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41・たんぽぽに想いをのせて

 


「……レグ」

「うん?」


 呆れ混じりの声で名前を呼べば、レグは変わらぬ調子で振り向く。


「これを持っていろ」


 その眼前にウェルジオは一枚の白いハンカチを押し付けた。

 一見、そこら中にありふれた何の変哲もないただのハンカチだが、その表面に施されている朱色の刺繍が、そうではないと教えてくれる。


「出がけにセシルから渡されたものだ」


 翼を広げる一羽の霊鳥に込められた想いを、アースガルドの国民なら誰もが知っている。


 “怪我をしませんように。”“無事に帰って来られますように。”

 そんな祈りを込めて贈られる安全祈願のお守り。


「妹ちゃんからの贈り物をジオが人にやるなんて……」

「貸してやるからあとで返せよ」

「デスヨネー」


 間違っても汚すんじゃないぞと訴えてくる視線をレグはあーハイハイと雑に流した。


 白い布地の右端に縫い込まれた刺繍は所々歪で、糸を強く引っ張ってしまったのか、生地が不格好によれているところがいくつもあった。


 セシルがお世辞にも手先が器用と言えないタイプだということはレグも知っている。

 それでも兄のために、精一杯、一生懸命刺したのだろう。


「妹ちゃんがジオの無事を願って刺したものだろう? 君が持ってるべきじゃないの?」

「……いや、僕は、いいんだ」


 案じてくれるのは嬉しいが、前線に立つだろうウェルジオこそがお守りを持つべきだろうとハンカチを返そうとするが、ウェルジオ本人にそれを拒まれてしまう。

 視線をうろうろと彷徨わせて、もごもごと言葉を濁しながら。


 これはウェルジオの癖だ。

 何かを誤魔化したいとき、隠し事があるとき。絶対に相手の目を見ない。


(あやしい……)


 何かあるのかこのハンカチ。

 思わずそう疑ってしまっても無理はないと思う。セシルには悪いけど。


「とっ、とにかく作戦の決行は日暮れだ、それまでに身体を休めて、防寒の準備をしておけ! ここの気候は僕たちには少々きついからなっ」


 じとり、訝しげな視線を向けるレグを振り切るように矢継ぎばやに言葉を放つ。

 だからそれが怪しいんだってのに……。まったく、素直じゃないわりに正直な男だ。


「ははは、確かに王都住まいの方々にとってはここの気候は厳しいでしょうな」


 そんなウェルジオの言葉を拾ったのはトマスだ。彼は朗らかに笑うと、近くにいた村人に声をかけ、温かい飲み物を出してくれた。


「良ければお飲みください。村で昔からよく飲まれるたんぽぽのお茶です」

「たんぽぽ……って、花のですか?」

「ええ、使っているのは根っこの部分ですがね」


 カップの中になみなみと揺れる黒い液体。

 普段飲み慣れた紅茶とも、アヴィリアの作るハーブティーとも違うそれは、少しの苦味を感じるものの、ウェルジオの舌にじんわりと馴染んだ。


(花の根っこで入れた飲み物、か…………。彼女が知ったら目の色変えそうだな……)


 思わず苦笑が漏れる。

 花だの葉っぱだの、アヴィリアはそういったものに目がない。

 年頃の令嬢なら誰もが頬を染めて喜ぶような華美なドレスや宝石よりも、庭に生えているただの雑草に歓喜の声を上げる。

 そのためには自ら土をいじり泥にまみれることも厭わない。


(そういえばレモン……なんたらとかいう葉っぱもここから仕入れたという話だったような……)


 それがきっかけになってヴィコット家との親交が始まったという話を父から聞いていたことをウェルジオは思い出す。

 だが、このたんぽぽのお茶に関してはアヴィリアからも、誰からも聞いたことはなかった。

 彼女はまだ知らないと言うことか……?



『ありがとうございます』と。

 ただそこらに生えているだけの花や草を届けるたびに、ことさら嬉しそうに笑うおかしな彼女。

 幸せそうに緩むオレンジの瞳。


 そんなものを思い出してしまったからだろうか。

 自分がこんな、らしくもないことを考えてしまったのは。



「あの……」

「あの! このお茶を作った人というのは……」


 だが、お茶を出されてからずっと黙っていたレグが突然口を開いたことでウェルジオの言葉は意味を成す前に遮られてしまう。


「ああ。私の曾祖母ですよ。なんでも遠い異国で親しまれている“コオヒ”と呼ばれる飲み物を真似たものらしく。それがいつの間にか村中に広がったんです」


 楽しげに語るトマスの言葉にレグの顔が一瞬にして驚きに染まる。それをウェルジオは怪訝そうに見つめていた。


 ウェルジオは、その言葉が示す意味を知らない。

 けれど“知っている”レグにとっては、その言葉に秘められたひとつの真実を、たしかに教えてくれる。


(残念だな……)


 だからこそ、思ってしまう。

 この言葉の意味を知っているもう一人が、『彼女』がこの場にいないことが、とても残念だと。きっと、すごく喜んだはずだ。



『コーヒー!? それコーヒーよね!? ズルいじゃないレグばっかりいぃぃいぃーーっ!!』



 いかにも彼女が言いそうな言葉が脳裏を駆け抜けて、レグの口元に隠しきれない笑みがこぼれた。


「あの、もしよかったらこの飲み物、少しいただけませんか?」

「……? もちろん構いませんが」

「ありがとうございます!」


 たまにはこんなお土産もいいだろう。これを渡して、お礼に何か甘いお菓子でも作ってもらおう。コーヒーには甘いお菓子が一番合う。


(何がいいかなぁ〜、クッキーかな、パウンドケーキかな〜)


 そんな未来予想図を思うと楽しくなる。


「珍しいな……、そんなに気に入ったのか?」


 驚いたかと思えば楽しげに笑いだしたり、この飲み物の何がそこまですごいのか。

 ウェルジオの知るかぎり、この飲み物はレグの好みとはかけ離れた味のはずだ。レグはどちらかと言えば甘党。苦味のあるものは好きではない。

 それをわざわざ要求するなんて……、珍しいこともあるものだと疑問を感じて思わず問いかけたが。


「俺じゃなくて、アヴィにあげようかと思って。絶対好きだからさ!」

「……、そう、か」


 当たり前のように返ってきた答えに、ウェルジオの言葉は詰まる。


「どうかした?」

「……別に」



 何を分かりきったことを。

 答えなんて、言われるまでもなく決まっているだろうに。彼女のことを知っているのは自分だけではないのだから。


「喜ぶんじゃないか? あの女なら」



 まったく、らしくもないことを考えてしまった。そうだ、ここにはこいつがいるじゃないか。

 彼女のことをよく知り、理解することのできる男が。


 自分よりも彼女に近くて、心を通わせることのできる男が。



「………………」


 紡ぎかけた言葉は、結局形を成すことはなく、傾けられたカップとともに心の奥まで一緒に流し込まれて、跡形もなく消え去った。





 それっきり一言も喋らずに静かにたんぽぽ茶を傾ける親友の顔をレグは気まずげに眺めた。

 その眉間にわずかに寄った皺が、彼の隠しきれない不機嫌さをしっかりと物語っている。


(…………やべ。もしかして俺、タイミングまずった……?)


 分かりやすいその姿に己がしでかした失態を悟る。


 今のはもしかして、お土産フラグだったのではなかろうか…………。




 遠くで「何してくれてんのよこのアホー!」と叫ぶ隊長殿の声が聞こえた気がして、レグは脳内の彼女に必死に頭を下げるのだった。



ウェルジオ

 出遅れた。


レグ

 相変わらずとんでもないクラッシャー。

 今回は見事に旗をポッキリ折った。


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