第45話「姫君たち、辺境の実力に恐怖する」
──キトル太守領地 姫君の館──
「レーネス姉さま! あなたはなんということを!!」
キトル太守領、レーネス姫の館。
末姫、シルヴィア=キトルは侍女を押しのけ、姉の部屋のドアを押し開けた。
「おやおや、騒がしいと思ったらシルヴィアか。ごきげんよう」
「なんということをしてくれたのですか、姉さま!」
悪びれた様子もなくお茶を楽しむレーネスに、シルヴィアは声をあげた。
「こともあろうに、辺境に手を出すとは……なにを考えて」
「そなたこそ、なにを慌てているのだ。シルヴィア」
「これをごらんください!」
だんっ!
シルヴィアはティーカップが並ぶテーブルに、木の札をたたきつけた。
表面には炭で文字が描かれている。
この地方で文章をやりとりする時に使われている、木簡だった。
「今朝、城門の前に落ちていたそうです。わたくし宛ということで、門兵が気を利かせてもってきたのです。これになんと書かれているか、おわかりでしょう? 姉さま」
「面白いことを言うな。シルヴィア。そなたの宛の文の内容を、私が知るわけがなかろう?」
「これは……辺境の王からの文です。
『ハザマ村』に剣士ディムスと、その配下が武器を持って侵入しようとした! 全員、無力化してとらえた。つきましては彼らを引き渡すため、使者をよこしていただきたい、です!」
こらえきれなくなったように、シルヴィア姫は叫んだ。
「ディムスがわたくしの元を出奔し、姉さまに仕えるようになったことは知っております。あの者が辺境で恥をかき、それを恨みに思っていることも! あなたは一体なにをなさったのですか、姉さま!!」
「……そんな大声を出すことではなかろう?」
レーネスは優しい笑みを浮かべ、シルヴィアにカップを差し出す。
「都から届いたお茶だ。シルヴィア、ハチミツを入れたものが好きだったろう? 今日、来ると聞いていたから用意しておいたのだ。めしあがれ」
「……姉さまが辺境を敵に回し、滅びるのは勝手。わたくしを巻き込まないで!」
「だから、なにをそんなに慌てて……」
「辺境を統べる『異形の覇王』は、言葉だけで十数体の魔物を消し去りました」
シルヴィアは言った。
応接間に、沈黙が落ちた。
開いたままの窓から風が吹き込み、シルヴィアとレーネスのドレスを揺らす。その衣ずれの音が聞こえそうなほどの、沈黙。側に控えているメイドも、シルヴィアと一緒に来た老人──執事も、身動きひとつしない。
「……冗談であろう?」
「直言、お許しいただけますか」
「ドーガルか。許す。見たままを答えよ」
「……わしはこの目で、魔物が蒸発するのを見ました。十数名の兵士たちも、わしと同じ体験をしております」
ドア近くに控えていた老人が、震える声で告げた。
シルヴィアは老人ドーガルにうなずき返す。
シルヴィアが『異形の覇王』と会見したとき、ドーガルも側にいた。彼は、幼い頃のシルヴィアとレーネスの教育係だった。その証言には重みがある。
「姉さまもすでにご存じでしょうが、わたくしと辺境の王は盟を結びました。その際、わたくしはいざというときのために兵を伏せていた。それが魔物に襲われたのです。『ブラックセンチビート』に『ゴブリン』たちに、兵士たちはパニックになっていました」
「それを……『辺境の王』が」
「王は炎を吐きました。それは魔物に触れることもなかった。なのに、魔物がすべて消滅した。それどころか王の配下には、魔法が一切通じない少女もいたのです」
「……お…………おぉ」
「その王を敵に回す意味、賢明なる姉さまにはこれ以上申し上げません」
話は終わり、とばかりに、シルヴィアは一礼した。
「わたくしはこれより『辺境の王』に釈明に行きます。同盟を持ち出したのはわたくし。その元配下が辺境を侵したのなら、責任の一端はわたくしにもあります。もちろん……わたくしは真実を話しますよ? 姉さま」
「ま、待つのだシルヴィア!」
「ディムスを雇っていたのはあなただということを。レーネス姉さま」
シルヴィアは冷ややかな笑みを浮かべた。
「わたくしはあなたのことが嫌いではなかった。父さまの後継者として、地位を争う立場となった今も。本当なら、あなたの淹れてくれたお茶を飲みたかった。これは本心ですよ。姉さま」
「……このまま行かせると……でも」
「わたくしが釈明に行かなければ『辺境の王』自らが来るかもしれません。そうなったときにわたくしが死んでいれば、彼の者はこの屋敷の扉を叩くでしょうね」
剣士ディムスは、すでに『辺境の王』の手の中にある。十数人の配下も。
中にはレーネス直属の者も含まれているはず。
裏で糸を引いていたのがレーネス=キトルであることは、いずれわかること。
「もしもわたくしの言葉を疑うのであれば……共にいらしたらどうですか。姉さま」
シルヴィアはドアの前で振り返り、レーネスを見た。
「わたくしの侍女として正体を隠し、『辺境の王』をその目で見るとよいでしょう」
「……道中で私に害を加えるつもりか」
「『誇り高き父の名にかけて、道中、あなたに害を成すつもりはございません。シルヴィア=キトルが誓いを竜帝に』」
シルヴィアは静かにレーネスに近づき、テーブルの上のカップを床に落とした。
固い音がして、カップが割れる。
その破片を拾い上げ、シルヴィアは指先を傷つける。血のしずくを、お茶の入ったカップに落とす。
「略式ですが、これを誓いといたしましょう」
「……お前は……どうしてそこまで」
「もしも『辺境の王』と、父上が相争うことになればどうなりますか? もちろん、父上が勝たれるでしょうが、その分、都の悪臣どもを征伐するのが遅れます。敵はいくらでもいるのですよ。父上の覇業をささえるためにも、ここはわたくしたちが『辺境の王』の怒りを静めるべきでしょう」
シルヴィアはきっぱりと宣言した。
「父上は、数ヶ月の間に都を目指すでしょう。その前に後顧の憂いをなくしておくのは当然のこと。姉さまがキトル家の次女としての責任をお持ちなら、それを果たすべきだと考えますが」
再び、沈黙が落ちた。
レーネス=キトルは拳を握りしめ、静かに震え出す。
しばらくして顔を上げた彼女は、
「わかった。お前がそこまで言うのであれば、私もこの目で『辺境の王』の器を見極めるとしよう」
小さな声で、答えたのだった。
──数日後 辺境近くの街道──
シルヴィア=キトルの行列は『ハザマ村』に向かっていた。
前後を兵士が固めて、中央を馬車が進んでいる。
馬車の中には、シルヴィア=キトルと、レーネス=キトルの姿がある。
シルヴィアは以前、辺境に来たときと同じドレス姿だが、レーネスは侍女の服に身を包んでいる。今の彼女は、シルヴィアの侍女、という立場だ。
馬車を囲む兵士たちも、半数がシルヴィアの、半数がレーネスの配下だ。
その中央には老人ドーガルがいて、双方の兵ににらみをきかせている。
「馬車を停めよ。シルヴィア」
窓の外を見ていたレーネスが、不意に口を開いた。
「どうなさいました? 姉さま」
「……草原に見慣れないものがある。あれは……なんだ?」
シルヴィアとレーネスは、そろって窓に顔を寄せた。
草原の真ん中に、灰色のものが倒れているのが見えた。
大きい。幅は、人の身長の数倍はある。しかも、かなり厚いものだ。
草原にはなにかを引きずったような跡もある。
誰かが、あれを運んできたのだろうか?
「確かに……得体のしれないものですね。姉さま」
「ドーガル。側におるか? あれがなんだかわかるか?」
レーネスは窓を開け、老人を呼んだ。
老人も草原に顔を向け、困ったように首をかしげる。
「おや、ちょうど辺境近くの村の者が通りかかったようです。聞いてみましょう」
「構わぬ。ここへ連れてくるがいい」
レーネスが答え、シルヴィアがうなずいた。
しばらくして、荷馬車を引いていた村人が、シルヴィアたちの前にやってきた。
「お主に問う。草原に置かれているあの灰色のものはなんだ?」
「塀です」
「……塀?」
「はぁ、なんでも『異形の覇王』さまが、辺境を守るため、街道に設置しようとしたそうで。巨大な塀を置いて、関所の代わりにするつもりだったんじゃねぇですかね……?」
「……ぷっ」
レーネスは口を押さえた。
「は、ははははははははははっ! 滑稽な! あの石の板を街道に立てて、兵士を防げるとでも思っているのか、『辺境の王』とやらは! そのために人を使って、あんなものを運んできたと!?」
「……そうですなぁ。なかなか、難しいようで」
「当たり前だ! ばかばかしい!」
レーネス=キトルは膝を叩いて、妹姫のシルヴィアに顔を近づけた。
「『辺境の王』が脅威だなんて、かいかぶりではないのか? シルヴィアよ。そやつは民に無駄な労働を強いて、重い石の板を運ばせているのだぞ?」
「ですが、あんな板を切り出せる技術だけでも脅威では?」
「確かにな。だが、力の使い方を間違えている。あんなものを運ぶのに民の力を使うなど──」
『…………へーい』
「ん? なにか言ったか?」
「いいえ。わたくしはなにも」
レーネスとシルヴィアは揃って外を見た。
おかしいところは、なにもない。
まわりは草原だ。行列も動いていない。近くに荷馬車を連れた村人がいるだけ。
草原に倒れている板も──変化は──
「姉さま」
「どうしたのだ、シルヴィアよ」
「あの板、さっきよりも少し、近づいているような気がしませんか?」
「馬鹿を言うな、板が動くものか」
「……そうですよね」
「時間を取られてしまった。進むとしよう」
レーネスがそう言って、シルヴィアが合図をする。
「お前にも時間を取らせてしまいましたね。ドーガル、礼を」
「はっ」
老人ドーガルが、荷馬車の村人に銀貨を手渡した。
「それにしても奇妙ですね。『辺境の王』は本当に、あの石の板を民に運ばせているのですか?」
「…………いいえ」
行列が動き出す。
馬車の車輪が、がりがり、と、まわりだす。
「…………魔力が溜まると自分で動くから、2ヶ月くらいで街道にたどりつ──」
「──え」
シルヴィアが問い返したとき、すでに行列は動き出していた。
だから、彼女は村人の言葉を、最後まで聞くことはなかったのだった。
──辺境 『ハザマ村』近辺──
「『辺境の王』には謝罪の手紙を出しております。そろそろ迎えが来るはずですが……」
馬車は進んでいた。
街道のまわりは、すでに畑になっている。
シルヴィアも知っている豆類が枝を伸ばし、実をつけはじめている。
「辺境の亜人といえど、作物を作る知恵はあるのだな」
「あれは『フララ豆』ですね。でも……少し時期が早いような。それに、実が大きすぎるような……?」
「亜人が喰らう変種であろう? いちいち気にとめてどうするのだ」
レーネスは吐き捨てた。
「見ろ。子どもたちが獣のように走り回っている。やはりここは辺境。蛮族の地だ」
「鬼族のものたちも、つらそうな顔をしております。『辺境の王』の統治が厳しいのでしょうか」
シルヴィアは窓に顔を近づけ、鬼族の声に耳を傾けることにした。
「ああいそがしいー。はおうさまがきてからというものー。わたしたちははたらきづめだー」
「まったく。とちがかっせいか──じゃなかった、かわってから、いそがしくなったねー」
「『フララ豆』が、まさか1ヶ月で実るなんてねー」
「……ん?」
おかしなことを聞いたような。
『フララ豆』は確かに成長が早いが、実るのに土地の栄養を大量に使ってしまう。
1ヶ月で実るなんてありえない。よっぽど土地が肥えていれば別だが……。
「こら! 子どもたち。ちゃんと畑仕事の手伝いをしなさい! 遊んでばかりだと『覇王さま』が黙ってないよ!」
畑の隅で、鬼族の女性が子どもに向かって叫んでいた。
「お前たちも知っているだろう。夜になると『覇王さま』が、町の中を見回りしていることを」
「「「…………」」」
女性の言葉に、走り回っていた子どもたちが立ち止まる。
「悪い子は……」
「「「悪い子は……」」」
「悪い子は『はおうさま』が連れて行ってしまうんだからねっ!!」
「「「ひゃっはー!!」」」
「ああっ! こら! だから走り回るなって言ってるんだよ! すいませんハルカさまぁ、これ逆効果ですよー!!」
「……シルヴィアよ」
「……はい、レーネス姉さま」
「お前の言う『辺境の王』とは、本当におそるべき存在なのか?」
「わかりませんか。姉さま」
馬車の中でシルヴィアは膝をそろえて姿勢を正す。
そして正面から、実の姉のレーネス=キトルを見つめた。
「今のわたくしたちは、普段の勢力争いを一時的に止めて、ただの姉妹として向き合っております。だから、正直な思いを申し上げましょう。わたくしは……本当に『辺境の王』を恐れております。真におそるべきものは『形が見えない』のですよ。姉さま」
「『水は無形ゆえに強い』と、同じか」
「そうです。草原で見た『石の板』。それを作る加工技術。村人が豆を2度収穫したというのが確かなら、辺境の地質を変えたのも王の仕業でしょう。大人たちには恐れられ、かつ、子どもたちには愛されている。そのような存在が想像できますか? 姉さま」
「お前は『辺境の王』にとらわれているのだ」
レーネスは喉を押さえて笑った。
「私はなにひとつ、恐ろしいとは感じなかったがな。まあいい。ここからは私はお前の侍女として、『辺境の王』を見極めるとしよう」
「存分に」
シルヴィアは、馬車の外にいる老人ドーガルに向かって、手を振る。
窓の向こうでドーガルは、兵士たちに指示を出す。
使者が来たことは、すでに『辺境の王』にも伝わっているだろうが、先触れを出さなければならない。
あとは向こうの反応待ちだ。
そう思ったとき──
『グォアアアアアアアアアアアア────ッ!!』
『ハザマ村』周辺に、叫び声が響き渡った。
『グォアア! グォオオオオアアアアアアアアア────ッ!!』
「え?」「なんだ!?」
シルヴィアとレーネスが窓を開け、外を見た。
兵士も、老人ドーガルも、畑にいた鬼族たちも顔を上げ、それを見つめていた。
天空を飛び回る、漆黒の竜を。
『グォア!』『グウウウウウゥゥゥラアアアア!!』
長大な身体。黒光りする鱗。そして頭部に生えた2本の角。
間違いなく竜だった。しかも、双頭の。
「ああっ! 『はおうさま』があらぶっておられるー」
「きっと……第一夫人のリゼットさまが、『覇王さま』の怒りに触れたんだ」
「リゼットさまはまじめだからなー。『はおうさま』の要求にこたえきれなかったんだ……」
「第一正妻のハルカさまは……はじらいがたりないからなぁ……がんばってほしいものだが……」
「第一愛妻のユキノさまは…………将来に期待だろうなぁ」
村人たちは震えながら、『双頭竜』を見つめている。
シルヴィアもレーネスも、天空を舞う竜から目が離せない。兵士たちも、空に盾を向けるのがやっとだ。
全員、わかっている。
あの竜がこっちに向かって来たら、防ぐ手段はなにもない。
シルヴィアは謝罪の文を書いた。お詫びのためになんでもすると伝えた。
けれど……それでは足りなかったのだろうか……。
「ああああああああぁ」
レーネスは怯えきっている。
身体はがたがたと震え、いつの間にか床に座り込んでいる。
「夢……これは夢だ。あんなものがいるはずはない。夢だ。夢なんだ」
「……策を好むくせに現実への耐性がないんですから、姉さまは……」
「シルヴィア姫の使者──いえ、シルヴィア=キトルさまご本人とお見受けいたします」
窓の外から呼びかける声があった。
誰も気づかなかった。
シルヴィアもレーネスも兵士たちも、全員が「双頭竜」に気を取られていた。
その事実に、シルヴィアの背中に寒気が走る。
声の主は、いつでもシルヴィアとレーネスを殺せた、ということに気づいたからだ。
「……あの『双頭竜』が『辺境の王』の配下だとしたら……本当に恐ろしい」
「いえいえ、あれは『辺境の王』の怒りの印。ボク……いや、わたくしが『異形の覇王』の欲望を受け止めきれなかったこと……それへの怒り。どうぞ、シルヴィア姫はお心安らかに」
そう言って声の主は、馬車の前に膝をついた。
鬼族の少女だった。
赤色の髪に、透明な結晶体の飾り物をつけている。
よく見るとそれは『魔力結晶』だった。
魔物がときどき落とす結晶体を浄化したものだ。売れば相当な金になる。それを彼女は無造作に身につけている。着ているのは袖のないドレス。ところどころに、白い羽根を編み込んである。奇妙に大きな羽根だった。もしかして──長い時を生きたハーピーの羽根だろうか。ただでさえハーピーの羽根は貴重品だというのに、長老級の羽根をどこで手に入れたというのか……。
「我が主『異形の覇王』は、剣士ディムスを引き渡したい、とおっしゃっております」
鬼族の少女は言った。
「けれどその前に、使者さま立ち会いのもと、ディムスとその配下を説得したいそうです。同意されるようであれば、ご同行願えますか?」
否応なかった。
『双頭竜』はいつの間にか消えていたが、すでにシルヴィア一行には、抵抗する気力もなく──
シルヴィア=キトルとレーネス=キトルの姉妹を乗せた馬車は、そのまま『ハザマ村』の城門をくぐることとなったのだった。
そうして2人の姫君は、おそるべき「異形の覇王」と顔を合わせることになったのですが……。
もうひとつのお話「異世界でスキルを解体したらチートな嫁が増殖しました」7巻が間もなく発売になります (早いところでは、もう並んでいるところもあるようです)。
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