取引所にて(こんとらくと・きりんぐ)
装置係
「クソ忙しい仕事なんだ」
装置係が言った。
「本当にクソ忙しいんだ」
彼は真鍮に黒い木材の台座があるキーで7・9・9と打った。外の叫びにも近い声が床と壁を震わせた。窓の外を一瞬、ステッキを脇に挟んでシルクハットを押さえた紳士が上から下へ飛び過ぎていった。
「いま、飛び降りたか?」
「飛び降りたね」
「すまんが、そこにある通信機の紙テープがオールマン鉄鋼799って出てるか確かめてくれないか?」
「いいとも」
殺し屋はパイを皿に置いて、立ち上がり、丸いガラスのなかの機械から流れ出てくる紙テープを手に取った。テープには黒い点がいくつも打たれていた。
「解読表はそこにある」
柱に点と文字が対応した一覧表が釘で打ちつけてあった。殺し屋はちぎったテープと解読表を見ながら確かめた。
「コールマン鉄鋼799ってなってる」
「あー、間違えた」
装置係はキーを叩いた。
「なあ、コロニアル・フルーツの値、何にしたい?」
「ぼくが決めてもいいの?」
「好きな値を言ってくれ」
殺し屋はジャケットのポケットをまさぐり、前に滞在した国で買った宝くじのハズレ券を取り出した。
「556」
「よし」
装置係はキーを打った。また、何百人のわめき声で床がしびれた。窓の外を紳士がふたり落ちていった。
「555なら三人飛び降りてた。つまり、お前はひとりの命を救ったんだ」
「ぼくは殺し屋なんだけど」
「あああ、クソ忙しいぜ。すまんが、ビールとサンドイッチを買ってきてくれないか?」
「いいとも。サンドイッチは何がいい?」
「ポーボーイを頼むぜ」
殺し屋が部屋を出ると、眼下にシルクハットと燕尾服の紳士たちが何百人と波のように押し合っていた。あちこちに丸テーブルがあり、そこには小部屋にあるものと全く同じの丸いガラスの機械があった。そこから流れ出る紙テープをちぎっては紳士たちは怒鳴ったり、頭を振りまわしたり、喜んで踊ったりしていた。
殺し屋は石造りの欄干に手を滑らせながら、廊下へと出た。腰の高さまで黒い石材で出来た壁に偉そうな顔の男たちの絵がずっと続いていた。ホールに背を向けて歩いて、小さな部屋のドアを開けた。そこには食べ物と飲み物がガラスケースに入っていて、カウンターには風船みたいに袖のふくらんだブラウスを着た女性がレジスターのそばで静かに座っていた。殺し屋はポーボーイ・サンドイッチとビールをひと壜取り出して、籐の籠に入れた。
女性は殺し屋を見て、ビール壜を見た。
「年齢の分かるものを見せていただきますか?」
殺し屋は身分証明書を出した。慣れたものだった。というのも、殺し屋はショートヘアの少女、または長髪の少年に見えたからだ。
「確認できました。お手間を取らせました」
「ちなみに飲むのはぼくじゃないんです」
紙に包まれたサンドイッチとビールを手に部屋を出て、偉そうだが既に死んでいる男たちの絵が続く廊下を歩いて、シルクハットの紳士たちがコマみたいにぐるぐるまわっているホールを下に見ながら、装置係の部屋に戻った。
装置係は退屈そうにキーを打っていた。彼の足元には読み古したコミック雑誌が束になって置いてあり、ソーダ壜がストローを差したまま転がっていた。少し離れたところには寝袋がふたつに折られてある。
「おれはどうしてこんな仕事を選んだんだろうなァ。そう考えたこと、あるか?」
「ないね。ぼくは天職にありつけたよ」
「そりゃうらやましい。おれは数字を考えるので忙しい」
「正しい数字を打たなくていいの?」
装置係は笑った。
「何が正しくて何が正しくないかなんて、やつらには分かりっこねえって。おれが本当の数字を打ったとしても、あいつらは騒いで、わめいて、飛び降りる。じゃあ、別におれが考えた数字でもいいじゃねえか。それにおれは人道主義に基づいて働いてるんだぜ。殺し屋には人道主義ってのを考えることはあるか?」
「しょっちゅう考えてるよ」
「おれが正しい数字を入れた場合とおれが考えた数字を入れた場合で飛び降りる人間の数を数えたら、七対五だった。つまり、おれはふたりの命を救えるんだよ。おれは人の道をしっかり守ってる。それに、これが一番大切なことだが、おれは株券を一枚も持っていない。さて、サウスアイランド水産。これはどうする?」
「999って入れたことある」
「そういや、やったことなかったな」
外の喧騒がぴたりと止まった。振動も何もない。
「みんな死んだのかもね」
「いや」装置係は時計を指差した。十二時だった。「昼休みだ」
装置係は上着を着て、帽子をかぶり、鏡を見ながら、ネクタイを締めた。
「売店の子とランチだ。カーネイションはどこかな?」
無政府主義者
「カネなんてものがあるのがいけないんだ」
無政府主義者はそう言いながら、目覚まし時計の針をまわした。時計から銅線が螺旋状に伸び、大きなごろっとしたボーリングの玉につながっていた。
「なら、どうして、あなたは無金主義者にならないんですか?」
無政府主義者はそっとボーリング・ボールを持ち上げた。まるで、それが機嫌を取らないといけない神さまでも閉じ込めているかのように。
「カネと政府はいつだってつながっている。政府権力を否定するなら、カネを攻撃するのが一番手っ取り早い」
「あー、なるほど。大学を出てるだけのことはありますね」
ごとっ、と低く硬い音がして、バナナの木箱のなかにボーリングのボールが入った。螺旋の銅線はほとんど真っすぐになって伸びていた。
「殺し屋の学校じゃ教えてくれなかったか?」
「教わった気もします」
目覚まし時計を持ち上げて、それをまたバナナの箱に入れる。次にラジオ用の大きな円柱型バッテリーを引き出しから取り出すと、目覚まし時計から伸びる別の赤と青の線をバッテリーの端子に結びつけ、留め金をまわして固定した。
「だが、学校の教育なんて大したことはない。問題は創意工夫だよ」
無政府主義者は別の引き出しを開けた。その半分にはサイザル麻で作られた袋が畳まれていて、もう半分にはペンチでバラバラにした釘がいくつかの壜に詰まっていた。壜はコルクで栓がされていた。無政府主義者は壜を取り出しては、バナナの箱に入れていった。
バナナの箱は、自分には特別な使命があると勘違いした人間が演説するときに乗っかる果物箱で、ささくれだった木材をいい加減に釘で打ちつけた、ありふれたものだった。子どもはこれに車輪をつけて乗り物にするが、無政府主義者には別の考えがあった。
「無政府主義っていうけど、どこまでなくすの?」
「何を?」
「政府」
「政府と名の付くもの全てだよ」
「村長とかも?」
「廃止」
「でも、村だよ? 村役場だよ?」
「例外をつくるのはいけない」
「政府がなくなったら、どうやって人はまとまるの?」
そのとき、ドンドンと乱暴にドアを叩く音がした。外からはこんな声がきこえてきた——いい加減に家賃を支払ってください!
「来たか、資本主義のブタめ」
無政府主義者は工作室のカーテンを引き、玄関のドアを開けた。そこには丸っこい顔の婦人が立っていた。
「なんですか、ミセス・ビルセル」
「いい加減にお家賃を支払ってください」
「三か月前に払ったじゃないですか」
「だから、先月分と今月分をいただいていません」
「来月に支払いますよ」
「先月もそうおっしゃったじゃないですか」
「四か月前に、来月払うと言って、実際支払ったんですから、これは間違いないですよ」
「あなたは恥ずかしくないんですか? こんなか弱い未亡人のことをいじめて」
「そういうあなたこそ恥ずかしくないんですか? 家賃収入なんて、典型的な資本主義的悪弊じゃないですか」
「わたしは学がないからわかりませんが、でも、他人から部屋を借りたら、お家賃を支払わないといけないことは教わってます」
「それが間違いのもとだ。現行政府の教育制度は資本主義の権化たちを正当化するためにリソースを裂いている」
「言っていることはわかりませんが、とにかく滞納分も合わせて、支払ってもらいますよ」
「明日、払いますよ」
「今日、払ってください」
「わかりました。担保を出します」
そう言って、無政府主義者は居間のタンスの引き出しから汚れた靴下をかき出して、それを大家に渡した。そして、大家が何か言う前にドアを閉めてしまった。
外からは大家の泣き言がきこえる気もしたが、無政府主義者は葬送行進曲を口笛で吹きながら、工作室へと戻っていった。
「それで何の話だったかな?」
「政府がなくなったら、どうやって人はまとまるの?って話です」
「それは簡単だ。道徳と義務感だよ」
「ぼくみたいな道徳も義務感もない人間はどうするの?」
「個人で生きることだ」
「それは寂しいね」
「政府に抑圧されるよりはずっといい」
「ぼくは政府に抑圧された覚えはないけど」
「政府がなければ、もっと簡単に殺せると思わないかな」
「簡単に殺せるってことは素人でも殺しができるってこと。それじゃ、ぼくの商売が成り立たない」
「違う人生を生きればいい」
「結構、この職業、気に入ってるんですけど」
無政府主義者は壜を全部入れて、板材の蓋に釘を打ち込んだ。
「素晴らしい傑作だ。どうして、細かく切った釘を入れたかわかるかい?」
「わかります」
「資本主義者へ無政府主義者からの挨拶だ。僕がきみなら明日の十二時十分に取引所のそばには絶対にいないね」
靴磨き
高い位置にクッションのある椅子が歩道にあったので、殺し屋は段を上って座ってみた。
それは靴磨きの椅子だった。椅子が高い位置にあるので、靴磨きは腰をかがめずに靴を磨くことができた。
ぴんと張ったタオルを打楽器のように軽快な音を立てて、靴から薄っすらとついた土をたちまち拭き去った。
バッ、バッ、バババン、バッ、バッ、バン。
黒い墨を指先ですくうと、点々と靴につけて、またタオルで磨くと、殺し屋が知らなかった小さな疵でさえ、たちまちのうちに消えていき、今日買ったばかりのようにピカピカになった。
非常に優れた仕事だったので、殺し屋はたずねた。
「明日の十二時十分もここで仕事を?」
靴磨きはうなずいた。
昔の喧嘩で喉を耳から耳まで切り裂かれた跡がピンクの筋になって盛り上がっていた。
仲買人
「きみの専門だろ?」
「そうだけど、ぼくは他人を撃つために選ぶのであって、自分を撃つための銃を選んだことはないんだ」
仲買人はこれなんか、どうだろう?と殺し屋に銃を見せた。
「いいんじゃないかな。でも、頭が完全に吹き飛ぶよ、これ。葬式のとき、棺開けられなくなるけど」
「いいんだ。家族はいないから」
事務所には紙が床やデスクに散らばっていた。全て倒産した会社の株券だった。
コールマン鉄鋼。コロニアル・フルーツ。サウスアイランド水産。
仲買人はショットガンを試してみようとしたが、顎鬚が邪魔をしてうまくいかないようだった。
「だめだ。やっぱり、そっちのリヴォルヴァーにするよ」
「いい銃だね」
「そうなのか?」
「限定モデルだよ。警察の証拠品保管庫で朽ちて果てるのは寂しい銃だ」
「しょうがない」
トントントン。
ドアをノックする音がした。
「すまないが、出てくれないか? 秘書はもうとっくに解雇してるんだ」
殺し屋は社長室を出て、絨毯が剥がされた廊下に踵を鳴らしながら歩き、玄関のドアを開けた。
顔が黄ばみ、顔から首まで汗を浮かべた男が立っていた。カラーが外れかけていて、ネクタイがチョッキの上へだらりと下がり、歯をガチガチ鳴らしていた。
「どちらさまですか?」
「あ、あ、あいつ、あいつのせいで、全財産が」
「ああ、そういう人ですか。ちょっと待っててください」
殺し屋は控室の横の給湯室に行き、冷蔵庫を開けた。ビールがあったが、電気を止められていたので、ぬるくなっていた。
社長室に戻ると、仲買人がリヴォルヴァーの銃口を眉間につけたり、こめかみにつけたり、口にくわえたり、つま先につけたりしていた。
「ショットガン、もらってもいいですか?」
「ああ」
殺し屋はショットガンを手に玄関に戻り、黄ばんだ顔の男に渡した。
「はい、これをどうぞ」
男はいまにも泣きそうな顔をしたが、これ以上、殺し屋にできることはないので、その鼻先でバタンとドアを閉じた。
部屋に戻ると、仲買人は姿を消していた。
十二時十五分前。
取引所にて
時計塔の長針は十二時九分を指していた。
取引所の前には馬車や自動車が集まっていて、仲買人や証券会社の社員たちが昼食をとるために外に出始めたところだった。
靴磨きは椅子の足置きを磨いていた。
仲買人は銃を手にして、頭を吹き飛ばしたとき、一番目立つ場所を探していた。
装置係はジャケットのボタンホールにカーネイションを差し、売店の風船みたいな袖のブラウスの娘の手を取って、一緒にランチを取りに階段を下りていた。
バナナの箱は広い階段を分ける手すりのなかほどに置いてあった。
殺し屋は三ブロック離れた売店で新聞を買っていた。一面には昨晩遅く、警官隊が手入れで屋根裏部屋を強襲し無政府主義者を射殺したと掲載されていた。
殺し屋はチョッキから時計を取り出して、蓋を開け、秒針を読んだ。
蓋を閉じ、時計をチョッキのポケットに入れると、売店の陰にしゃがみ、耳を塞いで、目を閉じて、数えた。
「――3、2、1」




