七十話 何だか静かすぎます
少しだけ冷たいような何かが頬に触れる。
嫌な気分はしなかった。懐かしいような気分を思い起こす。
前にもこんな事があったような……。
淀んだ意識を掬い上げるように意識がはっきりとしていく。
そして、目が合った。
穏やかな表情……そして深い蒼の瞳。
見慣れた黒に近い色に安堵する。
俺の頭に添えられた手の重み。
後頭部の柔らかな感触。
ルリが俺の目の前に見える。
あれ? 熱を出していたんじゃなかったっけ。
俺が膝枕されている?
「ルリ! 熱は!?」
「……おはようございます、カイト。おかげさまで熱は下がりました。ありがとうございます」
「ああ、悪い。またルリに……」
起き上がろうとすると、ルリに止められた。
「……そのままで。わたしは諦めていました。魂は一つであろうとするためにどちらかの魂が消滅するのです。ここまで長く魂が残ったのは、お互い譲り合ったからなのだと思います。そして、カイトはわたしを救ってくれました。でも……」
「そうなるとフォーレリアの魂は消えてしまうのか」
「……そうなります。まだわたしのここに残ってはいますが、いずれどこかで消えてしまうでしょう」
「まだ魂が残っているってことは……意思疎通みたいな事はできるのかな?」
「……反応はありませんでした。おそらく、過去の制約が問題なのでしょう」
「フォーレリア自身の存在を懸けた時の制約みたいのが残っているのかな。安易に蘇生させたせいでって言ってたし、神様も昔の話だから忘れていたのかもね」
「……母様のお考えは分かりかねますが、きっと新たに創った魂であれば蘇生ができると行動に移したのかもしれません」
「神様は内心は……」
驚いていたと言いかけてやめた。
ルリには言わないと誓って話を聞いたからなぁ、一応。
それに不安を持っているって知ったらショックだろうし。
「……内心は……何でしょうか?」
「いや、内心は……きっと何も気にしていない。気にしなさすぎて、周りが大変になったりしているかも……」
と言いかけて途中で気がついた。
さっきまで穏やかなルリの表情が消えている。
少しだけ怒ったような顔をしていた。
「……それは、何だか母様に対する侮辱のように聞こえます。母様は常に世界の全ての種族に対して気にかけているのです」
その一言を言うと、額にあった手が頬に移動すると横に引っ張られる。
まったく痛くないけど、変な汗が出てくる。
でも、どちらかといえばルリは拗ねているようにも見える。
「……二回目です」
「いや、ふぉめん。|ほんなふもりはなはった《そんなつもりはなかった》」
「……仕方がありませんね。もうそんな事を言っては駄目です」
「わ、分かった。分かりました……」
よく分からないけど神様より別の意味で怖かった。
ルリは納得したのか、また俺の頭に手を置いてくる。
しばらくこのままでいるのも悪くないな。
「……カイト。今日はどうしましょうか」
「そうだなぁ。町の中をぐるっと回ってからレノの様子を見に行こうか。ウォルフたちもいるだろうし」
「……そうですね。念のためレノさんの身体の状態は確認しておきたいです」
「レノの体の中にいた病原の根って、この世界では病気だったら何でもそう呼ぶんだよね。だとすると他の人も病気になったら黒い塊が飛び出したりしてくるの?」
おそらく思考を巡らせているのだろう。ルリの手が止まった。
目がどこか虚空を見つめるように無表情になっていた。
「……わたしには見えませんでした。ですが、その存在は感じました。カイトの言う黒い塊は、魔力を集めていたという話でした。しかし、病原の根は単なる病気です。そこに意思はありません。母様からいただいた知識にも該当するものはありませんでした」
「やっぱり異常な事だったのかぁ……」
ルリが知らなかったらウォルフたちに聞いても同じだろうし、どこかで聞くしかないか。
一番知っていそうな人か……俺が知っている人で考えると一人しかいないか。
でも、すぐには連絡取れないんだっけ。
「『あのお方』って誰なんだろう」
ルリの視線が下がってきて、俺と目が合った。
さっきもこんな感じだったけど、違ったのは何か言いたげな顔をしているという事だ。
その口が開きかけた時、ドアをノックする音が聞こえた。
「……あ、わたしが出ます」
ルリがドアに向かうと、少しの会話の後に戻って来た。
「何の話だった?」
「……もうすぐ朝食のようです。行きますか?」
「せっかくだから食べようか」
俺とルリは食堂で朝食を終えて、外に出る事を伝えると一旦広場に向かう。
広場には人影は無く、ルリと二人だけだと何だか寂しく感じる
あれ、昨日はいたのに。まだ朝だからなのかな。
「朝食で出た〝庶民のクロワッサン〟ってやつ美味しかったね」
「……外側はサクサクした食感で中はモチモチでした。ほんのりした甘みとバターの風味がとても美味しいものでした」
ルリは思い出したように、「はぁー」と息を吐くと味を思い出しているような表情をしていた。あの庶民のクロワッサンは、多分だけど転移した人が広めた物なんだろうなぁ。
まさか、この異世界で食べられると思わなかった。
そうなると米もあったりするのだろうか。
「……カイト、何だか静かすぎます。この町の中だけマナサーチが反応しません」
「そんな訳な……あれ? 本当に反応が無い!」
マナ・サーチによって戻ってくるはずの魔力の波がまったく感じられない。
どうなっているんだ。
魔力の反応が無いなんて事があるのか?
―――ギギギィィン、ギギギギギ!!
甲高い耳障りな音が鳴り響くと、ガラスを割ったような音が聞こえた。
何だこれ、何かが壊れた?
「ルリ! これってどういう事?」
「……今の音の原因ですが……町にかけた魔法が破られたようです」
冷静なルリの声で逆に、これから何かが起こるのだろうと不安を覚える。
だけど、受けた依頼の事や神様からルリを頼むと言われたのを思い出す。
もうやるしかないと覚悟を決めるのだった。
庶民のクロワッサンは庶民の食べ物です。




