吟の帰還 8【商店街夏祭り企画】
二重の意味で醸が燃え尽きていたころ。
「吟、もう少し前を見て歩きなさい」
「へいへい、うるせぇ小姑だな」
突如祭りに参加することになった木戸は念のためと持ってきていた服に着替えていたが、吟は浴衣を着ていた。
三年前ここを飛び出す少し前に、紬屋さんで仕立てた浴衣。その前の年の夏祭りは、雪の浴衣をもらってきていた。
――吟ちゃんの区切りになる年な気がするから
そう雪に言われたけれど、まったく意味が分からなかった。あの時は。
翌年時期を外して春先に新しい浴衣を仕立ててもらった吟は、夏祭りを待たずにこの商店街を飛び出したのだ。
もしかしたら、雪には気づかれていたのかもしれない。
あのままいたら、燗と深い溝を作る大喧嘩をしていただろう。多分、修復不可能な。
そして醸がいつまでも自分に遠慮してしまう様な気がして、たまらなかった。
吟は昔から手先だけは器用で、見よう見まねで作ったアクセサリーを友人の誕生日にあげたところ、物凄く喜ばれて。
その顔を見た瞬間に、自分のやりたいことを見つけた。
酒も好きだけれど、それよりもアクセサリーを作りたい!
自分の作ったもので喜んでくれる人の顔を、たくさん見たい!
その行動が、醸にとっては自分が酒屋を継ぎやすいようにわざとやっているような感じで取られたみたいだけれど。
全く違う。
私のやりたいことだったのだから。
ここを出ていきたい欲に拍車をかけたのが、両親である激甘夫婦。
人には「酒」の字がつく奴を連れてこいとか言って邪魔するくせに、自分はイチャイチャとかなめてんのかこのくそ親父!
これに尽きる。
甘くて甘くて、毎日砂吐かされてみろ。両親でも胸焼けするわ。
二十五歳まで我慢して我慢して、耐え切れなくなってこの商店街を飛び出した。
外に出てみれば、商店街の雰囲気が懐かしくて帰りたくなったけど。
自分の夢をかなえるまでは、絶対に家族と顔を合わせないと決めた。
それだけの決意があったからこそ、あの両親のもとに醸を置いて私は飛び出したのだから。
「吟。秋のオープンに、間に合ってよかったな」
「……ん」
突如かけられた声に、小さく頷く。
木戸を見上げれば、その視線は私の手元にあって。
「あ」
無意識に、手首に着けているブレスレットを触っていたらしい。
考え事や嫌な事、感情が揺れる時につい触ってしまう大切なブレスレット。
このデザインをベースにしたアクセサリーをメインにした、来月、新しいギャラリーができる。
今までの共同ギャラリーではなく、木戸と二人で店を借りて作ったギャラリー。
だから、私は、ここに帰ってこられた。
醸の反応は思った通りだったけど。
「あの子、彼女とかいないのかなぁ。まさか、三年経ってもあれとは思わなかった」
ぼやくように言えば何か察したように、木戸が口端を上げる。
「お前なんか認めんって、感じだったなあれは。正直、親父さんより醸くんの方が手ごわいと見た」
「まぁな」
「危ない方にシスコンじゃないみたいだから、そこは安心したけど」
「うちの弟を、変態にするんじゃねーよ」
片足は突っ込んでるけどな。
そう続けながら、商店街んこメイン通りを歩く。
「そういえば、あいつ一人でなんか売るとか言ってたな。冷やかしに行くか」
「吟」
木戸の声の諌める色に気付いたけれど、吟は気づかないふりをして一直線に篠宮酒店へと向かっていく。
その後ろ姿を追いながら、「お前も十分ブラコンだろ」とため息とともに呟いた。
「どれどれ、一人ぼっちでうちの醸くんは店子中かなー」
悪戯小僧のような笑みを浮かべながら店に近づいていた吟は、はたとその足を止めた。
「おっ……と、どうした吟。急に立ち止まって……」
それでも何も言わない吟を不思議そうに見て、その視線の先を追う。
そこには。
「おや」
篠宮酒店の店頭。そこには長机と冷凍ショーケースがあり、その向こう側で……
「醸が女と酒飲んでる……!!」
醸と知らない女性が、肩を並べてベンチに座っていた。
その手にはアルミパウチが握られていて、スプーンでそこから何かをすくって食べているようだ。
「彼女かな、あいつあんなこと言っときながら、彼女いたんだな」
「いや、そうと決まったわけじゃない。知り合いかもしれないだろう?」
彼女にしては、二人とも気落ちした表情なのが気になる。
恋人同士なら、もっと楽しそうなんじゃ……
「ったくよー、水くせぇんだから!! そっかそっか」
嬉しそうに頷く吟が駆け出そうとしたのを、木戸は肩を掴んで止めた。
「まて、吟」
「んだよ、うるせぇな!」
「まだ付き合ってると決まってるわけじゃないし、乱入するな。嫌われたらどうするんだ」
そう言われて、吟は不服そうに振り上げたこぶしを下ろした。
「チッ、後で吐かせてやる」
「……吟」
不穏な単語に眉を潜めれば、吟は、そーだ! と声を上げた。
「とうてつ行こうぜ! 久しぶりに、籐子さんにも徹也さんにも、嗣治さんにもあいてぇし!」
さっそく駆け出した吟を追って早足で歩きながら、木戸は内心溜息をついた。




