シュナクと25ノ姫 2
翌朝、隣でグッタリしている妻をそのままにシュナクは仕事に出掛けた。
とにかく、妻の顔を見るのも嫌だった。
シュナクはそれが政略的な意味を持っている結婚だとしても、妻を大切にしようと思っていた。美しい姫に見とれもした。
けれど。
けれど、あの女は、もとからそんな努力も放棄したのだ。
そして、腹が立ったとはいえ、女を粗末に扱った自分にも苛立っていた。
「やあ、シュナク。今日はより一層いかつい顔つきだねぇ。女官がこの辺りにまったく寄り付かないんだけれど、自覚はあるかい?」
書類を区分けしている手を止め、からかうような声に顔を上げた。
穏やかな顔で微笑む同僚ソウレイだ。
「君、今日は休みのはずだよね? せっかくの新婚なんだから、もっと奥さんと親交を深めたらいいのに」
「……」
無言で作業を再開したシュナクの隣にソウレイが腰掛ける。
「その仕事、君がしている姿を見るのはいつ以来だろう。書類に目を通す仕事があることを、君はすっかり忘れているんじゃないかと思って心配していたんだけど……、君が書類を持っていると逆に心配になるよ」
どちらかと言うと言葉の少ないシュナクとは逆に、ソウレイはよく喋る。
確かに、シュナクは机に向かう仕事は苦手だった。鍛錬場で部下を鍛えている方が好きだったし、何よりシュナクを見て怯える女官を見るのが辛い。
けれど、休みを申請したシュナクは鍛錬場で剣を取ることができなかったのだ。
何もすることがなく、しかし家に帰るのは嫌で、久しぶりに書類の処理を行なっていた。
そんなシュナクの事情を知ってか知らずか、ソウレイはふっとため息をついて更に言葉を続ける。
「君はいいよねぇ。25ノ姫だっけ。強く望まれたんだよねぇ。僕はすっかりレンレンに嫌われちゃったみたいで、寂しいよ。あ、レンレンって言うのは愛称ね。レンゲって言う名前は僕が考えてあげたんだ。名前自体は気に入ってくれたみたいなんだけど、レンレンが泣いてばかりでさ。文化の違う姫様って、わからなくなっちゃうよね」
完全にソウレイの話を聞き流していたシュナクだったが、何か引っかかるものを感じて手を止めた。
そう言えば、ソウレイも今回の報奨に姫をもらったはずだ。
「名前……か」
ソウレイの姫は名前を名乗ったのか。
いや、ソウレイは先程何と言ったか?
シュナクはもう一度ソウレイの話を思い出し、首をひねった。
「文化の違いって言えば、名前もそうだよね。王族の姫が通し番号の名前って、ちょっと可哀想な感じもするしね。まぁ、嫁ぐ時に正式な名前をもらえるって話だけど。もう名前を与える王が居ないんじゃねぇ。君の姫は、どんな名前にしたの? やっぱり君が決めたのかい? コクロの姫は自分で決めた名前を名乗ったそうだけどね」
コクロと言うのも、姫をもらった軍人だ。
いちいち話しの長いソウレイの言葉を、シュナクは呆然と聞いた。
通し番号の名前しかない。
嫁ぐ時に正式な名前が与えられる。
しかし、王が居ないため、姫達は嫁いできても通し番号の名前しかない。
何度もソウレイの言葉を反芻し、シュナクは無言で立ち上がった。
名乗れないはずだ。
名乗る名前がないなんて……!
だらだらと変な汗が吹き出るのをぐっとこらえ、シュナクは書類の束をソウレイに押し付けた。
名前を尋ねた時の、困ったような姫の顔が思い出される。
自分は何ということをしてしまったのだろう。
姫の言葉を聞くこともなく、カッとなって勢いに任せて、姫を……。
シュナクは己の犯した間違いを責め、全力で屋敷を目指した。
謝ろう。何をおいても頭を下げ許しを請うて、もし姫が昨晩のことで自分を憎んでいても一生を捧げよう。もし姫が大きな傷を負ってしまっていたら、一生をかけて償おう。
心はすぐに決まった。
その日、鬼の形相で家へと疾走するシュナクを見た人々は、確実に誰かを殺るつもりだと本気で信じ恐怖で震えたという。




