魔で構成されていることを鑑みれば、通常戦力相手ならたとえ数千人を相手取ったとて、決して遅れはとらないであろうとアシュレは分析していた。
「一万までなら、国民の協力さえあれば持ちこたえて見せる自信があるよ。特に、北の森側から彼らが進軍してくるつもりならね」
ユガが笑顔で言った。
その自信はメッキではない。地金から来る鋼の強さだ。
「ゲリラ戦術、というわけですね」
「負けなければよい、そういう戦い方さ。そして、今回、もし侵攻があるにせよそれは北側からだろう。なぜならこれは陽動を兼ねた先遣隊に過ぎないからだ」
「注意を北側に向かせ、戦力を分割させる」
「西側勢力の注意を引きつける意味もあるだろう。まあ、つまるところ、我々は大国のもっとずっと巨大な軍事行動のダシに使われているということさ」
「では、真の狙いは?」
「さて、それはわからないけれど、おそらく春の声を聞くとともに南側、つまり海からの侵攻が起るのではないかな?」
だから、とユガはアシュレの顔を見た。
「そうなるより早く、南側から脱出するんだ。つまりビブロンズ帝国領へ抜けて、そこから船で、カテル島へ帰還してくれ」
「ビブロンズ領へ? でも、それって……」
ビブロンズ帝国はかつて隆盛を誇った統一王朝:アガンティリスの正統を受け継ぐ国家である。
現在は衰退の一途を辿り、版図はかつての四分の一まで後退したもののイクス教総本山:エクストラムとともに、西欧諸国の文化的・精神的支柱と目される国家であった。
特に首都:ヘリアティウムの美しさ、その城塞の素晴らしさは西方諸国随一と言われている。
さらには世界最高の蔵書を誇るというビブロスの図書館まである。
じつはアシュレとしては一度で良いから訪れて見たいものだと考えていた場所ではあったのだ。
だが続くユガの言葉はアシュレの度肝を抜いていた。
「現皇帝:ルカティウス十二世は、わたしの友人でね」
言いながら書状を手渡すユガをアシュレはまじまじと見つめた。
まったく未知の情報だったからだ。
おそらく西側諸国でこのことを掴んでいる諜報機関はないだろう。
ミュゼット商業都市国家同盟の盟主・ディードヤーム:十一人委員会でも知らないはずだ。
必ず上級騎士以上の士官に見せること、と書状についての注意を言い含め、それ以外の通行許可証などもろもろの面倒な手続きを、ユガは一手に引き受け済ませてくれていた。
「こんなにしてもらって……それも戦時になったらすごすごと逃げ出すなんて……」
「ハンパに不正規戦力に混じられると、戦術が乱れるからな。すくなくとも今回は、お呼びではない、ということさ」
そんな軽口さえアシュレには、ありがたくて涙が出そうになるというのに。
「なにかお礼をさせてもらいたいんだけど」
「キミとシオン殿下がここに永住してくれるのがイチバンなのだが……それはできんのだろう?」
ユガが言い、アシュレは、すみません、それは、まだ、できませんと詫びた。
ユガの口調は重さを感じさせなかったが、アシュレとシオンに対し別れがたく感じてくれていることがヒシヒシと伝わってきた。
「それ以外で……ほんとは戦働きで返そうと思っていたんですが……」
「それはこっちが困るからな。戦場で倒れられてみろ、シオン殿下にくびられるのはわたしのほうだ」
ユガがギロチンのまね事をした。
アシュレは思わず笑ってしまう。ユガも笑ってくれた。
「なにか、なにか、ありませんか。そうしないと、これほどの恩に報いずでは……気持ちが収まらない」
アシュレの申し出に、ふうむとユガは首を捻った。
「そこまで言うのなら……そうだな……ひとつ、頼みごとがなくはない」
ユガのつぶやきに、アシュレの顔が明るくなった。
「わかりました。それにしましょう」
「内容を吟味せずに請け負うとひどい目に遭うぞ、アシュレ? キミは商人には向かないな」
ユガは笑った。それから言った。
「まあ、気持ちよく了承してもらえてよかった。キミも知っての通り、我が国はその歴史的背景のせいで半ば鎖国的立場にある。商売の面ではまあ、それでも交流があるが……人的な部分となるとそうもいかなくてね?」
「はあ、人的な部分?」
「特に、いまだにインクルード・ビーストの血に怯える人々はけっこういるのだ……そこで」
なにか、イヤな感じの汗が頭頂から噴き出すのをアシュレは感じた。
悪意や殺意や悪寒、というものではなく、そういう場面に出くわすことの多いアシュレに備わった勘、とでもそれは言うべきものだった。
端的に言えば、女難の相である。
「まさか」
うんうん、と笑顔のままユガは頷いた。
「キミと親密になりたい、という要望が多くてね?」
ノックがあり、ユガが応えて、その希望者たちのうちひとりが部屋に入ってきたのをアシュレは気づけなかった。
凍って。固まって。
「やあ、みんな、喜んでくれ。たったいま、アシュレダウは応じると約束してくれた」
アシュレがそれに気づけたのは、それを告げられたメイドのひとりが空のゴブレットを取り落としたからだ。
※
「一時に五回も槍を折るとは……若さだな」
約束を成し遂げたアシュレをユガが出迎えた。
「あなたまで同席するとは聞いてない!」
「それが王たる者のつとめだ──人間界ではそうだと聞いている」
微妙に正しいユガの認識に、アシュレは暗転を感じる。
とにかく、今日で三度目──約束は果たしたはずだ。
ちなみに、シオンは別棟で料理の修業中だ。
アシュレはユガと、例の手記に取り組んでいることになっている。
「このことは、決してシオン殿下に漏らさぬよう約束する」
「約束してもらってもボクの罪悪感は消えませんよ。バレたら……ぜったいチョン切られる」
「男の甲斐性だと思うしかないね。わたしも同罪だから……〈ローズ・アブソリュート〉が出てきたら観念するよ」
「ユガって……度胸がありすぎですよ。ボクは……小心者なんだ。心臓が……痛いです」
「文字通り縮み上がると言うわけかい? だが、キミはそう言いながら立派に……いたいっ、アシュレ、いたいよ!」
アシュレはむかっ腹が立って、ユガの脇腹を打った。
けっこう強く。まるで悪友といるようだ。
「夜魔の姫と婚約した聖騎士殿ほどではないさ」
アシュレの思わぬ反撃にむせながら、ユガは言った。
アシュレの左手を確かめる。そこには婚約指輪があった。
イリスにプロポーズしたとき、渡したものだ。
気恥ずかしいことに、シオンを慮って普段はしていないのだが……今日はなんというか戒めのためにはめてきたのだ。
自分のしでかしたことを忘れられないようにするためだ。
その指輪を目ざとく見つけてユガは言ったのだ。
「ふたりの婚礼にはぜひ呼んでくれ。必ず出席するから」
「いや、これは……」
いいよどむアシュレに、ユガが怪訝な顔をした。
どういうことだ、という顔となる。
アシュレは冷や汗の吹き出るのを感じた。
だが、この男にだけは嘘をついてはならない気がした。
だから、恥を忍んですべてを話した。イリスベルダとの出会いとその顛末、そして、シオンとの関係を。
「では……キミが婚約し、結婚するというのは……シオンとではない、のか?」
「はい、そうです。ボクは……イリスベルダを妻に迎えます。ですが……シオンを愛してもいる……許されないこととは思います、思いますが……ボクは本気です。軽蔑されたければ、してください。反論の余地はない」
「軽蔑……など、しない。妻を娶ろうという男に、このようなことを頼んだ男だ、わたしは。ただ……ただ、ひとつだけ聞かせてくれ……それでは、キミにとって、シオンという女性はどういう存在なんだ……?」
ユガの声が震えていた。
そして、その問いに即答できない自分がいることにアシュレも震えた。
キミはボクのものだ、とシオンには告げた。
だが、それを、他者に──自分を取り巻く社会に、アシュレは説明するための言葉をもたなかった。
長い沈黙がふたりの間に降りた。
その静寂を打ち破ったのは、ユガだった。
「アシュレダウ……わたしは、いままで君たちの関係を誤解していた。いや、誤解させられていた。そのために本来は早速にも告げるべきだった事柄を、わたしはキミに隠してここまできてしまった。それが、君たちの関係を慮ってのことだったのは信じて欲しい。だが、いま、キミはわたしに正直にすべてを告白してくれた。だから、わたしも本当のことを話そう」
ユガの声は、それまでとうって変わった固いなにかに耐えるような風情があった。
それから、ユガは告白した。
あの雪原の月夜のことを。
アシュレの身を案じるシオンの心と肉体に触れ、愛してしまったのだと。
シオンに求愛したこと。妻となってくれるよう迫ったこと。
アシュレダウとの婚姻を理由に、それを断られたこと。
そして、いまもまだ、シオンが忘れられずにいることを。
ユガの物言いは簡潔だったが、アシュレはそれだけですべてを察してしまった。
あらゆることを理解した。すべてが腑に落ちた。
自分が意識を失っていた間、だれが〈ジャグリ・ジャグラ〉の、シオンの“主人”であったのか、を。
あえて、その考えから逃げ続けてきた自分を自覚した。
アシュレは持っていたブランデーグラスを握力で割ってしまいそうになってテーブルに置いた。
置くことさえ苦労した。手が震え、強ばった指先は逆手を使って引きはがさなければならないほどだった。
語り終えたユガの目には頑な光があった。
「アシュレダウ──キミとの友情を違えたくはない。だから、期日までに──なるべく早くトラントリムを退去して欲しい。これは正式な要請だ。別荘の鍵を返す必要はない。──それから……これはお願いだ……シオンザフィルには、もう二度とわたしのまえに現れないよう、きつく戒めてもらえないか……もう、これ以上、わたしの心をめちゃくちゃにしないでくれ。もし、そうでないのなら……わたしは、彼女をどうしてしまうか、わからないのだ」
そう告げるユガの顔は、あの〈ログ・ソリタリ〉通路で見た、老いの顔だった。
「騎士として、わたしのしたことが、どうしても許せないというのなら……キミには私闘権を行使する権利がある」
彼女の名誉を回復するため、わたしに戦いを挑む権利だ。
アシュレはその申し出を、もう聞いていなかった。
無言で立ち上がると、衣服を纏い、暇も乞わずに出ていった。
場の空気にあてられたのか、寝室から顔をのぞかせたメイドたちを振り返ろうともせず、ユガは言った。
「彼は……行ってしまったよ」




