表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/57

第三十二話 すれ違っていた気持ちが、ようやく出会う(後編)


 詩織の視界の中に、翔太がいる。


 彼はじっと、詩織を見つめていた。「羨ましい」と繰り返した詩織を。やがて、どこか躊躇(ためら)いながら、その口を開いた。


「本当にそう思う?」

「何が?」

「俺に好かれてる人が羨ましい、って」

「本当だよ」


 詩織は目を閉じた。口元が、少し緩んだ。閉じた瞼に浮かぶのは、好きな人を大切にする翔太の姿。ちょっとしたことで心配してしまって、いつも気遣って。もし彼が結婚したなら、これ以上ないくらいの愛妻家になるのだろう。子供ができたら、いつも奥さんと子供を気に掛けるのだろう。


 閉じた目を開けて、詩織は翔太を見た。緩んだ口元は、そのまま。彼に、正直な気持ちを告げた。


「本当に、宮川君に好かれてる人が羨ましい。凄く大切にしてもらえそう」

「じゃあ――」


 翔太は、詩織から視線を逸らした。瞳を斜め上に向けた。相変わらず、顔がほんのりと赤い。


「もし、俺がその人に告白したら、付き合ってもらえると思うか?」

「即答で付き合ってもらえると思うよ」


 翔太の告白を断る人の、気が知れない。


「そっか。じゃあ……」


 翔太の視線が、詩織の方に戻ってきた。それだけじゃない。彼の顔が、詩織の方に迫ってくる。五味のような二枚目ではない。けれど、どこか安心する顔立ち。優しげな童顔。


 翔太の顔が、詩織の眼前まで迫ってきた。


 胡座(あぐら)をかいたままこんな体勢になれるなんて、体、柔らかいんだな。


 そんなどうでもいいことを、詩織は考えていた。


 触れ合うほど近付いてきた、翔太の顔。近付きすぎて、もう、彼の顔全体が見えない。


 そして。


 詩織と翔太の顔の一部が、本当に触れ合った。


 唇と唇が、重なった。


「……!?」


 自分の唇に触れた、翔太の唇。舌を絡め合う、情欲に満ちたキスではない。五味としていたキスとは違う。


 唇が触れ合うだけの、どこか遠慮がちなキス。


 詩織は、一瞬、何が起きたのか理解できなかった。頭の中で、ここまでの流れが再生されていた。


 翔太には、好きな人がいる。それは陽向ではない。好きな人に告白したら付き合ってもらえるだろうかと、顔を赤くして聞いてきた。付き合ってもらえると詩織が返答したら、彼は顔を近付けてきた。彼の童顔がどんどん近付いてきて。近付きすぎて、顔全体が見えなくなって。


 詩織と翔太の唇が、重なった。


 翔太の唇は少し乾燥していて、カサカサしていた。


 その感触で、詩織はようやく現状を理解した。


 翔太にキスをされた。


 詩織の唇から、翔太の唇が離れた。翔太の顔全体が、詩織の目に映った。先ほどよりも赤い、彼の顔。照れたような、それでいて恥ずかしそうな顔。童顔のせいで、拗ねた少年のようにも見えた。


「言葉で伝えるのも照れるから、こんなことしたけど。えっと、ごめん。とにかく、その――」


 翔太の顔が、さらに赤くなった。もう真っ赤だ。


「――俺が好きなの、三田さんなんだ」


 詩織はすでに、現状を理解している。翔太の言葉も、頭の中に入ってきている。翔太は詩織が好き。そう言われた。でも、信じられなかった。


「嘘……」

「嘘でこんなことは言わないよ」

「じゃあ、冗談?」

「冗談でもない」

「それじゃあ、正気?」

「嘘じゃないし冗談でもないし正気だよ」

「……」


 言葉に詰まった。詩織の目元が少し動いて、また涙が流れてきた。


 驚いた。驚いたと同時に、嬉しかった。ずっと、翔太と陽向は恋人同士だと思っていた。二人を見て、羨ましいと思っていた。仲睦まじい彼等に、憧れてさえいた。


 そんな翔太に、告白された。そんな翔太に「好き」と言ってもらえた。


 かつて、五味にも同じ言葉を言われた。苦しみながらも縋っていた言葉。絶望の淵に堕ちても、離せなかった言葉。


 同じ言葉でも、全然違う。言葉に込められた気持ちが。言葉にある意味が。言葉にある誠実さが。


 心に染み入る温かさが。


 あまりの嬉しさで、また涙が出た。もうすぐ死刑になる自分が、人生の最後の最後で、これ以上ないくらいの幸福に恵まれた。


 だから、嬉しくて涙が出た。


 同時に、悲しかった。


 こんな幸福に恵まれたのに、自分は、そう遠くないうちに死ぬ。死刑になる。もっと生きていたいのに。死にたくないのに。


 もっと、翔太と話してみたいのに。


 だが、自分は、決して許されないことをした。自分のせいで友達が殺された。自暴自棄になって、挑発してきた女を殺した。つい先ほど、恋人を死に追いやった。


 人を殺しておいて死にたくないなんて、我ながら身勝手だ。そんなことなど、許されるはずがない。甘んじて死を受け入れなければならない。


 だから、悲しくて涙が出た。


 泣き出した詩織を見つめて、翔太は困った様子になった。


「ごめん。もしかして、嫌だったか?」


 そんなわけがない。詩織は首を横に振った。


「違うの。嬉しいの。凄く嬉しいの」

「じゃあ、なんで……?」


 詩織の口から、嗚咽が漏れた。両手で、眼鏡の上から両目を押さえた。上手く声が出せない。それでも必死に、しゃくり上げながら翔太に伝えた。


「私、もうすぐ、死んじゃうんだよ? 絶対に、死刑になる。だから。だから、宮川君に、好きって、言ってもらえて、嬉しくて……でも、もうすぐ、死んじゃう、から……悲しいの……」


 死にたくない、とは言えなかった。そんなことなど許されない。自分のせいで死んだ人達だって、生きたかったはずなのだ。死にたくなかったはずだ。それなのに殺された。自分だけ生きたいなんて、許されるはずがない。


 翔太は、詩織の額に手を当てた。彼の左手。優しく、詩織を撫でてくれた。


「俺が三田さんと戦う前に言ったこと、覚えてるか?」

「?」


 涙を拭いて、詩織は両目から手を離した。


 目の前には、優しげな翔太の童顔。彼の目には、強い意志があった。


「言っただろ。死なせない、って。言った以上はやる。絶対に、三田さんを死なせない」


 言うと、翔太は、左手で詩織の頭を支えた。


「直接地面の上で悪いけど、少しの間、横になっててくれ」


 詩織を地面に降ろし、翔太は立ち上がった。左手で、スマートフォンをポケットから取り出す。画面は閉じられていないようだ。ボンヤリと明るい。


 翔太は詩織の前でしゃがみ込み、スマートフォンを渡してきた。


「悪いけど、カメラを俺の方に向けててくれないか? 俺、今、右手使えないから」


 苦笑しながら、翔太が右手を見せてきた。手の甲が大きく腫れていた。それだけではなく、人差し指と中指が、変な方向に曲がっていた。


「宮川君、それ……!?」

「ああ。さっき、右を打ったときに折れた」


 さらりと翔太は言ってのけたが、明らかに軽い怪我ではない。確実に数カ所骨折している。


「ゾンビ化した力でパンチを当てたんだから、当然こうなるよな。まあ、想定内の怪我だよ」

「……大丈夫なの?」


 聞いた後で、詩織は、自分の質問の間抜けさに気付いた。数カ所も骨折していて、大丈夫なはずがない。つい先ほどまで彼を殺そうとしていた自分が、何を言っているのか。


「死ぬような怪我じゃないから、大丈夫だよ」


 翔太は笑顔で答えた。彼の顔が、月明りに照らされている。大量の汗が浮き出ていた。この汗は、戦いで出たものだけではないだろう。激痛のせいでにじみ出てくる、冷や汗。


「……宮川君……」


 彼の名を呼んだが、言葉を続けられない。詩織は強く唇を噛んだ。自分のせいで大怪我をした翔太。自分を好きだと言ってくれた翔太。自分を死なせないと言ってくれた翔太。そんな彼に、どんな言葉をかければいいのか。


「そんな顔するなよ。大丈夫だから。ただ、カメラだけは俺の方に向けててほしい。三田さんを助ける(かなめ)になるはずだから」


 翔太の言葉の意味は、詩織には分からない。ただ、彼の言うことに従おう。助かりたいから、ではなく。自分のせいで彼は怪我をしたのだから、少しでも埋め合わせをしたい。


 立ち上がると、翔太は周囲を見回した。夜のグラウンド。転がっている五味の死体。右足と左腕を骨折して倒れている、陽向。


 翔太は大きく息を吸うと、どこへともなく、大声を張り上げた。


「飯田先生! どっかに隠れてるんだろ!? 出てこいよ!」


次回更新は明日(2/18)を予定していますm(_ _)m


通じ合った、翔太と詩織の気持ち。


詩織は罪を犯した。普通の人間であれば、年齢的にも更生の機会が与えられる罪。

しかし、吸血鬼である詩織は、許されない罪。


この場を監視しているだろう飯田先生を、呼んだ翔太。

飯田先生と、どのように対峙するのか。どのように対応するのか。


親友と好きな人を背負った翔太を、引き続きご覧いただけたらm(_ _)m

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 翔太の思いが詩織に通じた。 これだけで救われた気分になれました。 でも一布作品だからなあ。 そう易々とハッピーエンドにはならないでしょう。 そしてラスボスくさい飯田先生はどう動くのか。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ