第227話 ワ・ライラ 七
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「だからさ、オレを動かすのは恨みじゃなかったんだ」
今はもう失われた梨の果樹園だった。
梨太郎は己が発見された場所に立ち、立派な木の幹に手を付け、空を見上げている。
よく実った梨の向こうに見える空は青くて、どこまでも広がっているように見えた。
この空だけはきっと、梨太郎と、おじいさん、おばあさんそれに──■■■■ちゃんで共有できる景色なのだろうと思う。
空だけで、満足出来ればよかったのに。
……他者に共感することが出来ず、けれど、他者と共感することを求め続ける彼は、同時に妥協が出来ない完璧主義者でもあったらしい。『失われた景色を取り戻したい』『そうすれば、本当の家族になれる気がする』。その想いで続けた二千年の戦いの中でも、彼は満足することが出来なかった。
「おじいさんとおばあさんには名乗らなかったけどさ。オレ、自分の名前だけは、実は覚えてたんだよね。マキビ──って、■■■■ちゃんにしか教えてなかったんだけどさ。やっぱり、梨太郎よりも、そっちのが、なんか、馴染むんだ。……つけてもらった名前が偽物にしか思えなくってさ。それも本当に、申し訳なかったな」
梨太郎が振り返る。
すると、そこには──
梨太郎の心象風景でしかないはずのそこには、黒髪を一つ結びにした少女──桜の姿があった。
「君は故郷が恋しくないの? オレは、故郷を追われて、侵略に来るしかなくなってしまった、怨異を救いたい気持ちも……たぶん、あったと思うんだ。もう思い出せないけどね。ははは……」
青年の浮かべる笑みは気弱だった。
風に吹かれて揺れた前髪の下からのぞく目は、優しさをたたえていた。
二千年の戦いが彼をすり減らした。
……そもそも、彼は戦いに向いた性格ではなかったのだろう。
主人公は──
魂を取り込む影の神威を持つ女は、梨太郎の心に触れて……
「あなたの気持ち、よくわかる」
共感を覚えた。
梨太郎が、「え?」と首をかしげる。
…………おためごかしではないのだ。
梨太郎を取り込むための、おべっかではないのだ。
この世界で、桜だけが、梨太郎に真の共感を示すことが出来る。
ゲーム剣桜鬼譚で主人公がそうであったように。
桜の出自だけが──
「私も、記憶がないんだ。ある日、知らない場所にいて……親切な人に、救われて、今、ここにいる」
──梨太郎と同じ境遇であり、
「『自分の願い』が欲しくって、いろんな人の願いを借りてきた。でも、どれもしっくりこなくて……私はきっと、私自身の願いを叶えることなんか、一生出来ないんだろうって思った」
──梨太郎と同じ心情であり、
「師匠とか、シカノとか……羨ましかったよ。願いがはっきりしてて。それに命を懸けてもいいって、普通に信じてる様子が、本当に羨ましかった。だから、ともにどこまでも行ったらきっと、自分の願いが叶ったような気持ちになれるかなって思ったんだ。……幸いにも、願う人を助けるだけの力はあったしね」
──梨太郎と同じぐらいの力を持ち、
「それでも、わからなかった。……人の願いは、人の願いでしかないんだ」
──梨太郎と同じ悩みを、抱えている。
境遇だけなら、同じ者はいよう。
力だけでも、同じ者はいよう。
悩みだけなら、それこそ、たくさん、同じ者がいよう。
だが、すべてを同じくするのは、梨太郎と桜だけだった。
梨太郎は──
口元を笑ませた。
「そっか、君も苦しいんだね」
「うん、実はね」
「でも、笑ってるんだね」
「だって、笑ってないと、心配させちゃうから」
「それは本当に笑顔なのかな」
「わからない。それっぽく出来てるとは思うけど……自信はないな。だって、心から笑ったことなんか、思い出せないし」
「……君は一生、そのままかな?」
「わからない。でも……最近ね、一つだけ、願いが……たぶん、自分だけのものだって思える願いが、出来たんだ」
「……そうなんだ」
そこで梨太郎が微笑んだのは、せっかく共感できる同志だと思っていた者が、実はとっくに自分の求める先にたどり着いてしまっていたことを祝福する気持ちと……寂しさからだった。
梨太郎も桜も、笑う。寂しくても笑う。つらくても笑う。理解できなくても笑う。人が笑っていても笑う。人が泣いている時も笑う。
人間の営みというものがわからないこの二人は、人と接する時に浮かべる表情を、笑顔以外知らない。
怒るタイミングも、泣くタイミングもよくわからない。『これは怒るべきなのかな』とか『ここは泣くべきなのかな』と思うことはある。でも、わからない。わからない間に、タイミングを逃してしまうような気がして、結局、笑うしかない。
大事な人が死んでも、悲しみはなかった。
自然と落涙し、死者を惜しみたいと思った。そうして惜しめる人を心の底から羨んだ。
でも、出来ない。わからない。悲しみがわからない。怒りがわからない。……楽しさだって、わからない。ただ、笑顔という仮面が大抵の場合役立つ万能なものだから被っているだけにしかすぎない。
「梨太郎は、何が欲しいの? たくさん戦ってきたんでしょ?」
「オレは故郷が欲しい。……ううん。違う。家族が欲しいんだ。同じ思い出を共有して、同じ場所で安らげる、家族が欲しい」
「だったら、私と来なよ」
「……どうして?」
「同じ思い出を共有したいんでしょう? 私は進み続ける。みんなと進み続ける。だからそのうち、みんな、一緒の思い出がどんどん出来るよ」
主人公は人の願いを背負って進む。
死者を心に宿したまま、死者とともに進む。
そうして『みんな』と目標達成を願って進み続ければ──通り過ぎた道には『みんなと共有出来る思い出』が、たくさん咲き誇ることだろう。
「同じ場所で安らげるよ。私のここ──」桜は胸を押さえた。「──には、みんなが、ずっといるから」
主人公は人の願いを宿して進む。
彼女に願いを託した者たちは、ずっとずっと、彼女の中で息づいている。
「家族は、わからないな。でも、あなたがそう願うなら、あなたの願いも背負って進むよ」
主人公は願いを叶えるために進む。
自分自身に願いはなくとも、命と人生を懸けて、人の願いを叶えるためにどこまでもどこまでも歩み続ける。
すべて本心である。
嘘偽りのない、桜の正直な気持ちである。
梨太郎は、桜の言葉のすべてが真実だと理解出来た。
……それでもなお、桜とともに歩むのは、何か違うような気もしたのだ。
でも。
「──そっか。もう、オレは戦わなくっていいんだ」
長すぎる戦いの中を生きていた彼は、終わりを求めていた。
疲れ果てた彼は、オアシスを求めていた。
元が何だったかもわからない砂粒が広がるこの世界で、彼はいつしか、腰を下ろして休む穏やかな時間を願うようになっていた。
その心に、桜が触れた。
「戦いは、すると思うよ。だって、願いを叶えるために、みんなの力を借りるから」
「……あはは。違うんだ。オレにとって戦いっていうのはさ、『自分の意思で続けること』なんだ。オレの願いはオレが叶えるしかない。誰かのためにする戦いじゃなくって、オレのための戦いは、自分でするしかない。でも……君に託していいなら、それでも、いいかなって……そう思うんだよ」
「うん。私は必ず、あなたの願いも叶えるよ」
「……本当に嘘がないね、君の眼は。ああ、うん、なんだっけ、これ。この気持ち。……ああ、そっか」
梨太郎が目を閉じると、おじいさんとおばあさんの姿が浮かぶ。
粗末な庵の中。記憶を失った青年が、やたらと食べ物を勧められていた。
──梨っていうのはな、縁起がいい食い物なんだ。
──こいつを喰って、ワシは千年生きるぞ。
──そうだ若いの、行くあても記憶もないんじゃろ?
──だったら、ワシの子になっちまえ。そうだな、名前は……
──長生き出来ることを祈って、梨太郎にしとくか!
その時に覚えた気持ち。
その名前は──
「──安心、か。もしかして、この気持ちが、一緒にいると安心出来る相手と過ごす空間が──」
──故郷、なのかな。
梨太郎の心象風景に、黒い神威が浸透していく。
そして、梨太郎は──




