17話 ねぇせんぱい、今日泊まってもいいですか?
「かんぱーい!」
小笠原の音頭に合わせて、同じ言葉を連ねた。
俺の狭いアパートで雨宮と小笠原と3人で鍋を囲む。
元々物が少ないとはいえ1Kアパートに3人はちょっと狭いな……。何でここで鍋パーティなんだよ。
「美味しい~。やっぱ楓の料理は最高! ウチにも来てや!」
「先輩の晩ご飯作るからダメ」
「えー、ウチも手伝ったやん!」
こうやって、雨宮と俺で飯を食う時になぜか小笠原がやってくることになった。
酒やツマミを持ってくるのは構わないんだが、とにかくこいつはよく喋る。
だがその明るさも前の事件直後はありがたかった。
雨宮も他人と話すことが以前と同レベルくらいにはなり、不器用ながらも恐怖は感じなくなったようだ。
さすが近い年の従姉妹だけあって、雨宮と小笠原は仲が良い。
でも俺以外に雨宮がちゃんと声を出せる相手がいることに少しだけ嫉妬を覚えてしまう。
親族という囲いを外せば間違いなく俺だけのはずなんだが。
しかし、それ以上に1人でガンガン喋って飲んでいく小笠原の横で楽しく相づちを打つ雨宮の姿に俺は嬉しく思えた。
夜も更け、日が変わりそうになる頃だ。
今日は平日のため明日も変わらず大学の授業がある。俺も雨宮も1限から授業である。
「おい、そろそろいい時間だぞ。お開きにしようぜ」
「うーん、せやなぁ。飲み過ぎたわぁ」
持ってきたお酒は小笠原がほぼ1人で飲んでいた。
雨宮もお酒に興味を示していたが、ちらちら俺を見ては我慢したように抑える。雨宮の家系はどうにも酒好きらしい。
未成年飲酒は公共の場では止めさせるが、ある程度身内のみであれば目を瞑る。飲みたきゃ飲めばいいと思うが、雨宮はどうにも俺に遠慮しているようだ。
俺はこの2人を車で家まで送るつもりだったので飲んでいない。
「2人とも送るから帰りの準備をしろ」
「あ、タクシー呼んだからええよ」
小笠原の言葉と同時にアパートの側にタクシーが乗り付ける音が聞こえる。
いつの間に呼んだんだ? 送ってやろうとしたのに……無駄な金を使う。
「んじゃ、2人ともまた大学でなぁ」
「帰ったら水飲んで安静にしろよ」
「秀ちゃん、またね!」
聞けば小笠原も雨宮とそう変わらない規模のマンションに住んでいるらしい。
小笠原は雨宮ほどじゃないと言っていたが俺からすれば似たようなものだ。女子の1人暮らしは危険なのは分かるが……、だったら駐車場込み1.3万の我が家で鍋パしなくてもいいのではとは思う。
「じゃあ……雨宮も送るぞ」
その言葉に雨宮は振り向かず、部屋の襖を開けて、俺には到底手の出ない高級感溢れる羽毛布団セットを引っ張り出してきた。
俺はまたかと息を吐く。
「ねぇせんぱい、今日泊まってもいいですか?」
雨宮はじっとりと俺を見つめる。
そんなくりくりとした瞳と艶っぽい唇に必然的に鼓動が高まる。
最初は狭い部屋に男女はダメだと断っていたんだ。しかし……。
「夜に帰ってまた襲われたら嫌ですからね~」
これを言われたら帰れなんて言えない。
実際、この前襲われたばかりなのだから。
ゴキのことを話してもそろそろ12月。暖房の無いこの部屋はかなり寒く、おまけにゴキ用の殺虫剤を大量に使用されたためこの家の中のゴキはほぼ絶滅したと言ってもいい。
こんなことを言い出したのは、あの事件の後すぐ。
……何食わぬ顔で俺の家に合鍵で侵入した雨宮が宅配便で羽毛布団を押し入れに仕込みやがった。
事前に風呂に入って、身綺麗にしてこの家に来る。それから晩メシを作って、ここで泊まって、それで朝、原付で帰っていく。
これが今の雨宮のルーチンだ。
「着替えるから玄関の方に行きますね」
1Kアパートの仕切りは廊下とこの1室しかない。
なので今、俺が廊下とこの部屋を繋ぐ扉を開けたりするとルームウェアに着替えようとする雨宮の下着姿が目に入ることだろう。
完全になめられている。
俺が襲ってこないと分かっているからできる芸当だ。
雨宮を傷つけるやつは許さないと言った人間がその本人を襲うなんてありえてはならない。
10分ほどで雨宮は部屋の方へ戻ってきた。モコモコのピンク色のルームウェアにストレートに伸ばした晦色の髪が目に写る。
雨宮は持ってきているクマのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめた。
寝る時はいつもこれを抱きしめて寝るらしい。
何度見ても可愛すぎる。美女とぬいぐるみ。俺は幻想を見ているのだろうか。
雨宮は俺を見て、にこりと微笑んだ。
「ふふーん、このぬいぐるみかわいいでしょ! 望むなら抱かせてあげてもいいですよ」
クマはいいからおまえを抱かせてくれと言いたくなる。
だがそんなアホなセリフを言うわけにもいかず、俺も自分のふとんを敷いた。
この部屋だとふとんを2つ並べたらもうきつきつだ。そのため必然的にふとんを横並びする必要がある。
雨宮のやつ、寝入りも早いんだよな。寝顔もかわいいし、俺は慣れるまで睡眠不足に陥ってしまった。
「明日はお互い1限から授業ですね。なら7時過ぎに起きますから」
「おう」
「じゃあ、先輩。おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
もう正直な所、俺は雨宮楓に相当絆されている。
可愛くて、飯が美味くて、家事万能ってそんなの普通に一般男子だったらとっくに好きになっているはずだ。
大学にいる間は人付き合いをしないと決めていたのに……本当に俺は中途半端なやつだ。
だけど、まだ好きとまでは言えない。
雨宮が俺を嫌いになったとしてもまだ耐えることができるだろう。
恋愛のことになると……あの子のことをどうしても思い出してしまう。あの子の眼中に俺の存在はなかったはずなのに……、未練がましく想ってしまうのか。
いや、違うな。これは未練というより、呪いだろうか。未だ縛り付けられているんだ、あいつらに。
だから俺は雨宮に告白はしない。
雨宮は出会った時に「好きな人に大きな声で好きっていいたい」と言っていた。
この懐きようを考えるとこの好きな人って俺なんじゃないかと最近思い始めている。
童貞特有の都合の良い妄想だが、好きじゃなきゃ……家に泊まらないだろ! と思う気持ち。あとは好きな男よりも口下手特訓、謹慎事件を経て、俺の方がいい男と思うようになったのではという期待を込めた願いもある。
ただ、都合の良い妄想が実現したとして、俺をどこで好きになったんだという気持ちもある。何かきっかけがあれば……でも、少なくとも雨宮と初めて出会ったのはあの駅前の書店の前だ。
一目惚れされるほどの際だった容姿でもないと思っているし、自惚れてもいない。
大学の先輩として信頼はしてますけど、それは好きとかそんなんじゃないんで……って雨宮に言われてしまう方が正直きつい。
そうなってしまったら今の関係のままではいられなくなるのだろう。
好き、嫌いをはっきりさせるより単純に雨宮に離れられて無関係になるのが嫌だ。
「寝ないんですか?」
「ああ、すまん……起こしてしまったか」
頭がもやもやして体を動かしていたら雨宮を起こしてしまったようだ。
暗がりの部屋で互いに見つめ合う。
「そのふとんって寒くないですか? もう12月ですよ」
「そう思うなら俺のふとんと変えてくれ」
「ヤです。寒いもん」
この前、羽毛布団を被らせてもらったらマジで暖かくてびっくりした。
あと敷き布団も低反発の高いヤツだし、枕もいいものを使っている。
「じゃあ、一緒に寝るか?」
「ふぁい!? そ、それはまだ無理……」
男の部屋に乗り込んでくるくせにこういう所は純情ぶってくる。
正直、それはそれで……安心する。
俺は女性と付き合った経験がない以上、雨宮相手にボロを出したくない。
頼れる先輩で居続けたい……雨宮が別の誰かを好きであったとしても……な。
「やっぱり何か考えこんでる……」
「うるせー、さっさと寝るぞ」
でも……まぁ。
叶うことなら……わがままだと思うが、ずっと俺の側にいて欲しい。そう願う。




