逆転の一撃
◇
地下牢から出た儂らは、フィーリアの後を追って廊下を進む。王城の地下は儂らが想像する地上階の煌びやかさはまったくなく、灯りが少なくじめじめした廊下が続いている。そのせいかここが王城の中だというのが信じられなくなる。
脱走を防ぐためか地上へと続く道は忙しなく右へ左へと曲がっており、まるで迷路のようだ。だが先頭を歩くフィーリアの足取りに迷いはまったくなかった。さすが生まれた時からこの城で暮らしているだけはある。おまけにひらひらしたドレスにハイヒールを履いているというのに、こちらがもたもたしていたら見失いそうなほどの速度で歩いている。
途中で何度か衛兵と出くわして肝を冷やしたが、フィーリアが笑顔で「ご苦労様」と労いの言葉をかけると兵たちは条件反射のように直立不動の姿勢になり、儂らはその横を悠々と通り過ぎることができた。
そしてとうとう目的地にたどり着いた。
「こちらがお父様の私室です」
王の私室と言われなければわからないほど簡素な扉の前で、僅かに息を乱したフィーリアが言った。顔を紅潮させ、額にうっすらと汗を滲ませているところを見ると、速足で歩いていたのは気が急いていたからのようだ。
なのでフィーリアはノックするのを忘れ、いきなり扉を勢いよく開いた。
「お父様、お話があります!」
お父様――王がこちらを向く。私室なので王冠もマントもないせいで、一瞬誰が王様なのかわからなかった。だが見栄えが悪いのは頭頂部が薄い落ち武者頭だけで、口元には自転車のハンドルのような立派な髭を蓄え、王様と言えば腹のでっぷりした老人のイメージを覆す、往年のプロレスラーを彷彿とさせる筋骨隆々の偉丈夫であった。
六畳間ほどの室内は木の机と椅子と、酒瓶の並んだ棚があるだけの、王の私室とは思えないほど簡素な造りだった。豪奢な調度品に囲まれた生活をしていると、反動で私室は思い切り質素にしたくなるのだろうか。はっきり言って学生の一人暮らしの方がまだ物があるぐらい、その部屋には何もなかった。
まあ物がないのはどうでもいいとして、室内にはあって欲しくないものがあった。
なんとアミークスがそこにいたのだ。
「き、貴様ら、どうしてここに!?」
儂ら――特にアルチュの姿を認めて、アミークスが慌てふためく。当然、奴はアルチュの変身を解く魔法『真実の鏡』を警戒しているのだろう。
だがアミークスは知らない。今アルチュは素面だから、『真実の鏡』は使えないことを。
それに気づかれる前に、何とか王にアミークスが魔族だということを知らせなければ。
「誰か! 誰かおらぬか! 脱走だ! 地下牢から囚人が脱走したぞ!」
アミークスが恐慌状態になって喚き立てるのを、慌てて王が宥める。
「落ち着け。あれは勇者たちだ」
「いいえ、あれは勇者のふりをした逆賊です! わたしを亡き者にして国政に入り込み、国家の転覆を図ったのですよ!」
「誤解です! 勇者様がそんなことをするはずがありませんわ!」
堪え切れないといった感じでフィーリアが叫ぶと、今度は彼女がアミークスの標的に変わった。
「ご覧なさい! 逆賊に唆された者がここに! 何という愚かな娘であろう! 王族ともあろう者がこんなに容易く売国奴に落ちぶれるとは!」
アミークスはフィーリアに指を突き付け、口角泡を飛ばす勢いで狂ったように喚き立てたその時、
「誰の娘が愚か者だこの馬鹿野郎!」
国王の強烈な右フックがアミークスの顔面を捉えた。
「ぶはっ……!」
顎を打ちぬかれたアミークスは、口から歯を数本撒き散らしながら酒瓶の飾られた棚へと吹っ飛ぶ。
アミークスが倒れ込み、木の折れる音とガラスの割れる激しい音が重なる。
「如何に宰相と言えど、我が愛娘に対する暴言はこのワシが許さん!」
王が右のこぶしを見せつけるように前に突き出し、床でのびているアミークスに向けて言う。
そう言えばこの王は、フィーリアを溺愛しているんだったな。さすがこの国で叶わない願いはないと自負する王女だ。
それはそうと、アミークスへと視線を向ける。
棚に向かって吹っ飛んだせいで、高価そうな服が酒にまみれて台無しになっている。室内も酒臭くなっていて、これは後始末が大変そうだ。
いや、そうじゃない。
儂は急いでアミークスへと駆け寄る。
無論、奴にトドメを刺すためではない。今ここで始末しても、奴が王に植え付けた疑念は晴らせない。そんなことをしたら反って疑念を抱かせてしまうだろう。
そうではない。
儂は棚から放り出された酒瓶の中から無事なものを一つ掴み取る。
「コラ! それはワシの秘蔵のコレクションだ!」
秘蔵の酒を手に取った儂に向けて王が怒鳴る。
それを無視し、儂は手に持った酒瓶をアルチュに向けて放り投げて叫んだ。
「そいつを飲んでアミークスの正体を暴け!」
弧を描いて飛んできた酒瓶をどうにか両手で受け取ったアルチュは、アミークスにトドメとなる一撃を加えられることに喜んだのか、それとも半日ぶりに酒が飲めることを喜んだのか、にやりと笑った。
「喜んで!」
あっという間に酒瓶の蓋を開けると、アルチュは勢いよく飲み始めた。左手を腰に当て、右手に持った酒瓶を高く掲げたまさに”ラッパ飲み”の名に相応しい飲み方であった。
ごっごっご、とアルチュの喉が豪快に鳴るたびに、大量の酒が彼女の胃の中へ消えていく。よほど強い酒なのか、顔が見る見る真っ赤に染まっていく。
その光景を見て、王が「ああ……」と情けない声を上げた。
十秒とかからず一本飲み干し、袖で口を豪快に拭うとアルチュはぶはぁと酒臭い息を吐き出した。
「さすが王様。いいの飲んでますね……」
しゃっくりをすると、手から酒瓶が滑り落ちて砕け散る。千鳥足でアミークスへと向かうと、アルチュはにへらとだらしなく笑った。
いよいよアミークスの正体を暴くつもりだ。それに先んじて儂は皆に注意を促すべく叫んだ。
「危ない! みんな目を閉じろ!」
儂の声に、すでに経験済みのマリンとデカンナはすぐに目を固く閉じた。だが何も知らない王とフィーリアはぽかんとしている。
「まずい! アルチュ、ちょっと待て――」
しかし儂が止めるより早くアルチュが動いた。身の危険を感じ、儂も目を瞑る。
「食らえ! 『真実の鏡』!」
目が眩むような閃光が、一瞬で室内を埋め尽くした。
明日も投稿します。




