第218話 ワ・ライラ 四
氷邑梅雪が通った道。
そこを拓いた者は──
「見事であった。──七星彦一」
「恐悦至極ッ!」
七星家であった。
……この戦場、そもそも、剣士が命懸けで力押しすれば簡単に抜けられるものである。
本当にまずい戦場、まずい敵であれば、梅雪は軍を三つに分けない。一か所に集中させる。
ゲーム知識によって黒船の無限増殖スキルを知っていた梅雪であれば、『いくつもの方向に軍を分散させて相手の注意を惹く……』などの思惑がないことは明らかだった。無限の注意を分散させても、無限は無限のまま減らないからだ。
なので戦場が三つになれば敵は三倍に増えるだけのこの戦場において、梅雪が軍を分けた理由。
一つは『部下を競わせ、手柄を挙げさせること』。
これまでの侵攻においてさほどの差がつかなかったものの、戦争にはどうしても『第一功』が必要になる。『みんな違って、みんないい』などと日和ったことを論功行賞で言うような総大将は舐められるのみだ。
そしてもう一つ、見るべきものがあった。
梅雪が見ていたものは……
「他二軍、特にイバラキの戦場も思ったよりは早かった。だがしかし、指揮官、兵が最初から一丸となり、迷いなく駆け抜けたこの戦場には及びもつかぬ」
指揮官と兵との、連携・連帯・連動。
まずヨイチの戦場は、ヨイチに遠慮があった。
氷邑家の剣士たちは名門であるから、ヨイチを見ればそのやんごとなさがなんとなくわかる。やんごとなさは、自然と人を従える雰囲気を作る。特に、名門剣士に仕える兵たちであれば、そうだ。
だから実のところ、ヨイチは突撃を命じれば兵たち残らずこれに従った。……もちろんヨイチ自身に仕えてのことではなく、氷邑家のお役目で、当主梅雪が指揮官に任じた、『このやんごとない雰囲気の者』に従った、ということだ。
そうすればもっと早く抜けただろう。
だがヨイチは兵に対する遠慮から、そういう派手に潰れる方法をとらなかった。そこが遅さを生んだ。
対してイバラキはそもそも、軍の構成からして、あえてはねっ返りを集めている。
これに命懸けの進軍をさせるにはどうしても複雑な仕掛けが必要であり、その仕掛けのぶん、遅れが出る。
また、イバラキとその直下の元山賊軍は、どうしても名門剣士と比べると出力に劣る。『自分たちが率先して突貫する』という方法をとれなかった時点で、イバラキの出足はどうしても遅れた。これは軍の性質の上で仕方のないことである。
そして七星家には迷いがなかった。
まず、将が迷わない。
そして、迷わない将に従うことを、兵が迷わない。
当然、早い。
この戦場が『いかに兵たちに犠牲を呑ませ突貫させるか』という性質のものとして始まってしまった時点で、レギュレーションが彦一に有利であり、イバラキに不利であった。
「七星彦一、この活躍は帝にも奏上しよう。……これより、迷宮探索だ。俺の露払いを命じる。生きて報告に帰れるよう、俺を導け」
「承知ィ!」
獅子のような男は、力強く拳で胸を叩いた。
従う七星家兵らも片膝をつき礼をする。
梅雪はその様子を見てつい、微笑みを浮かべた。
「つくづく織にはもったいない連中だったな」
「梅雪様、いくら側室となったとはいえ、織姫様は我らの──」
「わかっている、戯れだ。……このたび、砂賊どもの位置を素早く掴み、無駄に迷うことなくこれを殲滅出来たこと、間違いなく織の内助あってのこと。帰ったら良く褒めてやろう」
「……その」
「申せ」
「は。二家の関係長久ならんことを……あー……願います」
「…………そうだな」
ようするに『早く子供を作れ』という話だ。
彦一も言いにくそうなのは、たぶん彦一の意思で言っているのではなく、七星家から『機会があればせっつけ』と言われているからなのだろう。
それにしても──
(俺は十三、織は十四。……『そういうもの』だとはわかっているが、どうにも、馴染めぬな)
これは『中の人』の感覚ではなく、梅雪本人の感覚だった。
実のところ、梅雪は『後継者作成』の教育をさほど受けていない。なぜなら、銀雪が梅雪の代で家を断絶させる覚悟だったからである。
だがしかし家は存続することになった。それも、以前よりかなり繁栄した形で。
御三家──もはや『両輪』だが──の中では抜きんでて帝の覚えめでたく、そもそも帝の妹を正妻に迎え、他にも家臣団からは忍軍頭領を妻に迎えるし、七星家の元後継者も嫁にとっている。
梅雪の血を引く子は現在、氷邑家後継者となる可能性はもちろんのこと、七星家に養子に出されてそこを後継する可能性もあり、場合によって(夕山が降嫁しているとはいえ)は何代か先の帝となることもありうる。
つまり氷邑梅雪の子というのは、大陸中が注目する存在なのだ。
(……『未来』か、これが。この感覚が、『未来』──『生きていくかもしれないから、先のことを思う』という、当たり前の感覚なのか)
死を約束されていた悪役令息だった自分が、子や孫の代のことまで考える立場に立たされている。
十三歳という年齢を差し引いても、想像しがたいことだった。
「ところで七星彦一、そちらの侍大将後継はどうだ。経験談などあれば聞かせていただきたいが」
「……む、ぐぅ……」
もちろん彦一が未だ結婚していないという情報を梅雪は知っている。
気まずい話題を振られた意趣返し──というほど大層なものではなく、冗談の応酬、という感じのものだった。
「新しい七星家の後継殿、あれなどはよく懐いているようだが」
「三十も離れた姫君ですぞ!?」
「十二歳に横恋慕する五十代もいたぐらいだ。さして問題になるまい。──まあ、互いの気持ちあってこそだがな」
「お戯れを!」
「ははは。……では、参るか」
このぐらいにしておいてやろう、と彦一を見れば、獅子のような男は眉毛を下げて弱り切った顔で、『勘弁してくだされ』と言いたそうに肩をすくめた。
(……この俺が、こんなにも和やかな雑談か)
少し前までは考えられなかった風景の中に自分がいる気がする。
これは、『鈍った』のか?
今までの激情を失い、丸くなったということなのか?
何もかもが敵のような気がして常に神経を尖らせ、常に自分が愚弄されていると妄想し、すべてを焼き焦がさんとする怒りが常に胸の中に渦巻いていたあの頃よりも、柔らかく成熟し──鈍ったのか?
梅雪は目を閉じる。
暗闇の中には蜂蜜色の髪の女が浮かび上がった。
そいつは黄金の瞳を開いてこちらを見ている。
剣聖。
死者の姿。
微笑みを湛えた女が、梅雪をただじっと見ていた。
その姿を思い描き──
(……この俺が、鈍った? この俺が、怒りを失った? この俺が──穏やかになった? ……断じて否だ。この俺を侮るなよ剣聖。殺す者は殺す。ただ、生かす者を生かすことを覚えただけのこと。俺は何も失っていない。俺はより、強くなる。貴様が俺を見下すこと、死後であろうとも決して許さん)
目を開く。
彦一がこちらを見ていた。
「……行くぞ。桜を殺す」
殺す、という言葉に宿る殺意──
声こそ静かだが、いささも翳りなし。




