第二十三話 クズ男を手の平で踊らせて、見える未来に笑う
死の足音が、耳元まで聞こえてくるようだった。
暗い石畳の路地を、革靴で歩く音。カツーン、カツーン。確実な死の足音が近付いてくる。もうすぐ自分が犯人だと特定され、捕まり、死刑になる。
でも、恐くない。残酷で、凄惨で、苦痛に満ちた死を迎える。それなのに、恐くない。
それどころか、楽しい。生まれて初めて、生きていると感じる。生まれて初めて、生きていて嬉しい。
夜。時刻は午後十時。
自宅の自室。
詩織はベッドに腰を下ろしていた。膝の上には、一年前から飼っている猫――福。黒い体を丸めて、気持ちよさそうに眠っている。
福を優しく撫でる。
詩織は、今後の予定を頭の中で組み立てた。
里香を殺した。五味を、思うようにコントロールできている。
次は、陽向と翔太を殺す。
吸血鬼なのに、幸せそうな陽向。害虫にも等しい生き物なのに、優しく温かい愛情を受けている陽向。
そんな陽向を心から大事にし、愛している翔太。五味とは違う真摯な気持ちを、陽向に捧げる翔太。
ずっと、微笑ましい気持ちで見ていた二人。軽口を叩き合いながらも、互いに大事にし合っている二人。彼等が、ただただ羨ましかった。憧れてしまうほどだった。
陽向が吸血鬼だと知るまでは。
吸血鬼は、蔑まれるべき生き物。幸せになってはいけない。生きていてはいけない。愛されてはいけない。
実際に、詩織は愛されていない。五味が詩織に言う「好き」は、まったくの偽り。詩織を利用するための、都合のいい嘘。
詩織に比べて、陽向も翔太も幸せそうだ。陽向も翔太も、心から、互いを大切にしている。
吸血鬼が大切にされるなんて、許されるはずがない。吸血鬼を大切にするなんて、許したくない。認めたくない。
だから殺す。だから、二人の関係を壊す。
今日は十一月一日。
美智が殺されてから、それなりに時間が経った。警察の捜査も進んでいるだろう。自分に時間がないことを、詩織は悟っていた。近いうちに事実を明らかにされ、自分は捕まる。
その前に、あの二人を殺す必要がある。
どうやって殺すかは、もう決めていた。
陽向と翔太は、この事件に吸血鬼が絡んでいると気付いている。それならば、手紙を出そう。美智を殺した吸血鬼だと明かす手紙。手紙で、どこかに呼び出そう。正義感の強いあの二人のことだから、誘いに乗ってくるだろう。
陽向と翔太の殺害に、五味も協力させよう。陽向の吸血鬼濃度は詩織よりも低い。戦力は、こちらが圧倒的に上だ。自分達が優位だと知れば、五味は喜んで協力するはずだ。
詩織は、五味の性格をよく理解していた。相手が自分より上だと弱気になる。自分より下だと、悦びながら踏みにじる。端正な顔立ちの、可愛い可愛いクズ男。その腐った思考で考え、想像するだろう。翔太の前で、陽向を犯すことを。
陽向と翔太を呼び出して、五味とともに彼等を殺す。
それを、いつ決行するか。
福を撫でながら、詩織は窓に視線を向けた。カーテンは閉まっていない。明るい月が見える。もうすぐ満月だ。
――そうだ。
詩織の頭に、いいアイデアが思い浮かんだ。
ベッドの上のスマートフォンに手を伸ばし、月の周期を調べてみた。思い浮かんだアイデアを実行するのに、丁度いいタイミングだった。
詩織は通話アプリを起動させた。電話帳から、相手を表示させる。五味秀一。
通話アイコンをタップした。
五回目のコールで、五味は電話に出た。
「もしもし? 五味君」
『ああ。どうした? 詩織』
里香を殺したことを伝えたとき、五味は怯えていた。でも、そんな様子はもうない。詩織に付き従っていれば、自分は守られる。ゾンビ化して、好き勝手できる。そう悟ったから。里香が殺されたことに対する悲しみなど、微塵も感じられない。
「あのね、お願いがあるの。あと、ゾンビ化について、話し忘れたことがあって」
『何だ?』
五味の声が大きくなった。ゾンビ化に関すること。その内容に興味を持ったようだ。
話しながら、詩織は唇の端を上げた。
「まずお願いから。実はね、私達の身近に、私以外に吸血鬼がいることが分かったの」
『マジか!?』
五味の声が、さらに大きくなった。吸血鬼の生存数は少ない。この国の人口の〇・〇〇〇〇六パーセント程度だ。そんな存在が身近にいることは、奇跡に等しい。
「本当だよ。私も驚いた」
『誰なんだ?』
ふふ、っと詩織は笑い声を漏らした。思わず出た声だった。
五味の心情が、手に取るように分かる。他の吸血鬼の存在を知って、彼は焦っているのだ。ゾンビ化が、自分だけの特典でなくなるかもしれない。その吸血鬼の濃度が詩織より上だったら、自分がやられるかもしれない。
詩織は五味を宥めた。
「心配しないで、五味君。その吸血鬼の濃度は、私よりずっと下だから」
『そうなのか?』
「うん。五十パーセント。私が戦えば、確実に勝てる」
『そうか』
五味の口から、安堵の吐息が漏れた。本当に彼はわかりやすい。
「それでね、これからが本題なんだけど」
『なんだ?』
「その吸血鬼を殺したいの。それで、美智ちゃんが殺されたのを、その吸血鬼のせいにしちゃおうかな、って」
しばしの沈黙。電話の向こうから、五味の笑い声が聞こえてきた。
『いいな、それ。詩織が疑われっぱなしってのも嫌だし。そいつらに罪を着せようか』
躊躇うことなく、五味は賛同してきた。
彼の考えていることは、やはり容易に分かる。詩織は声に出さず、それを言い当てた。
私が疑われるのが嫌なわけじゃないでしょ? 私が捕まって、ゾンビ化できなくなるのが嫌なんでしょ?
もちろん、五味の心情を指摘したりしない。可愛い彼には、踊ってもらおう。都合よく踊らせて、死んでもらおう。
「それでね、せっかくだから五味君にも手伝ってもらおうかと思って。相手の吸血鬼、女の子だから。最終的には殺すんだけど、その前に、その子で遊んでみたくない?」
その子の体で、遊んでみたくない?
詩織の言葉の意味を理解したのだろう、五味は一瞬沈黙した。唾を飲む音が聞こえた。
『いいのか?』
「何が?」
『詩織の前で、その女とヤッて』
「いいよ」
一瞬の間も置かず、詩織は返答した。
「言ったでしょ? 他の女の子と寝てもいいの。何をしてもいいの。五味君が、私を好きでいてくれれば」
再度、一瞬の沈黙。次に聞こえてきたのは、五味の笑い声だった。
『お前はいい女だな、詩織』
「ありがとう。嬉しい」
『ところでさ、詩織』
「何?」
『その吸血鬼、可愛いのか?』
再び、詩織は声を出して笑った。クズの程度も、ここまでくると清々しい。
「可愛いよ。髪の毛の色素が薄くて、天然の茶髪なの。ポニーテールで、私ほどじゃないけど小柄で、おっぱいが大きい子。でも、おっぱいは大きいけど、太ってないよ」
『そうか』
五味の声色が変わった。情欲に満ちた声。獣の口調。
――きっと、美智ちゃんを殺したときも、こんな声を出してたんだろうな。
楽しさで満ちていた心に、少しだけ痛みが混じった。胸の奥に感じた苦痛を、詩織は意図的に無視した。
「それでね、どうやって殺すかだけど。確実にその子を呼び出す方法があるの。だから、私がその吸血鬼を呼び出すね。それで、その吸血鬼を動けなくなるまで痛めつけたら、後は五味君の好きにしていいよ」
『ああ』
「あとね。ゾンビ化について、いいこと教えてあげる」
『そうだ。ゾンビ化について、何があるんだ?』
詩織は、スマートフォンを持っていない方の手を広げた。手の平を上に向ける。じっと、自分の手の平を見る。
小柄な詩織の、小さな手。この手の平で、五味が踊っているように見えた。清々しいほどのクズ。可愛いくらいのクズ。地頭はいいはずなのに、分かり易いほどのクズ。
何をすれば彼を完全にコントロールできるか、詩織はもう理解していた。
「以前に話したよね。ゾンビ化して吸血鬼の力を得ても、人間である以上、その力を全力で発揮できない、って。そんなことをしたら死んじゃうって」
『覚えてる。だから、無茶しないようにしてる』
「でもね、それには例外があるの」
『例外?』
「そう。満月の夜だけは、全力を出しても大丈夫なの。人間の体である以上痛みはあるけど、普段のゾンビ化みたいに、全力を出して死ぬことなんてないの」
『そうなのか?』
「うん」
五味は、詩織の言葉をあっさりと信じた。
『じゃあ、その吸血鬼を殺すのは、次の満月にしないか? 俺も、思い切り暴れたいし、その女をメチャクチャにしてやりたい』
「そう言うと思ってたよ」
三度、詩織は声を出して笑った。
「次の満月は、十一月の八日。来週の今日だね。その日にやるから、予定、空けておいてね」
『ああ。絶対に空けておく』
「うん。よろしく」
言って、詩織は、口元の笑みを消した。
陽向と翔太。吸血鬼なのに幸せな子。吸血鬼を幸せにした人。偽りじゃない、歪んでもいない、愛情を与え合う二人。
来週、彼等を殺す。
「ねえ、五味君」
『何だ?』
「私のこと、好き?」
少しの間。すぐに、優しい声が返ってきた。
『好きだよ。当たり前だろ』
いつでも詩織が欲している言葉。何度でも言って欲しい言葉。分かっている。偽りだと。歪んでいると。それでも欲しい愛。
「ありがとう。私も好きだよ、五味君」
好きだよ、五味君。だから、一緒に死のうね。
心の声は、言葉にしない。
「じゃあ、おやすみ」
『ああ。おやすみ』
電話を切った。
自室が、沈黙に包まれた。
会話の最後で、欲しい言葉を言ってもらえた。好き。詩織が欲し、縋っていた言葉。心の拠り所だった言葉。
それなのに、なんだか変な気分だった。
五味に電話を架ける前は、気分が高揚していた。楽しかった。それなのに、今は楽しくない。好きという言葉を、それほど嬉しいと思えない。
自分の心の違和感に、詩織は小さく溜め息をついた。
相変わらず、福は、詩織の膝で寝息を立てていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
そのことに、翔太は気付いていた。
翔太が気付いている事実に、陽向や詩織は気付いていなかった。
――飯田先生は、吸血鬼の生活を盗聴している。
次回更新は2/5(日)を予定しています。
詩織と五味。陽向と翔太。二組の吸血鬼と少年が、もう少しで顔を合わせます。
大きく揺れ動き、狂いながらも痛みを持つ詩織の心。
詩織に対する翔太の気持ち。
陽向自身が気付かない、彼女の翔太への気持ち。
思惑や想いを抱えて。
互いのことを知って顔を合わせたとき。
どんな結末になるのか。
どうか、最後までお付合いをお願いいたしますm(_ _)m




