二十二話 泣いてはいけないのですか
カイおじさんが笑っていました……嫌な……私の嫌いな笑みでした。
今から海竜様にお会いするというのに……。
ロザリアさんは子供が悪戯をする前のような笑みでした。子供は何かしてくるってすぐに分かるのでちょっとザワザワするのですけど……ロザリアさんは何をしようと……。
しばらく無言のまま歩き続けると、ロザリアさんが急に足を止めました。
私もロザリアさんの隣で止まります。
カイおじさんはまだ歩いていました。
「ふぅーむ……この辺りかね?」
カイおじさんも歩みを止めて、こちらを振り返りました。
嫌な……どうしてそんなに嫌な笑みをするのでしょうか。
「カイおじさ……」
「ちょいと、御免よ!」
突然、腰のあたりを強い衝撃を受けて私は飛ばされました。
「ふぐぅっ!?」
何度か地面の上を転がると、ロザリアさんに蹴られたと分かりました。
蹴り飛ばされた割には、痛さはなかったので押されたような感じで蹴られたということでしょうか。でも、何でいきなり蹴るのでしょうか。
「ロザリアさん! どうして蹴る……」
地面が揺れて、さっきまで私が居た場所から巨大な何かが飛び出しました。
―――ズズ……ドガガガガ!!!
地面を食い破るように伸びてきたものがありました。
それは巨大な蛇のような青く、硬そうな鱗に覆われていた長い首。
頭部から伸びている二本の角……そしてこの圧倒的な存在感。
その威圧的な表情に私は動けませんでした。
これが海竜様……なのですか。
ロザリアさんが蹴ってくれていなかったら、私は……。
海竜様が沈むように、出てきた穴から戻っていなくなりました。
そして、カイおじさんが笑っていました。
「くっくっく……フォーレリアよ! そちらのロザリアさんに助けられるとは運がいいのか悪いのか。さっさと海竜サーレスに喰われていたほうが、何も知らずに楽だったと思うのだが?」
「カイおじさん、どうして!?」
「まだ分からないのかい? いや……分かっていて逃げているのか?」
「私は逃げていません! カイおじさん、正気に戻ってください!」
「どうやらこれは、相当重症のようだな。くっくっく……ならばフォーレリアよ、お前が生かされていた理由は何だったのか分かるか?」
「生かされていたってどういう事ですか!」
「お前はただの餌だったのだ。『神託の巫女』のお前が神からの言葉を授かるのならば、いずれ神が接触しに来ると思っていたのだが……当てが外れたようだ。この騒動にも反応しないとはどうなっている」
「神殿からカイおじさんが救い出してくれた日以来、神からのお言葉は無くなりました。だけど、餌ってなんですか? 救い出してくれたのは、あなたですよ!」
「……ここまで話していても、まだ自分が救い出されたと勘違いしているのかい。
フォーレリア……これがお前を救った者の正体だ!」
カイおじさんが身を翻すと、その身に纏う物が変わりました。
……こんなの信じません……。
……嘘です、こんなの信じない!
「どうして、カイおじさんが『黒いローブ』の男なんですか!」
あの禍々しい黒いローブを身に着けたカイおじさんは表情もおかしい。
「私がどうしてカイと名乗ったか教えてやろう。これだよ」
カイおじさんが手にしていたのは、助けてもらったお礼に渡した貝です。この貝は『里帰りの貝』といい、渡された人の元に必ず戻ってくると言われるものです。これを渡した時のカイおじさんは、嬉しそうな顔をしていました。
「この貝を貰った時に、カイと決めたんだよ。フォーレリアは何も知らないかのように、この貝を渡してきたんだ。私は嬉しかったよ。何故なら、記憶の封印という高度な『魔法』が成功したからだ! 神殿を襲った私を慕う君を見て、心底おかしかったぞ!」
「それでも、私は信じています! 四年という間、一緒に過ごしてきたのです。カイおじさんは、操られています! お願いです、目を覚ましてください!」
「そうか、私は操られているのか。なら、この貝はこうしないとな! はーーっはっはっはっ!!」
その手が握られると、私がプレゼントした貝は粉々になって地面に落ちました。雨はいつの間にか止んでいたようです。
私は……今まで神を呼び寄せるための餌だったのでしょうか。今まで過ごした時間は無駄だったのでしょうか……。
「……お願いです……元に戻って下さい……」
「何だそれは……そこは憎しみの目で見るんじゃないのか? 何故、泣く?」
私は泣いていました。悲しさで胸が苦しいのです。
……本当はカイおじさんじゃないって、分かっていました。
分かっていたけど、認めたくありませんでした。
でも、目の前の禍々しさは少しも揺るぎません……最初から違っていたのですね。
「泣いてはいけないのですか……人は悲しい時に泣くものです。あなたは、とてもかわいそうな人ですね」
「この私がかわいそうだと?」
「人の気持ちを踏みにじり、嘲り笑う……そんな事でしか喜びを見い出せない、かわいそうな人です」
「……つまらんな。人とは醜く浅ましいものだ。いつの時代もな。それなのに、お前のような人間がいると私はがっかりしてしまうよ」
カイおじさんは、手のひらをこちらに向けると数本の黒い槍が発現して私に向かって飛んできました。
黒い槍はまっすぐ私の目の前に……。
―――パチン!
指を鳴らした音で、ボフッと黒い槍が全て火に包まれて消えました。
音の鳴った場所を見ると、ロザリアさんが話してきました。
「ショックなのは分からなくもないけどね。そんな感傷に浸っている場合でもないみたいだよ」
「ほう……。このブラックランスを消しただと。ロザリア……お前は何者だ」
「闇属性の魔術は人が扱える代物ではないはず。カイよ……まさか『魔族』という話でもないだろう?」
「私の質問に答えが無いようだが?」
「ふっ……貴様如きに明かすものは何もないさね。ほらっ、燃えてしまいな!」
カイおじさん……いえ、黒いローブの男を激しい炎が包み込みました。ロザリアさんは無詠唱でこの威力の魔術を……ただの魔術使いどころではありません。
「我が名はダナグアス。この炎……人の身でありながら、我を焼き尽くすとはな。最後にいいものを見せてもらったぞ」
黒いローブの男は『ダナグアス』と名を残して消えました。ロザリアさんの魔術で倒した訳ではないようですけど、この場所からはいなくなったようでした。
「ちっ、逃したか。アレで倒せるとは思っちゃいないけどね」
「ロザリアさん、さっきの魔術は何だったのですか。どう考えても、普通の魔術に見えません」
「まあ、いいじゃないか。まさかダナグアスだったとはね……」
「いいじゃないかって……」
言いかけたと同時に、激しい地面の揺れを感じるとさっきまで目の前にあった地面がごっそりと消えていました。
「こんな話している場合じゃないね。海竜様がお怒りのようだよ」
目の前には真っ赤な目をした海竜サーレスが上から獲物を狙うように、私とロザリアさんを見ていました。




