第39話 心の幻影
先ほどまでの激戦の余韻を残す調査村の中で、冒険者達と村人達の歓声が響く。
大地から冷気が未だに立ち上ってはいるが、冒険者達と村人達は気にした様子はない。
だが、その中でも俺は冷静に眼前で氷漬けになった醜悪なる女王混蟲を見つめる。
何か、引っかかる。
まず、根本的なところから可笑しい。
何故、こんなところに醜悪な女王混蟲がいるんだ。
本来は、その貪欲なまでの食欲の所為で、周囲の生態系を完全に壊滅させるほどの魔物だ。生息していれば嫌でも気づくし、一度忌蟲の森に訪れている俺が気づかない筈がない。
どこからか、移動して来たと考えればいくつかの疑問が解消されるし、運が悪かったで片づけられる。
だが、そんな事はあり得ない。
何故なら、醜悪な女王混蟲は、魔王の幹部が創り上げた人工的な魔法生物だからだ。
つまり、故意的に何者かが、この村に醜悪な女王混蟲を放った事になる。それに、卵があるなら、その親は何処にいったんだ。
その時、ラッセンが俺の元にやって来て綺麗な一礼をする。
「旦那、おめでとうございやす」
「あぁ、今回も助かった」
ラッセンは、ご機嫌に尻尾を揺らしながら微笑む。
「光栄っすね。それでは、俺っち達は帰りますので、用があればまた呼んで下さいっす」
そう言うなり、ケット・シー達は冒険者達や住人に、別れの挨拶をし黒い魔法陣の中に消えた。
「雪、気になるか?」
声をかけてきたヴィルヘルムに、俺は視線を向けた。
「ああ」
おそらくヴィルヘルムも似た様な事を考えていたのだろう。俺の隣に立ち、腕を組んで目の前の氷の彫像を眺める。
「……っ!誰だ!」
今まで感じなかった場所から、強力な魔力の反応を感じた。
他の冒険者達も俺の声に、氷漬けとなっている古民家を見つめる。
だが、その時、空中に突然無数の魔法陣が出現した。
誰かが、指示を発するより早く、無数の魔法陣から火の弾丸が降り注ぐ。
明らかに、魔法を詠唱して発動するより速い。
「第七階梯魔法〝水包領域〟」
間に合うかギリギリのタイミングだったが、出来る限り広い範囲に魔法を展開する。
だが、充分な威力と範囲で展開は出来ず〝水包領域〟の外に幾人もの人が漏れ出てしまった。
「ぐ…ぁ……」
「何で、助かったんだ……?」
「今のは?」
「いてて……」
なんとか〝水包領域〟の中に匿えた人々は、〝水包領域〟と炎が相殺して軽症で済んだ。
だが、領域外にいた人々は、呻き声を上げて倒れている。
「ヴィルヘルムっ。頼みがある」
「何だ?」
ヴィルヘルムは、俺の話を聞くと「分かった」と力強く頷いてくれた。
その時、屋根へと姿を現したローブを纏った人物が再び魔法を放とうと魔法の詠唱を始める。
「させるか!」
俺は地を蹴り、少なくなった魔力を使って謎の人物に斬りかかる。
ローブと仮面の所為で、素顔は見えない。
「……魔人よ。生きていたか」
「何?」
女の声で、「魔人」と呼ばれた事で目を見開く。
「隊長の業火ですら殺せなかった、呪われし者よ。貴様は、女王陛下にとって障害となる」
今の言葉で、女の正体が『執行者』である事が分かった。そして、「女王陛下」だと。
「さぁ、追って来い。さもなければ、私は貴様を狙い続ける」
そう言って、目眩しの魔法を放ち姿を消した女の執行者は分かり易く魔力の痕跡を遺している。
「くそ……」
完全に自分の有利な地形に誘っている。
しかも、俺は万全じゃない状態だ。
だが、追わない訳にはいかない。
追わなければ、直ぐにでも奴は襲って来るだろう。しかも、こちらの冒険者や村人を巻き込む最悪な形で。
屋根の上から見下ろせば、傷付いた大勢の人々の姿が目に入る。
俺は、顔を顰め、最悪の悪手の可能性がある、敵を追う為に闇夜の中を駆け出した。
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トウヤは俺にいくつか伝言を残すと、突然現れた女を追って行ってしまった。
あの女は、「隊長の業火ですら殺せなかった」と言った。そして、嘗て俺を支配していたハーディムは、アスハ・アカツキの事を『隊長』と呼んでいた。
更に、アスハ・アカツキの業火をトウヤが受けた事実を知る者は一握りの者だけだ。
つまり、俺達と『執行者』だけだ。
直ぐに俺もトウヤの後を追おうと思ったが、この場で頼まれた事がある。
まずは、攻撃を受けた人々の安全の確保と氷漬けにした冒険者達の事についてだ。
「……」
嫌な予感がする。
「リツェア、俺が怪我人を一箇所に集める。お前とメデルは治療に参加してくれ」
「分かってるわ!」
「は、はい!」
心配そうに、トウヤの走り去った方を見つめていた2人に声をかける。そして、魔法によって吹き飛んだ瓦礫の下にいた村人や冒険者達を救出して行く。
「うぐぅ、うぉぉおお!今だっ」
「あ、ああ」
瓦礫を持ち上げると、自分で動ける者は自力で抜け出し、重症の者は冒険者や村人が協力して助け出す。そして、動けそうにない人々を抱えて運ぶ。
嫌な予感がする。急いでトウヤの元に、向かわねければいけない。
俺と同じ気持ちなのか、メデルとリツェアも忙しなく動き続ける。
「ちょっと、動かないで!」
「いてぇ、いてぇよ!」
「分かりましたから!騒いでも治りませんよ!」
「ちょっと、早く次の怪我人を運びなさい!」
「皆さん、今が正念場ですよ!」
「おい、皆。気合い入れろ」
「そうだ!ありったけのポーション出せ!」
「ちょっと!ケチらないで!!」
冒険者と村人が混ざり合って、怪我人の処置を行なっていく。
幸い即死した者がおらず、攻撃での死者は今の所いない。
だが、怪我人の中には凍夜の魔法の所為で凍傷を負っている者もいた。それでも、凍傷を受けた人々は自分の怪我より、『執行者』からの攻撃を受けた重傷の人々の治療を優先している。
「……っ」
その時、近づいて来る大勢の足音に気付く。
前線で戦闘をしていた冒険者達が、こちらに走ってくるのが見えた。
「あれは、バルザックか。何故ギルドマスターがこんな所にいる?」
バルザックは確か、後方で指揮をとっていた筈だ。
「これは、一体何があった?」
バルザックの後ろをついて来た冒険者達が、現状を見て戸惑った様な表情を向けた。そして、何人かの魔導師達は、この場に滞留している魔力の濃密さに驚愕している。
「ギルマス!?何故あんたがこんな所に!」
『執行者』の攻撃を受けて治療の途中だったカシムが、遊撃部隊の代表としてバルザックの前に向かう。
「危険度A+の魔物、醜悪な女王混蟲が現れた。俺は、その討伐の為に前線に来た」
「て事は、そいつはあの親って訳か」
カシムは、トウヤが氷漬けにした醜悪な女王混蟲に視線を向ける。それにつられてバルザックの視線もそちらへと動く。
「……あれは、誰がやった?」
おそらく、バルザックが倒したのは出産後の疲弊した醜悪な女王混蟲だったのだろう。
「雪だよ」
あのバルザックというギルドマスターは、なかなか冷静だ。
最初に出会った時とは印象が少し違うな。
それとも、今のバルザックは冒険者としての一面で、最初に出会った時はギルドマスターとしての一面だったのかもしれない。
そうだと考えれば、ギルドマスターという組織を率いる者としての経験は、まだ足りていない様に思える。
「では、この怪我は氷漬けになっている魔物によって負ったものか?」
「いや、突然現れた奴が魔法を撃ち込んで来やがったんだよ」
「何だと?」
「しかも、とんでもねぇ威力と量の魔法だ」
バルザックの黒狼の顔が歪む。
「そうか……。だが、死者がいない事は幸いだった」
「雪のおかげだよ」
「何?」
バルザックは、先程の表情とは違う、驚いた様な表情でカシムを見る。
「雪が護ってくれなければ、被害はこんなもんじゃなかっただろうよ」
カシムは、バルザックに強い言葉で言い放った。それを受けたバルザックは、カシムから視線を外し、表情を顰める。
その時、怪我人の治療で慌ただしく動く人々をかき分けながら、戦士職と思われる冒険者が俺達の方に向かって来た。
「おい!あの人殺しは何処だ!」
「誰の事を言っている?」
怒りに支配されている男に、俺は冷静に対応する。
「俺の仲間を氷漬けにした、人殺しは何処だって聞いてんだ!」
「……悪いが、雪はいない」
隠しても無駄な為、嘘はつかない。
だが、冷静に対応していた理性に、容易くヒビが入る。
俺だけでなく、周囲で動き回っていた人々の数人が足を止めていた。
「ふざけるな!俺の仲間を殺したあの男を連れて来い!!ぶっ殺してやる!!」
「仲間?お前は、あの冒険者パーティーの一員か?」
俺が男に話しかけると、男は血走った目で俺を睨み付けて来た。
「そうだ!だから、早くあの人殺しを連れて来い!!」
必死な訴えなのは分かるが、お門違いもいい所だ。
「今回の依頼は、住人の救出と魔物の討伐だ。冒険者の救出など依頼にはない。それに、この村が魔物に占領された時点で、覚悟をしておくべきではなかったのか?」
「ぐっ……てめぇ、知ったような口を!」
男が殺気を俺に放つ。
その時、怪我人のカシムが俺達の間に入る。
「おい!待て2人とも」
「安心しろ。俺は冷静だ」
「ヴィルヘルム、あいつは最近婚約したばかりで頭に血が上ってるんだ」
大切な人が、目の前で氷漬けになって死んでいるように見えれば、頭に血がのぼる気持ちは理解できる。
だが、トウヤに危害を加えると公言している者を見逃す訳にはいかない。
俺は、拳を握り、感触を確かめる。それを見たカシムは、表情を引き攣らせていた。
「あんた、黙って聞いてれば……」
「好き勝手言ってくれたな、コイツ!」
トウヤを「人殺し野郎。ぶっ殺す」と言った男の周りを大勢の人々が取り囲んだ。
「な、何だ!?」
「あの人は、俺の恩人何だ。それを殺すだと?そんな事は、絶対にさせねぇよ!」
べリュームに寄生され、トウヤに助けられた大柄な男性が冒険者に掴みかかった。
戦闘では負けない筈の男の冒険者は、男の怒りの剣幕に抵抗すら忘れている。
「雪さんがいなかったら、僕達は死んでたかもしれないのに勝手な事を言わないで下さい」
「私達にとって、あの人は恩人なのよ」
「俺と家族を救ってくれた人だぞ!」
「あの人は、化け物を倒してくれた英雄だぞ!?」
「そうだ!ここにいる怪我人だって、雪君が魔法で庇ってくれたから、これですんでるんだ!」
「お前もつれぇんだろうよ。だがな、その場にいなかったお前が、あの人を責めるのは許せねぇ」
「どうしても雪さんを殺したいなら、私が相手になってやるわ!」
突然の光景に、俺は嬉しくて少し笑ってしまった。
いつも周りから、トウヤは一歩も二歩も下がって人と接する。
だが、今回の依頼で人々からのトウヤへの印象は大きく変わった筈だ。
トウヤを魔王の手先と疑う、バルザックへ視線を向ければ、彼は目の前の光景を噛み締める様に眺めていた。
バルザックが、何を考えているのかは俺にはわからない。それでも、拳は強く握られ、様々な感情が湧き上がっては消えているのだけは分かる。
「あの冒険者達は、氷の中にいるが、雪の魔力で護られ仮死状態となっている。危険な状態ではあるが、助かる可能性あるらしいぞ」
「ほ、本当なのか?」
「いや、あの氷漬けの人間が生きてるとは信じられんぞ」
希望を見つけた冒険者の男とは裏腹に、前線にいた冒険者達は俺の言葉に首を傾げる。
正直、立場が逆なら、俺も同じ反応をしていた。だから、彼等を責める気にはならない。
「……それは、雪さんが言っていた事ですか?」
トウヤやメデルと共に、浄化系の魔法で活躍してくれた壮年の女性冒険者が静かに聞いて来た。
「そうだ」
「……分かりました」
壮年の冒険者は、疲労困憊の魔導師達を見る。女性冒険者も辛い筈なのに、瞳には力があった。
「私は、出来る限りやってみます。皆さんは、どうしますか?」
「やるに決まってるだろ」
「そうですね」
「ん〜、私も頑張るわ」
「てか、やる気がないなら前線組のマナポーションくれよ」
ふらつく体で、遊撃部隊の魔導師達は立ち上がった。その中には、メデルや仲間に支えられた冒険者までいる。
「本当にやってくれるのか?」
仲間を氷漬けにされた男の言葉に、壮年の女性は迷う事なく頷いて見せた。
「短い間でも、雪さんが導いてくれたからこそ、私達は生きている。そして、人々を救う事が出来ましたから」
「そうそう。最初は、嫌々背中を着いて行ってただけなのにさ……」
「自分でも気付かない内に、あの人を信頼してたんだ。でも、何でだろうな?」
「そして、雪さんは私達を襲って来た敵と今も戦っている」
「だったら、私達が休む訳にはいかないでしょ」
遊撃部隊の魔導師達は、限界を訴える体とは裏腹に、闘志に満ち溢れていた。そして、魔導師意外の冒険者達も何故かやる気になっている。
カシムも指示を出そうとしたが、既に全員が、魔導師に声をかけていたメデルの元に集まっていた。
全員魔力にそれほど余裕があるようには見えないが、雷の魔装しか扱えない俺では役に立ちそうにない。今は、メデル達に任せるしかない様だ。それは他の冒険者達も同じ気持ちのようで、周囲の警戒の為に動き出していた。
リツェアは、既にメデル達の補助と護衛に向かっている。
「雪には後で事情を聞くが、まずはカシムと君から経緯を聞きたい」
俺とカシムが今までの経緯を話す。バルザックは、表情を蹙めたまま報告を聞いていた。
「なるほど。良く困難を乗り越えてくれた。所で、雪の使った魔法は何だ?」
バルザックが凍った村の様子を眺め、俺に聞いて来る。
「確か、雪は第七階梯の魔法が使えたからそれじゃないのか?」
「違うな」
俺の言葉に、カシムは首を傾げ、バルザックはやはりといった反応をする。
流石は、元アダマンタイト級冒険者だ。魔法に対しての知識にも精通している。
「雪の使った魔法は、第八階梯魔法〝氷閉する恩恵の大地〟だ」
「第八階梯って、確か魔法学園の何百年も生きている学園長と殆ど同じ階梯じゃねぇか!」
「……あり得ない」
俺とカシムの視線が、バルザックへと動く。
「あ?何があり得ないんだよ」
「〝氷閉する恩恵の大地〟は、広範囲殲滅型と呼ばれる魔法だ」
「?」
やはり、ギルドマスターの席につくだけあって魔法にも詳しい。
逆にカシムは、第八階梯魔法が凄い事は知っているようだが、何がどのように凄いのか分からないようだ。
俺も凍夜やリツェアに教えて貰うまで、詳細は知らなかったので、カシムの事は言えない。
「〝氷閉する恩恵の大地〟は、範囲内の敵味方関係なく殲滅する為の魔法だ。その効果範囲内で、故意的に魔法の威力を調節するなんて事は、アダマンタイト級冒険者でも不可能な筈だ……」
「何!?」
「おそらく、〈賢者〉と呼ばれるエルスラム殿よりも、高度な魔力操作の技術を持っている」
〈賢者〉エルスラム。あの英雄の1人に数えられる魔導師か。
「雪とは、一体何者だ」
強い意志の込められた瞳が、俺を真っ直ぐに捉える。




