第95話「キトル太守家とグルトラ太守家による『人質交換』作戦(1)」
──人質交換 当日──
『人質交換』の当日。
シルヴィア姫、ユキノ、キャロル姫と侍女のケイトは、馬車で『キトル太守領』の境界地域へとやってきていた。
場所は『キトル太守領』の南西にある街道だ。
このあたりが、『キトル太守領』と『グルトラ太守領』の境界線になっている。
「このあたりがいいでしょう」
境界線の少し手前で、シルヴィアは馬車を停めた。
馬車を降りると、街道の先に、黒い馬車が停まっているのが見えた。
側にいる兵士が報告する。「あれがグルトラ太守の馬車です」と。
すでに向こうは到着していたようだ。
馬車の脇には小柄な男性とローブを着た男性、その他に十数人の兵士がいる。
彼らは境界線の向こう──『グルトラ太守領』に立ち、じっとこちらを見つめていた。
「あれが弟のトニアです。隣にいるのは……あの子が近くに置いている魔法使いカクタスかと」
キャロル姫は侍女のケイトに支えられ、馬車を降りてくる。
「カクタスの能力は……人を支配する『黒魔法』でしたね」
「人の精神を支配する魔法を使うのではないかと、『辺境の王』は予測されています」
「我が主は、他の魔法も使うのではないかと予測されています」
シルヴィアが言って、ユキノがうなずく。
『精神支配』対策として、全員頭にハチマキを着けている。対策は万全だ。
「さすが『辺境の王』ですね。ですが、あたくしの予想通りであれば……」
「父も、姉のミレイナも『精神支配』を受けているのかもしれません」
「……そ、そうなると回復には」
「療養に良い場所を『辺境の王』が用意してくださいました。父と姉には、しばらくそこで休んでいただきましょう」
「どこまで対策をされているのですか!? 『辺境の王』は!!」
侍女のケイトが叫んだ。
主人であるキャロル姫は「そういうこともあるかもしれませんねぇ」って、うなずいている。
大物だった。
シルヴィアはユキノと視線を交わす。
ふたりとも、トニア=グルトラのまわりにいる騎兵を見ていた。
軽装の騎兵だ。数は、30人くらいだろう。
シルヴィアたちに対する礼儀のつもりか、馬から降りて、地面に膝をついている。
すぐに襲ってくることはない。
(……それに、私たちは充分、守りを固めておりますから)
そう考えて、シルヴィアたちは前に出て、声を上げる。
「トニア=グルトラさま。交渉に応じていただいたことに感謝いたします!」
「ああ。シルヴィア=キトル姫。うわさ通りに美しい方だ」
街道の向こうで、トニア=グルトラが叫んだ。
「ぜひ、間近でお話がしたい! グルトラ領にご招待いたしましょう。さすれば、互いの領土についてもっと建設的なお話もできるかと思いますが」
「まずは父と、姉と会わせてください。お話はそれからです」
シルヴィアはトニア=グルトラをまっすぐに見据えて、告げた。
「それと……私のこの身は、すでに私だけのものではございません。私はもう、お仕えしたい方を見いだしておりますので」
「……それは?」
「ここでお話しすることではないでしょう。その前に父と姉に会わせてください!!」
シルヴィアの視界の先で、黒い馬車の扉が開いた。
中からゆっくりと、ふたりの人物が降りてくる。
一人は背の高い、白髪の男性。アルゴス=キトル。
もうひとりは、金色の髪の女性、ミレイナ=キトルだ。
「……父さま。姉さま」
ふたりの足取りはしっかりしている。怪我をしている様子はない。
だが──ふたりとも、こちらを見ていない。
久しぶりの再会に、シルヴィアは涙を浮かべているというのに、ふたりはまるで無表情だ。
「精神支配……されているようですね」
「どうしますか、シルヴィアさん」
シルヴィアの後ろで、ユキノがぽつり、とつぶやいた。
「人を魔法で支配する者など、天が許しても『有機栽培の竜王』が許しません。おふたりを取り戻したら、魔将軍として一撃ぶっぱなしてあげましょうか?」
「そうしたいところですが……敵の騎兵の力が気になります」
「ただの騎兵じゃないでしょうね。なにか、強化しているかもしれません」
「『辺境の王』も、そうおっしゃっていました。『伏塀』では、ひっくり返すタイミングが難しいかもしれない、と」
「じゃあ、やっぱり作戦通りに?」
「ええ。ユキノさまは、キャロル姫をお願いいたします。騎兵対策は……あの方にお願いいたしましょう」
シルヴィアはうなずいた。
そして、トニア=グルトラに向かって、叫ぶ。
「父と姉を保護していただいてありがとうございました。また、当方に滞在されていたキャロル姫をお返しいたします。今後も互いの領土が、平穏でありますように!」
「……それではシルヴィアさま、ごきげんよう」
キャロル姫はシルヴィアに向かって頭を下げた。
「どうか、次に会うときまでお元気で」
「ええ。すぐにまたお会いしましょう」
「……すぐに?」
「行きますよ。キャロル姫さま」
侍女のケイトに手を引かれ、キャロル姫が歩き出す。
ユキノはその護衛だ。
同時に、グルトラ太守側も、アルゴス=キトルとミレイナ=キトルを解放した。
ふたりはまるで人形のような動きで、シルヴィアのところにやってくる。
「おお、シルヴィア」「我が妹シルヴィア」
不意に、ふたりが走り出した。
なぜかふたりとも、片手を背中に回している。
父の手が、短剣を抜いた。姉の手には、革製の拘束具がある。
ふたりはまっすぐにシルヴィアに向かって走り、『キトル太守領』内にたどりつき──
──『結界』に入った瞬間、『精神支配』の魔法が解けた。
「……あれ? わしは、わしはなにを!?」
「……シルヴィア? ここは? わたしはどうしてこんなところに?」
「…………父さま……姉さま!!」
シルヴィアは思わず、父と姉に抱きついていた。
ふたりの手から、短剣と拘束具が落ちる。
トニア=グルトラは、ふたりにシルヴィアを捕らえるようにに『精神支配』を掛けていたのだろう。
だが、ショーマが張り巡らせた『結界』の中では、黒魔法は効果を失う。
アルゴス=キトルとミレイナ=キトルは、あっさりと支配から解放されてしまったのだ。
「……思い出した! わしは『十賢者』を除くために……」
「……そうです。父上。『グルトラ太守』が裏切りを……」
「今は、いいのです。父さま。姉さま。宿舎を用意してあります……今は、お休みください」
シルヴィアは涙をぬぐいながら、つぶやいた。
それからふと、空を見上げて──
「……ありがとうございます。『辺境の王』……ショーマさま。シルヴィア=キトルは……あなたに改めて……忠誠を誓います」
そんなことをつぶやいて、手を掲げた。
ここにいる、見えない仲間へのサインとして。
──トニア=グルトラ陣営──
「ばかな! ばかなばかなああああああっ!!」
トニア=グルトラは腕を振り上げ、叫んだ。
「どうしてカクタスの『精神支配』が効かない!? 奴らは、シルヴィア姫を捕らえるはずではなかったのか!?」
「どうやら……向こうにも魔法使いがいるようですな」
「魔法使い? 黒魔法を解呪できる者が!?」
「ですが、私が使えるのは黒魔法だけではありません。女神にいただいた『強化』と『突進魔法』があるのですよ!!」
魔法使いカクタス=デニンはローブをひるがえして、叫ぶ。
「さぁ、騎兵たちに命じてください! 奴らを捕らえよと!!」
「そ、そうだったな。全員騎乗!!」
トニア=グルトラの合図で、兵士たちが一斉に馬にまたがった。
「「「偉大なるグルトラ太守領のために!!」」」
「やめなさい!! トニアの言葉を聞いてはいけません!!」
キャロル姫の声がした。
彼女は両腕を広げて、街道の中央に立っている。侍女のケイトも、護衛の少女も一緒だ。
「あたくしたちは戦いを避けるためにここにいるのです! シルヴィア姫に戦う意思はありません! 武器を収めて帰りなさい!!」
姫君の声に、兵士たちが動きを止める。
だが、それも一瞬だった。兵士たちはすでに『領主が合図をしたら、シルヴィア姫一行を捕らえる』という命令を受けている。
それとカクタス=デニンが与えた『強化』『突進魔法』が、彼らの意識をゆがめていた。
『突進魔法』は文字通り、兵士たちに無敵の突破力を与えるものだ。
この魔法をかけられた兵士たちは、痛みも恐怖も感じなくなる。さらに腕力も脚力も上昇する。
代償として、前に向かって突き進むことで頭がいっぱいになってしまうが、そんなのは小さなことだ。
「全員、突撃!!」
「「「おおおおおおおおお!!!」」」
騎兵たちが一気に駆け出す。
キャロル姫は街道で腕を広げたまま、動かない。
騎兵たちはコースを変えて、キャロル姫を回避しながら突き進む。姫の声は、馬の足音にかき消される。兵士たちは叫び続ける。「突進」「突進」「突進!!」と。
その直後──街道に声が響いた。
「『鬼将軍』ハルカ=カルミリアが命じるよ!! 辺境のヘイたちよ! 対騎兵陣形その2を使って!!」
「誰だ!?」「どこから声がしている!?」
トニア=グルトラとカクタス=デニンは周囲を見回す。
が、声の主の姿は見えない。
声からして、すぐ近くにいるはずだ。なのに姿を捉えることができない。
『………………ヘイ』
同時に、地面からなにかが起き上がるのが見えた。
岩? いや、壁だ。
騎兵の進路を塞ぐように、石でできた壁が突然、出現したのだ。
「トニアさま、前方に障害物が!!」
「う、迂回すればどうということはない。迂回せよ。避けるのだ騎兵ども!!」
「「おおおおおおおおお!!」」
トニア=グルトラの命令に従い、騎兵たちは塀を避けようとコースを変える。
だが、その先でまた、塀が起き上がろうとしていた。
「トニア=グルトラさまは避けて通れとおっしゃっている! 障害物は迂回せよ!!」
「「「おおおおおおおお!!」」」
騎兵の隊長が叫び、騎兵たちがまたコースを変える。
「隊長!! その向こうにも障害物が!!」
兵士が叫ぶ。
隊長は答える。
「速度を落とさず迂回せよ!!」
「隊長そのまた前方にも──!!」
「速度を落とさず迂回──」
「障害物」
「迂回」
「また前方に」
「とにかく進め!」
どどどどどどどどどどどどどっ!!
無敵の突進力を与えられた騎兵は止まらない。
彼らは命令通り、全速力で突進を続けて──
『『『ヘイヘイヘイヘイ────ッ』』』
「なんだ、なんなのだあの陣形は────っ!?」
「わがほうの騎兵が……騎兵が……」
「「「「「おおおおおおおおお!! 進め! 進め──っ!!」」」」」
『突進命令』に忠実に従った兵士たちが自分たちの状況に気づくのは──しばらく後のことになるのだった。
いつも「天下無双の嫁軍団とはじめる、ゆるゆる領主ライフ」をお読みいただき、ありがとうございます!
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