第十五話 闇の底で、全てが反転する(前編)
放課後になって帰宅すると、詩織はすぐに自室に入った。
机の上のパソコンを立ち上げる。鞄から、ボイスレコーダーを取り出した。
学校で警察の聞き込みが行なわれてから、二日経っていた。聞き込みの翌日には、授業も通常通り行なわれた。
刑事らしき人達は、まだ数名、学校に来ている。しかし、二日前のように大々的な聞き込みが行なわれることはなかった。
いつも通りの日常に戻った、と言える。
あくまで表面上は、だが。
聞き込みが行なわれた日に、詩織は、ボイスレコーダーを購入した。次の日に、そのボイスレコーダーを陽向の鞄に忍ばせた。鞄の中の、ファスナー付きの内ポケットに。
今日、忍ばせたボイスレコーダーを、体育の授業中に回収した。ボイスレコーダーの録音時間は五十時間。陽向と翔太の会話が、たっぷり録音されているはずだ。
詩織は、ボイスレコーダーのデータをパソコンに移した。イヤホンをパソコンにセットして、耳に入れた。
この音声を聞けば、きっと分かる。
翔太は、陽向が吸血鬼だと知っているのか。
それを知ったところで、何か利益があるわけではない。詩織が五味をゾンビ化させた事実が、なくなるわけではない。ゾンビ化した五味が、美智を無残に殺した――その現実が変わるわけでもない。
それでも、知らずにはいられない。
詩織は吸血鬼として生まれた。物心ついた頃から、公安職員である先生に教育を受けた。吸血鬼がどういう生き物で、どんなふうに生きるべきかを教えられた。
吸血鬼は、本来、生まれてきてはいけない生き物。それでも、人権尊重の観点から生かされている。戦争という過ちと、人体実験という凶行の産物。だから、生きていられるだけで幸運。愛される資格など、本来はない。もし愛し合う者が現れ、子を成したとしても、仕方なく生かされるだけ。本来生きるべきではない生き物を生かすため、仕方なく政府が教育している。人の姿をした、害虫にも等しい生き物。人外の怪物。
それが、吸血鬼。
陽向がそんな生き物だと、翔太は知っているのか。知っていながら、打算なく付き合っているのか。害虫にも等しい生き物なのに、本当に愛しているのか。
五味のような、打算と欲望に満ちた愛ではなく。
詩織は、録音された音声を再生させた。不要な部分は早送りした。翔太と陽向の会話まで辿り着くと、通常速度にして聞き入った。
少し雑音が入っている。だが、詩織が想像していた以上に、会話はクリアに聞こえた。
『美智の机、花が飾られてたね』
翔太と陽向の会話。最初に聞こえてきたのは、陽向の声だった。
『当たり前って言えば当たり前なんだけどさ。なんか嫌だな』
『なんでだ?』
『もちろん分かってるんだよ。花を手向けて弔いにしてる、ってことは。でも、私がひねくれてるだけかも知れないけど、そういうイジメを聞いたことがあるからさ。だから、なんか嫌だ』
お墓に花を添えるように、美智の机に花が添えられていた。陽向の言う通り、死者の弔いとして当然のことだと言える。
それでも詩織は、陽向の言葉に共感を得た。
害虫のような存在として扱われてきた。だから、どうしても、思考がマイナス方向に働く。普段は明るい陽向にも、吸血鬼として教育された心のあり方は、確実に根付いているようだ。
『なあ、陽向』
『何?』
『花、買いに行こうか』
『何で?』
『花井さんに送るのに。これから買いに行って、明日、机の上に供えるぞ』
『……』
『どんなに少なくとも、自分が送る花に対しては、そんなふうに感じないだろ。だから。花なんて、花井さんにとって何の慰めにもならないだろうけど。俺達が悔やんだからって、花井さんが生き返るわけでもないけど。でも、せめて、な』
『……うん』
相槌を打つ陽向の声は、少し鼻声だった。
わずかな会話を聞いただけでも分かる。翔太は優しい。気が強いし、腕力も強いんだろうけど、優しい。
こんな人に好かれて、こんな人を好きになったら、きっと幸せなんだろうな。
本来の目的も忘れて、詩織は少し嫉妬した。翔太みたいな人と常に一緒にいられる、陽向に。
同じ吸血鬼なのに。同じように、疎まれるべき生き物なのに。
私とは、全然違う。
二人は、しばらく花の話をしていた。供える花はどんなものがいいのか。歩きながら、スマートフォンで検索しているようだった。
彼等の周囲が騒がしくなった。どこかの店に入ったのだろう。店員と、花について話していた。どんな花がいいか。どんなふうに束ねたものがいいか。明日まで萎れないようにするには、どんなふうに保管したらいいか。
二人は、友達のために一生懸命考えて行動している。亡くなってしまった友達を弔うために。友達を失ってしまったことを、慰め合うために。
彼等の会話を聞きながら、いつの間にか、詩織は涙を流していた。
二人と一緒に花を買いに行きたかった。美智に供えたかった。謝罪と祈りを伝えたかった。ごめんなさい。無理かも知れないけど、どうか安らかに眠って。
自分には、詫びる資格も祈る資格もない。そう、理解していても。
花を買って、陽向と翔太は帰り道を歩いているようだ。二人の家は、同じマンションの隣同士。互いの家の玄関前まで別れることはない。
『ねえ、翔太』
再び会話を切り出したのも、陽向だった。
『美智を殺した奴、誰だと思う?』
翔太は無言だった。どんなに頭がよくても、彼は普通の人間で、ただの高校生だ。いきなり犯人を言い当てられるはずがない。
『昨日も話したけど、いくつか推測できることはある。でも──』
翔太は言葉を切った。それは、回答を出せない、という類の沈黙ではないように思えた。言いにくいことがある。そんな様子。
『──断定できるところまでは、まだ推測できない』
『そっか』
溜め息のような、陽向の声。
詩織の涙は、まだ頬を伝っている。涙を拭くこともせず、詩織は息を呑んだ。音声に聞き入った。
翔太は、どんな推測をしているのか。美智を殺した犯人について、どんな可能性を思い浮かべているのか。
『とりあえず、かなりの確率で言えることは──』
詩織は、イヤホンごと耳を押さえた。少しでもしっかりと、翔太の話を聞きたい。そんな気持ちが表に出て、無意識のうちにイヤホンに触れていた。
翔太の言葉が、鮮明に、一字一句聞き違えることなく、詩織の耳に入ってきた。
『──花井さんを殺したのは、ゾンビ化した奴だと思う』
「!!」
詩織は目を見開いた。ゾンビ化。確かに翔太は、そう言った。普通の人間が吸血鬼に噛まれることで、吸血鬼に類似した身体能力を得る現象。その現象以外に「ゾンビ化」などと呼ばれる事柄はない。少なくとも、詩織は知らない。
詩織は音声を巻き戻した。聞き間違いだ。聞き間違いであってほしい。数秒だけ戻した音声を、もう一度再生させた。
聞こえてきた内容は、当然のように先程と同じだった。
『花井さんを殺したのは、ゾンビ化した奴だと思う』
ゾンビ化。その言葉を翔太が知っている。それが何を意味するのか。
可能性は二つ。
一つ。翔太はただの人間だが、吸血鬼の存在を知っている。
二つ。翔太自身が吸血鬼だから、ゾンビ化のことも知っている。
けれど、二つ目の可能性は否定される。政府に管理と監視をされている吸血鬼は、スポーツ活動をすることができない。ボクシングの試合に出られるはずがない。
いや、でも。
詩織は、あり得ない可能性を、無理矢理思い浮かべた。現実から目を逸らしたくて。
もしかしたら、翔太は、政府の目から逃れた吸血鬼なのかも知れない。管理も監視もされていない、野良とも言える吸血鬼。
翔太自身が吸血鬼なら、陽向を都合よく利用する必要などない。欲求を満たすために、陽向にゾンビ化させてもらう必要もない。
そうだ。きっとそうだ。
ただの人間がゾンビ化のことを知っているなら、絶対に都合よく利用しようとするはずだ。
それこそ、五味のように。
吸血鬼である陽向が、打算も下心もない人間に愛されるはずがない。たとえ「好き」という言葉をもらえたとしても、そこには薄汚れた欲求があるはずだ。
五味と付き合っている、詩織のように。
イヤホンを押さえる詩織の手は、震えていた。再び、涙が流れてきた。
それがどんな気持ちで流れた涙なのかは、自分でも分らなかった。
次回更新は、明日(12/30)を予定しています。
正月の連休に入ったので、少し更新頻度が増えます。
詩織が事実を知り、どんな気持ちを抱くのか。
引き続き、よろしくお願いいたしますm(_ _)m




