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第192話 運命を告げる者

 氷邑(ひむら)家領主屋敷、本邸。


 平時であれば家臣たちがせわしなく行き来する行政機関でもあるその場所は、今、外から漏れ聞こえる音があるだけで、しんと静まり返っていた。


 その屋敷、己の書斎に一人座す男の名は氷邑銀雪(ぎんせつ)

 氷邑家の前当主である。


 彼は黙って座り、目を閉じ、外からの音に耳を澄ませていた。


 息子らが戦う音。

 合戦の音。


 前当主となった時点で、表向きには銀雪は隠居の身である。

 とはいえ、『他家からの侵攻を受けている』という状況で、まだまだ若い前当主がぼんやり座っているということはありえない。

 むしろ、当主の座を子に渡し自由の身になったからこそ、率先して前へ出て、命を賭して戦うべきである。


 だが氷邑銀雪、待機命令を呑んでここにいる。


 己が出れば、もっと手早く片付く局面もあろうことは重々承知している。

 ……また、息子がその子飼いとともに戦っている音を聞きながら、手を出さずにただただじっと座っているのは、甚だ忍耐力がいることでもあった。


 だが、出ない。


 ここに座していることこそが現当主からの命であり、銀雪が出張らざるを得ない事態は負けであると言われている。

 だから、出ない。

 ……どれほど飛び出したくとも、こうして座して待っている。


 外から漏れ聞こえていた激しい音が、あらかた止まった。

 短い沈黙ではない。……決着がついたのだろう。


 どちらの勝利か。

 ……などと疑うこともなく、銀雪は自然とつぶやいていた。


「ああ、勝ったのか」


 今回の戦略──


 銀雪から見れば、綱渡りもいいところであった。


 氷邑家というのは、領都屋敷以外にも多数の兵力を持つ国主大名である。


 支城がある。関所がある。砦がある。

 その戦力の総計は数万にも及ぶ。

 野戦という手段だってとれたし、現当主の梅雪(ばいせつ)が帝の妹を娶っている都合上、帝への救援要請だってできた。


 安全に戦おうと思うのならば……

 否、戦いを避けようと思ってさえ、いくらでもとりうる手段があったのだ。


 それを、わざわざ領都屋敷までおびき寄せて、梅雪の子飼いのみで相手取る。


 綱渡りである。

 ただし、その戦略の利も、わかる。


 ようするに梅雪は、氷邑家の損耗を可能な限り抑え……

 熚永家のみならぬ、『戦国時代』に対して備えることを優先したのだ。


 どこかの家と戦いながら、戦っていない家へ対してのにらみも切らさない。

 その戦略眼、戦国大名のものである。


「……私の出番は、なかったようだね」


 少しだけ、つまらない。

 しかし補ってあまりあるほどに、喜ばしい。


 息子の成長というのは──こんなにも、喜ばしい。

 ……喜ばしく。

 寂しいものでも、あった。


 銀雪は──


 不意に、真横に置いていた刀を抜き放つ。


 その刀、銀舞志奈津(ぎんまいのしなつ)。氷邑家重代宝刀である。

 五尺の大太刀だが、その抜刀に淀みなどあろうはずもない。ただ、刀を抜くだけで、周囲の空気が爆ぜ、踏み込みが地を揺らした。


 唐突なる居合。


 その理由は……


「これは、熱烈な歓迎でございますね。氷邑銀雪様」


 ──侵入者。


 銀雪の目の前には、いつの間にか、女がいた。


 紅白の巫女装束を身に着けた女である。

 灰色の髪を長く伸ばし、顔を薄布で隠し、なまめかしい唇だけをのぞかせた、女。


 豊満な肢体を持ち、奇妙な色香と、かぐわしいほどの神威(かむい)を放ち……


 銀雪の剣をその首に受けて、ゆるぎもせず、一滴の血も流さず、首から上を破壊されることさえなく、ただただその場に立ち続ける、女。


 明らかに理外の存在である。


「私はお前を知らないが、お前はなぜ、私を知っているのかな」


 銀雪、女の首に刃を添えたまま、ゆっくりと立ち上がりながらたずねる。

 居合による一刀、確かに会心の当たりだった。

 だが、皮膚さえ裂けていない。


 それでもなお、首筋に刃を当て続けているのは……


「返答によっては、このまま首を()し斬るが?」


 その女、全力でやれば斬れるという自信によるものである。


 しかし女は余裕を崩さず微笑みを浮かべ続ける。


「わたくしはあなたの敵ではございません。ただ……一つ、言祝(ことほ)ぎに参っただけの、巫女でございます」

「知らぬ者に何かを祝われるいわれはない」

「死の運命の回避、おめでとうございます」

「……」

「あなた様のもっとも大きな死因──『当主となった息子に暗殺者を差し向けられる』という運命、このたび、綺麗に消え失せましたことを、お(よろこ)び申し上げます」


 ……ゲーム剣桜鬼譚(けんおうきたん)における、氷邑銀雪の死因。


 愛息たる氷邑梅雪から暗殺者を差し向けられた。

 ゆえに、自ら死を選んだ。


 銀雪のような外れ者を殺せる者。銀雪自身である。


 もしも暗殺者が差し向けられて、それが愛息の陰謀ゆえだと気付けてしまったならば、何もかもがどうでもよくなり……

 妻の元へと向かうことを選ぶであろう。


 だがそれは選び取られなかった未来であり、現状の氷邑家の様子からは想像もできない道である。


「貴様は、何者か?」


 銀雪の手に力がこもる。


 女は、微笑んだままだった。


「申し遅れました。わたくしは、イワナガと申す者。……不滅と不変を司る、無害な傍観者。運命を見ることができるだけの巫女。美しき姉に愛しきお方をとられ生きさらばえるしかなかった敗北者にございます」

「なぜ、私に『運命が消え失せたこと』を告げる?」

「氷邑家には、姪子(めいご)たちがお世話になっておりますゆえ」

「姪?」

「……ああ、わたくしのことは、御三家にさえ伝わっておらぬのですね。これもまた、申し遅れました。わたくしの姉の名は、サクヤ。そして……姉に奪われた愛しきお方の名は、ニニギ」

「……」

「ニニギ、すなわち、神器の創造者にございますれば。アメノハバキリ、ヨモツヒラサカ、アマノイワトは、わたくしにとって姪も同然。そのうち二人が大変お世話になっているらしく、一度はご挨拶にうかがわねばと思っていたところにございます」


 その話を聞いて銀雪は──


 神威出力を高める。


 全力で、剣を振るう。


 部屋が風圧で砕け、屋敷が剣圧で裂ける。


 最強の剣士による、最大の一撃であった。


 だが……


 イワナガ、無傷で砕けた屋敷の中に立っている。


「わたくしは、不滅にして不変。このように言葉をかける以外にあなた方に干渉できぬ、ただの傍観者にて。わたくしを斬ること、どのようなお方でもかないませぬ。……どのようなお方にも、殺してはいただけませぬ」

「貴様は姪を憎んでいる」

「……」

「姪の縁者にその恨みが向かぬようには思えん。……憎いもの、その一族郎党、言葉を交わした関係者さえ、すべてすべて死に絶えよと願う、深い憎悪。言葉に滲んでいたぞ、化け物」

「──うふ」


 イワナガは、笑う。

 

「うふ、うふふ、うふふふふふ……!」


 口元を抑えて、しかし、こらえきれず、体を揺らし、腰を曲げ、笑う。


「うふふふふふふふ! あらぁ、銀雪様、もしや、そういった憎悪に経験がおありで?」


 声音は先ほどまでの超然としたものから、親し気で、蠱惑的な、毒婦のものへと変わっていた。

 銀雪は答えない。ただ、刃を向け、どのようにすればこの女の首を叩き斬れるかを考える。


 イワナガは「もう、つれないお方」と楽し気に声を発した。


「ええ、おっしゃる通り。わたくし、姉を酷く憎んでおりますのよ。当然ながら、姉の子らたる三種の神器とて、憎悪の対象。それに──その縁者、その親しき者、それと言葉を交わし、睦み合う者。すべてすべて、惨たらしく死ねばいいと思っておりまぁす」

「……」

「アメノハバキリの今の持ち主は、あなたの息子さんでしたわね」

「……」

「あなたに予言を告げましょう。わたくしの予言は、神器にまつわる人の運命のみしかわからぬ代わりに、正確でしてよ?」


 帝都騒乱。

 その中で暗躍した者の中の一人に、当時の帝の家老、七星(ななほし)義重(よししげ)という者あり。

 その者、野心が強く、現在の帝から数えて先々代のころより、神器を奪い、己こそが新たな帝として立たんという野望あり。


 しかし義重、老境に至るまで野望を隠し仰せ、忠臣のごとく帝に尽くした。

 その理由こそが、『巫女』。


『数十年の後、老境に至りし時。お前は必ずや神器をその手につかむだろう』という予言があった。

 その予言をした巫女こそが、このイワナガである。


 ……ただし、その予言は、ズレた。


 神器をその手につかむ。

 物理的につかむというのはイワナガが見た未来で間違いなかった。

 だというのに、義重、神器にあと少しで触れるというところで事切れている。


 それすなわち、氷邑梅雪の行動によって未来が変わったゆえであった。


 己の予言を乱す者。

 アメノハバキリに魅入られた者。


 ──ひどく気に入らない。


 ゆえにイワナガ、銀雪に予言を告げる。


 彼女の予言は、神器にまつわる者の未来を告げるものであり……

 予言を受けた者を不幸にする呪いでもある。


「『数年の後、あなたは息子をその手にかけるであろう』」


 銀雪が二度目の斬撃を放つ。

 その剣はイワナガの肩口にぶつかり……


 地の底、切っ先のはるか先にまで衝撃を与えつつ、イワナガの体はおろか、服や髪にさえ、なんの影響も与えることができなかった。


 イワナガは、笑う。

 肩口に押し付けられる切っ先を愛おしげに指で撫でて、笑う。


「うふふふふ……うふふふふ……あはははははは! ああ、すさまじきこと! なんと恐ろしきこと! 氷邑銀雪! 誰よりも平凡な幸福を望みながら、誰よりもそれから遠い才覚を持って生まれてしまった、憐れなお方! わたくしの予言は成就するでしょう! あなたは息子を殺す! 必ず殺す! あるいはその前に──わたくしを殺してくださるかしら!? 楽しみにしておりますわ、銀雪様!」


 イワナガの姿が、すうっと薄まっていく。

 肩口に押し付けた剣がすり抜け……

 一瞬、切っ先に目を奪われたすぐあと、気付けばイワナガの姿が完全に消失していた。


 銀雪は……


 息を一つついて、刀を鞘に納める。

 それから、にっこりと微笑み……


 誓願。


「貴様は殺す」


 銀雪は幼きころより優れていた。

 ゆえに、誰かを殺す、誰かを倒すなど、いちいち口にして誓うまでもない。


 だからこそ、口に出した。


 ……かくして不吉な予言は告げられ、最強の男は目標を得た。

 熚永(ひつなが)平秀(ひらひで)の乱の裏側で、運命が動き始める。

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