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第93話 『深海』

 イバラキの意識は海の中にあった。


 梅雪(ばいせつ)が我の強さによって押し広げ、打ち払った海。


 大辺(おおべ)が、初期は運の良さによって難を逃れ続け、最後にはそれまで踏み倒したものの支払いを迫られもがき、しかし、その時もまた運の良さによって、ここでの死だけは逃れた、深海。


 ならば、イバラキは、どのようにここから浮上するのか?


(……オレは、弱いんだよなぁ)


 深海の冷たさと静寂の中、イバラキは目を閉じ、胎児のように丸まっていた。

 肩の長さで切り揃えられた黒髪が水の中に揺れ、口の端からこぽり、こぽりと(いのち)がほんのわずかずつ抜けていく。

 大辺の趣味で露出を増やされた肌に水の冷たさが障り、体温が低くなっていく感覚が、心地よい。


 この冷たさと苦しさへの抵抗をやめれば、楽になれることがわかった。


 死への恐怖さえ、なくなるだろう。なぜって、『海』の一部にさえなれば、イバラキ一人死んだところで海は死なない。むしろ、半端に浮上している自我──『地上』にもたらされた(けが)れが洗い流されるのは、海神の信者として心地よいことでさえあるだろう。


 委ねてしまいたい気持ちは、強くあった。


 恐怖は最初からなかったかもしれない。自我みたいなもの、自分だけの目的みたいなものも、ないと言ってしまっていいかもしれない。


 イバラキにあるのは怒りだけだ。

 だから行動の軸はすべて、怒りに依っている。


 そもそもにして、イバラキは心の死んだ少女であった。

『迷宮の露払い』であった時代から、死への恐怖はなかった。痛みもさほど気にしていなかった。


 自我というものが、実は薄い。

 だからこそ山賊でありながら部下に慕われる。捨てられていた幼い兄弟を拾って育ててやろうという気まぐれさえ起こす。

 ……そもそも、山賊にとって、『使えないメンバーを増やす』というのは、死に直結する大博打なのだ。

 もちろん、幼い子供であったクマ三兄弟は、長じるにつれ力をつけ、見事に『酒呑童子(しゅてんどうじ)』の幹部にまで成長した。

 しかしそれは結果論にしかすぎない。拾った当時にそこまで役立つ者になる保証はどこにもなく、ただでさえ確保が難しい食料、生きるのが難しい山という環境で、幼子を拾うという行為が博打なのは変わらない。


 だが、イバラキは拾った。


 それは慈悲や優しさというものではないのを、彼女は自覚している。

 そういうものさえ、ない。落ちてる。拾う。自身の命や生活の苦しみは予想できた。だが、どうでもよかった。

 自暴自棄と言うほどの勢いさえない、ほとんど自動的な行動。それが、山賊団がイバラキに見出す『優しさ』の正体である。


 イバラキには、怒り以外に何もなかった。


 現在重んじている『義理』というのも、山賊団の運用に必要だったからだ。

 梅雪に『義理』を理由にして命を差し出したのは、そもそも自分が海に沈んで消え去ることも、あのまま戦えば『酒呑童子』という兵力を失った自分が梅雪らに敗北することも理解していたから、手間を省いたにすぎない。


 イバラキの本音は紛れもなく『さっさと終わらせてくれ』であった。


 では、なぜ今、『海』に挑もうとしているのか──


(……怒り)


 自我が薄いはずのイバラキは、何に怒ったのか?


 自分を殺そうとする者への恐怖が怒りに転化した?

 それとも、痛みを与えてくる者へ生物的な危機感を感じ、怒りという形で発露した?


 違う。

 そういった生存本能みたいなものではなく。


 イバラキの怒りは、最初から今まで、ただ一つ。


(海、海神か。……なぁ、海神さんよ。てめぇの力の使い方もてめぇで決められない無能が、オレを支配しようとするんじゃねぇよ)


 無能なる者が上に立つこと。

 わけもわかっていない者が、それっぽい命令をしてくること。

 そのせいで発生したマイナスのツケを支払わず、すべての尻ぬぐいを下の者に押し付け、しかもそれを当然みたいな顔で受け入れること。


 イバラキは、ようやく、自分の正体を理解した。


 自分は、紛れもなく人だ。生物だ。

 半鬼(ハーフドワーフ)という種族だ。生物の親がいたはずで、普通に成長し、普通に老いて、普通に死んでいくヒトにしかすぎない。


 だが、その心のありようは、剣であった。

 意思を持ち、使い手を自分で決める剣であった。


(海神さんよ、てめぇはオレの使い手にふさわしくねぇ。……ああ、思い出したらクソムカつくぜ。べちゃべちゃと湿った触手()で、よくもこのオレに触ってくれたなぁ? ぶち殺すぞクソッタレ)


 ずっと求めていた。ずっとずっと求めていた。

 気付いてしまえば簡単だった。なぜ、偉そうなサムライどもがあんなにムカつくのか。なぜ、あの連中を惨たらしく殺すのか。

 心が()くようなことはなかった。ただ惨く殺した死体を見て舌打ちが出るだけだ。だというのになぜそんなことをしていたのか。


(期待させやがってよぉ)


 偉そうなのだから、よほど実力に自信があるのだろうと思った。

 だが、期待外れだった。手間をとらせやがって、クソムカつく。


 偉そうなら、偉そうなりの実力を示してみろってんだ。

 なんでもいい。武力だけでもいい。それなら横で支える。知力だけでもいい。それなら力になってやる。


 なんでもいい。自分が認める何かの実力を備え、自分を使うにふさわしい格を示してくれるならば、いい。

 だから偉そうな侍に期待した。だって、偉ぶるなら相応の実力がなければならないはずだろう? だっていうのに、どいつもこいつも、偉そうなだけのクソッタレども。許せるわけがない。期待させやがって。時間をとらせやがって。


 誰か、このオレの使い手にふさわしいヤツはいねぇのか──


 ……イバラキの、傲慢なまでの己の評価の高さ。そして、厳しすぎるほどの、使い手への期待。

 それは神さえも不適格とみなした。


 であれば、このクソ溜まりみたいな海に帰属してやる理由はない。


 ……だが、ここは神なる深海。

 理由がないだけで抜けることはかなわない。

 絶対にここから抜けるという強い意思なくば、ただ海の冷たさに同化していくのみ。


 ゆえに、イバラキが進むために必要な動機となるのは──


「とびきり有能(えら)そうなヤツを見つけたんだよ。そいつを試すまで、死ねるか!」


 長年の苛立ちの正体。

 期待外れな連中ばかりの中で、ようやく巡り合った、期待できる使い手。


 そいつを見極める邪魔をするモノなど、神であろうが許しはしない──


 苛立ちも、怒りも、いつだって、自分がそうあるべきだと信じる展開にならない時ほど、激しく燃え盛る。

 思い通りにならない。これほどムカつくこともない。


 ……彼女は気付いているのだろうか?

 その心のありよう、願望の持ちよう、世界に対する『こうあるべきだ』という期待。

 それは発露の手段と方法、そして能力が違うだけで大辺と同様のものである。

 なおかつ、梅雪と同じものでもあり、ウメやアシュリーともまた、似通ったものであった。


 つまるところ、彼女もまた剣桜鬼譚(けんおうきたん)でユニットの一人に数え上げられるキャラクター。


 世界の命運、地上の安寧、平和な世界。すべて、どうでもいい。


 己の生きる意味のためには何を踏み(にじ)ってもいいという、圧倒的我が(まま)を秘めた人物。


 多くのユニットが、それぞれの我が儘を持ち寄って、自分に都合の良い世界にすべく相争う、我が儘どもの戦国時代。その登場人物。

 巻き込まれる人など知らない。踏み躙った相手など知らない。そいつらのために自分の望みを脇にどけてやる義理がどこにある?


 誰にも譲らない、何を犠牲にしても叶えたい夢を持つ者たちが生きる時代。そこに生まれついて『名付き』に数え上げられる者の一人こそ、まぎれもなくイバラキである。


 ゆえにこそ、我が儘のために──


 彼女は深海を切り裂いた。

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なんだこいつかっこいいじゃねえか!!
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