第24話「箱庭の夢」
森の中の細く浅い水の流れに沿って歩く犬吠埼と鴉鬼葉。
木々によって太陽光が遮られているため草などがあまり生えていない代わりに木の根が出ており足場が悪いのもそうなのだが、そもそも鴉鬼葉は歩くことに慣れていないらしく、足取りがおぼつかない。
それでも陸路を行こうとしているのは、特に太っているわけではないが身長があるため体重もどうしてもそれなりに重い犬吠埼を、体の小さな鴉鬼葉が抱えて鬼ヶ島まで飛ぶのは厳しい……というか森へ降りた地点で既に限界だったので。
森を抜けさえすれば翼を広げることが出来、歩く犬吠埼の傍の低空を飛んで移動すればよいのだが、森の中では、その場で広げ真っ直ぐ上へ飛ぶくらいのことは出来ても、木々の間隔が狭く間を飛んでの移動は無理なのだ。
自分のために申し訳なく思いながら、転びやしないかヒヤヒヤ見守り斜め後ろを歩いていて、
(……そうか! …若……そうな女の人だから抵抗あるけど……)
犬吠埼は思いついた。
「鴉鬼葉さん、僕がおんぶします。指示を出していただけたら、その通りに歩きますよ」
鴉鬼葉は足を止めて、ムッとした表情で振り返り、
「貴様は、私を馬鹿にしているのか? おんぶなど、赤子ではあるまいし」
(…馬鹿にしてるつもりは無いんだけど……
あと、この後暫く一緒にいるのに「貴様」呼びされるの嫌だな……。岩さんの「イッヌ」もなかなかだけど、荒々しい感じがする分……)
と抑え気味に犬吠埼、
「あの、僕の名前は犬吠埼といいます。犬吠埼と呼んでいただけたら嬉しいです」
鴉鬼葉は食い気味、
「なら犬吠埼! 馬鹿にするのであれば案内してやらんぞっ? 」
(ほんと馬鹿になんてしてないんだけど……)
困る犬吠埼。
「…じゃあ、抱っこなら……? 」
「同じことだっ! 」
また食い気味、憤慨して回れ右。右足を踏み出したところで、木の根等に躓いたわけでなく、これまで歩いて来たこの森の中の地面にあって珍しく正真正銘何も無い場所で足首をグキッ。空中であれば上手にバランスを取る役割もする翼が逆に邪魔になり、鴉鬼葉は派手に転んだ。
(鴉鬼葉さん……っ? )
急いでしゃがみ、犬吠埼が顔を覗き込むと、
「……」
鴉鬼葉は気まずそうに目を逸らす。
(……)
暫しの沈黙。
しゃがんだままで体の向きを鴉鬼葉に対して斜め後ろに変え、控えめに背中へと誘う犬吠埼。
また怒られるかもと気持ちの上でドキドキ鴉鬼葉の出方を待つこと数十秒、恐る恐るともとれるくらい遠慮がちに、華奢な腕が首へと絡んできた。背に触れる温もりが思いのほか柔らかくて……自身に鼓動が無いことを、少し、よかったなどと思ってしまいつつ立ち上がる。
背中の鴉鬼葉の指示に従い、これまでと変わらず水の流れを辿りつつ、犬吠埼、
「鴉鬼葉さん、えっと……さっきの話の、見知らぬ地から来る者と兵器の心当たりって……? 」
移動しながら話そうと言いながら、歩き出して以降、それっきりになってしまっていた話を切り出す。
ああ、と答えて鴉鬼葉、
「先日、山の池のところで私と再会した時に私と共にいた、リテュシという少女を憶えているか? 」
「あ、はい」
「彼女が兵器だ」
(…兵器……っ? リテュシさんが……っ?
リテュシさんはブラナークさんの妹で同じ日空人で、前にブラナークさんは日空人と人間を、かなり近い生物、って言ってたけど……。
…まぁ、乱暴な人のことを「歩く凶器」なんて言ったりもするし、そういった比喩表現なのかも……)
驚く犬吠埼に鴉鬼葉は、うむ、と低く頷き、続ける。
「『ダイヤモンドプリンセス』というらしい」
「ダイヤモンド、プリンセス? 」
復唱に、もうひとつ頷き、
「日空人は知っていたな? 」
「はい……と言っても、リテュシさんを含めて5名の方にお会いしたことがあることと、リテュシさん以外ではリテュシさんのお兄さんのブラナークさんと少し会話をしたことがあること、その内容から、彼らも僕たちと同じで、この世界とは違う世界から、でも彼らの場合は人捜しのために来ようとして来たんだということと、翼は必ずあるわけじゃないことを知って、先日の件で彼らの捜し人がリテュシさんであることを知りました。あとは、彼らのうちフォーツさんという方が、他の方の能力を引き出す力と物質を使わない防御を取り払う力を持ってることを知ってるくらいです」
「それだけ知っていれば話が早い」
と鴉鬼葉、これより前も後も、心当たりの根拠である私が本来知り得ないであろう話は、全てリテュシから聞いたことなのだが、と前置きし、
「日空人は個々に違った能力を持っていて、能力の種類はある程度は外見で判別出来るものだそうなのだが、片翼の女子についてだけは確定で、目に映るもの全てを巻き込んでの自爆だ」
(自爆っ? )
「しかも本人の意思とは無関係に、目に何かを映した瞬間に自動的に発動し、当然、本人も死んでしまう」
(…片翼の女子……リテュシさんが、そうなのか……。だから目に包帯を巻いてたんだな……何も、見ないように……)
「そして、あの4名の日空人が、見知らぬ地から来る者。
2ヵ月前、4名はリテュシを連れて、日空人の暮らす世界・日空界から、この地へとやって来た。
日空界の軍人である4名の目的は、この地の侵略。8年前までであれば必ず1個大隊、とか言うらしい500名以上の団体で臨んでいたが、それまでは危険視され生後すぐに殺処分されてきた片翼女子の軍事利用が決まって以降、4〜7名の班のみで行うことが増え、効率よく、多くの世界を手中に収めてきたのだそうだ。
ダイヤモンドプリンセスの名は、爆発の際に放つ強い光からと、日空界のための犠牲を尊んでのものらしい」
(…なんか、酷い話だな……)
犬吠埼は、聞いていて辛くなってきた。
(自分で選んだわけじゃない生まれ持った性質のせいで生まれてすぐ殺されてしまったり、殺されなくなっても利用されて自爆させられるだけの人生って……)
そこまでで、ふと、
(…8年前って……。人間と近いと言っても成長過程なんかは全然違ったりするのかな? リテュシさん、さすがに8歳よりは上に見えたけど……)
思い、聞いてみると、
「14歳だ。出生直後に年の離れた兄によって連れ出されて隠れて育てられたと言っていた」
(…そうなんだ……。年の離れた兄って、ブラナークさんのことかな……? )
鴉鬼葉が咳払い。
「少し話が逸れたな。
つまり、私の心当たりの通りであれば、今年どころか既に危機は始まっているんだ。
ただ、私がk……犬吠埼に、心当たりとしてリテュシのことを話したのは、借りを返したところへ、また借りを作ることになるが、リテュシを何とか保護してもらえないかと考えたからで、保護してもらえたなら、滅亡などしない。
日空人の4名はリテュシを捜していたであろう? あれはリテュシが、自身がこの地に暮らす者たちを傷つけてしまう、また、自身を使った作戦に参加する4名も同様であることを嫌い、逃げたためなのだ。リテュシに、この地を滅亡させる意思は無い。加えて、目隠しさえ解かなければ何も起こらない。
私は、あの日に犬吠埼たちと別れて以降、リテュシを捜し続けているのだが見つからなくてな。しかし鬼ヶ島へは……認めたくないが事実上この地の中心は始鬼の鬼ヶ島。それを掴んだ、あの4名、或いはリテュシの兄を除いた3名が、リテュシを連れて、自ずとやってくるであろう。
だから、鬼ヶ島へ行くのなら、始鬼遥の娘と良好な関係であるのなら、犬吠埼から始鬼遥へ、そういった話も出来るのではないかと。…もちろん、リテュシが鬼ヶ島へ向かう前に私の手で保護出来たら、それに越したことはないし、鬼ヶ島周辺に常に見張りも立てているが……。
…頼む。この通りだ……」
最後は詰まらせ気味に言ってから、鴉鬼葉は軽く暴れて背中から降り、犬吠埼の正面へ回り込んで深々頭を下げる。
「あっ鴉鬼葉さんっ? 」
動揺する犬吠埼。
「あの、頭を上げて下さい! 借りは僕のほうも今まさに鬼ヶ島まで案内していただいている最中で、おあいこですし!
リテュシさんのことを始鬼遥に伝えるのは僕が直接は出来ないかも知れませんが、娘さんにお願いするとかして、必ずやります! 」
鴉鬼葉は小さく息を漏らして顔を上げ、
「恩に着る」
さあ行きましょう道案内お願いします、と再び鴉鬼葉を背負い、犬吠埼は歩き出した。
「リテュシは私にとって、とても大切な存在なんだ」
背中でポツポツと語る鴉鬼葉。
「まだ私の祖父が長だった昔に、牛鬼・工鬼・小鬼の間で戦があり、我々鴉鬼族の暮らす森が焼失した。同じ森に暮らしていた森鬼族は工鬼からの申し出を受け工鬼の町へ身を寄せたが、他者からの施しを受け生きるなど惨めだからな、我々は誇りを持って拒み、報復として当該3鬼族から諸々の物資を奪うことで生活と立場を保ってきた……つもりだった。それが、実は奴らのお情けで生かされてきたのだと知って、そう、牛鬼・工鬼の連中と共に小鬼の村を攻めに行った、あの時のことだ。犬吠埼も、その場にいたな? その時には仲間も失っていたし、もう、どう生きていいか分からず、途方に暮れていた。そんな状態でたまたま降り立った山中の池の辺で、リテュシと出会ったのだ。
月光にリテュシだけが白く浮かび上がって、綺麗……いや違うな、神々しくて、見惚れた。リテュシはすぐに私に気づいた様子で私のほうへと歩いて来た。私は逃げようとした。これほどまでに美しい存在の前に自分のような何も無い者がいてよいはずがないと。その時、リテュシはこう言った。『怖ガラナイデ下サイ』と。『私ハ貴女ヲ傷ツケタリシマセン。周リ全テニソンナニ怯エテ……オ辛イデショウ? 良カッタラ、オ話ヲ聞カセテ下サイ』と。的確だった。私自身知らなかった。言われて初めて気がついた。私は何もかも全てが怖くて堪らなくなってしまっているのだと。私は憐れみを受けるのが嫌いだ。石を投げつけられるほうが、まだいい。だがリテュシからの憐れみは私の心へスッと染み込んでいった。見下されてる感が全く無く尊重されていると、対等な立場で寄り添おうとしてくれていると、感じたのだ。私の中で頑なに閉ざされていたものが解き放たれた感じがした。私は話した。牛鬼・工鬼・小鬼の戦で棲み処を失ったこと、長であった父が亡くなり長の立場とその遺志を継ぎ誇りを持って生きてきたこと、その誇りを粉々に打ち砕かれたこと、仲間も失ったこと、それから、『この先どう生きていってよいかわからない』と生まれて初めて弱音というやつまで吐いた。リテュシは何も言わず、ただそっと、抱きしめてくれた。そうしているうちに、自然とひとつの疑問が頭を擡げてきた。何故こんな時間こんな場所に、こんな歳のだいぶ若いと思われる少女がいるのだろう? と。口にせずとも伝わり、今度はリテュシが聞かせてくれた。内容は、犬吠埼へ見知らぬ地から来る者と兵器の心当たりについて説明したので、ほぼ全てだ。
一晩中話し、朝になって手短に一宿の礼を伝え逃げるように去ろうとする私を、リテュシは引き止めた。行く宛が無いのなら、ここで共に暮らさないかと。驚いた。持たざる者どころか、話したことで私の歩んで来たろくでもない生涯を知ったはずなのに。その場で軽蔑されなかっただけで有り難かった。私などが他者と穏やかに語らうなど、こそばゆくて、大切に胸に留めておきたい思い出となった一夜だった。長居しては壊れてしまいそうで、早々に離れたかったのだ。しかしそんなふうに言われては、名残惜しさのほうが勝ってしまい、私はリテュシと暮らすことを選んだ。…結局1日のみであったことは、私関連の記憶を少し整理してもらえたら犬吠埼にも分かることであろうが……。奪うことに意味が無くなったので腹が空けば共に近くの廃村へ出掛け放置された畑で野生化し実った果実や野菜を採り川で魚を捕り山へ帰って小さな動物を狩って食べ、疲れれば木陰で共に休み、夜になれば池の辺の洞窟入口付近に寄り添い横になって……。重たい話は前の晩までで終い。嘘で塗り固めた私の冒険譚。私を通して見える、廃村の瓦礫に咲いた花を髪に飾られたリテュシ自身の姿。水面の煌めき、夜空の瞬く星。喜び笑うリテュシを、彼女の目となり隣でずっと見ていたいと、心の底から願った」
(…鴉鬼葉さん……)
「…リテュシを救いたい……。リテュシと私だけの箱庭の世界で静かに暮らしたい……。垣間見た、あのありふれた幸せを、たった1日の夢で終わらせたくない……。
どのみち、姉弟しか残っていない今、鴉鬼族は続いていかないし……」
(? )
犬吠埼は、あれ? と思った。
(さっき鴉鬼葉さん、鬼ヶ島周辺に見張りを立ててるって……)
聞いてみると、
「ああ、すまない。紛らわしかったな。見張り役は半野生の鴉だ。昔から我々鴉鬼族に、よく仕えてくれている」
(へぇ…鴉……。こっちの世界の鴉だから、きっと、普通の鴉と違うんだろうし……。…普通の鴉も頭がいいって聞くけど……)
納得したところで、
(…そう言えば……)
不意に思い出した。今朝会った、密という女性。
「鴉鬼葉さん、密さんという方をご存知ですか? 」
「密? 」
「今朝会った鬼ヶ島の方なんですけど、鴉鬼葉さんにそっくりで……。鴉鬼族だと思うんですけど」
「…密……」
鴉鬼葉は驚いたように声を掠れさせ、
「私の、姉だ……。15年程前に始鬼に攫われて、死んだものと思っていたのだが……」
(姉妹か。似てると思ったのは髪色や背格好に引きずられたわけじゃなかったんだな……。
…けど、密さんも連れ去られた人だったんだな……)
「お元気そうでしたよ。一時的に行方不明になっていた始鬼遥の娘さんの捜索に参加されてました」
犬吠埼は鴉鬼葉へ、自身も岩から聞いたばかりの、先程危機について話した時には特に意識的にではなく省いていた、始鬼が連れ去りを行っていた事情と行わなくなった理由を説明しながら、
(…岩さんからこの話を聞いてる時、って言うかたった今まで、多分アンちゃんを軸に考えてたから気にならなかったんだけど……)
今更、気になり出した。視野を広く持っていれば、きっと気になっていたであろうこと……連れ去られて、言葉は悪いが言わば用済みとなった各種族の長の娘たちは、どうなったのか?
(…密さんが生きて元気にしてる、どころか、連れ去られず鴉鬼葉さんや翔君、鴉鬼族の中で暮らしていた場合よりも良い暮らしをしてるって、容易に想像がつく……。
…もしかしたら、他の連れ去られた人たちも、元気に生きてるのかも…….? )
説明を終え、それも口にする犬吠埼。
可能性はあるだろう、と鴉鬼葉は相槌。
「攫った事実は消えないが、私は、始鬼遥に対して、酷い誤解をしていたのやも知れんな。
……始鬼遥と、話をしたい」




