第22話「玖姫その在処」
安寿と唯の手首足首を縛っている蔓草を解き、岩、
「さ、帰るっす」
鎧の内側から、小鬼族の村を襲った際の去り際と同じ物と思われる小さな瓶を取り出し、地面に叩きつけようとした。
それを、
「待って! 」
小瓶を持つ手を掴んで止める安寿。
「桃太郎が……」
言って、この場からは既に姿の見えない桃太郎と赤鬼たちの行ったほうを気にする。
「桃様なら大丈夫じゃないっすか? 」
安寿は手を放さない。
岩は諦めたように息を吐き、
「んでは、あたいの飛行岩を下流に置いてあるっすから、とりあえずそこへ移動するっす。それならいいっすよね? 」
(あの大きな空飛ぶ岩は飛行岩っていうのか……そう言えば、小鬼の村を襲って来た時に、その飛行岩? 桃太郎さんの彌鳥さんに食べられてたけど、新調したのかな……? )
安寿は納得していない様子。手を放さないまま俯いて、
「…桃太郎を、助けて欲しい……」
岩はもうひとつ息を吐き、安寿と目の高さを合わせ、
「姫様方をここへ置いてっすか? あたいは姫様方の救出のためにここへ来たっす。桃様だって同じっすから、それじゃあ本末転倒っすよ。あまり聞き分けの無いことを言って困らせないで欲しいっす」
その時、
(っ? )
憶えがある、ジェットコースターの垂直落下時のような内蔵が宙に浮いた感覚があった。
彌鳥だ。
地面を浚うように、その場の一同を掬い上げ宙へ。
彌鳥の甲羅上、進行方向の端で背中を向けていた桃太郎が振り返る。
(桃太郎さん……! よかった、無事で! )
岩もホッとした様子で、
「桃様! ご無事で何よりっす! 」
(…食べさせようとしてたくせに……。
まあ、これでアンちゃんがおさまるから……)
と、突然、
「ダメ! ユイちゃんっ! 」
安寿の叫び声。
「危ないよっ? 」
驚き、見れば、甲羅の縁ギリギリのところで、安寿と唯が揉み合っている。
見たところ、唯が飛び降りようとするのを安寿が止めているといった感じだ。
(っ! 何やってるのっ? )
慌て駆け寄る犬吠埼。
間に合わず落下する安寿と唯。
(届け……っ! )
夢中で安寿と唯を追い、犬吠埼は全力で手を伸ばす。右で安寿の右腕。左手で唯の左腕。
(届いた! )
甲羅の縁に残った両足の甲で辛うじてぶら下がっている状況。下手に動けない。上で口々に自分の名が呼ばれているのが聞こえた。
誰かが足を押さえてくれている。
安寿も唯も体重は軽いのだが、唯が「がああぁがああぁ」と低く唸りながら、犬吠埼の手を振り解きたいようで暴れるため、
(片手じゃ無理だ……! )
瞬間、
(っ! )
両足の甲に触れていた甲羅の感触が、フッと消えた。
振り返ると、彌鳥がいなくなっている。
落ちていく犬吠埼。
足を押さえてくれていたのは猿爪だったらしく、犬吠埼の両足首を握り一緒に落ちてきている。
他の一同もそれぞれに。
地面は、それほど遠くない。
(まずい! )
犬吠埼は安寿と唯を引き寄せ、胸に包んだ。
落ちながら、桃太郎は略拝詞を唱えている。
グングン迫る地面。桃太郎、人の形の和紙をいつものように宙に舞わせることはせず、コンパクトな動きで大幣で触れてから手を放し、
「破巫女! お腹クッション! 」
地面は目前。お腹クッションって何? などと心の中でさえツッコむ余裕無くギュッと目を瞑る犬吠埼。
直後、ボフンッ。
何かに軽く宙へ押し戻された。
それから再び重力に従い柔らかいその何かに沈み込む。もう落ちてはいない。
恐る恐る目を開けると、茶色がかった灰色のモフモフした何かに優しく受け止められていたのだった。
柔らかすぎて足を取られつつ安寿と唯に手を貸して揃って、その何かの上から地面へ下り周囲を見ると、そこは、赤鬼の棲み処へ向かうのに先程、飛行岩と呼ばれているらしい岩の大岩を着地させたすぐ近くだった。
丁度、同じく下りてきたところの他の一同と目が合う。
桃太郎が、その場からは全体像の分からない、超巨大なクッションのように見えるモフモフの何かに手を触れ、
「ありがとう」
何かは消え、人の形の和紙が舞った。
(クッションに見えたけど、多分、少なくても形は生き物の形をしてるのかな……? …ちゃんと名前みたいなの言ってたし……「はみこ」さん? だっけ……? )
「それで? 」
と猿爪。
「一体どうしたの? 」
安寿・唯と共に最初に落ちた経緯を聞いてくる。
(いや、こっちが聞きたい)
と犬吠埼、視線でその問いをそのまま安寿へ回した。
安寿は、
「ユイちゃんが小鳥さんを……」
口を開きかけるが、
「あっ! ユイちゃんっ! 」
急に駆け出した唯を追いかけ中断。追いつき暴れているのを取り押さえている場所まで犬吠埼含め他5名が移動すると、続きを、暴れ続けるのを押さえながら話す。
「ユイちゃんが赤鬼のおじさんおばさんのくれた小鳥さんを気に入っちゃって、本当はアンたち、いつでも逃げれたんだけど、食べ終わってからじゃないとユイちゃんが一緒に逃げてくれそうになかったから待ってたの。
でも、残り少なくなると、どんどん新しいのを持ってきてくれちゃったから……。
今も、ユイちゃん、まだ食べてたし、だから食べに戻りたがっちゃって……」
岩、まだ暴れる唯を一緒になって押さえ、
「そうだったんすね。御乱心の理由は承知したっすけど困ったっす。あの小鳥は捕獲が難しいんすよ。うちの両親は……おそらく安寿様の仰る赤鬼のおじさんおばさんのことっすけど、何故か得意だったんすけどね」
不意に雉子が上を向き弓を構えた。
(? )
矢を向けた先には特に何も無い。
放った先で幾つにも分岐し直線の光の尾を微かに残して消える矢。
雉子は上空を見据えたまま。
すぐ傍で安寿が、
「あのおじさんとおばさんガンちゃんのお父さんとお母さんだったのっ? 」
と驚き、
「優しいお父さんとお母さんだね。だからガンちゃんも優しいんだね?
アンが生のお肉食べれないって知っても好き嫌いするのを怒らないでリンゴを採ってきてくれたんだよ? 」
と岩の両親を褒め岩が少し照れ……などとやってる中、数十秒後、小さな何かが降ってきた。全部で10ほど。
地面に落ちる前に猿爪が、素早い動きで全てキャッチし、雉子に手渡す。
猿爪と雉子のしていることを見ていた犬吠埼は、
(…なんか、すごい……! )
感心。
(20日間ずっと野生生物を相手にしてきたからか……! )
雉子は、ありがとう、と猿爪に礼を言ってから、
「どうぞ」
それを唯に渡した。
赤鬼の棲み処内で先程まで唯が食べていた、気に入ったという小鳥。
唯は暴れるのをやめ、その場なので土の上だがきちんと座って上品に、プチュ…パキ…クチュッと食べ始めた。
雉子、
「この鳥、美味しいのね。可食部が少なそうだし、そもそも桃太郎サンが、昔、飼ってたって理由で、気分によって鳥は無理って聞いてたから、今までスルーしてたのだけど、丸ごといけるのね」
(…いや、どうかな? 丸ごとは唯さんだからなんじゃ……?
…それにしても、やっぱ見てられない……)
食べている唯から目を背ける犬吠埼。
一方の雉子は平気な様子で……どころか微笑ましく、唯を見つめつつ、
「足りないかしら? 」
その言葉に、
「この小鳥でいいなら」
猿爪が両腕を胸の前でクロスさせる。
装着された形で鉤爪が現れた……と思ったら、
(……っ? )
鉤爪の爪部分1本につき1羽、計6羽の件の小鳥が刺さっていた。
「たった今、そこの木に止まったのが見えたので」
と5メートル程の距離にある木に目をやる。
(…一瞬であの木まで行って小鳥を捕まえて戻ってきたってこと……? 全然見えなかったけど……。それはスゴ過ぎない?
…先生も会長も、この体になって備わったことがレベルアップしてるって言うか……。僕だけ変わらないな……)
犬吠埼は軽く落ち込んだ。
(…存在を保つことだけが目的のこの体だし、レベルアップして何かしようってことも無いんだけど……)
猿爪が鉤爪を解除し宙に浮いた小鳥を手早く回収。食べ続けている唯の前にそっと置く。
岩、
「キジの姉さんもおサルさんも見事な技っすね。お陰様で唯様も落ち着かれたっす」
言って、雉子、猿爪、と順にひとりひとり見つめ、犬吠埼にも、
「イッヌも姫様方が落ちてしまわれないよう掴まえていてくださったこと、本当に助かったっす。あらためて礼を言うっす」
言い、深々と頭を下げた。
(…僕もか……。役に立てたならよかった……)
軽くであっても落ち込んでいたところを自身も認められ嬉しくなるが、そこまででハッとし、
(…いや呼び方……! イッヌって……! ……まぁいいけど……)
岩は続いて安寿を見つめ、
「ところで、どうして何の断りも無くお出掛けになられたんすか? さっきも申し上げたっすけど、本当に心配したっすよ? 」
安寿は、ごめんなさい、と謝ってから、
「今日がガンちゃんのお誕生日だって知って……」
襟元から小さな巾着袋を取り出し、その中身を手のひらに出して見せる。
表面のスルッとした光沢のある真紅の石。
「赤鬼の棲み処の近くの川に綺麗な石がいっぱいあるって、前、ガンちゃん言ってたでしょ? だから……。
ユイちゃんと一緒に選んだの。ガンちゃんに似合う石」
安寿の話すのを、岩は目を大きく見開き聞いていた。
そして、
「はいプレゼント」
差し出されるままゆっくり手に取ると、胸の前、両手でギュッ。涙がポロポロポロポロ零れる。
心配げに窺う安寿。
岩は何とかといった様子で自身を落ち着かせ、再び、まだ食べ続ける唯も、2人まとめて抱きしめた。
「…ありがとう、大事にするっす……。
でも、もう二度と、こんな心配させるような真似はなさらないでいただきたいっす」
「…ごめんなさい……」
もう一度謝り、岩の上腕内側に頬を寄せる安寿の表情は、穏やかで柔らかで……違和感。
(…アンちゃん……)
こちらの世界を自分の居場所にしようと努めている……そんなふうに感じたのだ。
犬吠埼の知る範囲だが、桃太郎と暮らしていた安寿は天真爛漫で、良くも悪くも子供らしかった。雉子の死亡した一件以降はめっきり大人しくなったものの、それだって堂々と塞ぎ込むなど子供であるが故。
(聞いてみたい、けど……)
この地で暮らしていることを、どう考えているのか? 本心は元いた世界へ帰りたいのではないか?
(…でも、桃太郎さんの気持ちを聞いてないから……。
前に、「安寿なんていなければよかったのに、って心のどこかで思ってしまっていた」って過去形で言ってたけど、今は、どうなのかな……?
下手に聞いて「帰りたい」って言われた時、どうしても受け入れ先になる桃太郎さんに、その気が無かったら……? )
考えた結果、
(…やめとこ……)
岩が安寿と唯を解放し、
「さ、今度こそ帰るっすよ」
飛行岩のほうへと背を押す。
「ここまで来れば赤鬼は大丈夫っすから、あたいの飛行岩でゆっくり帰るっす」
安寿、押されながら急ぎ気味に振り返り、
「あ、えっと! 桃太郎もマーシーもワンちゃんもギシちゃんも、助けに来てくれてありが……」
そこまでで、あれ?
「そう言えば、どうして桃太郎たちがここにいるの? 」
「姫様方の救出の協力にいらして下さったんすよ」
「それは分かってるし、お礼も今、言おうとしてたとこだけど、そうじゃなくて、なんで、こっちの世界にいるの? 」
「ああ、安寿様が遥様とご一緒にこちらへお越しになられた際に巻き込まれたらしいっす」
そうなんだ……と頷いた安寿は、ほんのちょっとだがガッカリしたふう。
(…連れ戻しに来た、とか言って欲しかったのかな……? )
「あの時、お父さんが間違えて帰還薬を大きいほうのを使っちゃってたから……。
でも、ちゃんと一緒にいたわけじゃないから、途中ではぐれて鬼ヶ島までは来れなかったんだね? 」
(帰還薬? )
聞くと、答えて岩、岩が小鬼族の村を襲った帰りに飛行岩を失ったため使用した、先程も使用しようとした、
「これがそうっす」
小瓶を見せてくれた。
おばば様、という人が作った物で、使用すると、どこにいても始鬼遥や岩の、そして安寿の暮らす鬼ヶ島へ移動出来るのだそう。もうひと回り大きな物もあり、移動したい人数によって使い分けるらしく、鬼ヶ島在住者は島外への外出時、常に両サイズを携帯しているとのことだった。
岩が犬吠埼たちに対して帰還薬について話している最中、安寿は何やら考えている様子。話が終わったところで口を開く。
「アンがこっちへ来てから、もう3週間くらい経ってると思うんだけど、もしかして桃太郎、帰れなくて困ってる? 」
桃太郎は自嘲的な笑みを浮かべ、
「恥ずかしながらね。オレは大丈夫だし雉子君も隠れ暮らさなければならない身だから……どうしてあげることも出来ない以上、聞いてみることも出来なくて本当のところは分からないけど大丈夫かも知れないんだけど、猿爪君と犬吠埼君には学校もあるし、ご家族も心配されてるだろうから……」
「恥ずかしくなんてないと思うよ? アンの周りで、こっちの世界から桃太郎たちの世界へ行ったり誰かを送ったりなんて出来るの、おばあちゃんだけだし、アンも出来ないし、おばあちゃんがスゴイだけだから」
(…桃太郎たちの世界……)
聞いていて、犬吠埼は、その部分に引っかかりを覚えた。
「おばあちゃんに送ってもらえるようにお願いしてあげる」
安寿の言葉に、
「そうっすね、遥様のためにも、そのほうが手っ取り早く安心出来ていいと思われるっす」
同調する岩。
明らかに安寿が無言の問いをしたのを、気づかなかったのか意図的にか流し、
「んじゃあ、桃様たちも一緒に鬼ヶ島へ向かうっす。おばば様が住まわれてるのは工鬼の町っすけど、鬼ヶ島の者が訪ねて行くのを嫌われるんで、戻って、遥様から鬼ヶ島へ呼んでいただくっす」
(アンちゃんの言う「おばあちゃん」イコール岩さんの言う「おばば様」か……)
安寿は「? 」のまま、しかし、まぁいいかと割り切った様子で、
「そうだね、それが一番早いかも」
頷き、
「ここは、もうすぐ戦場になっちゃうから、その前に、急いで帰らせてあげないと」
(…戦、場……? )
「ちょっと待って」
桃太郎が珍しく、怖いくらいに真面目な顔で反応。
「戦場って、どういうこと? 説明して」
安寿は僅かにビクッ。困ったふうに上目づかいで桃太郎を窺う。
「…どうしたの? 桃太郎、顔、怖いよ……? 」
「そりゃ怖くもなるでしょ。戦場になる、なんて物騒なことを聞いたら」
桃太郎は安寿の目の奥の奥を覗き込み、
「いいから、説明しなさい」
「う、うん……あのね……」
頭の中で整理する時間だったのか、少し間を置いてから話し出す安寿。だが、
「おばあちゃんの占いで、強い敵が来てこの世界を壊しちゃうって出て、だけど壊されないようにアンとユイちゃんで戦うから壊れるんじゃなくて戦場になるんだよ。
こっちに来てすぐに、お父さんからお願いされたの。助けて、って。アンとユイちゃんは、そのための子供なんだって。ユイちゃんは体が弱くてアンが近くにいないと死んじゃうから、ユイちゃんの近くにいて、一緒に強い敵と戦って、この世界を守って欲しいって」
(…うーん……)
やはり10歳。全体像がぼんやりと分かる程度の話。
(今ので完全に伝わるのは、アンちゃんが、10年間も放ったらかしだったくせに端から明確な目的のためにこっちの世界へ連れて来られたって聞かされた上で、利用されてるだけって思わずに前向きに受け入れて戦う気満々ってことだけ……。
…純粋なんだな、アンちゃん……。まぁ10歳だし……。元の世界にいた間、外との関わりもほとんど無かったっぽいし……)
桃太郎も、あまりよく掴めなかったようで、きちんとした説明を求め、岩に視線を送る。
それを受け、岩、
「おばば様の占いは、よく当たるっす。占いに拠る予言で言い当てた出来事は大小様々数知れずっすよ。
そんなおばば様が、丁度あたいが保護していただいた頃に、この世界……あたいや恐らく他の多くの者どころか遥様にとってもそれが全てで世界なんすけど、おばば様流に言うと鬼ヶ島とその周辺地域、あたいに分かり易いよう仰って下さったのでは飛行岩で遥様の天守3つ分の高さまで行って見渡せる範囲の、最大の危機として予言されたっす。『季節が30巡を迎える折、見知らぬ地より来訪者あり。携えた光が世を闇へ帰す』って。つまり、予言から30年後にやって来る何者かが、とんでもない兵器で、あたい目線での世界を滅亡させてしまうってことっす。で、今年がその30年後なんす。
でも、おばば様は、こうも予言されたっす。『王の血を引く乙女のみがかの光を打ち消す力を持つだろう』と。王っていうのは始鬼族のことっす。予言のあった当時、既に始鬼族は遥様だけだったっすから、おばば様の勧めで各種族の長の娘を娶って御子を儲けられたんすけど、予言に適うような強い御子には恵まれなくて……。遥様より強くなければ意味ないっすからね」
(…小鬼田さんが前に言ってた、始鬼が恐れ嫌われる理由の連れ去りの裏側か……)
「全ての種族を2回ずつ試されて、ある程度成長を待ってもみたんすけど駄目で……そこでおばば様が持ち出されたのが躯鬼の言い伝えっす。あの言い伝えの『世を救わん』は、この危機のことではないか、だとすれば捩じれた地の娘との間に子を儲けたら、と。……そうしてお生まれになられたのが唯様と安寿様っす。
おばば様は正しかった。捩じれた地での出生後、一目見た瞬間に、お二方が強大な力を秘められていることが分かったそうっす。そして、双子でいらしたんで、比較的遥様の血の濃い唯様を連れて戻られたっす」
(そうか、それで10年前に連れ去りがパタッと無くなったんだ……)
「けど唯様は赤子の頃からお体が丈夫ではなくて……おばば様の仰られるには2つの全く異なる要素が体内にあるため不安定なのだと。同じ双子でも安寿様は安定しておられるようっすけど。安定させるためには足りない要素を補うため母君様か母君様の血の濃い安寿様をお傍に置かれるのが良いと。状態は年齢を重ねられるにつれ悪化し、5歳を迎えられる頃には生命を危ぶまれるまでになっていたっす。そこで母君様を迎えに行かれたんすけど断られて、やむなく食させたそうっす」
(…食させ…た……っ? )
犬吠埼は思わず唯を見、変わらず食べ続けている姿にウッ……となって視線を戻した。
(始鬼遥に殺されたとは聞いてたけど……)
「母君様は気の強いお方だったらしいっすから初めから断られることを見越して、もう唯様のお命に一刻の猶予も許されなかったんで、唯様もお連れになって……。母親っすから情に訴えれることにもちょっと賭けてたらしいっすけどね。
食してしまうと、やはりどうしても消化・排泄されてしまうっすから効果は一時的で……。なので安寿様がおいで下さったこと、本当に良かったっす」
「……」
桃太郎が、俯き、思いつめた表情で何やら低く呟いた。
「…オレはさ、初めて岩さんに会った時に安寿についての話を聞いて、その言ってたことから安寿が大切にされてることが伝わってきたし、オレと暮らすより、こっちで暮らしたほうが幸せかも知れない、って……もともと巻き込まれて来てしまっただけだし、自力では帰れないのも、それはそうなんだけど、連れ帰ろうとか考える必要は無いって思ってた……。
でも、こんな状況なら話は変わってくるよ……」
そこまでで桃太郎は顔を上げ、安寿の手を取って、
「安寿、帰ろう。神門神社へ」
横から岩が、
「はあっ? 何言ってんすかあんた! 」
しかし完全無視して続ける。
「安寿は、ずっと寂しかったんだよね? でも、もう寂しい思いはさせない。
神社を囲う木々を手入れして境内を明るくして、近所の子供たちに遊びに来てもらえるようにしようって考えてる。神門神の縁日にお祭りを開くのもいいよね。オレの代になってから全然関わり無かったけど、町内会とか近くの商店街の方々に相談してみるよ。
安寿だって神社の外に出ていいし、他の同じ年頃の子供と同じように学校だって通える。そう出来る方法を見つけたんだ」
(…話は変わってくる……。そうだよね。本当に帰れるかどうかは別として……)
岩は桃太郎の手を安寿から外そうとしながら、
「安寿様を連れてじゃ、おばば様は送って下さらないっすよ! ほら、手を放すっす! 」
そんな岩を、安寿は、そっと空いているほうの手のひらを見せて制し、
「ごめんね、桃太郎。アンは行かないよ」
その凛とした態度に一瞬、桃太郎と岩は息を呑んだ。唯以外のその場の他3名も無いはずの息を。姫と呼ばれる存在に、相応しい態度。
(「行かない」……。「行けない」でも「帰らない」でもなく……。「桃太郎たちの世界」なんてふうにも言ってたし、もう、ここがアンちゃんの居場所なんだな……)
ハッと我に返った桃太郎が食い下がる。
「目を覚まして、安寿。安寿は利用されてるだけだ。こんな言い方したくないけど、安寿は、お母さんとお爺ちゃんを殺した相手に、いいように使われてるだけなんだよ。大切に優しくされてるのも、使いたいっていうズルい考えからだ。それに……」
少し言い淀んでから、
「雉子君や猿爪君や犬吠埼君からは身勝手だって思われるだろうことを言うと、安寿が戦おうとしてるのは世界を壊せてしまうような敵だって話だよね? 安寿は、死んでしまうかも知れない。…そんなの、嫌だ……。どこか遠くででも生きてくれてるなら、それでいい。けど、死んでしまったら、オレは本当にひとりになってしまう……。
失くしたく、ないんだ……! 」
最後は、吐き出すように。
(…桃太郎さん……。
これまで、桃太郎さんがアンちゃんのことをどう考えてるのか、いまひとつ分からなかったけど……)
安寿は、小さな手を伸ばし、ピトッと桃太郎の頬に触れる。
「アンがいなくなっても、桃太郎は、ひとりにはならないよ? 」
優しく優しく穏やかに、まるで年齢が逆転したかのよう。言って聞かせる口調で、
「マーシーもワンちゃんもギシちゃんもいるし、アンの面倒を見なきゃいけなくなる前に一緒に遊んでたお友達もいるでしょ? そのお友達に『遊ぼ』って言えばいいんだよ?
アンを育てるの、大変だったよね? 桃太郎たちの世界にいた最後のほう、アン、生まれてきたの嫌だな、って思っちゃってたけど、こっちに来て、お父さんに『助けて』ってお願いされて、ユイちゃんやガンちゃんに会えて、よかったなって。それは、桃太郎がアンのこと投げ出さないで、ちゃんと育ててくれたからだから……。それは、感謝してるから……だから、ありがとう。
…桃太郎は、アンがいいように使われてるだけって言うけど、それって、アンがいて嬉しいってことでしょ? 優しくしてくれるのはズルい考えからだって言うけど、本当にそうなんだとしても、心の中なんて、どうせ見えないもん。見えるとこ聞こえるとこ触れるとこが優しいのが、あったかいよ。
それにね、アン、たくさんの人を死なせちゃったでしょ? その人たちの命は戻らないけど、でも、だから、今まだある命を守れる力がアンにあるなら、アンが守りたいって思う」
……月の晩に捩じれた地よりきたる躯鬼
己が半身と出逢ひて世を救わん…………
「躯鬼」は古くは「玖姫」とも。「玖」の漢字の意味は「黒色の美しい石」。
(…言い伝えの「くき」はアンちゃんなのかも知れないな……。文章に当てはめてみると、うん、唯さんよりアンちゃんだ……。
感じた違和感は、いや速すぎるけど、成長か……)




