二十一話 あんたからは血の匂いがするよ
『ファルトム神殿』……胸が苦しくなります。
おそらく、私はその神殿を知っています。
知っているのに、どうしてなのか思い出すことに意識を向けることができません。
「ふぅーむ? 何か思い出しているのかい?」
「思い出す……そうなのですけど、何を思い出すのか分からなくて」
思い出そうとすると、意識がズレて逸らされてしまっているようで何とも言えない気持ちになります。手が届く位置にあるのに、手に出来ないのがもどかしくなります。
ロザリアさんはこっちをじっと見ていて、顎に手を当てながら考えているようでした。
「そういうことかい。面倒なことするね、これでどうだい?」
陶磁器のような白い指先が私の眉間を突くと、頭の中で私の思い出せずにいた記憶が一気に溢れ出てくるように蘇りました。
「ロザリアさん! 神殿はもう廃墟って、間違いないのですよね!」
「おや、思い出したのかい。そうさね、廃墟で間違いないね」
「黒いローブの人です! その人が巫女達を全て……ううっ」
喉元までにこみ上げてくる不快感を無理やり抑えて、私は思い出しました。
黒い不気味なローブがとても印象が強くて、男の人なのか女の人なのかも分かりません。色、ローブ……両方なのでしょうか。その禍々しさで気持ちがかき乱されてしまいます。
そこからカイおじさんが私を救ってくれました。カイおじさんは神官で、私達『神託の巫女』を守護する戦士でもありました。
巫女を守護する戦士は強く、S級の冒険者であっても負ける事は無い強さを備えています。神託を受ける巫女を守るための加護を『氷竜フロギス』様から受けているためです。氷竜フロギス様は四大古竜とも呼ばれる世界を守護する竜です。その加護の力は絶大なものだと想像できます。
「ふぅーむ。黒いローブの人? 少し私の知っている話と違うね」
「違うって何が違うのですか。黒いローブの人のせいで神殿は廃墟になったんですよ!」
「ちょっと落ち着きなよ。……これは妙な話になったね。私が聞いている話はこうさ」
ロザリアさんが話してくれた内容は、私が知っている事実と真逆の答えでした。どういう事なのでしょうか。これでは神託の巫女が原因で神殿は廃墟になったという事になってしまいます。
「待って下さい。それは違います! なぜ、神託の巫女が神のお声に疑問を持ち、神殿を放棄しなければならないのですか。そんな事、ありえません!」
「ありえないも何もないよ。神託の巫女が神殿から去ったのが廃墟になった原因なのさ。フロギスの奴もだいぶお怒りだよ。おかげでアイスパレスは年中吹雪に見舞われているのさね」
「私はカイおじさんに守られながら、このザムイ村まで逃げてきたのです! カイおじさんは氷竜フロギスの加護を受けた神官戦士です! それなのに、逃げる事しかできなくて……」
「それで、フォーレリア……あんたは何に追われて逃げてきたんだい?」
「何にって、そんなの決まっています! ……それは、その……」
「それは、何だい?」
ロザリアさんに何に追われていたのか問われて……何も答えられませんでした。確かに私は追われていたのです。でも、何に追われていたのか分かりません。
黒いローブの人が、巫女達を襲って……それから私は逃げた……。
神官であるカイおじさんに連れられて、何から逃げていたのでしょう。
「それは……」
「それは?」
その時、バタンと音を立ててドアが開きました。
カイおじさんが、息を切らして戻ってきたのです。
よっぽど急いで走ってきたのでしょう。
両手を膝の上に乗せて息を整えるように下を向いたまま、私に話しかけてきました。
「はぁ……はぁ……。大変だ、村の皆がいなくなっている!」
「えっ!? カイおじさんは村長さんの家に向かったのではないのですか」
「そうなんだが……既にいなかったんだよ。一体どうなっているんだ……」
荒れた息を整えてカイおじさんがこっちを向いた時、その視線がロザリアさんに向けられました。家に私以外の人がいる事に驚いているようでした。
「フォーレリア……この美しい客人はどなたなのかな?」
ロザリアさんは美しい人ですけど……カイおじさんの少し目を奪われたような表情に、少し胸が痛みました。この感情は何でしょうか……少しだけ嫌な気分になってしまいます。
「カイおじさん! そんなにジッと見ては失礼ですよ! この方はロザリアさんです。この雨の中で外套も無しで外にいたので、家に上がってもらったのです!」
「ど、どうしたんだ、フォーレリア。機嫌でも悪いのか?」
「機嫌ですか? 普通だと思いますけど!?」
何だかカイおじさんがちょっと嫌で、語尾が少し荒くなっている自覚はあるのに抑えることができませんでした。
「まぁまぁ、落ち着きなよフォーレリア。ほら、深く息を吸って、ゆっくり吐いてごらん」
言われるままに私は息を吸って、ゆっくり吐き出すと……少し落ち着いてきました。落ち着いてくると、何であんなに語尾を荒げてしまったのか、恥ずかしくなってきました。
「カイおじさん……あ、あの……ごめんなさい」
「いや、いいんだ。気にしていないよ」
「終わったようだね。私はロザリアと言う。見ての通りの魔術使いさね」
「魔術使いは分かりますが……この村へは何か用事でも?」
「まあ、用事と言えば用事かねぇ。少しサー……ゴホン! 海竜様に会いたくてね」
咳をして言い直していましたけど、ロザリアさんは海竜サーレス様の事を名前で呼び捨てにしています。氷竜フロギス様も同じように言っていました。でも、不思議な事にそれがまったく違和感を感じないのです。本当なら注意するべき事なのに、ロザリアさんにはまったくその気が起きません。
「海竜様に会おうとしたところで、相手にされることはありませんよ……と言いたい所ですけど……フォーレリアとロザリアさん、あなたも一緒に来てください」
「そりゃ願ったりだけど……どうしてだい?」
「この村にいた人が消えてしまいました。生贄にするべく人がいない……そうなると海竜様のお怒りが収まらないのです。ですから、海竜様に掛け合って村人を探すために少し時間を頂こうと思っています」
「いいんですか? 私が海竜様とお会いしても」
「ああ。今はフォーレリアもロザリアさんも、ここにいては何があるか分からないからね。村の皆がいなくなってしまったんだ、一緒にいたほうが安全だ」
「皆はどこに行ってしまったのか、心当たりはないのですか?」
カイおじさんは少し考える様子を見せると、頭を振りました。
「……さっきから考えているんだけど、心当たりがないんだよ」
「村の皆が消えた……ねぇ。それより、カイ……と呼ばせてもらうけど、何か匂うのさ」
「それはかまいせんけど……匂うとは何でしょうか?」
「あんたからは血の匂いがするよ……一体どういう事さね?」
カイおじさんは一瞬固まったように動かなくなりました。
「カイおじさん?」
私には血の匂いは感じませんけど、ロザリアさんは違うようでした。
カイおじさんから血の匂い……もしかして魔物でも倒したのでしょうか。
「近くにいた魔物を倒したのですよね?」
「あ、ああ。村長の家から出るときに、丁度グレイウルフにばったり出くわしてね。急いでいたせいで、返り血を浴びてしまったんだよ」
「そうかい。それなら納得だよ。それじゃあ、海竜様の所に連れて行ってもらってもいいかい?」
「もちろんです。もはや安全な所はないのかもしれません。フォーレリアも一緒に来るんだ」
私は外套を纏って、予備をロザリアさんに渡そうとしましたが、やんわりと断られました。
「いや、私には魔術があるからね。大丈夫だよ」
そう答えると、カイおじさんに続いてロザリアさんが外に出ていきました。
私もドアを閉めて二人の後を追うように歩きました。
豪雨は止むことなく降り続いています。
薄暗い道の中、前を歩く二人が坂道を上がり曲がるように進んだ時、大きな雷音と共に明るくなりました。
その雷光でロザリアさんとカイおじさんの顔が見えました。
二人の口元は笑っているように見えました。
きな臭くなってきました。
次回、いよいよ……です。




