二十三話 我は天を焼燬してみせよう
……海竜様が私たちを見ています。
赤い目をした海竜様からは、先程とは比べ物にならないくらいの重圧を感じます。自然と身体が震えてきて、私は地に膝をつきました。そして、祈るように海竜様に向かって目を合わせました。
『贄はどうしたのだ! あのカイと言う男はどこへ行った!』
「ふぅーん? そういう事」
ロザリアさんは一人で納得したように頷いていました。
「か、海竜様! 私はフォーレリアと申します。どうか、話をお聞きください!」
私は震える身体を無理やり抑え込むように、重ね合わせた手で押さえながら海竜様に祈りました。せめてこの声が届くようにと。
『不浄な輩の声は聴かぬと何度言えば……んん? 何だ貴様は……まさか『清浄の巫女』か。……いいだろう、清浄の巫女となれば一考する余地はあるだろう。聞こうではないか』
清浄の巫女? 私は神託の巫女のはずですが、海竜様の意識と違うのでしょうか。横目でロザリアさんを見ると、仕方がないというような態度で口を開きました。
「昔は単に巫女となる者に純潔を求められていたのさ。それが清浄の巫女と呼ばれていたんだよ。時代が変わったのさ……神からの神託を授かることが主体となって、いつしか神託の巫女になったのさね」
海竜様の中では巫女を神託の巫女ではなく、清浄の巫女と捉えているのですね。
『貴様は……不浄の輩ではないようだな。以前に来た巫女共はどれもこれも、穢れておったわ。我は不浄の輩と話をするつもりはない』
おそらく王国から派遣された巫女達の事でしょうか。その日から雨が強くなった気もします。
「海竜様、お願いです。もうこの大地を雨で覆う事をお止めできないでしょうか!」
『それは叶わぬ願いよ。我が怒りはこの『海竜石』を破壊した人間どもが原因なのだ。破壊した人間を差し出すのだ!!』
この雨の発端は、海竜石が破壊されてしまったことにあります。破壊した人間は今まで分かりませんでしたけど……おそらく私の考えは間違っていないはずです。
「破壊した人間は……カイ……で間違いありません。彼は……彼の本当の名はダナグアスと言います!」
また、ダナグアスと嘲笑うように言った姿と、優しかったカイおじさんが重なって、自然とまた涙が出てきました。胸が苦しい……こんなにも苦しくて悲しい事なんてなかったのに。
『フォーレリアと言ったか。何故泣くのだ?』
「悲しい事があったからです。私はカイ……いいえ、ダナグアスに騙されていました。海竜様もダナグアスに騙されているのです。彼は言ってました『この騒動にも反応しない』と。つまり、この騒動の原因を作ったのはダナグアスで、海竜石を破壊した人物という事になります」
「ほう……助け舟でも出そうと思ったが、必要ないみたいだね」
ロザリアさんは満足そうな顔で頷いていました。どうやら、間違ってはいなかったようです。
『カイがダナグアス……そ奴が海竜石を破壊しただと? あんなひ弱な人間如きが破壊できる代物ではない』
「海竜よ、あんたボケたのかい? ダナグアスなら破壊することができるのも納得いくだろう?」
『ダナグアスだと……ぐぅぅっ! 何だこの霧がかったものは! 分からぬ……ダナグアス……など、我は知らぬ、知らぬぞ!』
海竜様から大人の高さの水が何個も浮かび上がってきました。
渦巻き、飛沫を上げながら水球がロザリアさんに向けて同時に飛んでいきました。
「何だいそりゃ! 腑抜けてるんじゃないよっ!」
一瞬でいくつもあった大きな水球が一瞬で燃え尽きてしまいました。
ロザリアさんの魔術は凄いです。火は水に対して弱いはずなのに、そんなのはお構いなしに一瞬で燃やし尽くしてしまいます。
『馬鹿な! 我が海の力が消されるだと!? そんな事はあり得ぬ!』
「あり得ぬじゃないさね。いいかい、竜とは力の均衡を守るための種族なのさ。それが何だい、均衡を守るどころか無暗に力をふるい混乱を自ら招くとは……」
ロザリアさんは静かに目を閉じたまま、手のひらを前に出して自分の口元に持ってくると、こう言いました。
「以ての外さね!」
てのひらの上に息を吹きかけると、とてつもなく巨大な炎が海竜様を飲み込みました。さっきから何の魔術を使っているのか、私にはまったく分かりません。これは本当に魔術なのでしょうか。
『グゥゥゥッ!! 何だ、何なのだ、この炎はっ!! 我が炎になぞ、負けるはずがない!!』
海竜様が炎に包まれたままで、とても消えるようには見えません。海竜様の鱗を焼き、少しずつ剥がれていくのが見えます。
「海竜様ともあろうお方が、どうしたのさね? 人を喰らい過ぎて耄碌でもしたのかいっ!!」
『おのれ!! 人間め!! どこまで我を馬鹿にする!!』
消えない炎に対して、海竜様は自身と同じくらいの水球を頭上に創り上げていました。それを自らに落とすと水球に包まれた海竜様の炎がようやく消えました。
『いいだろう! ならば大陸全土を大海で侵食してやろう!』
―――конген тару уми но ясу раги ё
―――а ре куру у уми но ика ри wо коно
―――ми ни ядо си
急に辺りが少し薄暗くなりました。見上げると見渡す限りの海水が広がっていました。……これは、海が頭上にあるで変な感覚ですけど……これは、とても恐ろしい事です。もし、全ての海水がこの地上に落ちたら……。
「ロザリアさん! 大変です! 空に……空に海が! 海があります!」
「分かっているさね。実はね、少し楽しみだったのさ……これは絶対戦いになる予感が私にはあった」
「何言ってるんですか! これは楽しめませんよ!」
「ふふっ、……そうさね。だが、ちょっと期待しすぎたのかもしれないね」
ロザリアさんが、また巨大な炎をてのひらから吹くと海竜様を飲み込みました。ところが、今回は海竜様が燃えるようなことはありませんでした。どうしてでしょうか。
「ロザリアさん! 効いてないみたいですよ!」
「これは竜魔法だね。詠唱の間は無防備になるんだけどね……竜魔法はその欠点がないのさ。それは自身に結界を張りながら詠唱を行うからなんだよ」
「そ、そんな……。それでは、一度でも詠唱が始まれば止められないということですか!」
「結界を破れば、詠唱は中断される……けど、そんな事が出来るとはあまり考えないほうがいいだろうね」
「竜と人……ここまで差があるのですか……」
「竜は人間にはない独自の竜脈を持っている。魔力の通り道が人間とは別にもう一つあると思えばいいさね。このおかげで超越した魔力を扱うことができるのさ。普通の人間には、おそらくこの魔法が神が使うレベルのものだと勘違いするだろうね」
「でも……空が全て海に……こんなのって……」
空を埋め尽くす海は荒れ狂っています。
いつ上空を覆う海が落ちてくるのか気が気ではありません。
海竜様の詠唱はまだ続いています。
ゆっくりとした詠唱が、魔法は確実に行使されるものだと確信するかのような響きで落ち着くことができません。
―――сизу ка нару нами но ю рамеки
―――де секаи wо ми та се
詠唱が終わったのが分かりました。
これから何が起こるのか……絶望的な光景でしかありません。
防ぐ事など考えもできないような海が上空で荒れ狂っているのですから。
『無駄だと思って諦めたか。詠唱は終わった。後は貴様らの絶望の顔を見ながら、その最後を見届けるとしよう』
「ま、どうでもいい話かもしれないけどね。一応、言っておくよ」
ロザリアさんは、ニヤリと笑いながら言います。
この状況でまだ悪戯っ子のような笑みを浮かべている……余裕がロザリアさんに見えます。
『最後の戯言も悪くない。聞こうではないか』
「竜魔法を使う時は結界を張るものさ。自身ではなく、世界にね。それすらもできぬのならば、ただの魔物と変わりはないさね。……分かるかい? 海竜サーレスよ」
『き、貴様! 何故、我の名を!』
「サーレスよ……貴様が天を海で覆うならば
……我は天を焼燬してみせよう!
慢心なる愚かな竜に裁きを ―――煉 獄 !!」
ロザリアさんが……空に、天に向けて指で示すと真っ赤な……真紅ともいえる眩いほど明るく熱い炎が放たれました。それは徐々に大きくなり……空を覆う海に届いた瞬間に、全てが朱色に染まりました。
まるで悲鳴を上げるかのように、海が地上へと押し寄せるのも一瞬の事で……あれだけ空を覆っていた海が消えてしまいました。
あれは……魔法……これが本当の魔法なのでしょう。
絶望しかなかった状況が一転してしまいました。
不思議な事に海竜様まで、あの真紅の炎に焼かれていました。
『馬鹿な……我まで……そういう事か!』
「自身まで焼かれてやっと気が付いたのかい? 煉獄は全てを焼き尽くすのさ。あんなに強力な竜魔法を使ったんだ、繋がっている部分を含めて全て焼かれてしまうよ。いつでも放てる状態にしたのが仇になったのさね」
繋がっている部分……海竜様がいつでも魔法を放てる状態にしたことが関係しているようです。おそらく留めていた事で繋がっていたという話なのだと思います。
そうだとしても、それだけの事で海竜様まで煉獄によって焼かれてしまうなんて……これこそ神に匹敵する魔法なのではないでしょうか。
『………』
海竜様は何も言わずに止まったままでした。
ズルっと何かが剥がれるような音がしますけど、それだけで海竜様は動きません。
「ふん。堕ちたもんだね。なら……そのまま消えるといいさね」
燃えたままの海竜様が少しずつ崩れ落ちています。
誰もが倒せなかった海竜サーレス様が、ロザリアさんによって倒されました。
人智を超えた力……明らかに人間の領域ではない魔法……あの吐息のように吐き出した大炎……竜の知識……海竜様を呼び捨て……まさか……ロザリアさんは……。
「はぁ、こんなものなのかねぇ」
ロザリアさんがこちらに振り返ると、小さな水滴くらいの大きさの粒が周囲に浮かび上がって箱型の水壁になって閉じ込められてしまいました。
『油断したな、人間よ! 我は清浄の巫女を喰らい回復しようぞ!』
海竜様が崩れ去って消えた場所から、あの巨大な蛇のような姿が見えました。
ロザリアさんを見ると、一瞬で水壁は燃えていました。
「フォーレリア!!」
ロザリアさんの叫ぶ声が聞こえて、私は閉ざされた暗闇の中にいました。
一瞬だけ海竜様の開いた口が見えました。
……おそらく私は食べられてしまったのでしょう。
……私は死んでしまったのでしょうか。
ずっと、暗いままで何も見えません。
これが死ぬという事……。
ふいに声が聞こえてきました。
私にとっては、とても懐かしい声です。
「久方ぶりじゃな、フォーレリアよ」
その声は四年ぶりに私に届いた、心安らぐ神様の声でした。




