42・それは月に秘めた愛の言葉
「……ウェルジオ様」
いまだ消えていった背中を睨みつけたままの彼と向き合う。冷え冷えとした視線はそのまま彼の不機嫌さを表していて、失礼ながら少しばかり身が震えた。
それでも、結果的に助けてもらった形の彼にはお礼を言わなければなるまい。
「危ないところを、ありが……」
「バカか君はっ!!」
紡ぎかけた感謝の言葉は、彼の怒鳴り声によって一気にかき消された。
「このパーティーで自分がどれだけ周りから注目されているのか分かっていないのか! 本当に呆れた女だな!」
「な」
「それをメイドもつけずにたった一人でっ、こんな暗い中、こんな人気のない場所でのこのこ出歩くなんて! いったい何を考えているんだ!!」
こちらが反論も出来ないほどに次々にまくしたてられる。
だけど、こんなにも険しい声で怒鳴られているというのに、私はといえば場違いにもポカンとなるばかりだった。
「僕が間に合ったから良かったものの!! 何かあってからじゃ遅いんだぞ!?」
だって、この言い方はまるで。
「…………あの、ウェルジオ様」
もしかして……。
「心配して来て下さったんです、か……?」
思わず問いかけてしまった。
だって、そうとしか考えられなくて。でも、まさか。
ありえないと思いながらも彼の顔を覗き込めば、夜でもわかるくらいに一気に染まった。
「だだ誰が心配なんかするかっ! 主催者側の立場でありながらっ、会場を抜け出してどこかへ行くなんて主役の自覚が足りないと貴族として注意してやろうと思っただけだっ! 勘違いするなっ!!」
わーお見事なツンデレ。なんてテンプレな返し方なんでしょう。
そうですか図星ですか、なんてわかりやすいんだ……。
「そうでしたか。ありがとうございます、おかげで助かりました」
しかしそこを突っ込んでしまうと余計ムキにさせてしまうので、ここは素直に受け止めておくに限る。彼と過ごす時間が増える中で学んだツンデレの対処法。
「……〜〜っ、はぁ……」
ほら、こうすると彼もこれ以上は何も言えないのよ。
けれど私のこの反応は、彼的には不完全燃焼でもあるようで、重いため息を吐いてさっきまであの男が座っていたガーデンチェアにどかっと音を立てて疲れたように腰をおろした。
「戻らなくて良いのですか?」
「いい。僕も少し疲れた」
こういうパーティが苦手なのは彼も同じらしい。この場に彼を一人残して立ち去るわけにもいかず、私も彼の隣にちょこんと座った。
「…………」
「…………」
会話がない。思えばいつも彼と会うときはセシルも一緒だった。おしゃべり好きな彼女が間に入ると、とくに会話に困るようなことはなかった。
いや、以前一度だけあったかな。彼がハーブを届けてくれて、セシルも去った温室で二人きりになったことが。そしてそのときに……。
「……それ、付けてるんだな」
「え、ええ……。気に入ってるんです。季節的にもぴったりですし、今日のパーティーはどうしてもこれを付けたくて、ドレスもこれに合わせたんです」
薔薇色の髪を飾る、小さな桜の髪飾り。
あの夏の温室で彼から送られたもの。
誕生パーティーではこれをつけたいとずいぶん前から決めていて、今日の白いドレスも、この髪飾りに合わせて作ってもらった。
ちなみにドレスのデザインを決めている間中、母がずっとニヨニヨ笑っていたことも思い出す。ごまかすのが大変だったわ……。
「本当にありがとうございます」
「礼なら前に聞いた」
「ふふふ」
ふい、とそらされる視線は一見素っ気ないようにも見えるけれど、かすかに色づいた耳元が、それをただの照れ隠しだと教えてくれる。
ざざっ……と風が吹いて夜風が桜を揺らした。月明かりに照らされる桜はとても綺麗で、沈んでいた気分をどこかに拭い去ってくれるよう。
さっきまで感じていた気まずさも、少しだけ和らいだように感じる。
「今夜は夜桜日和ですね」
「月が綺麗だからな」
「ぶふっ」
「なんだっ!」
彼から返される意外な言葉のチョイスに思わず吹き出してしまった。
「す、すみません……っ」
イラついたような声で睨みつけてくる彼に「ただの思い出し笑いです」と素直に謝れば怪訝そうな顔を返される。
「ここからずっと遠い、遠い異国の……、昔のある作家がその言葉で別の意味を表したことがあるんです」
ひどくロマンチストなその作家はありふれた『愛してる』という言葉をそのまま使うことはしなかった。
ストレートな言葉ではなくてもロマンチックに思いを告げる。それでも気持ちは十分伝わるはずだと、彼は考えたのだと言う。
「“あなたを愛しています”と言う言葉を、“月が綺麗ですね”と言う言葉で表したのです。だからその言葉は、愛の告白としても使われることがあるんですよ」
とくにドラマや漫画の中ではよくよく使用される。たしかにロマンチックだもんね。
まさかここで聞くとは思わなかったから、思わずふふっと口元が緩む。
「――――――〜〜あっ!? ば、馬鹿言うなっ! 僕は別にそんなつもりで……っ」
「ふふっ、そんなに慌てずともわかってますよ。ウェルジオ様が知らないことくらい」
異世界の人間が日本人の古い言い回しなんて知るわけないもの。
だから思わず笑ってしまったんじゃない。
「……………………」
心配しなくても勘違いしたりなんかしませんと伝えたはずなのに、何でそんな微妙に複雑そうな顔をするんですかね……。
赤くなったと思えば急に顔をしかめたり、忙しい人だな。
「その後に、また別の作家が“私はあなたのもの”という言葉を、“死んでもいいわ”という言葉で表したんだそうです。……それ以来、この言葉はひとくくりで使われるようになって、“月が綺麗ですね”という愛の言葉には“死んでもいいわ”の言葉で了承を表すと言う流れが生まれたんだそうです」
彼が世に残した小説と同じくらい有名な言葉。でも今となっては愛してると言うよりも、ずっと恥ずかしいんじゃないだろうか。あらためて考えると日本人ってのは割とロマンチストだな。
「はっ、馬鹿らしい、そんな言葉の何が嬉しいんだ」
「あら、ウェルジオ様はお気に召しませんか?」
「思いを告げる言葉に、死んでもいいなんて返されて喜ぶなんて、どうかしてる」
日本が誇る伝統をなんて良い様。これが文化の違いというやつだろうか……。
「そんな物騒な言葉を返されるよりも、“共に生きていきたい”と言われるほうが嬉しいに決まってるじゃないか」
「ぶふふっ」
「なんださっきからっ!」
思わず再度吹き出せば、同じようにイラついた声でギロリと睨まれた。
だって、まさかそんな言葉が返ってくるとは思わなかったんだもの。
「ふふ、そうですね……。ウェルジオ様のおっしゃるとおりです」
きっと、誰だってそう。
「私も…………、大好きな人とはずっと一緒に生きていきたいと思います」
月明かりに浮かぶ桜の花を見上げれば、あの日、両親と見た桜を思い出す。
大好きな人たちと、一緒に生きていられる。
それはきっと、当たり前すぎて気づかないだけで、奇跡のように幸せなことだった。
親孝行らしい親孝行もできなかった娘だけど、二人の娘として生まれたことを嫌だと思ったことは一度もなかった。
でも、それはきっと。二人が愛情いっぱい、大切に育ててくれたからなんだよね。
そこらにありがちな平凡人生だと思っていたけれど。
(幸せだったんだ……咲良は)
本当に大切なものは失くした後になってから気付くとは、よく言ったものだとあらためて思う。
私はもう一緒に生きることはできない。何よりも大切だった二人に、何かをしてあげられることは、二度とない……。
でも。それならせめて、せめてひと言だけでいいから。
届いてほしい。
私は元気でいるよ、と。この世界でもちゃんと幸せに暮らしているよ、と。二人のところまで。
たとえ見上げる空が違っても。
二人もこんなふうに、今でも桜の花を見上げてくれていると思うから――――――――……。
アヴィリア
誕生日を迎える度にちょっぴりセンチ。
ウェルジオ
少しくらい、照れるとか……ないのか。
なんか知らんがめっちゃフクザツ……。




