第191話 熚永平秀の乱・十七
桜に神威矢が中たる少し前──
熚永平秀。
すでに熚永家としては戦に負け、戦いの主役を剣聖に奪われ……
もはやこの先がないと理解して。
それでも全力で氷邑梅雪を殺そうとする暴徒である。
その平秀は、二の丸で足止めを喰っていた。
相手取るはイバラキ率いる氷邑家足軽隊。
平秀らは結果的に少数精鋭のみが残った。それゆえに、氷邑家足軽隊と戦おうとも、戦力的には上回る。
しかし相手は集団の利を活かしこざかしく立ち回る。抜けようと思えばふさがれ、下がろうと思えば回られ、進もうと思えば受け流される。心でも覗かれているような、極めて不気味な用兵をする相手であった。
「坊ちゃん! どうやら、ここを射場にするしかなさそうですぞ!」
『じいや』の声に、平秀はうなずく。
距離は遠い。
視界は建造物により通っていない。
……平秀には、アカリのような魔眼もない。
だが、人生の大一番。その集中力のみで、はるか向こう、二の丸を越え、一の丸さえ越えた先にいる梅雪の存在を掴むことも可能。
とはいえ、こうも阻まれながらの狙撃では、さすがに成功率が低いと言わざるを得ず……
「きゃははははははは!」
……敵に増援まで来る始末。
平秀の周囲を、暴徒たちが囲む。
とてつもない攻撃にさらされていた。才覚溢れる者たちが己を鍛え続けた結果の実力を持つ、熚永家古参の精鋭たち。しかし、氷邑家という若い戦力は、間違いなく熚永家を上回っている。
(見事だ。……本当に見事だ。やはり、我らは誤ったのだな。氷邑梅雪、天晴だ)
だから、殺す。
全力で殺すために行動することができる。
その全力さえ通じぬだろうと思えたからこそ、今、この一矢にすべてを懸けることができる。
「殿! お先に!」
仲間たちが命を潰して、平秀の射場を確保している。
屍を踏みしめ、弓に矢を番える。
「ミカヅチ、シナツ、ホデミ、ミヅハ。願わくば、あの命を射させてたばせ給え。これを射損ずるものならば、弓切り折り自害して、人に二度面を向かうべからず。今一度我が命運照らさんと思召さば、この矢、外させ給うな」
それは熚永家の開祖が大一番で唱えたとされる言葉であった。
術式ではない。呪文でもない。ただの願掛けである。
しかし、神や世界そのものを対象にした誓願は、実際に命や人生を懸ける気概で行えば、確かに力を得ることができる。
この時、平秀の瞳に魔眼が宿る。
熱視線──アカリが持った魔眼。動きを止めるだの、未来を読むだの、そういうものではない。ただ、壁の向こうの熱源を感知するだけのもの。
ゆえに、平秀は狙いを過たない。
……ゆえに、平秀は、目撃してしまった。
神威。
おぞましき力を放つ、神威。
壁越しにもわかる。この世のものではないほど冷たく、だというのに見ているだけで眼球を焼かれそうなほどに熱い、世界にとっての異物。
帝の祖とともに戦った者たちの血筋であるからこそ、そのおぞましさがわかるのだろう。
あれは、敵だった。
熚永家の? 氷邑家の?
いいや、違う。
人類の、敵だった。
「……」
「ご当主! 我が命にて射場の土を固めましょうぞ!」
愛しき部下たちが、その身命を散らして、平秀が矢を射る時間を創る。
一秒一秒が流れ出る血液でできていた。あまりにも貴重な、時間。
すべては氷邑梅雪に一矢報いるため。このような破滅しか待っていない行動についてきた愛しき馬鹿野郎どもは、この平秀がきっと梅雪を射貫くと──ただただ、誇りでさえない、くだらない意地のためにそうするだろうと信じて、ここで命を費やしてくれている。
それは紛れもなく、自分を信じるがゆえの献身であり、奮戦なのだ。
誰もがくだらない意地を自分に託してくれているのだ。
本来であればきっと、氷邑家郎党に、これっぽっちの人数では、勝つどころか、矢を射る暇さえ稼ぐことができない。それを可能にしているのが、比類なき気勢であり、そのモチベーションの源こそが──
「きっと、梅雪を討ち候え!」
──氷邑梅雪を倒せ、という願い。
(……愛しき忠臣たちよ。お前たちの願い、しかと受け取った)
引き絞る。
(だが)
狙いを定める。
(我らは帝への忠誠比類なきを美徳とする。……この一戦も、そもそも、帝に我らの忠誠をわかっていただくため、帝を騙す悪しき氷邑家を討つ目的で始めたもの。だが……)
敵の運動予測。狙いの誤差を修正。
(許せ、愛しき部下たちよ。……熚永家は帝に忠誠を誓っている。だが、それは、忠誠のための忠誠ではなかったのだろう。帝の祖であればきっと、この混迷のクサナギ大陸を救い導くと信じ、導き手に忠誠を誓った。すなわち──我らが忠義、平和への祈りである)
少しだけ、ためらい。
しかし、平秀、奥歯を噛み砕く勢いで、迷いを晴らす。
「我が最期の矢、暴徒の意地、愛しき部下たちの想いよりも──」
おぞましき神威。
……氾濫の主人の神威。
確信がある。
アレを放置してはいけない。
部下の命。部下の願い。神への誓い。己の人生のすべてを費やした、意地。
忠臣、熚永平秀は──
「氾濫、討つべし。この忠義報われなくとも、ただ、我らが大陸の平和のために」
──人生で最高の一矢を、放った。
その矢は──
離脱しようとしていた、氾濫の主人に中たる。
……だけれど、仕留めきれない。
不意を突いた。体を貫いた。速度を殺した。
だが、仕留めきれないのだ。人生で最高の一矢が。人生で、恐らく最期の一矢が、通じない。
平秀は弓を落とした。
……気付けば周囲での戦闘音もやんでいる。
「じいや、まだいるか」
かすれた声でつぶやく。
返ってきたのは、
「残念ながら、若者は死の列の順番を守らぬ礼儀知らずばかりのようで」
血反吐が混じったような、声。
平秀はただ、自分の矢が通過した先を見ながら、言葉を続ける。
「お前たちの命を捧げられておきながら、的を勝手に変えた」
「そうですか」
「責めぬのか」
「そうは言われましてもなぁ。外したならば責めようもあれど、変えて、中てたのであれば、何も申し上げることはございません」
「氷邑梅雪を狙えば、その命に的中したであろう一矢であったが」
「そこまでわかった上で的を変えたのであれば、まあ、この老骨にはわからぬ『何か』があったのでしょう」
「……責めぬのか」
「それが『託す』ということゆえ」
「なるほど、まだまだ学ぶことが多いらしい」
「さりとて人生はそう長くはないようで」
「ああ、本当に」
平秀は、笑い、
「……もっと学んでおくべきであったな」
かくして、熚永平秀の乱──
首謀者捕縛にて、幕を閉じる。




