第30話「知らないまま」
漣が始鬼遥に知らせに行ったので指示があるだろうと、危険防止のためリテュシ以外の日空人3名を催眠をかけてから治療する桃太郎。
その場で見守る自身の腕の中のリテュシを、何か言いたげに見つめる鴉鬼葉。
(そうだよね、今のうちにここを離れたほうがいいのに……)
鴉鬼葉の言いたいであろうことに同調する犬吠埼。
聞こえたようで、
「ア、ソウデスヨネ……! 」
視線を日空人3名から犬吠埼へ。
(…うん、桃太郎さんが自信たっぷりで少し安心出来たみたいだったけど、なかなか離れられないよね……分かる)
リテュシは思い切ったように視線を鴉鬼葉へ。
「鴉鬼葉チャン、オ願イシマス」
鴉鬼葉は頷き、リテュシをしっかり抱え直して翼をバサッバササッ。浮かび上がる。
瞬間、白い何かが宙を鴉鬼葉へと正面から突っ込んで来、鴉鬼葉とリテュシの間をこじ開けリテュシを攫うと、すぐのところで止まって、リテュシを左腕だけで胸に押し付け固定し、こちらを振り返った。
ブラナークだった。
(…ブラナークさん……! 無事だったんだ…! )
何となくではあるが、気になっていた。
桃太郎が治療の手を止めて険しい表情でブラナークを見、早口で略拝詞を唱える。
(……? )
突然、鴉鬼葉の姿が消え……たかと思うとブラナークの背後に現れ、乱暴に、その右手首を掴み上げた。
鴉鬼葉の行動に驚く犬吠埼。
ブラナークが掴まれた手を勢いよく払う。
海面へと叩きつけられる鴉鬼葉。
(鴉鬼葉さん……! )
と、犬吠埼は安寿が暗い目でブラナークを見据えていることに気付く。
(…アンちゃん……? )
略拝詞を唱え終えた桃太郎が大幣を振る中、安寿は目の暗さを驚きに変え、
「…どうして……? 繋縛が出来ない……! 」
(繋縛……っ? 日空人の3人が、あんなことになったばっかなのに……っ? )
左・右、と振られ中央を差しかけていた桃太郎の大幣の軌道が明らかに少し下方へズレてリテュシへ向けられ、
「端境生成! 」
直後、ブラナークの右手が何の躊躇も無くリテュシの目隠しを外した。
ギクンッ。無いはずの鼓動に胸を深く抉られ、犬吠埼は状況を把握。恐らく周囲の一同よりだいぶ後れて。
(ブラナークさんの様子がおかしいっ? ブラナークさんだけどブラナークさんじゃないみたいな……ブラナークさんのこと、ほぼ知らないけど……前に会った時に見せた仲間の人たちを裏切るような行動は、多分リテュシさんを守るためだったのに……。
いや、もう、それどころじゃない……! 爆発する……っ? )
固まる犬吠埼。
だが目隠しの下から現れたリテュシの両目は閉じていたため爆発は回避。目隠しが外れて以降、ギュッと更に強く強く瞑った。
ブラナークの手がリテュシの顔へと伸び、目を無理に押し開こうとする。
(今度こそマズイ! 何とかしなきゃ! …でも……)
相手は空中。どうしたらと大急ぎで頭を巡らせ、結果、記憶と呼ぶにはあまりに最近、苦すぎて無意識に蓋をしてしまっていたのだろう、鷲獅子を、ウィーの両親を、殺してしまったこと。あの銀のほうの斧は手を離れても消えない、形状自体も投擲に向いたものだった。何故そうなったのかは全く分からないものの、ダメもとで両手を前へ構え斧を出す。
1人と大勢。人数の差で命の重さの天秤は傾かない。ただ、守りたいのはどちらであるか。それに、仮にブラナーク1人を選んだとして、結局その1人も失われる。迷う余地など無い。自分だけがズルく戦いを避けるのは終わり。誰かが傷つく以上、どのみち後悔は必ずある。
出現した斧は見慣れた通常のものだったが、攻撃目標をリテュシを巻き込まないよう身長差からブラナークの首に定めた刹那、あの銀の斧に変化。しっかり狙い……手を離した。
海面に対して水平に回転しつつ高速でブラナークへ。
当たる寸前でかわされるも、ブラナークが斧に気を取られた一瞬の隙をついて、鴉鬼葉がリテュシを掠め取る。
リテュシを取り戻せたこと、それから一時的にでも他者を狙って傷つけることの重さから解放されたことには思わず、犬吠埼がホッとしたところへ、ブーメランのように帰って来た斧。
キャッチすると巨大化、眩い金色に。
(銀と金ってセットか! )
斧なので重心が上にあることもあり上手に支えられず、
(! )
斧が海面を叩いた。
広い面から落ちたために、高く大量に水が上がって、
「鴉鬼葉さん! リテュシさん! 」
2名と、斧を挟んで向こう側でブラナークを呑み込んだ。
鴉鬼葉とリテュシを助けるべく、すぐさま海へ飛び込もうとする犬吠埼。
そこへ、
「任せてー」
漣の声。海中から跳ねつつ、
「遥様が保護してくれって仰ってたから、そのまま御殿へ連れてくねー。
他の3人も色々聞きたいから、無理はしなくていいけど安全に連れて来れるなら連れて来て、だってー」
言うだけ言って海中へ。
すぐに鴉鬼葉とリテュシを連れて、犬吠埼のいる地点より鬼ヶ島寄りに浮上。同時に鴉鬼葉は自力で海から脱し海面にほど近い低空を飛び、漣はリテュシを抱え泳ぎ、連れ立って移動する。
彼女らの背中にブラナークが宙をグングン迫って行くのが見え、
(どうしよう! 追いつかれる!
漣さんは泳ぐの速いけど、それでも……! )
その時、
「ウィーッ! 」
ウィーが鋭く鳴いた。
応えて安寿、
「うん、そうだねウィーちゃん! 追いかけよう! 」
お船を沈ませないように気をつけないと、と、ちょっと考える素振りを見せつつ独り言を言ってから、
「ウィーちゃん、大きくなったら、お船に足をつかないようにしてね? 」
分かった? と問いかけ、ウィー? との返事に頷き返す。
(え? これって本当にちゃんと分かり合えてるの? )
不安を抱く犬吠埼。
じゃ、行くよ、と、安寿はウィーの両脇腹を両手で支える形で腕を伸ばして、自身の体から離した。
見る見る大きくなるウィー。
安寿はウィーの脇腹から滑らせるように手を移動させながら背に乗りざま、
「ウィーちゃん、バサバサってやって! 」
指示を出す。
従い、船に足をつくことなくウィーは宙に浮いた。
「ワンちゃんも乗って! 」
ホバリングしているウィーの背から、左手はウィーに触れたまま、犬吠埼へと右手を延べる安寿。
手を借りウィーの背へ跨って、犬吠埼は安寿・ウィーと共にブラナークを追う。
漣はブラナークの存在を、追われていることを知らないのだろうか? そう言えば「他の3人」は始鬼遥の言ったことをそのまま伝えただけであるが、それにしても触れなすぎだった。
(だから……いや、もともとの性格かも知れないけど)
喋り方等、態度がのんびりで。今、泳いでいる姿も、急いでいるようには見えない。
鴉鬼葉が後方を気にする素振りで漣へ何やら耳打ち。
泳ぎは止めないままチラッと振り返る漣。その後いっきにスピードアップ。
(あ、気づいた)
しかしブラナークも加速。更に距離が縮まる。
ある程度の後、ブラナークは、その場に停止。手のひらを上に向け不自然に両腕を広げる。
(…何かを、するつもり……? )
鬼ヶ島は目前。海とのギリギリのところに猿爪・雉子と密が立っているのが見えた。
ブラナークの背後の海水が逆巻き壁のように高くそそり立つ。
視界を遮られ高度を上げるウィー。
雉子が光の矢を番えた。
放たれた光の矢はブラナークへと真っ直ぐに飛ぶ。
左手はそのまま、指先までキッチリ揃えた右手で背後の海水の壁とは垂直方向、ブラナークは勢いよく空間を下から上へ斬った。
すると海中から、水で出来た見るからに危険な雰囲気を纏った薄い円盤が出現。光の矢を防ぎ消してから海面を僅かに跳ねるように回転しながら高速で漣へ。
(漣さん……っ! )
だが直前で大きくバウンドし、
(先生っ! )
……を庇った猿爪を縦に真っ二つにした。
(会長っ! …水、なのに…刃物みたい……)
間髪入れず、ブラナークの背後の海水の壁が彼を避け一度低くなってから再び更に高さを増し、そこから崩れるように、いっきに島へと押し寄せる。
呑まれる鴉鬼葉・リテュシ・漣。
(…どうして……っ? リテュシさんの能力で攻撃したいのに、リテュシさんまで巻き込んだんじゃ意味ないんじゃ……っ? )
今度こそ飛び込もうとする犬吠埼。
と、岸のすぐ手前の海面から緑色の山が現れた。
彌鳥の甲羅。
その上に、倒れている鴉鬼葉・リテュシ・漣と、彼女らを気遣っている様子でしゃがんでいる桃太郎。あとは眠っている日空人3名。
接岸したところへ密が駆け寄り、鴉鬼葉をそっと抱き起こす。
犬吠埼・安寿・ウィーも近くへ着地。
体が左右に分かれてしまい不自由そうに歩く猿爪と、心配げに手を貸す雉子も。
ん……と小さく呻いて目を開けるなり鴉鬼葉はガバッと起き上がり、キョロキョロ。リテュシを傍らに見つけ覆い被さって、
「リテュシ! リテュシ! 」
リテュシの瞼がピクンと動き、犬吠埼はビクッ!
鴉鬼葉が咄嗟に、手のひらで優しくリテュシの両目を隠した。
密、鎧の下から手拭いを取り出し、鴉鬼葉に、よかったら、と差し出す。
礼を言って受け取り、リテュシの目に巻く鴉鬼葉。
桃太郎は、そうだね、そうしておいたほうが安心かも、と頷き、
「さっきブラナークさんに対して使おうとした術が安寿と被ったから急遽相手をリテュシさんに変えて端境をかけたんだよ。前に小鬼田さんにも同じようにしたことがあるんだけど、能力を抑える効果を付与してね。
でも小鬼田さんの時には日空人のあの小さい人に解かれてしまったから、日空人の人たちには、そういう能力があるのかな? って」
「…ブラナーク……ッテ……? サッキ兄ガ近クニイタノデスカ? 」
頭の中に直接、リテュシからの問い。
犬吠埼は一瞬、へ? となったが、
(…そうか、様子がおかしかったから、目の見えないリテュシさんにはブラナークさんだって認識出来なかったのかも……
でも、それなら……)
自身を大切にしてくれていた実の兄に殺されそうになってるなんて、知らないなら知らないままのほうが……と、犬吠埼は、おしゃべりな心を閉じた。
日空人には、頭の中で言語化するくらいにはっきりと考えると聞こえてしまうので。
桃太郎も同じように考えたのか、
「そう言われると自信無いけど……
ほら、やっぱり他の世界の人たちって、皆、似た感じに見えたりするから……」
誤魔化した。
ソウナンデスネ、とリテュシ。因ミニ、と付け加える。
「小サイ人ッテ、フォーツサンノコトデスヨネ? アノ方ノ能力ハ、割ト珍シイデス。『鍵開ケ』ト呼バレル、隔テル役割ヲスル物ヲ取リ払ッテ、ソノ中ヤ向コウ側ニアル物ヲ解放スル能力ナノデスガ、私ノ周リデハ、フォーツサンクライカト……」
(あ、それすごく貴重な情報。だって「彼」相手には障壁も端境も使えるってことでしょ? )




