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第26話「つぶらな瞳のシャボン玉」


 一頻り降って止んだ赤い雨。

 ねっとりと視界を奪っているそれを手のひらで拭い、

(鴉鬼葉さん……! )

 地面に横たわっている鴉鬼葉へ、ヌルつく足元に滑って転びそうになりながら駆け寄り、傍らに膝をつく犬吠埼。

 この世界の者たちの特徴に違わず元々灰色がかっていた肌色は青味を増し、叫ぶ形に開かれていた唇は紫を帯び力を失って震えるように浅く速い呼吸を繰り返している。

(…どうしよう……どうしたらいい……? …このままじゃ……)

 腹の傷口と溢れた腸の隙間から、トクットクッと脈打つように流れ続ける血液。

(…僕が、もっと早くまともに戦う姿勢を持ててたら……道案内をしてもらってるだけだったはずなのに、鳥女の時と鷲獅子の時、2度も庇ってもらって……「戦っても勝てない」なんて、戦う気なんて無かったくせに……傷つけるのが嫌だって多分無意識に思ってたんだけど、そんなのきっと誰だって同じなのに……僕だけがズルく戦いを避けてたって仕方ないのに……結果が、これだ……)

 そこへ、

「イッヌ! 」

 背後から声。

 振り返ると、彌鳥が周囲に一切の影響を及ぼすこと無く崖へ馴染む格好で視界に現れ、その甲羅の上から岩が、

「よかった! 無事だったっすねっ? 」

飛び降りたところだった。

 地面に転がる鷲獅子を見、

「鷲獅子っ? これ、イッヌがやったっすかっ? 」

驚きを露。犬吠埼のほうへと歩きつつ、

「一度鬼ヶ島へ戻った後、キジの姉さんとおサルさんは鳥女に狙われるってことなんで、あたいと桃様とで捜しに出たんす。帰還薬での移動の瞬間に鳥女に掴まれたのがチラッと見えた気がしたんで、真っ先に鳥女の巣へ行ってみたんすけど、この世で一番食べ方の汚い鳥女なのにイッヌを食べた形跡が見られなかったっすから、食べられてはいないんだと判断して、あちこち捜してたんすよ! 」

 岩の後ろから、

(…桃太郎さん……! )

 桃太郎も来ている。

 思わず縋る視線を向ける犬吠埼。

 察したようで、

「どうかしたの? 怪我は無いみたいだけど」

 桃太郎は小走り。岩を追い越した。

 しかし桃太郎が犬吠埼のもとへ着くより先に、

「密っ? 」

 岩が悲鳴に近い声をあげ猛ダッシュ。桃太郎を追い越し返して犬吠埼の隣に膝をつくなり鴉鬼葉にガバッと覆い被さり、

「どうしたっすかっ? この怪我! 大体、どうして密がここにっ? 鬼ヶ島にいたはずっす! 」

「見せて」

 岩を押し退け、しゃがむ桃太郎。鴉鬼葉を注意深く観察する。

 少し退がった位置に立ち、

「…密……密……」

 ガクガク震える岩。

 犬吠埼は寄り添い、

「密さんではないです。密さんの妹さんの鴉鬼葉さんです」

 桃太郎さんが来てくれた……それだけで少し安心し、落ち着きを取り戻せていた。

「…密じゃ、ないんすか……? 妹……? 」

 桃太郎が取り急ぎ止血のみをし、辛いだろうからと眠らせる。そうして表情だけは穏やかになった鴉鬼葉に、こちらも落ち着いた様子で、

「密は、いつも妹のことを気にかけてたっす。長子の自分がいなくなって大変な思いをしてるんじゃないか、って。でも自分は遥様のお傍にいたいからと、それを優先してしまう自分を我儘だと責めてたっす」

(…「遥様のお傍にいたい」……? 自分で望んで鬼ヶ島にいたってこと……? 帰ろうと思えば帰れたってこと……? )

「…この子が、その妹なんすね……? 鴉鬼葉っていうんすか……」

 桃太郎による治療を見守りながら、岩に、鴉鬼葉から聞いた、おばば様の予言の「危機」についての心当たりとリテュシを救いたいという願望、それらを自身の口で始鬼遥に伝えたいとの理由か対話を望んでいたことを話す犬吠埼。

 岩、

「そうなんすね。密の妹なら、あたいの妹も同然っすから、望みは叶えてやりたいっす。鬼ヶ島へ連れ帰って遥様に会わせてあげるっすよ。どのみち危機に関することは遥様のお耳に入れておかなきゃならないっすから」

 それなら、と、桃太郎は治療の手を止め、犬吠埼と岩のほうを見、

「治療の続きを、鬼ヶ島の、どこか落ち着ける場所でやりたいんだけど……。ここの、この状況だと、衛生面に問題があり過ぎて、感染症のリスクが高そうだから……」




 出来るだけ静かに速やかに鴉鬼葉を運ぶべく、

「じゃ、行くっすよ。鷲獅子は体が大きいっすから巻き込まないと思うんで、このまま、ここから行くっす」

 岩が、大きいほうのサイズの帰還薬を手にした。

 その時、堆くなっている針葉樹の葉の中から、ウィーウィーと甲高い鳴き声のようなもの。ほぼ同時、何かが滑り落ちるように出てきた。

 柴犬の成犬くらいの大きさ、頭部がふわっふわの白い毛で覆われた猛禽類のヒナを思わせる上半身に、尾の先だけが黒く全体の大きさの割にガッシリとした後脚をもつ猫の下半身の生物。

 ウィーウィー鳴き続けながら地面の鷲獅子へと、立派な後脚の見た目に反して頼りなげにヨチヨチ歩く。

(…鷲獅子の子供……? )

 甘えるように鷲獅子の頬に体をスリスリ。

(…そうか……。子供がいたから、守ろうとして襲って来たんだ……。

 こっちの言ってることが分かる、って鴉鬼葉さんが言ってたけど、分かるのと信用するのは全くの別問題だし……)

 スリスリスリスリスリスリスリスリ……。

 ややして、鷲獅子の子はスリスリをやめ、? ? ? ? ? ……と鷲獅子を見つめた。

 犬吠埼は堪らず、走って行って屈み、子を抱きしめる。

「…ごめんね……! 」

(君のお父さんとお母さんは、死んじゃってるんだ……! )

 腕の中から抜け出そうと踠く鷲獅子の子。

「ごめんね……! …僕が……! 」

(僕が、殺したんだ……! )

 岩から、

「イッヌ、もう行くっすよ。その子を離すっす」

声が掛かる。

 犬吠埼は離さない。

 踠くのをやめ、小首を傾げて不思議そうに、つぶらな瞳を犬吠埼へと向けている鷲獅子の子。

(…こんな、何も分かってなさそうな子……。まだ歩くこともままならないのに……)

「イッヌ、行くっすよ」

 繰り返す岩。

「…この子、このままここに置いてったら死んじゃいますよね……? 」

 犬吠埼の問いに、

「そうっすね」

 岩はあっさり返す。

「気にすることじゃないっすよ。イッヌは、その子の両親を殺したんじゃなくて、鴉鬼葉を守ったんす。そこを履き違えたらダメっすよ。

 互いに守りたい者が在って、ぶつかって、結果、イッヌの力が上回っただけっす。

 守る者と守られる者は一連托生。守られる者の運命っす。イッヌの敗れた場合を想像してみるっす。その場合の今頃、鴉鬼葉は生きてるっすか? 生きてないっすよね? 」

(…そうかも、知れないけど……)

「…連れて行ったら、ダメ、ですか……? 」

 岩は驚いたふう、

「連れて行くって、どういうことっすかっ? 飼うってことっすかっ? 捩じれた地じゃ鷲獅子を飼ったりするんすかっ? 飼ったことあるんすかっ? 突然連れて帰っても、ご家族から、『鷲獅子なんて飼えないわよ! もとの場所に返してらっしゃいっ! 』とか言われないっすかっ? 」

(…いや、そもそも鷲獅子自体、元いた世界にはいないけど……)

 そう言うと、岩、窺うように上目遣いで、

「んじゃあ知らないと思うんすけど、鷲獅子って、すぐ大きくなるっすよ? 成獣になるには5・6年かかるっすけど、半年もすればイッヌと同じくらいの上背にはなるっす。飼えるっすか? 」

(…そんな早く大きくなるんだ……。

 …この子の親…成獣は肩までの高さだけで僕と同じくらい。そこから長めの首と頭がついて倍くらいの高さになってたから、半年で、その半分くらいの高さ。全体的な大きさで考えると、現段階で成獣と体型のバランスに大差が無いから途中だって多分似たような体型だとして、競走馬の体長と脚をちょっと短くしたサイズ感……?

 うちのアパート、ペット禁止じゃないけど……広さ的に無理かも……。高校卒業したら一生懸命働いて広いとこに引っ越せばとか甘いこと考えてたけど卒業まであと1年半以上あるし……ってそれ以前に僕自身が、いつどうなるか分からないのに、連れて行こうなんて無責任か……)

 黙り込んでしまった犬吠埼の表情を見て取ったか、

「イッヌ、あたいは、その子が死ぬって言ったっすけど、運が良ければ生き延びるっすよ」

 岩は慰めにかかる。

「幸い、ここは鷲獅子の幼獣が生きるのに必要な糧に溢れているっす。

 今のその子ぐらいだと、まだ固形物は食べれないっすから血液が主食なんすけど、その子の両親、これだけ大きいんで、ゆっくり朽ちるっす。その血を吸って、固形物を食べれるようになったら湧いた蛆を啄んで、そうしてるうちに自然と狩りの方法も覚えるっすから、先ずは周囲の小さな虫なんかを狙って、少しずつ目標を大きなものにしていって、2ヵ月半経てば飛べるようにもなるんで、そうなったらもう立派なハンターっすよ」

 気休めだ。岩はおそらく意図的に言わないでいる。外敵について。言わないで、いてくれている。分かっているが、

「でも、他の生物に襲われたら? 」

 言葉が口をついて出た。しかも、犬吠埼自身驚く、何だか攻撃的なトーンで。

(…八つ当たりだ……。岩さんは僕を慰めようとしてくれたのに……)

 直後に反省する犬吠埼。

(…あの時と同じ……。先生と会長に八つ当たりしちゃった時……。

 …僕は、成長しないな……)

 本当に腹を立てている相手は自分。目の前にいる動物の子供たった1体も救えない、無力な自分。

 岩は諦めた感じで小さく息を吐いた。

「それが、運っす……」

(…うん、そうだよね……。分かってるけど……)

 と、桃太郎が徐に略拝詞を唱え大幣を振る。

「端境生成! 」

 一瞬、視界がグワンと揺れた。

「地震っ? 」

 辺りを見回す岩。周囲に特に変化は無い。

 桃太郎、

「端境を張ってみたよ。これで端境の外からは、その子も鷲獅子の死骸も内側の全てが見えなくなる」

(…見えなくなる……? )

 犬吠埼は、神社の端境と小鬼田に使った端境の応用……自身の知る限りの端境を思い浮かべる。

「端境って、能力を抑えるためのものなんじゃ……? 」

「それも付与出来る効果のひとつだね。必要に応じて様々な効果を付与出来るんだ。

 神社のにも、外から見えなくする効果は付与されてたよ」

(…確かに、側面は木のせいで当然見えないんだけど、正面に回っても、鳥居の外からは、鳥居から数センチくらいより奥は見えなかったっけ……。あれは端境の効果だったのか……)

 犬吠埼が説明に納得した様子なのに頷いてから、桃太郎は岩に、

「ここを中心に縦15メートル横30メートル高さ3メートルの端境にしたんだけど、どうかな? もし、その子を捕食出来る何者かが偶然にでも中に入ってしまったら普通に見えてしまうから、最低限の大きさにしておいたほうがいいと思うんだ。進入禁止を付与すると、蛆を発生させるための蝿や蛆の後の食糧となる小さな生物たちも入って来れなくなって困るだろうから、本当に、ただ見えないだけにしてあるけど、それもどう? 」

意見を求めた。

「全然問題無いと思うっす。地形的に、上手に飛べるようになるまでは、その範囲内からその子が自ら出ることは考え難いっすし」

 瞬間、ビチャッ!

 何かが空から降って来、屈んでいる犬吠埼の膝を掠めて地面へ。

 …白いゲルを纏った拳大の黒い塊……。

(っ! 鳥女のフンっ? )

 認め振り仰ぐ犬吠埼。そこには数羽の鳥女。うち1羽と目が合った気がし、

(まずいっ! )

 だが、

(…本当に、見えてない……? )

 犬吠埼か、或いは2体の鷲獅子の死骸か、或いはその双方かの、臭いにでも引き寄せられて来ていたのか、暫く何かを探すようにキョロキョロしつつ真上を旋回した後、鳥女たちは飛び去って行った。

 岩は感嘆。

「本当に見えてないんすね!

 桃様も、お人が悪い。こんなスゴイことが出来るなら、最初からやってくれっす! 」

「ん、だって、何を求められてるのか、今、知ったとこだから」

 そりゃそうっすね、と頷き、岩、犬吠埼へと視線を戻して、

「これで安心して行けるっすね」

 それから桃太郎に、鴉鬼葉を動かして大丈夫かと確認してから抱き上げ、

「ここで帰還薬を使うと、その子を巻き込んでしまうっすから、少し移動するっす」

言って、歩き出す。

 犬吠埼も、ようやく鷲獅子の子を離し、

「…これから大変だろうけど、頑張って、元気に大きくなってね……。

 ほんと、ごめん……」

 背を向けて岩に続いた。


 数メートル行ったところで後ろに気配を感じて足を止め、頭だけで振り返る犬吠埼。

 (! )

 元の位置からこちらへ歩いて来ていた鷲獅子の子が、コテッと転んだところだった。

 ハラハラしながらつい見守ってしまっていると、鷲獅子の子は起き上がり、ヨチヨチと犬吠埼に追いついて、脚にスリスリ。ウィー? と真っ直ぐ見上げてくる。

 犬吠埼は、

(…ダメだ……! )

 我慢出来ず、また抱きしめた。

 確かな温もり。でも小さくて柔らかくて簡単に壊れて消えてしまいそうに儚い……。

 桃太郎が、仕方ないといったふうに息を吐く。

「いいよ、連れてって。オレが責任を持って、何か方法を考えるから」


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