第77話「シルヴィア姫支援計画と、暗躍(あんやく)する影」
「……落ち着きたいので顔を洗ってきますね。兄さま」
顔どころか、全身ゆでだこみたいになったリゼットが家を出たあと──
俺たちは、戦略会議を行うことにした。
「問題は、シルヴィア姫からの書状についてだ」
俺はハルカたちにも見えるように、テーブルの上に羊皮紙を広げた。
ハルカとユキノ、椅子に膝立ちになったプリムが、一斉にのぞき込む。
シルヴィア姫が依頼してきているのは、キトル太守領の治安維持。
ぶっちゃけ、魔物退治と、不穏な噂を流している奴を突き止めることだ。
「……本当なら、俺に頼むようなことじゃないよな」
それだけ俺が信用されてるのか。
あるいは、それだけキトル太守領が追い込まれている、と見るべきだろうか。
政略結婚を持ち出すくらいだから、後者か。
シルヴィア姫が俺の妾になるってのはどうかと思うけどな。
正直、そんなこと言われても困る。必死なのはわかるけど。
辺境で姫さまが病気になったり怪我したり──死んだりした場合、『キトル太守領』との仲が完全にこじれる可能性もある。
人間のシルヴィア姫が、亜人ばかりの辺境でやっていけるのかも疑問だ。
「軍師としての意見を聞きたい。プリムはどう思う?」
「政略結婚については反対です」
椅子に膝立ちになったまま、プリムは深々と頭を下げた。
「人間の姫さまが辺境に住み、その身になにかあった場合、『キトル太守領』を敵に回す恐れがあります。また、父親たる『アルゴス=キトル』が行方不明の現在は、人質としての価値も薄いかと」
「さすが軍師。ドライだな……」
「辺境とキトル太守領の境界近くに城を造り、姫さまに住んでいただくという方法はありますね。太守領に近ければシルヴィア姫も安心でしょう。そこを中立地帯とすることで、キトル太守領と辺境の融和を図るという作戦です」
「……なるほど」
「ただし、あくまでもシルヴィア姫は妾ではなく人質とすべきでしょう」
そう言ってプリムは、椅子に座り直した。
「プリムの意見はわかった。ただ、シルヴィア姫の扱いについては、もう少し事態が落ち着いてからにしよう」
今はキトル太守領が荒れ始めてる。
この状況でシルヴィア姫を引き抜くのは危険だ。
「でもキトル太守領の支援はする。魔法陣を探すのも兼ねて。これでいいな」
「良策かと思います。我が王」
プリムは立ち上がり、うなずいた。
「それに、王の正妃が決まっていない今、妾を置くのはトラブルの元ですので」
「正妃って……」
「リゼットさま、ハルカさま、ユキノさまがそれぞれ『第一夫人』『第一正妻』『第一愛妻』となっていますが、それを対外的に公表されたわけではありません。今回はキトル太守家が弱っている状況で、シルヴィア姫が妾になると申し出てきましたが、もっと強力な領主から『正妻がいないならぜひとも』と言ってきた場合、断るのが大変になります」
「そういうもの?」
「ぶっちゃけ『辺境ルールでは3人まで正妻』ってことにして、大々的に公表していただくと、わたくしも外交戦略がやりやすくなります」
「……わかった。ハルカとユキノの意見は……?」
俺は2人の方を見た。
ハルカは、少し照れた顔で、
「ボクは別に構わないよ? ボクと兄さまが家族だってことが変わるわけじゃないもんね」
「あ……あたしも問題ないわ。『真の主』さまへの忠誠の一環だもの」
「ちなみに、王のシャツを食べようとしたリゼットさまへの確認は、省略いたします」
「それでいいのか。プリム」
「悪いことした子の言い訳は聞かないのが、ハーピーの流儀ですので」
「「「あ……」」」
俺とハルカ、ユキノはうなずいた。
そういえばプリムはずっと家出してたせいで、他のハーピーからざんざん怒られたんだったな……。
「それはいいとして、プリムはシルヴィア姫への返書を頼む」
俺は言った。
「キトル太守領を支援するため、『辺境の王』が領土内にお邪魔すると伝えてくれ。ただし、領民を不安にさせないように、少人数、お忍びで、と」
「承知いたしました。王よ」
「ハルカとユキノは旅商人のメネス=ナイリスから聞いた『旅商人の休憩所』の場所をチェックして、最短で回れるコースを割り出してくれ。さっさと魔法陣を活性化させれば、太守領の魔物もいなくなる。シルヴィア姫も安心するはずだ」
「わかったよ。兄上さま」「ショーマさんはどうするんですか?」
「……リゼットをなだめに行ってくる」
家の外に出ると、土の上に濡れた足跡が残ってる。
リゼットはさっき、一回戻って来てた。でもプリムの話を聞いて、また隠れちゃったんだよなぁ。
見つけだして連れ戻さないと。
「リゼット、どこだ?」
「ちがいますちがいます。リゼットは兄さまの魔力をいただこうとしただけです。そのために洗濯物をお借りしただけです。決して、兄さまに包まれたような気分に酔っていたわけじゃないです……」
「はいはいわかってるから」
「ちがうんですちがうんです。リゼットは……」
「はい。おうち帰ろうね。リゼット」
木の陰から引っ張り出したリゼットは、顔が真っ赤だった。
言葉まであやふやになってた。まるで、幼児化したみたいだ。
「話はあとで聞いてあげるから。帰るよ」
「兄さまー。違います。リゼットはえっちな子でも……変な子でもないです……」
「はいはい」
俺はリゼットを抱え上げて、そのまま家まで連れ帰ったのだった。
──キトル太守領 とある場所にて──
「……ここだけの話だがな。領主のアルゴス=キトルさまは亡くなったようなのだよ」
とある村の酒場で、商人は言った。
「十賢者さまへの反乱の罪でな。アルゴスさまは、他の領主を動かして、十賢者を皆殺しにしようとしていたらしい。それがたくらみがばれたのだ」
「そ、そんな」「じゃ、じゃあ、太守領はどうなるんだ?」「私たちは!?」
「……しーっ。声が高い」
大柄な商人は口に指を当て、騒ぎ始めた他の客を黙らせる。
彼は追加の酒を注文し、間を空ける。
それから客たちを見て、自分の言葉が充分しみ通ったことを確認するように、
「……この太守領を、シルヴィア姫、レーネス姫だけで治められると思うか?」
「お、思う」「偉大なるキトル太守のご息女だ」「なんとかしてくれる」
「ああ、オレもそう願っているよ」
「なんだよ、思わせぶりだな」
「国が乱れれば魔物が現れる。それがこの世のならいだ」
商人は、ちりん、と、酒の器を鳴らした。
「オレは、ふたつ向こうの村が、魔物に焼かれるのを見た」
「「「──な!?」」」
「シルヴィア姫たちの努力は認めるが……こればかりはな。年若い姫さまに、魔物をすべて倒せというのも無理な話だ。都の商人のオレたちはいいが、あんたたちが心配だよ」
「……どうすれば」「魔物退治なんて」「姫さまはなにしてるんだよ」
「ああ、そうだな。あんたたちが希望すれば、次回は武器を持ってきてやろう」
商人は手を挙げ、店の人間を呼んだ。
飲んだ分の銀貨を払い、席を立つ。
「それまでに、身の振り方を考えるべきだろうな。これからどうするのか。キトル太守家は自分たちを守ってくれるのか、とかな」
そう言い残し、商人は酒場を後にした。
「成果は?」
「五段階評価で、Cというところだ」
「中間か。もう一押しだな。『賊』か『魔物』を使うか?」
「使いすぎは毒だ。この領土が荒れ果ててしまっては、価値が薄れる」
「切り取りやすくしておくのがよかろうに。多少腐っても、食える部分が残っておればよかろ」
「お前らのような連中に、政治はわからんだろうが……」
「おい! そこの商人!!」
不意に、声が響いた。
路地裏に潜んでいた2人──大柄な商人と、ローブをまとった小柄な男性が顔を上げた。
村の大通りに、兵士が立っていた。
数は5人。全員、鎧を着て、槍を手にしている。
その後ろにいるのは──酒場にいた客のひとりだ。衛兵の後ろに隠れて、こちらを指さしている。
「なるほど。キトル太守領の姫君も、ばかではないらしい」
「噂を流しているものを探っていたか。酒場に手の者がいるのに気づかぬとは、お主のほうがばかじゃろう」
「雇われ者が大きな口を叩くな!」
商人が短剣を抜き、路地から飛び出す。
その動きに反応して、兵士たちが盾を構える。
路地に向かって横一列に盾を並べた姿は、まさに壁だった。
「逃げられると思うか!?」
「どこの手の者だ!? 我らがキトル太守領でなにをしている!?」
「知っていることをすべて話してもらうぞ! 貴様ら!!」
衛兵たちの叫びを聞いて──商人と男性は、笑った。
「地方のザコじゃ、我が術を使うまでもあるまい。来るがいい。狗よ」
ローブの男性がつぶやいた。
同時に、衛兵たちが頭上を見上げる。
屋根の上から、獣のような影が飛び降りてきたからだ。
「ぎゃぁっ!?」「な、なんだこいつら」「獣──いや、亜人か!?」
「「「オオオオオオオオオ!」」」
その影は人の姿をしていた。
だが、頭には獣の耳が、尻には獣の尾が生えていた。
彼らは短めの棒を手に、一斉に兵士たちに襲いかかった。
背後を突かれた兵士たちは、殴られ、蹴られ、倒されていく。
「どうじゃ。我が『黒魔法』で造り上げた者たちは」
「剣は持たせぬのか?」
「獣にそんな上等なものが必要か?」
「こいつらが逆らったときのことを考えているのかと思ってな」
「わしの魔法はそれほど弱くはないわ。それに、目撃者は残しておかねばなるまい?」
兵士たちはすでに倒されて、地面でうめいている。
騒ぎを聞きつけて、通りの向こうから人がやってくる。
「ほら、兵士たちは証言するじゃろう。自分たちを攻撃したのは亜人だと。キトル太守の姫君は、北の辺境を警戒するはず。その隙に──」
「……長居は無用。ゆくぞ」
商人と男性は走り出す。
獣人たちは、いつの間にか姿を消している。屋根の上を移動しているのだ。
「十賢者はこの領土を我が物とするつもりなのじゃな……?」
「声が大きいぞ、黒魔法使い」
「なに、ただの確認じゃよ」
「……キトル太守は十賢者に反抗的だった。また、侵攻した軍が倒された。十賢者の権威に傷をつけるものは生かしてはおけぬ」
「なんとも欲の深いことよのう──が、言うことはわかる。キトル太守家も長くなかろうて」
ローブの男性は歯をむき出し、笑った。
そして小声でつぶやきはじめる。
「……おろかな我が依頼者よ、笑っているがいい。やがてこの地から黒き炎が噴き上がり、全土を覆い尽くす。そのための礎となれ、キトル太守領よ──」




