第20話「片翼の天使」
小鬼田からの品を渡すだけ渡し、犬吠埼・桃太郎・猿爪・雉子からの口々の礼を受け取って照れたようにぶっきらぼうに、
「…じゃ、気をつけて……」
言ってから、村へ帰るべく一同へ背を向けて少し距離を取り空へ視線を向けて翼を動かしかけた翔を、
「あ、ちょっと待って」
桃太郎が呼び止める。
顔だけで振り向く翔。
「翔君、体を診せてくれる?
気になってたんだ。本当はまだ安静にしていてもらいたいところを、仕方のないことかもしれないけど何かと動いてしまっているから」
(うん、そうだよね……。昨日、怪我したその日には牛鬼の方々と機巧兵団が村へ来て、今日は始鬼遥のとこの方に岩を落とされて……。
話を聞いてると、この世界は僕たちの元いた世界に比べてちょっと暴力的な世界ではあるみたいだけど、これが日常ってわけじゃないよね……。今日のは完全に、昨日のも僕たちが関係してるっぽいし……。
非常事態だから仕方ないけど、やっぱ、そのせいで悪化とかしてそう……)
「オレなんかに診られるのは気味が悪いかもしれないけど」
(いや、翔君はそんなこと思ってないって……。
あんなこと言われて石まで投げられたばっかで、そういう思考になっちゃうのは無理もないし、僕も言っちゃう時あるけど、言われる側の立場からしてみたら失礼なんだよね……。それでさっき先生も怒ってたし……。あと正直面倒くさい……)
翼を元の位置に収めて全身振り返った翔に桃太郎は歩み寄り、時折手で触れながら体中を至近から隈なく見、
「…すごいね……」
感心したような溜息。
「健康そのものだよ。疲れもみられない。きっと、自然治癒力がとても高いんだね。呪力量の影響かな? 」
翔は桃太郎の言葉にちょっと「? 」となった様子。それから、何か言いたげにモジモジ。
ややして、
「…でも、さ……」
ボソッと口を開いた。
「オイラ、姉ちゃんたちに怒られた後、アンタが早めに治してくれてなかったら死んでたよ。…だから……オイラは…父ちゃんも母ちゃんも……アンタには、感謝…してて……。アンタがいてくれたこと、よかったな、って……。…だから…その…あの……」
目を逸らし小さな声で紡ぐ翔を、桃太郎は貼りついたように見ている。
もう限界といったふうに、夜なのであくまで雰囲気だが頬を真っ赤にして、深く俯く翔。そのまま数秒。思いきったようにバッと顔を上げて真っ直ぐに桃太郎を見つめ、
「ありがとう」
しかし直後に身を翻し、
「それだけ! じゃあなっ! 」
バササッと宙へ。
「気をつけて行けよっ! 」
逃げるように飛び去って行った。
翔を見送る桃太郎をチラ見する犬吠埼。
桃太郎の横顔に晴れ間が見える。
(…翔君……こちらこそ、ありがとうだよ……)
翔を見えなくなるまで見送り、小鬼田の勧めてくれた場所へと地図を見ながら月明かりを頼りに歩き出す犬吠埼・桃太郎・猿爪・雉子。
2本の曲線で表現された道と目印のみで構成された明らかに手描きの地図では距離など当然分からないし方角もあやしいが、目的地があるというのは何とも心強い。
桃太郎を、疲れているだろうと途中から背負って歩く犬吠埼。
眠っちゃっていいですよ、と言ってあったのだが桃太郎は眠らず、申し訳なさげに時々、気遣う言葉をかけてきた。
どうせ起きているならと、犬吠埼は、先程後回しにした疑問を口にする。
もしかして先生や会長や僕を治療する時は治癒より原状恢復のほうがよいのでは? と。
猿爪が、
「ボクもさっき、原状恢復が生物に干渉しない…つまり非生物専用みたいなところがあるって知って、同じことを思ったよ」
同調し、桃太郎へと視線を向け、続ける。
「桃太郎さんは昨日、一度治したことのある箇所は治りにくく感じてるって言ってましたよね? 原状恢復だったら、どうですか? 」
桃太郎は、あー……と少し困ったように苦笑。
「気づいちゃったんだね? その通りだよ」
言い辛そうに、
「…実はね、君たちを治す時は初めから治癒じゃなくて原状恢復をしてたんだ……。『治癒』って発声しながら口は『原状恢復』って動かしてた……」
(…そうだったんだ……! なんか、よく分かんないけど腹話術の応用編みたいなっ? スゴイ! 器用っ! )
「…遺体を物扱いするのは、失礼な気がして……」
(…そっか……。そんなふうに気を遣ってくれてたんだな……)
*
繁茂する木々の葉の僅かな隙間から、空が明るくなってきていることが窺える。
足元の不安定な山の中の獣道を、山に入る際に「摘んで持って行け」とでも言っているように都合良く咲いていた夜光花で照らしながら歩く犬吠埼・猿爪・雉子。ここを抜ければ目的地だ。
平地に比べどうしても揺れたのか、(地図上での)道程中ほどと思われる辺りから眠っていた桃太郎が、
「ん……」
犬吠埼の背で目を覚まし、
「あ、ごめんなさい! 本当に寝ちゃってた! 」
急いで下りようと動いたため、
(あ……っ! )
犬吠埼はバランスを崩し、転びそうになる。
咄嗟に支える猿爪。
雉子が、
「ほら、暴れないの! 」
母親口調で言う。
「もうちょっとで着くみたいなので、このままでいいですよ」
言いながら歩を進める犬吠埼。
小さなカーブであるため全く先の見えなくなっていたところを曲がった途端に視界が開けた。
頭上を覆う枝葉が無くなり、己の役目の終わりを悟ったように夜光花が光を失う。
目の前に水の澄んだ綺麗な池。その向こうに、犬吠埼や桃太郎は少し身を屈めることになりそうだが人が立ったまま入って行ける程度の高さの洞窟の入口が見えた。
(…着いた、のかな……? )
そして一歩、踏み出した瞬間、タタタタタッ!
(っ? )
見覚えのある投矢が地面に刺さり、一同の足を止めた。
鴉鬼葉だった。
(鴉鬼葉さん……)
鴉鬼葉は、池の上の宙からこちらを見下ろし、
「貴様らか」
犬吠埼たちを認識し、新たに構えるところだった投矢を下ろして高圧的に、
「去れ」
(…まあ、他に誰かいるんじゃ……。巻き込むといけないし……)
と犬吠埼、似たようなことを思ったであろう他の一同と視線を交わして頷き合い、揃って踵を返した。
(鴉鬼葉さん元気そう……。一昨日の夕方、ああいったションボリする別れ方をしたっきりで、翔君、心配してるだろうから、今度、偶然にでも会ったら、元気そうだったとだけでも教えてあげよう)
そこへ、
「待ッテクダサイ! 」
頭の中へ直接、鈴の鳴るような可愛い声が響く。
振り向く犬吠埼。
天使が舞い降りたのかと思った。
生まれたばかりの陽をキラキラと纏い佇む、両目を包帯で隠した全体的に色素の薄い片翼の少女。
「鴉鬼葉チャンノオ知リ合イノ方デスカ? 」
「リテュシ」
鴉鬼葉が少女の隣に降り立つ。「リテュシ」は名前だろうか?
「知り合いというほどではないよ」
少女・リテュシ(仮)へ向けられる鴉鬼葉の眼差しと声が優しくて、犬吠埼は、へえ……となる。これまで、険しいところしか見たことがなかったので。
「ソウナンデスネ? デモ悪イ方タチニハ思エマセンヨ? ソレヲイキナリ『去レ』ダナンテ……。
コンナ朝早クニコンナ所ニイラッシャルナンテ、キット何カ事情ガアルデショウ? 困ッテラッシャルナラ助ケテ差シ上ゲナクテハ……」
(リテュシ? さん? って名前かな……? いい人そう……。……ブラナークさんたちと似てる。……日空人、なのかな……?
そう言えば、ブラナークさんたちの捜してる人って、「とても稀な片翼」って話だったけど……)
「ハイ、『リテュシ』ハ名前デス。日空人デス。ブラナークノ妹デス。兄ヲゴ存知ナノデスカ? 」
犬吠埼の頭の中での発言に答えるリテュシ。
(…ブラナークさんの、妹……? )
と、鴉鬼葉がハッと、これまでに見てきたいつもの険しい表情に戻り、
「貴様ら、考えるのをやめろ! 」
鋭く、だが声量は抑え、
「あまり大声で考えると結構遠くまで聞こえてしまう! 」
直後、
「ザーンネン! 手遅レデース! 」
鴉鬼葉とリテュシの間から、ブラナークの仲間のうちパーマヘアのドローが、ヌッと顔を出し、ヒャハハと笑う。
(…いつの間に……? 「残念」「手遅れ」って、何かこれ、ひょっとして鴉鬼葉さんにとって悪い状況……? )
宙から、ほっそり小柄なフォーツが降りて来つつ、
「大体コノ辺リナンジャナイカッテ、目星ハ付ケテタンダケドネ」
瞬間、ドンッ!
鴉鬼葉が犬吠埼たちのほうへ向かってリテュシを突き飛ばした。
(えっ? 何っ? 何っ? )
ヨロけ転びそうになったリテュシを、たまたま一番近くにいた雉子が反射的に受け止める。
鴉鬼葉が叫ぶ。
「リテュシを連れて逃げてくれ! 頼む! 」
軽く浮かび上がり、まだ降りて来る途中だったフォーツの背後斜め上へと素早く回り込み、しがみついて、急降下する鴉鬼葉。ドローを巻き込んで地面へ墜落した。
(鴉鬼葉さん……っ? )
そのまま2人を押さえつつ、再度、
「頼む! 連れて逃げてくれっ! 」
直後、ドガッ!
鴉鬼葉の体が後方へと大きく仰け反る形で弾かれ、解放されたフォーツとドローが身を起こして犬吠埼たちのほうへと踏み出す。
同時、バターンッ!
見事に突っ伏した。
鴉鬼葉が2人の脚を掴んだのだ。
再び地面へと押さえつけながら、鴉鬼葉は鼻と口から流れる血をそのまま、変形してしまっている顔を苦しげに犬吠埼たちへ向け、
「早く! 私が足止めしているうちに! 」
その声と様相の迫力に圧され、犬吠埼は何が何だか分からないまま、何となく背負ったままだった桃太郎のことは片腕で支え、受け止めた流れでリテュシを抱き上げた雉子がその垂れた翼の先端を踏まないよう空いた手で軽く持ち上げてやりながら回れ右。
背中で桃太郎が略拝詞を唱える。ファサッファサッと頭上で大幣の揺れる気配。
「彌鳥! 」
刹那、
(っ? )
ジェットコースターの垂直落下時のような内臓が宙に浮いた感覚があった。
見れば実際、足が地面からは離れている。なだらかな丸みを帯び渋めの緑色をした安定感のある何かに、犬吠埼だけでなく猿爪・雉子も、地面に立っていたそのままの姿勢でバランスを崩すことなく全身を持ち上げられていたのだ。
犬吠埼の背から「何か」の上に下りて、桃太郎、
「自分たちで走るより彌鳥の甲羅に乗せてもらったほうが速いから」
犬吠埼は、え……? となる。
桃太郎の発言から、自分たちの足下の「何か」は首だけでも昨晩の自称大人少女の大きな岩より大きかった彌鳥の甲羅。自らが上に乗っているので当然全体は見えないが、その大きさは測り知れない。
(そんな大きな体で動いたら、周りの木とかに影響が出るんじゃ……? あと、生き物がいた場合とか……)
犬吠埼がそういったことを考えている間に、
「彌鳥! よーい、どんっ! 」
桃太郎の掛け声で走り出す彌鳥。
木々のてっぺんくらいの高さまで浮上し、体の大きさによるイメージに反して宙を舞うように軽やかに駆ける。
動き出す前にいた辺りを振り返って見ても、木々が倒れたりなどはしていなかった。
(なんか、大丈夫だったみたい……)
「鴉鬼葉チャン……! 」
雉子の腕の中、リテュシが悲しげに、最初に犬吠埼たちを呼び止めた時もそうだったが両目を隠しているにもかかわらず見えているかのように、鴉鬼葉のほうへ手を伸ばす。
見えていても距離のせいで、池の近くに誰かいるな……程度にしか見えないが。
雉子がリテュシの背を優しくポンポン。
その時、遠くの白い人影が2人から4人に増えた。
「#$%&#$%&#$%&ッ! 」
「&%$#! &%$#ッ! 」
「$%&#! %&#$! &#$%ッ! 」
耳を……いや頭の中を劈く、フォーツとドローとあと誰か、おそらくブラナークの仲間・体格の良いタイガの、混乱した声。
それから、
「先ニ行カレタ方々ヨリ、貴女ノホウガ逃ゲ上手ソウデス」
鴉鬼葉に向けたものだろうか? ブラナークの声。
「ソシテコノ日空人ノ彼ラヲ足止メスルノハ貴女ヨリ私デス。妹ヲ頼ミマス」
聞こえたらしく、
「…オ、兄サン……? 」
リテュシが反応する。
昨晩目にした首の形状と現在の足下。それらを踏まえ、
(彌鳥さんは、亀なのかな……? 怪獣映画に出てきそうなくらいに大きそうだけど……)
犬吠埼と桃太郎・猿爪・雉子・リテュシを乗せ、彌鳥は宙を駆ける。
雉子の胸に凭れ項垂れているリテュシ。
(…これって、どういう状況なんだろ……? 事情の説明とか……。
…今は無理か……)
日空人であるリテュシ、犬吠埼の頭の中の声が聞こえたか、犬吠埼のほうへ顔を向けた。
瞬間、強風と共に鼻先を黒い影が掠め、リテュシの姿が忽然と消える。
(……っ? 消えた……っ? )
姿を求めて視線を移動させる犬吠埼。
彌鳥の進行方向、まだ犬吠埼から手の届くくらいの距離に、黒い翼を持つ背中。
(…鴉鬼葉さん……)
一瞬停止、上体を捻って振り返った鴉鬼葉。そこにリテュシはいた。大事そうに、しっかりと抱かれて。
鴉鬼葉、
「助かった。恩に着る」
小さく早口で言い、彌鳥の進んでいる方向そのまま飛び去って行く。
(…うん、役に立てたなら良かった……かな? )
結局何だったのか分からないまま見送る犬吠埼。
それは他の面々も同じで、猿爪、見送りつつ独り言のように、
「何だったんだろうね? 」
そうね、と同調してから、やはり見送りながら雉子は微笑ましげ、
「やっぱり姉弟ね、似てるわ」
「彌鳥、止まって」
桃太郎が彌鳥の移動を止める。
雉子、
「これから、どうしましょうか? 」
見送っていた視線を他の3名へ向け、
「さっきの洞窟と池のある場所へ戻る?
鴉鬼葉サンたちは日空人の方々から逃げているのだから、見つかってしまった以上、あの場所へは戻らないでしょうし」
でも、と猿爪、
「ボクたちは今、日空人の方々の邪魔をしたことになるんですよね? 戻ると会ってしまう可能性が高いと思うんですが、報復されたりしないですかね? 彼ら、強そうですけど」
(…確かに……)
と、その時、一同の頭上を、一同のことなど全く意に介していない勢いで、フォーツとドローが、鴉鬼葉たちの行ったほうへ飛んで行った。
反射的に目で追う犬吠埼。
フォーツとドローは、既に遥か彼方、黒い点となってしまっている鴉鬼葉たちとグングン距離を詰めていく。
少しもしないうちに追いつき、ややして、
「鴉鬼葉さんっ! 」
犬吠埼の口から思わず声が出た。黒い点が落ちていくのを見て。降りているのではなく、落ちているように見えたため。
鴉鬼葉と同じく点になっていた、白いため非常に見えづらい2つの点が遠ざかり更に小さくなって完全に見えなくなる。
(追って降りないってことは……)
鴉鬼葉が降りているのではなく落ちている、もっと言えば落とされたのだということが、ほぼ確定。
(鴉鬼葉さん……! )
鴉鬼葉のもとへ行くべく彌鳥から降りようとした犬吠埼の腕を咄嗟に掴んで止め、桃太郎、
「彌鳥、よーいどん」
*
雉子が、んー……と難しい顔をし、
「大体、こんな感じでよかったと思うのだけど……。強いて言うなら、鼻はもう少し上向きのキュートな鼻だったかしら……? 」
隣で猿爪、
「他人の顔って、見てるようで見てないんですよね」
(そうかも……)
犬吠埼も頑張って鴉鬼葉の顔を思い出そうとするが、どうも自信が無い。
落下した鴉鬼葉のもとへ彌鳥に乗った一同が駆けつけた直後、頭上を、グッタリ動かないブラナークを抱えたタイガが通過していったことで、洞窟へ戻って大丈夫であると判断、意識の無い鴉鬼葉を連れて戻り、洞窟内に小鬼田から渡されていた筵を敷き寝かせて治療開始。3時間ほどかかって、あとは潰れてしまっていた顔の形を整えるのみというところまで漕ぎつけたのだが、そこで躓いてしまっていた。
桃太郎が小さく息を吐き、鴉鬼葉の顔に向けていた大幣を下ろして、
「一旦ここまでにしておいて、彼女が目覚めてから本人に聞きながら手直しするよ」
言ったところで、パチッ。鴉鬼葉は目を開けた。
眼球だけを動かして周囲を見回し、ガバッと起き上がる鴉鬼葉。
「リテュシはっ? 」
リテュシは犬吠埼たちが駆けつけた時、周囲を捜してみたがいなかった。
猿爪がそう伝えると、鴉鬼葉は突然立ち上がり、走って洞窟入口へ。
(鴉鬼葉さんっ? )
いきなり過ぎる行動への驚きによる反射で追いかけた犬吠埼の目の前、外へ出るなりバサッ! 鴉鬼葉は舞い上がる。
生じる強風。両腕で防ぐ犬吠埼。風が治まり空を仰ぐと、もう鴉鬼葉の姿は無かった。




