第27話「楽園」
岩の使用した帰還薬による黒霧が晴れると、すぐの所に海が広がっており、遠くに陸が見える。
(…着いた、のかな……?
鬼ヶ島って、本当に島なんだ……。それか半島か……)
桟橋に、例えば犬吠埼なら10名ほど乗れそうな木製のシンプルな形の船が着けられ、その縁に、下半身が魚の10代後半くらいに見える少女が腰掛けて、暇そうに自身の長い髪の毛先を人指し指でクルクルと弄んでいた。
視線を感じたのか、少女はこちらを見、
「あ、岩様ー。 お帰りなさーい」
おっとりとした笑顔。
「ただいまっす、漣。誰か待ってるっすか? 」
「うんー。艶姉と白ちゃんを待ってるー。工鬼の町でお仕事だってー」
「白もっすか? 」
「んー、なんかー、白ちゃんと一緒にやる新しい芸を考えたみたーい」
「そうなんすね? 気をつけて行くっすよ」
「はーい」
ニコニコーと返したのを受け止め、
「漣は陸への渡船の船頭っす。自力で海を渡れない子たちの貴重な足っすよ」
少女・漣を犬吠埼と桃太郎に軽く紹介する岩。
(…子たち……)
そう言えば鬼ヶ島がどのような所なのか、始鬼遥とアンちゃん、唯さん、岩さん以外にも密さんをはじめ大人と、子供たちが暮らしてる場所であることくらいしか知らないな、と聞くと、
「鬼ヶ島は、この世界の中心っす。知恵を持つ存在としては最初にこの世界に生を受け世界を治めてこられた始鬼族が代々住まわれている場所っすね。
現在は、遥様と姫様方、危機の予言により娶られた妃89名とその御子178名、総勢270名の大家族と、赤の他鬼のあたいの計271名で、昔からの仕組みの御貢はあるっすけど鬼ヶ島史上類を見ない大所帯っすからね、各々の得意を生かし協力し合って基本は自給自足で生活してるっす」
と、
「岩様はー私のお姉ちゃんー。他鬼じゃなーいー」
岩の言った「他鬼」が聞き捨てならなかったようで、漣はぷぅっとふくれ不満げに口を挟んだ。
岩は、
「そうっすね、悪かったっす。漣はあたいの可愛い妹っす」
優しく優しく返す。
エヘーと、とろける漣。
そこへ背後から、
「お帰りなさい! 岩様! 桃様!
そっちがイッヌ様だねっ? 無事でよかった! 」
振り返ると、数メートル先に、高さ8メートルくらい、幅もそのくらいある、上部に瓦屋根までついた和風白塗りの大きく立派な門。その左右見渡せる限り、門と同じく白塗り瓦屋根の高さ6メートルほどの塀が続いている。
門の前を守るように、
(牛鬼牧さん……っ? )
と一瞬思ってしまうほど牛鬼牧によく似た、しかしまだ少女の面差しの残る、門の半分近くまでの上背、岩と揃いの部分鎧を身につけ身長に見合った非常に長い槍を手にした女性が、距離のあるまま屈託のない明るい笑顔で立っていた。
門へと歩き出しつつ返して岩、
「お疲れ様っす、草。体調はどうっすか? 」
後に続いた桃太郎も頭だけでペコッと返し、犬吠埼も、
(いやイッヌ様って……)
呼ばれ方に少々引っ掛かりを覚えながらも同じく。
不意に、
「…密…姉……? 」
草という名らしい女性は笑みを消した。岩に抱かれている鴉鬼葉に、今、気づいたよう。
「ああ、密じゃないっす。密の妹の鴉鬼葉っす。怪我の治療のために連れて来たっすよ。密にそっくりっすよね。あたいも初め、間違えたっす。
怪我は……多分大丈夫っすよ」
言って、岩が笑んで見せると、草に笑顔が戻った。
岩は犬吠埼と桃太郎に向けて小声で、
「ああ見えて優しくてデリケートな子なんす。ここで大丈夫って言っとかないと、下痢をするっすよ。姫様方がいなくなられた際も……それは、門を通してしまったことに責任を感じていたのもあったのかも知れないっすけど、姫様方が帰られるまで、厠に籠りきりだったそうっす」
(…ああ、だから、体調はどうか? って聞いてたのか……)
「優しいのは、遥様に嫁いで来た子たち皆そうっすけどね。皆、あたいの大切な妹たちっす」
(89名って言ってたっけ……? それで全員かは分からないけど、それだけの数の連れ去られた人たちが、生きて元気に暮らしてるんだ……)
「10年前からは、実家に帰るのも、帰らないまでも出て行って他所で暮らすのも自由だったっすけど、理由はそれぞれっすが、皆が皆、あたいの大好きなここ、鬼ヶ島で暮らすことを選んでくれたこと自体が嬉しくてたまらないんすよ」
その時、門扉が内側からゆっくりと開いた。
出て来たのは、
「おや、これは岩様。お帰りなんし」
花魁風の華やかな装いに身を包んだ外見年齢20代後半の女性と、その陰に隠れるように、
「お、お帰り、なさい……」
白地に薄っすら水色の雪の結晶の模様の入った和服の20代前半ほどと思われる女性。
「艶姉ー。白ちゃーん」
船の上から漣が手を振る。
手を振り返してから花魁風の女性、
「白さんと一緒に工鬼の町へ行って小銭を稼いできんす」
(ってことは、この人か艶さんで、隠れてるほうが白さんか……)
「山羊の乳が足りねぇみたいなので、帰りに買うてきんすえ」
「よろしくお願いするっす」
艶は頷き、ところで、と眉を寄せ、
「密さんのその怪我は、いかがされたのでありんすか? 」
(ああ、また間違えられてる……。やっぱ似てるんだな……)
草にしたのと同じ説明を繰り返す岩。
鴉鬼葉にそっと、お大事にと声を掛け、漣の渡船に乗り、出かけて行く艶と白。
出発までをその場で見送り、犬吠埼・桃太郎・岩は門をくぐる。
「艶は辻芸人なんす。自給出来ない物や自給では足りない物を必要に応じて、主に工鬼の町の噴水広場で芸を披露することで金銭を得、買って来てくれるっす」
門の向こう、真っ直ぐ奥へ続く道を挟んで両側には、一面、畑。ここからは見えないが、そう遠くない場所に家畜もいるのだろう。声と、何となく臭いもする。
左手側の畑の中ほどに、見るからに小鬼族である女性と、腕と脚を鱗のようなものに覆われ鋭い爪とトカゲのような肉付きのよい尻尾をもつ男児、緑色の髪と目をした幼女がおり、こちらに気づいて揃って大きく手を振ってきた。
手を振り返せない代わりに、
「おー疲れっすーっ! 」
と叫ぶ岩。
犬吠埼と桃太郎はペコリとやる。
数十メートル先にある、たった今くぐってきたものより少し小さめの門へと続く真っ直ぐな道を歩く犬吠埼の視線は、小鬼族の女性。
(…彼女が、連れて行かれたっていう小鬼田さんの娘さん、なのかな……? )
鱗と爪と尻尾の男児が小さな両手のひらを前へ向けると、彼の目の前にバレーボールくらいの大きさの雨雲が現れ、高さそのまま、畑の上を雨を降らせながら移動、ジョウロのように散水していく。
左手の畑の更にいくつかに分けられたうち3名のいる小さな苗の植えられている区画全面に散水し終え、雨雲が男児の前に戻って来たところで、小鬼の女性は男児の髪をガショガショ掻きまぜて頬ずり。
(…小鬼田さん……)
やっていることが、小鬼田そのもの。男児のほうの反応は翔とは違い素直に嬉しそうだ。
(…元気に生きてることだけでも、知らせてあげたいな……)
視線の先の3名は、今度は踊り始める。
緑の髪と目の幼女を中心に、他2名がその真似をし、膝を曲げ低く低くなった姿勢から跳ねるようにいっきに伸び上がると同時に両腕を上げ手のひらを空へ向ける、の繰り返し。
(…楽しそう……)
サワワ……風も無いのに3名のいる区画の苗だけが倒れてしまいそうなくらいに大きく揺れた。
直後、ザワッ。
(っ? )
苗の背丈がいきなり1メートルほどに。
(…踊ったから……? ……スゴイ! )
小鬼の女性は幼女にも頬ずり。
(幸せそう……。ほんと、こうやって暮らしてるのを伝えれたら、安心するんだろうな……)
口に出すと、岩、それはどうっすかねと、
「それぞれ事情ってもんがあるっすから……。特に、あの小鬼の子に関しては完全に余計っすよ。残されたご家族が帰りを望んでいても、むしろ、そうであればあるほど、こっちへ来た子の気持ちによっては、いっそ死んだことにでもしておいたほうが互いのためなんす」
そこまでで、犬吠埼が全く理解つかないでいるのを察したらしく、
「イッヌは相性の良い親御さんからたっぷり愛情を注がれて育ったっすね? 見ていて分かるっす。幸せっすね。孝行するっすよ」
言って、腕の中の鴉鬼葉を見、
「誰もがそんな出生時点での引きが良いわけじゃないんすよ……親御さん側もまた然りっすけど……。
鴉鬼葉だったからこうして連れて来たっすけど、相手次第では逆に、あたいがその場でトドメを刺してたっすね。
……鷲獅子を倒せてしまうようなイッヌを敵に回すことになるっすから、あたいも殺されてしまうだろうっすけど、そうなってもいいと思える程度の覚悟は持って、嫁いで来た子たち皆の姉をやらせてもらってるっす」
2つ目の門をくぐると、手入れの行き届いた日本庭園。その向こうに、門や塀と同じ白壁瓦屋根の和風の大きな建物。基本は平屋、手前両端に3階建の小天守。最奥に6階建の天守がある。
「あれが、遥様の御殿っす」
犬吠埼に言ってから、桃太郎へ向け、
「キジの姉さんとおサルさんの待ってる紫陽花の間で治療の続きをするといいっす」
言って、岩は建物……御殿へと続く石畳を歩いて行く。
岩に続いて歩き入口を入る犬吠埼と桃太郎。
玄関間へ上がったところで、岩は、たまたま通りかかった長い尻尾が2本もある猫耳の女性を呼び止め、これまでと同じく鴉鬼葉を密と間違えたのに説明してから、
「密に、紫陽花の間へ来るよう伝えてくれっす」
犬吠埼を捜しに出たはずの岩の声を聞きつけてか、
「ワンちゃんっ! 」
玄関間のすぐ右手側の襖から、安寿が飛び出して来た。
そして、犬吠埼の顔を見るなり、ハァー……と溜息。
「無事だったんだね、よかったー……」
(…アンちゃん……。そっか、心配かけてたんだな……)
「ごめんね、心配かけて」
「うん! いいよ! 」
安寿は明るい笑顔で返す。
鳥女や鷲獅子に襲われたことや鴉鬼葉の怪我……普通ではない経験の連続で恐らく気持ちが上擦っていた。
(当たり前のことなのに、こんな……。すっぽり抜け落ちてた……。
言わないけど、桃太郎さんだってきっと……)
「…あの……桃太郎さんも……」
まず言うべきだった言葉。タイミングを逃してしまっていて言いづらいが……
「ご心配をおかけして、すみませんでした」
ん、と優しく笑む桃太郎。
岩にも、
(…いや、この人は僕の心配なんてしてなかっただろうけど、余分な仕事を増やしちゃったことに変わりはないし……)
「岩さんも、捜しに来てくださってありがとうございました」
「ああ、気にすることないっすよ。イッヌのためじゃなく姫様のためなんで」
(うん、そうだろうなって思ってた)
それでも、と重ねて礼を言う犬吠埼。
安寿が出て来た襖のすぐ内側に猿爪と雉子がいる。
犬吠埼が気づくと同時、目が合ったため、2人にも謝った。
と、
「ミッちゃん、怪我したの? 」
安寿が岩の腕の中の鴉鬼葉を気にする。
「密ではないっす。密の妹の鴉鬼葉っす」
「ミッちゃん、妹いたんだ。似てるね」
「そうっすね。あたいも間違えたっすよ。
桃様が治療をなさるのに落ち着いた場所でと希望されたんで、この部屋でと、連れて来たっす」
説明しつつ、入口に集まり固まっている一同の真ん中を割って室内へ入って行く岩。
畳の敷かれた部屋。中央に置かれた座卓を、猿爪と雉子が先回りして上げ、隅へ寄せてスペースを開けた。
岩、屈んで鴉鬼葉をそこへ横たえ、頭の下に手近にあった座布団を挟む。
桃太郎は早速治療を再開。
手伝います、と鴉鬼葉を挟んで桃太郎の向かいに膝をつく猿爪。
入れ替わりに立ち上がり、岩、
「じゃ桃様、あと少しもすれば密が来ると思うんで、何か入り用の物があったら密に言ってくれっす」
続いて犬吠埼に、
「イッヌ、遥様のとこへ一緒に来て欲しいっす。
鴉鬼葉から聞いた危機についての話を、怪我が治ったら鴉鬼葉が話してくれるだろうっすけど、とりあえず、少しでも早くお伝えしておきたいんで」




