55 説得
「ですが、領地が増えると」
「そうね。伯爵になってもらうことになるわね」
「は? 私が伯爵? 子爵ではなく?」
「ええ。それくらいの領地を譲渡する予定よ」
「………………伯爵はちょっと……」
伯爵以上になると国内での役割や王都での責任も増えることを男爵は懸念した。それを見たレイジーナはソファに背を預けるほどふんぞり返る。
「男爵のそういう態度が薬師たちの立場が向上していかない理由だと思うの。薬師って人の怪我を治りやすくしたり、病気を楽にしたりするのよ。そんなすごい人たちが日の目を見ず、王都でぬくぬく関税をくすねている者が崇められるって変でしょう? やつらは通行表で情報を得て自分の利益にしただけなのよ。そうならないために、薬師の代表が上にいかなくてはならないのよ」
「ですが……」
レイジーナの落ち着きながらもノーと言わせない圧力にたじろぎながらも躊躇した。
「男爵は誰より国民の健康を考えているじゃないの。それには薬師の人数確保や技術向上が必要よね。息子さんはすでに薬師の後継者として頭角を表しているわ。それならこれから男爵は後輩たちのための道になってあげるべきじゃないかしら?」
痛いところを突かれた男爵はうつむき加減で目を閉じた。レイジーナはそれを待つ。
「俺に何ができるのですか?」
「まず、一年目は新人伯爵として領地の再建に力を注いでちょうだい。薬草用の畑にするのは大変だろうけど、農機具などはルネジー商会が全面的に協力するわ」
「ルネジー商会ですって?」
ルネジー商会はかの流行り病以降、男爵領に支援や流通補佐などの融通を利かせてくれている商会で、そのおかげで以前より領地経営が格段に楽になり、研究に力を入れられる一因になっていた。
「そうよ。これは極秘だけど、わたくしが利権の一部を持つ商会なの」
「つまり先程のお言葉よりずっと前から我々を認めてくださっていたのですね」
「薬は必要だもの。でも薬草が一日で育つわけじゃないでしょう。わたくしには研究はできないけど、薬草確保のお手伝いはしたかったの」
「ありがとうございます!」
大きな音を立てて立ち上がった男爵は青い頭を深々と下げた。
「ここまでのご無礼、誠に申し訳ございません。私の首を差し出しますので、我領へのルネジー商会からのご支援はお続けいただけますようお願いいたします」
「はあ。とにかく座ってちょうだい。貴方がこんなに素直に聞いてくれるなら早く名乗ってしまえばよかったわね」
ガレンがレイジーナの代わりに座るようにと促した。
「とにかく極秘! いい? それに貴方の首なんていらないわ。容姿は好みではないっていったじゃない。私は貴方みたいに暑苦しい顔はタイプじゃないの。飄々として涼しく笑っているのが好みなの」
「くっ……」
後ろから笑いを堪える声が漏れた。どうやら騎士には思い当たる人物がいるようだ。
『王妃殿下にとって極秘を口にしても大丈夫な者たちだけがここにいることを許されているのだな』
男爵は目ざとく顔を覚えていく。
「そろそろ話をまとめてもいいかしら? 男爵も知っているようにわたくしの「愚妃」という噂があるからここでの話を長引かせたくないのよ」
「簡単に払拭できるのでは?」
ルネジー商会は今やそれほどの力を持っている。
「払拭したくないの。だから極秘なのよ。とにかく領地の譲渡契約を済ませてしまいましょう」
後ろに控えていた執事が男爵に指示を出してサインをさせた。
「男爵領は弟にまかせて、男爵は子息ともに引っ越しなさい。伯爵位と男爵位くらいならわたくしがどうにでもするから。
でも、侯爵位となるとわたくしだけではどうにもならないわ」
「侯爵??」
「そうよ。ゆくゆくは貴方は侯爵になって王城薬務局の大臣になるのよ」
あまりに大きな話にたじろぐが、すでに領地の契約にサインをしてしまったので引き下がれない。
「いまはまだないけど、アランディルスが王位を継承すれば薬務局を作るはずだわ。それまでに領地の経営を子息に任せられるくらいにはしておいてちょうだい」
立ち上がった男爵は胸に手を当てて頭を垂れた。
「王妃殿下のご期待に応えられますよう精一杯励みます。弟への引き継ぎや新領地の視察がありますので御前失礼したします」
「ええ。新伯爵任命の書簡が届くまでは内密よ。思っていたより話が長くなってしまったわね。これなら茶菓子を出すべきだったわ」
男爵から伯爵に爵位が上がるわけではなく、これまでいくつかの男爵領をまとめた領地を伯爵領とし新伯爵になる。
「内密の件、かしこまりました。茶菓子はお気になさらないでください。甘いものは苦手なもので正直助かりました。茶は美味かったです。
では」
颯爽と黒いマントを翻して去っていく。
「あら、マントを着たままだなんて、あちらも長話の予定ではなかったのね」
レイジーナも優雅に立ち上がり王妃宮へと戻っていった。




