第十三話 事件の経緯と、辿り着いた推測
朝のホームルームで伝えられた通り、今日の授業は全て中止となった。部活動や生徒会などの校内活動も全て休止。
刑事の聞き込みが終了すると、生徒は全員帰宅させられた。明日からは通常通り授業が行われるらしいが。
放課後、と言っていいのか。担任から下校指示が出ると、翔太は、陽向と共に校舎から出た。彼女と一緒に帰宅する。
自宅マンションまでの道のり。時刻は、午後三時半。まだ夕焼けの時間にもなっていない。
歩きながら、翔太は、刑事の聞き込みについて陽向と話していた。もっとも、翔太達のクラスの聞き込みを行ったのは、刑事ではなかったが。
公安職員。陽向の先生。
「じゃあ、俺達のクラスの聞き込みをしたのは、二人とも公安の人だったのか」
「うん。そう」
「まあ、一方が陽向の先生でも、もう一方が普通の刑事だったら、吸血鬼のことなんて話せないしな」
美智が殺された事件には、吸血鬼が絡んでいる可能性がある。少なくとも公安は、そう考えている。それは、学校に飯田先生が来ていた時点で予測できていた。
とはいえ、翔太が聞き込みを受けたときは、吸血鬼の話など出なかった。当然と言えば当然だが。翔太が聞かれたのは、主に美智の交友関係。付き合っている男はいたのか。誰と仲が良かったのか。
嘘を言う必要もないので、翔太は正直に答えた。美智に彼氏はいない。少なくとも、誰かと付き合っているという話を聞いたことはない。仲がいい人はたくさんいた。特に陽向と仲がいいと感じていた。
妙な質問もされた。美智の女友達の中で、彼氏がいる子はいるか。
思いついたのは、詩織のことだった。詩織にとって、美智は数少ない友達。詩織には、五味という彼氏がいる。
それについては、話さなかった。何らかの意図があってのことではない。ただ、自分の好きな人が五味なんかと付き合っているなんて、言いたくなかった。だから、そこまでは知らない、というような回答をした。
自分が受けた聞き込みの内容を話すと、翔太は陽向に聞いた。
「陽向はどんなことを聞かれて、どんなふうに答えたんだ?」
「えっと、ね──」
陽向は、思い出すように口元に手を当てた。
「──二人とも公安の人だったから、当たり前に吸血鬼について話した。現場には、吸血鬼が関連しているような痕跡もあったんだって」
「どんな痕跡だ?」
「それは教えてくれなかった。まあ、飯田先生が、そんなことを教えてくれるはずがないんだけど」
陽向は、明らかに飯田先生を恐れている。そんな気持ちとは別に、彼の人間性について、感じているところがあるようだ。
「飯田先生は、とにかく規則とかルールにうるさい人なの。機械的っていうか。本当に感情なんてなくて、プログラムされて動いてる感じの人」
陽向には、飯田先生に優しい言葉をかけてもらった覚えがないという。刑罰の授業のときはもちろん、定期的に行なっている面談のときも。灯を交えた三者面談でも。
飯田先生は、規則やルール、制約、制限について淡々と話すらしい。陽向の行動報告に当てはめて説明する。こんなふうに行動しろ。その行動は規律に反する可能性がある。
言動に、人間らしい感情が見受けられない。それも、陽向が飯田先生を恐がる一因のようだ。
厳しい上にイレギュラーを許さない堅物。陽向の話から、翔太は、飯田先生に対してそんな印象を抱いた。
「それで、陽向はどんなことを聞かれたんだ?」
「美智が殺されたときのアリバイ。まあ、平日の夜なんて、家にいたに決まってるけど」
「それ以外は?」
「翔太と同じかな。美智の交友関係とか、付き合っていた男はいるのか、とか。あと、やっぱり翔太と同じように、美智の女友達に彼氏がいる子はいるのか、とか」
「……」
「あと、変なことも聞かれた」
「何だ?」
「親しくしてる男に、吸血鬼のことを話したか、って」
「……」
歩きながら黙り込み、翔太は考え込んだ。飯田先生の質問から、どのようなことが推測できるか。
飯田先生は、陽向を犯人だとは思っていない。少なくとも、美智を殺害した実行犯とは思っていない。彼の質問の内容から、これは断言できる。
「陽向、ひとつ聞いてもいいか?」
「何?」
「飯田先生と同じような質問だけど──俺とお前の両親、公安の人以外に、お前が吸血鬼だって知ってる人はいるか?」
「は?」
陽向の声が裏返った。
「いるわけないじゃん。正直、私は、あんたにも話すつもりはなかったんだから。ただ、あんたを誤魔化し切れないと思ったから話しただけで」
「そうだよな」
「どうしてそんなこと聞くのさ?」
翔太の頭の中に、気分の悪くなる推測が浮かんだ。確信と言える推測。
「飯田先生の質問と今の状況から、確実に分かることが二つある」
「何?」
「一つは、この近隣──もしかしたらうちの学校内に、陽向以外の吸血鬼がいる」
「うん。それは私も分かる。私、美智を殺したりしないもん」
陽向だけではなく、灯も、そんなことはしないだろう。彼女達家族は、殺害の日時に家にいた。アリバイがある。
「もう一つは──」
言葉を切って、翔太は小さく息を吐いた。溜め息のように。憤りを抑えるように。
「──花井さんは、殺される前にレイプされた。その痕跡が遺体にあったはずだ」
「!?」
陽向は目を見開いた。翔太を映す瞳。その目は、少し潤んでいるように見えた。
「……どうして……?」
どうしてそう思うのか。陽向が言おうとしたであろう言葉は、最後まで続かずに途切れた。ショックなのだろう。
「飯田先生が、陽向に聞いたんだよな? 親しい男に吸血鬼だってことを教えたか、って」
「うん」
辛そうな顔のまま、陽向は頷いた。
「飯田先生は、犯人の性別を男だと断定してるはずだ。だから『親しい男』って表現を使った。『親しい奴』でも『友達』でもなく」
「……」
「じゃあ、遺体から、どうやって犯人の性別を判断するかと言ったら──」
「わかった! わかったから!」
陽向は、翔太の言葉を途中で遮った。潤んだ目から、涙がこぼれそうになっている。
話していて、翔太も気分が悪くなった。
翔太は、誰かを守り、助けられる人間になりたいと思っている。大切な友人や、好きな人を守れる人間になりたい。だからこそ、力ずくで女性に乱暴する男には、虫唾が走る。吐き気がする。
翔太は大きく息を吐いた。話しているだけの翔太でさえ、こんな暗い気分になった。翔太の話を聞いただけの陽向でさえ、泣きそうになっている。
それならば、実際に被害を受け、殺された美智は、どれほど苦しかっただろう。どれほど恐かっただろう。どれほど屈辱的で、どれほど悔しかっただろう。
美智の気持ちを考えると、どうしようもないほどの怒りが湧き出てくる。美智を直接手に掛けた犯人は、死ぬべきだ。そう断言できるほどに。
大きく息を吐いた後、翔太は、大きく息を吸い込んだ。酸素を脳に送り、脳を活性化させるように。怒りや憤りがある。友人が残酷な殺され方をしたのだから、当たり前だ。それでも、気持ちに振り回されてはいけない。落ち着いて考えろと、自分に言い聞かせた。
「それで、だ。確実に分かっているのは、今のふたつ。陽向以外の吸血鬼がこの近隣にいることと、犯人が男だということ。あと、もう一つ、可能性として考えたことがある」
「何?」
聞き返してきた陽向の表情は、悔しさと悲しさに満ちていた。彼女は優しく、正義感が強い。同時に、やや直情的で感情に振り回されるところがある。おそらく、今は冷静ではないはずだ。
「落ち着いて、状況を詳細にイメージして考えてほしい」
「……うん」
翔太に「落ち着いて」と言われて、陽向は大きく深呼吸をした。歩きながら目を閉じて、ゆっくり大きく息を吐く。今度は大きく吸い込んだ。
深呼吸をした陽向は、目を開けて翔太を見つめた。瞳は、まだ潤んでいた。
「で、何?」
「そうだな。例えば──」
翔太は、自分の右手で、自分の左手首を握った。
「──陽向が、こうやって、俺の体の一部を掴んで押さえ込んだとする」
「うん」
「陽向の力なら、簡単に俺を押さえ込めるだろ? そのときに、力加減を間違って、俺の腕を折ったりする可能性はあるか?」
「絶対にないよ」
即答だった。
「私は、生まれたときから吸血鬼なんだから。自分の力がどの程度のものか分かってるし、ほとんど条件反射で力加減の調整はできるもん」
「そうか」
「もし簡単に加減を間違えるなら、うちのお父さんなんて、とっくに死んでるはずだし」
「どういうことだ?」
「いや、だからね、その──」
目を潤ませたままで、陽向は少し頬を赤くした。
「──お父さんとお母さん、ほとんど毎晩、してるから。最中に盛り上がったところでお母さんが力加減を間違ったら、ね」
「ああ、そういうことか」
もしそんなことになったら、陽向の父は、全身の骨が砕かれるだろう。
具体的な例を出されて、心底納得してしまった。
「まあ、とにかく」
言葉を挟んで、翔太は話を戻した。
「それなら、ほとんど断言できる」
「何を?」
「花井さんを殺した犯人は、吸血鬼じゃない。吸血鬼にゾンビ化された人間だ」
「あ」
陽向も、翔太の考えに気付いたようだ。
「そっか。美智には、人間にやられたとは思えない怪我があった。犯人に押さえ込まれて、骨が握り潰されたとか。でも、吸血鬼なら、そんな力加減を間違えるはずがない」
「そう。でも、ゾンビ化した人間なら、力の加減が分からずに怪我をさせることも考えられる」
もちろん、犯人は吸血鬼で美智を嬲り殺すために怪我をさせた、という可能性もある。けれど、その可能性は低い。犯人は、自分の欲望のまま美智に乱暴した。悦楽と快楽のために。ならば、これから先も犯行を重ねるだろう。そんな奴が、犯人特定に繋がる痕跡を残すはずがない。
「つまり、ゾンビ化して美智を殺した犯人と、ゾンビ化させた吸血鬼がいるってことだね」
「ああ。もちろん、あくまで推測だけどな」
話しているうちに、自宅のマンションが見えてきた。
実はもう一つ、翔太には思い当たることがあった。けれど、それを口にできなかった。確信がないから、ではない。あくまで可能性の一つに過ぎなくても、陽向には話しておくべきだとも思う。
それでも、言えない。言いたくない。
美智が行方不明だと知った当初、翔太は仮説を立てた。もし美智の失踪に、彼女の顔見知りが絡んでいるなら、と。
その場合の、犯人は──
そして今、ゾンビ化した人間が犯人だと推測した。
では、犯人をゾンビ化させた吸血鬼は誰か。
翔太の脳裏に、ひとりの人物が思い浮かんだ。決定的と言えるほど強く思い浮かんだ人物。
大人しいけど優しくて、家庭的な行動が見て取れて。いつも俯いているから気付かない人が多いが、可愛らしい顔立ちをしていて。
そんな女の子。
もし彼女が吸血鬼なのだとしたら、辻褄が合ってしまう。
彼女が、好きな男に頼まれて、そいつをゾンビ化させて……。
自分の想像に吐き気がして、翔太は唇を噛んだ。
──そんなわけあるか!
声に出さずに否定し、翔太は拳を握り締めた。
翔太は知っている。彼女の優しさと温かさを。一年のときに偶然見かけた、聖母のような彼女の姿。当時は自覚がなかったが、きっと、あの瞬間に、彼女のことが好きになったんだ。
相反する、理論的な推測と自分の感情。心が板挟みになっている。胸がざわつく。
心臓の音が、うるさかった。
次回の更新は12/25(日)を予定しています。
ここまでいかがでしたでしょうか。
翔太は、生来の地頭の良さと努力で身につけた思考力で、犯人を推測しています。
犯人と、犯人をゾンビ化させた吸血鬼。
それが、誰なのか。
卓越した知能を持っているために、信じたくない考えが思い浮かんでしまう。
理論的に考えると辻褄が合っている推測を、自ら否定する。信じたくないから。
そんな翔太が、事実を知ったとき。
どう行動するのか。
翔太の側にいる陽向は、どうするのか。
そして、詩織は――
この先も、どうかお付合いのほど、よろしくお願いしますm(_ _)m




