第十四話 罪悪感よりも、強いもの(後編)
「三田詩織か、山陰陽向。もしくは、その家族。そのいずれかが花井美智殺害に関わってることは、間違いないはずだ」
「!?」
詩織は目を見開いた。聞こえた話の内容に、自分の耳を疑った。一度離した壁の穴に、再び耳を当てた。
陽向か彼女の家族が、美智の殺害に関わっている。確かに飯田先生は、そう言った。
どうしてそんなことを?
答えはひとつしかない。でも、信じられない。こんな身近に、自分や両親以外の吸血鬼がいるなんて。
「失礼します」
廊下から声が聞こえてきた。翔太の次に聞き込みを受ける生徒。彼の次の出席番号。
陽向の声だ。
詩織は再び、隣の声に聞き入った。
陽向が、進路指導室のドアを開けた音。室内に入って、ドアを閉めた。
「早く座れ」
飯田先生の冷たい口調。
椅子を引いたときの、床を擦る音。陽向が、飯田先生達と向かい合うように座ったのだろう。
陽向の聞き込みが始まった。
飯田先生と陽向の会話が始まるまで、詩織は信じられなかった。自分の友達が、吸血鬼だなんて。毎日学校で会っていた。話していた。普通の人間だと思っていた。
先程の飯田先生達の会話も、自分の空耳ではないか。そう思っていた。
だが、飯田先生と陽向の会話は、詩織の考えを否定した。
「さて、山陰陽向。俺達が、どうして刑事に混じってここに来ているのか、分かるか?」
「人間の仕業とは思えない何かが、美智の殺害現場にあったから、ですか?」
「そうだ。よく分かったな。分かっているなら、それを前提に話を進める」
前提とは、吸血鬼が事件に絡んでいるということ。つまり飯田先生は、陽向が容疑者の一人だと告げている。
「お前が言っていた通り、花井美智の殺害現場には、吸血鬼が関連したとしか思えない痕跡があった。人間の力では、たとえ力士やプロレスラーでも難しいと思える痕跡だ」
「どんな痕跡ですか?」
「質問を許可した覚えはない。俺の質問にだけ答えろ」
飯田先生の、機械のような対応。陽向の回答を聞くと、彼は、淡々と話を進めた。
「それで、だ。現場には吸血鬼の仕業としか思えない痕跡があった。だが、お前は犯人ではなくアリバイもあるという。もちろんそれを完全に信用しているわけではないが、仮に、お前が犯人ではないと仮定して──」
会話の間が空いた。飯田先生が陽向に圧力を掛けているような、一瞬の沈黙。
「──お前は、誰かに、自分が吸血鬼だということを話したか?」
ドクンッと、詩織の心臓が強く脈打った。陽向は吸血鬼。それはもう、疑いようがない。まるで実感が湧かないが。
では、陽向は、そのことを誰かに話しているのか。彼女が吸血鬼だということを、知っている者はいるのか。
「例えば、親しい男に、とかな」
陽向と親しい男。その言葉から詩織が連想するのは、翔太だけだった。いつも一緒に登校している。家も隣同士だという。きっと、二人は付き合っているのだろう。少なくとも詩織は、そう思っている。それを隠したいのか、二人から「付き合っている」と聞いたことはないが。
翔太は、陽向が吸血鬼だということを知っているのか。
おそらくは知らないだろう、と詩織は推測した。
もし翔太が吸血鬼のことを知っているなら、間違いなくゾンビ化を望むはずだ。ゾンビ化すれば、ボクシングの試合なんて簡単に勝てる。赤子の手を捻るように対戦相手を倒し、簡単に日本一にも世界一にもなれる。翔太のように、毎日苦しい練習をしなくても。
五味は、詩織が吸血鬼だということを知った途端に、ゾンビ化することを求めた。魅力的なものが目の前に差し出されたら、手を伸ばしたくなる。それは、人間として当然の欲求だ。倫理の有無など無視できるほどの欲求。
「誰にも話してません」
陽向は、飯田先生の言葉を否定した。たとえ翔太に話していたとしても、こう答えるだろう。
でも、本当に話していないのだろうか。
ほんの数瞬前までとは正反対のことを、詩織は考えた。翔太は、たとえ陽向が吸血鬼だと知っても、その力を悪用しない。そんな気がしてきた。そう思わせるくらい、翔太は誠実で努力家だった。少なくとも、詩織の見た限りでは。
詩織の心の中で、二つの推測がせめぎ合った。
翔太は、陽向が吸血鬼だと知らないはずだ。知っていたなら、その力を自分の欲求のために使うはずだから。それこそ、五味のように。
翔太は、陽向が吸血鬼だと知っても、その力を自分の欲求のために使ったりしないだろう。それくらい、彼は誠実で優しい人だ。
二つの考えと自分の気持ちが、心の中で激しく渦巻いていた。
思考が、洪水のように激しく流れる。詩織の心の中で、不安にも似た気持ちが浮き出てきた。
もし、翔太が、吸血鬼のことを知っていたなら。
それでも翔太が、ゾンビ化の力など使わずに、ただ純粋に努力しているのなら。
──もしそうなら、私は……。
詩織は、五味が望むままに彼をゾンビ化させた。
──私は、なんて……。
翔太は、吸血鬼のことを知りながらも、その力を都合よく利用したりしない。ただ陽向のことを想い、彼女の側にいる。
五味と翔太。その両者を比べて。
自分と陽向を比べて。
詩織は、強烈な吐き気に襲われた。
つい先程までは、自首しようなんて考えていた。許されるはずのない贖罪をするために、死刑になろう、と。
けれどそれは、後回しだ。
どうしても知りたいことができた。
翔太は、陽向が吸血鬼だと知っているのか。
知らずに、彼女と一緒にいるのか。
知っていて、彼女の力を利用することもなく側にいるのか。
答えを知るのは、恐かった。答えによっては、自分の愚かさと惨めさを思い知ることになる。絶望の中で溺れることになる。呼吸することさえ困難な苦しみを味わうことになる。
それでも、突き止めずにはいられなかった。どうして突き止めたいのか、自分でも分からなかったが。
もしかしたら、「翔太は吸血鬼のことなど知らない」という答えを得て、こう思いたかったのかも知れない。
「翔太だって、吸血鬼のことを知れば五味と同じ行動をするはずだ」
そう思うことで、少しでも自分の心を守りたいだけなのかも知れない。
明確な理由は分からない。ただ、突き止めたい。
その後も、詩織は盗み聞きを続けた。陽向の聞き込みが終わり、次の生徒が来た後も。けれど、話の内容は、ほとんど頭の中に入ってこなかった。翔太と陽向のことだけが気になっていた。
ただ、なんとなく、飯田先生の聞き込みの仕方がおざなりになったような気がした。詩織や陽向、翔太のときと比べて。質問の数も少なくなったような。
もっとも、他の人のことなんてどうでもいい。それよりも、翔太と陽向のことが知りたい。
翔太は、陽向が吸血鬼だと知っているのか。それだけが知りたい。
――そして、放課後になって。
詩織は家電量販店に来た。店内を歩き回って、ボイスレコーダーを探した。
ちょうどいい物を見つけた。直径が三センチほどの、小型のボイスレコーダー。録音時間は、五十時間。少し値は張ったが、詩織は迷わず購入した。
これを、明日にでも、陽向か翔太の鞄に忍ばせよう。隙を見て回収して、二人の会話を聞いてみよう。そうすれば、分かるはずだ。
翔太は、陽向が吸血鬼だと知っているのか。
知っていながら、それでも誠実に陽向と付き合っているのか。
知らないから、陽向に対して誠実でいられるのか。
家電量販店から出た。
帰り道を歩く詩織の体は、震えていた。
死刑になるよりも、はるかに残酷な現実。そんなものを突き付けられるかも知れないことに、怯えていた。恐くて恐くてたまらなかった。
それでも、知らずにはいられなかった。
次回の更新は12/29(木)を予定しています。
ここまで、いかがでしたでしょうか。
陽向が吸血鬼だと知り、五味と翔太を比べる詩織。
翔太は、陽向が吸血鬼だと知っている。でも、陽向の力を自分の欲求のために使ったりしない。
五味とはまるで違う翔太。
その事実を知ったとき、詩織の心はどうなるのか。
どんな気持ちを抱くのか。
詩織が縋った、偽りの愛情。それがどれほど虚しいかに気付いたとき、彼女はどうするのか。
この先も、どうかお付合いのほどをm(_ _)m




