第285話 花見一献 三
氷邑梅雪は、ニニギの迷宮に入っていた。
迷宮──一口に言っても、それは『最奥に神が坐す、入り組んだ場所』以外には共通点がない。
ゲーム剣桜鬼譚において、迷宮は『チュートリアルのシナツ』『九十九州に入れる段階であれば適性難易度のホデミ』『エロトラップダンジョンのミズハ』『剣聖が死んだあとに解放されるミカヅチ』の四種類が存在する。
他にも『ある』と言われるが、ゲーム的に役立つ──ようするに『スキル』を得られる迷宮は、この四つで、プレイヤーが『迷宮』として挑戦できるのもまた、この四つだけだ。
背景グラフィックで言えば、シナツは洞窟、ホデミは火山の火口、ミズハは湖の奥底、ミカヅチは山、といった具合になっていた。
では、ニニギの迷宮はといえば……
「……驚いたな。まさか……入って五秒で最奥とは」
攻略もクソもない。
ワンルームの住宅だってもうちょっと広い──そういうものだった。
……ただし、それはあくまでも、梅雪にとってはというものらしい。
引き連れて来た郎党がいない。
隠し扉などもない、すぐ目の前に祭壇があり、そこには確かに神の息吹を感じる場所。
だが、同時に入口から入ったはずのウメ、アシュリー、イバラキがどこにもいなかった。
これはどういう現象か──
「やあ、挑戦者。よっぽどお急ぎらしいね」
……梅雪の目の前には簡素な祭壇があるのみだ。
その祭壇は歯車を組み合わせて作られたピラミッドのような四角錐であり、高さは梅雪の腰ぐらい、底面積は梅雪が両腕で抱え込めてしまうぐらいのものだ。
さほど大きいとは言えない、こじんまりした祭壇である。
その祭壇の歯車がカタカタ音を立てながら回り……
言葉を続ける。
「挑戦者、名を聞こう」
「……神が軽々しく挑戦者に声をかけるというのも、驚いたな」
神に対し無礼な物言いだが、梅雪は『つい』という感じで出た言葉を後悔しなかった。
今、しゃべっているのは、男の声だ。
だがなんとなく軽薄な感じがする……
それに何より、『等身大』の感じが、するのだ。
この声に対して『普通に』言葉を返すのは無礼にならないと、梅雪は直感的に判断していた。
そして、それは正しかったようだ。
声は、笑った。
「はははは。いや、よく言われるよ。けれどね、千年経とうが二千年経とうが、神らしい振る舞いなんていうのには慣れなくてね。それに、ともすればこのあと、君は『消える』」
「……」
「わかって訪れたようだね。ここで僕は、僕の知識を授ける。考え方を、技術を、記憶を授ける。神の知識だ。人間が自我を保てるものではない。だから……名前を知りたい。君を覚えておくために」
「心配はいらんと申し上げておこう。俺の自我はその程度では潰れん」
「……へえ」
「だが、手順を損ねたこと、失礼した。俺は氷邑梅雪。……お察しの通り、急いでいる身でな。早急に、あなたの知識が欲しい」
「まあ、慌てないでおくれよ。手順が必要なんだ。今は……そうだな、インストールデータの準備中、といったところか」
「……もしや、転生者、あるいは転移者か」
「そうだよ、氷邑梅雪。君も……かな? 何かとても変わった魂の形をしているね。転生者のようでもあり、現地の人のようでもある」
「転生か転移かはもはやわからんが、俺の中に入り込んでいた魂と記憶があった。俺は、それを呑み下して、今、ここまで生きてきた」
「なるほど、根拠のある自信というわけだ。……では、準備が終わるまで、話をしよう。質問があれば、受け付けてもいい」
「俺の郎党はどこへ消えた?」
「消えた?」
首をかしげるような様子だった。
しばし、考えるような間があり……
「……ああ、そうか。君は今、『本質』の前に立って、僕と会話をしているんだね」
「どういうことだ?」
「他の迷宮に行ったことはあるかな? あれらの内部は、場所の面積を無視して広大だと感じたことはないか?」
「……まあ、そうかもしれんな」
「実はどの迷宮も、今、君が立っている場所と変わらないんだよ。実際の神社の本殿ぐらいのものさ。ただ……挑戦者には、神に触れるための儀式として、半分だけ死んでもらっている。そうして精神の中で冒険をし、試練を乗り越え、そうして神の息吹に触れる資格を得る──というのが迷宮だ」
「なるほど。幻を見せられて、脳内で冒険をしているにすぎず、すべては高度なVRゲームというのが本当のところなのか」
「探っているようだから答えてあげよう。僕がこの世界に来る前にいたのは、2020年の日本だよ」
「……」
「なのでVRゲームというのは通じる。実際に僕がプレイしたことはないけれど」
「そうか」
「ま、ともあれ、君の郎党は、普通に冒険をしているはずさ。それも、君への『神の息吹』の譲渡が終わるまでだ。終わったら、全員、外で合流できるだろう」
「ならばいい」
「それで、君が僕の知識を求めた理由について、聞いておこうか。ともすれば、それを達成するのは僕になるかもしれないからね」
ニニギの加護を得た者は、ニニギになる。
……梅雪が『その程度では自分の自我は潰れない』と根拠つきで思うように、ニニギもまた、自分を宿した者の自我がもたないことを、実績で知っている。
だからこその会話なのだろう。
梅雪は、少しだけ、答えようか迷う。
だが……ここで『自我は消えないと言ってるだろう』と食い下がるのも、虚しく感じた。
遺言のつもりは、さらさらないが……
梅雪は、語る。
「……世の中には、ムカつくやつが多すぎる」
「ふうん」
「ここに来たのは、言ってみれば『開示請求』のようなものだ。謎に不死身な連中、謎に無敵な連中、そういった『自分が殴られると思わずにこちらにちょっかいを出す部外者』らを殺す。そういう目的で、俺は知識を欲している」
「なるほど」
「ちなみに、その中の一人はイワナガと名乗ったらしい」
「…………あ~………………」
「……なんだその『やりそう』みたいな声は」
「氷邑梅雪、ハーレム主人公をどう思う?」
「養えれば問題なかろう」
「まあ、この世界の武家ならそうか……でもね、僕はなんだか、不誠実な気がしてしまったんだよ。一人を選ばないのは誠実じゃないって、そう思ったんだ」
「それでイワナガを振ったら厄介なヤンデレになった?」
「その『厄介なヤンデレ』ムーブ、どうにも僕が死んでからっぽくてね……そうか、イワナガに付きまとわれているのか。だったら、君、ここに来たのは失敗かもしれない」
「……なぜだ?」
「彼女の目的は、『僕』の復活だからだ。僕を宿して僕になった者と、添い遂げる気でいるらしい」
「……」
「サクヤは神に成らずに死んでしまったけれど、イワナガは……もともと、不変不滅の能力があった。だから九十九神化したんだろう」
「……つくもがみ? あれか、物体が九十九年使われると妖怪化する……」
「そう。イワナガはそもそも人間じゃない。彼女はゴーレムなんだよ」
「……」
「メイドロボと言った方が実情に近いか……」
「……愉快な人生を送っていたようだな」
「それは否定しない。楽しかったよ。……でもね、氷邑梅雪。楽しかった時代は、楽しかったまま終わってはくれないんだ。物語がエンディングに到達しても、その後には、語られないアフターストーリーがあるんだ」
「……」
「めでたしめでたし。……なんていうのは一時の、それも一瞬の状態にしかすぎない。だから僕は、神成りをした。僕の時代にあったいろいろな問題の種を、きちんと面倒を見たくてね。この世界を──僕の子孫がいるはずのこの世界を、守りたくて。神に成ったんだ。イワナガのことも、僕が対処すべきうち一つだと、思っている」
何か、あったのだろう。
まだ記憶をインストールされていない梅雪は、ニニギの人生にあった具体的なことを知らない。
だが……
わかることも、ある。
「……最近、『将来』について考えることが増えた」
死ぬ予定の悪役令息。
だが、生き延びた。生き抜いた。生きている。今もまた、生きるためにここにいる。
「本来、俺はニ十歳かそこらで死ぬ予定だった。すべてを奪われ、尊厳を凌辱され、ゴミクズのように、芋虫のように、死ぬ予定だった。……だが、生きる未来が見えてきた」
「……」
「そうなると、色々と考える。名門氷邑家の当主として、家を繋ぐこと。室との間に成すはずの子のこと。その子が生きる未来のこと。本当に、色々だ」
「……そうか」
「だがな、正直、想像がつかん。俺に、子が? 俺が、年老いて、子が大きくなる? 未来? それはいったい、どういうものだ? 氷邑領は……あるいは、今の帝を戴く政治は。クサナギ大陸の状況は……民のことも、考える。しかし、わからんのだ。予想はできても、それは影を持たない幻のようなもので、ふと、将来を考え、不安になることもある……だから、あなたの気持ちは、わからんでもない。いつまでも面倒を見てやりたい。いつまでも守ってやりたい。そういう気持ちも、わからんわけではないのだ」
「……」
「……だが、一つだけ、決めていることがある」
「それは?」
「自分の人生は、自分の手で切り拓くべきだということだ」
「……」
「俺は『運命』を鼻で嗤う。そのためにここに来た。『運命』を操る神と、今、向かい合っている。父に死の運命を予告したイワナガを斬り捨てるために、ここに来た。謎に不死身な異世界からの侵略者を倒すために、ここに来た。だからな、ニニギ──」
氷邑梅雪は、拳を握りしめ、笑う。
「──貴様は道具だよ」
「……」
「いや、神たらいう連中は、すべて、今、この時代、この地上で生きる者たちの道具であるべきなのだ。しゃしゃり出て現場に口出ししてかき回すなどという害悪権力者ムーブ、誠に許しがたい」
「どうしよう、僕は神の立場なのに、君の気持ちが一気にわかってしまったぞ」
「貴様をよこせ。俺の役に立て。俺が神にお願い申し上げることは以上だ。『イワナガのことは僕が対処すべきことの一つ』? 違う。違うなァ。全然、違う。あいつを殺すのは、俺か、父だ。この時代、この地上で生きる、俺たちだ。人の獲物を勝手に奪うなよ、神。これは……」
梅雪は、『何か』を握りしめた。
『それ』に形はない。『それ』に感触はない。
『それ』はずっと、手の中にあった。だが、『それ』を手中に収めたと実感したのは、今、この時だった。
『それ』は……
「これは、『俺の人生』だ」
「……」
「上から目線で面倒を見ようとするな。俺はすでに、立って歩いている。世話をされなければ食事もままならん乳飲み子ではない……もちろん、俺より未来に生きるすべての者も、『過去』に面倒を見てもらうほど、弱くはないんだ」
将来を考えて、ふと不安に呑まれることは、ある。
未来というものがどういうものなのか、ぼやけてわからなくて、自分がどうやって立っているのかさえわからなくなる、そういう時だってある。
だが、どんな時も、結局、進むのは自分だ。
氷邑梅雪は何も奪わせない。
もちろん、自分の人生もだ。
ニニギは、吐息のように声を発した。
「なるほど」
声とともに、何か重いものが抜けていくような、そういう響きだった。
「氷邑梅雪。……準備が終わった」
「そうか。案外早かったな」
「これから君を、『記憶』が襲うだろう。二千年……いや、三千年近い、記憶だ。幾度かの『挑戦者』の人生を呑み込んでしまったせいで、より肥大化した、僕の記憶……僕の、自我だ」
「……」
「僕は、自我を呑んでしまうことを申し訳なく思っている。でも、正直ね、人の体でまた新しく人生を始めることに……罪の意識を覚えながらも、嬉しさも、覚えていた」
「……そうか」
「僕はまだまだ生きたかったらしい。だって、本当に楽しい人生だったから」
「……」
「でも、今は……僕の自我が、君に敗北することを望む。心から」
「杞憂は以上か? いらん心配をすることはないぞ。神程度呑み下せずに、何が俺の人生か」
「本当に強いな。では……」
神のスキルが、梅雪へ流れ込む。
そして……
人間の人生何回分に相当するかもわからない記憶が、梅雪の脳内で弾けた。




