第252話 九十九州大氾濫 二
耳川。
昼日中の九十九州、そう呼ばれる場所で、島津家と氷邑梅雪は戦争をしていた。
この場所は死国と九十九州との間にある海峡へと流れ込む川であり、川沿いには深い渓谷が連続しており、見通しが悪い場所となっていた。
その場所で戦っていた時に、不意に感じた、無視出来ない異変──
──最初は、『震動』だった。
遠くの方から、震動が迫って来る。
トシヒサがその震動を感知したのは、今日も龍ゾン寺の勢力を釣り出し、その大目標を探るために戦争を仕掛けていた最中だった。
この震動は何か? 地震にしては長いし、弱い。
しかし、嫌な予感が止まらない──
トシヒサがツインテールの片方を梳きながら、自分の軍勢をどう動かすべきか検討していたその時、
「ねーちゃん! 向こうからすっげー数の何かが来る! あたし行く!」
「ちょっ、イエヒサ!? イエヒサー!?」
妹のイエヒサが駆けて行ってしまった。
当然のように、イエヒサ配下の軍勢もそれに続いた。
「あの子はほんとに! ほんとに!!!」
イエヒサは方向音痴だ。
だがそれは東西南北の方向がよくわかっていないという知識の話以前に、ああして『何か』を感じるとすぐに飛び出してしまう、思慮の浅さ──トシヒサ流ではない表現をするならば、『迷いのなさ』と『行動力』に由来する。
そしてイエヒサは多くの場合、ただ迷子になって、誰かに助けられて帰って来るだけだ。
だが、たまに、『当たり』を引く。
何かとてつもない危機を感じ取り、それを素早い行動によって解決する──そういうことが、島津を何度か救うことになったのもまた、事実である。
トシヒサは物事を思考によって支配し、理性によって決断するタイプだが……
イエヒサは直感的に『何か』を掴み、最速最短で正解にたどり着くタイプだ。
だからトシヒサは、迷った。
(何かおかしなことが起きてる気配は、確かにする。……あたしもイエヒサを追いかけるべきかしら)
作戦目標としては、相変わらず『龍ゾン寺の軍勢を釣り出して狩り、その目的を探る』というものだ。
だが、それで情報が掴めない日々が何日も続いたのも事実……
変化を求めるにしても、先ほどから背筋を震わす、わけのわからない予感に対処するにも、イエヒサの後を追うのが最善──
トシヒサは思考し、決断する。
だが、その前に。
「乗るしかない! このビッグウェーブ!」
やたらと反響する、甲高い、子供のような声が響いた。
音源の特定は、音だけでは難しい。
だが次いで目に映った光──昼日中の戦場でも十二分に目立つ、七色の光が、トシヒサの視線を吸い寄せた。
そこにいたのは……
ゾンビニ十体に持ち上げさせた輿の上に立つ、つぎはぎ肌の、サメの尻尾を生やした、フード付きパーカーを羽織った、ゾンビの女の子。
トシヒサは、そいつに思わず、叫んで呼びかけていた。
「龍ゾン寺!?」
「およよ~! 島津のトシヒサ! ゾンちゃん、あいつツンデレだから嫌いなんだよね。あざといっていうかさあ」
輿の前には、船における船首像のように、水晶玉が設置されている。
龍ゾン寺が話をすると、その周囲に、コメントが躍った。
【水着パーカーようじょが人のことあざといとか言っちゃいけません】
【「およよ~」とか言いながら人のことをあざとい扱いするな】
【ツンデレいいやろがい!】
【水着パーカーとビキニアーマー、出会ってはいけない二人が出会ってしまった──】
【ここ海ですか?】
【※川です】
【なんで川にサメがいんだよ】
【サメだからだよ】
【サメはどこにでもいるからな。便器とかにも】
【イヤすぎィ!】
「サメのことなんだと思ってんの? ま、ゾンちゃんにもわかんないけどさあ。ってなわけで──待たせたな触手どもォ! ついにゾンちゃん、遠征です! 軍師は置いて来た! あいつはこれからの戦いについてこれそうにない」
龍ゾン寺が両手を上に挙げると、周囲のあらゆるところから、ゾンビが湧き出す。
渓谷の壁と壁の間をサメが飛び回り、そこらじゅうから湧いたゾンビどもが隊列を成したり、成そうとして川に流されて行方不明になったりしていく。
これまで相手にしていたのもゾンビではあったのだが、龍ゾン寺が前線に立つと、ゾンビの密度と質がまったく違う。
腐っても──文字通り腐っても、龍ゾン寺くまは領主大名。
あいつが場に現れるだけで、家臣どもは奮い立つ。
トシヒサは、まだ遠い場所の龍ゾン寺に声が届くように、叫ぶ。
「今まで引きこもってたくせに、どうしていきなり出て来たの!?」
「はぁ~? 今時、人のことをヒキニートとか言うコメントはBANだが~? でもゾンちゃんの心は雨上がりの水たまりのようにムツゴロウまみれだから答えてあげよう! トシヒサっち、感じない? このビッグウェーブ」
「……」
「聖地桜島の噴火だよ! わかるかなあ! クサナギ大陸と異界との間が、ここ数百年なかったぐらいにゆるゆるになってるの! だったら──ゾンちゃんも強化されるでしょ! 強化されたゾンちゃん、島津相手に無双してみた配信、戦争しようぜェ!」
つまり、一度死んだが魔界で加工貿易されて帰って来たゾンビサメ配信者の龍ゾン寺は、自分が強化された感触を覚え……
我慢できず、軍師を振り切って飛び出してきてしまった。
そういうことらしい。
トシヒサは──
(……相手が何を企んでても、ここで当主を倒せば終わる。これは好機よ。でも……)
背後を肩越しに振り返る。
そこには自分が連れて来た者がいる。
……『釣り』のために連れて来た小勢だ。
本隊はもっと島津側に控えている。
兵力が足りない。
ここで討ち取るには、自軍の戦力が足りないのだ。
さすがにノーマルゾンビ用の『釣り』に引っかかるほどにはアホではないだろうし、本隊が控えている場所まで誘導するのも難しい。
しかし、ここで龍ゾン寺を討ちとらなければ、せっかく何かの気まぐれでのこのこ前線に現れたのに、取り逃がすことになる……
トシヒサは事前に計画を立ててそれを実行するタイプだ。
急展開についていくには、少々、応用力が足りないところがあった。
……しかし、今、この場には、トシヒサとその手勢だけではない。
「面白い」
トシヒサの横に並ぶのは、氷邑梅雪。
「またしても俺の知らん事件が起こっているようだが──敵の頭が目の前にいるという状況は、実にわかりやすい。その首もらうぞ、龍ゾン寺」
「なんか新キャラがおるな。おるな。おるおるな? ──よし、いいだろう! ゾンちゃんの首、欲しけりゃゾンビを超えてここまで来い! 配信中のゾンちゃんは『映え』を気にするんだ! ここらでゾンちゃんのこと舐め腐ってる魔界の触手どもに、ゾンちゃんの強さを思い出させてやるうらぁ!」
特殊なハイ状態にあるらしい龍ゾン寺、と島津トシヒサ、そして、氷邑梅雪一党との戦いが、ここに開幕する。
……そして、ここより北では──




