第37話 忌まわしき森の女王
「醜悪な女王混蟲」
俺は無意識の内に、嘗ての勇者が倒した魔物の名前を読んでいた。
「雪、あの魔物は何だ!?」
「嘗て、研究の果てに創り出された魔法生物だ。たった5匹で、一国の人口と変わらない被害を出した記録がある」
「そんな魔物……一体危険度幾つだよ!?」
嘗て戦った事のある俺でも、未知な部分が多く厳密な危険度の判定が出来ない魔物だ。それ故に、絶対に油断は出来ない。
「キィギャャァァアア!!」
突然、咆哮した醜悪な女王混蟲の声に従属する様に、次々と魔物の卵が孵化し始める。そして、調査村や村周辺に散らばっていた魔物達が集まって来ていた。
「あァァアギィィ!」
まるで、黒板を爪で傷付けた様な不快音を上げると周囲に集まって来ていた蟲系の魔物達の体が反応して、赤、青、黄など様々な色に輝く。
「気を付けろ!おそらく〝眷属強化〟のスキルだ!」
だが、目の前で起こったのは強化だけではなかった。
未だ、幼体の様な姿をしていた醜悪な女王混蟲と卵から孵ったばかりの蟲系の魔物達が、時間を早送りで見ているかの様に急激に成長していく。
「馬鹿な。自分と他の魔物を強制的に成長させただと!?」
「不味いわね……」
強化と成長。最悪の組み合わせを持った醜悪な女王混蟲を睨み付け、動きを観察する。
蟲の魔物特有の眼が、感情ではなく、プログラムされた機械の様に、淡々とこちらの隙を伺っていた。
蜘蛛の様な口や蠍の様な鋏が動く事で鳴るキチキチという音が、まるで刻一刻と状況が悪くなって行く俺達を嘲笑っているかの様である。
「雪、奴は一体どうやって倒せば良い!」
カシムの声に、俺は返答を言い淀んだ。
「……嘗ては、勇者達と国が協力して討伐した」
「くそっ、ここには勇者も国の軍隊もいねぇぞ!」
俺から現状を聞かされた冒険者達が焦りだす。
鶏冠蛇竜の異端王と対峙したカシムでさえ、緊張と焦りが滲み出していた。
更に、周辺の卵から孵った魔物や村にいた魔物が徐々に距離を詰め始める。
「……もうおしまいだ」
「嫌だ、こんな所で死にたくない」
「蟲に食い殺されるくらいなら、いっそ……」
「嫌だ、死にたくないよ!」
「大丈夫、私はここにいるわ!」
「嫌だ、ここまで来て……あと少しだったのに……」
戦場に響き渡る阿鼻叫喚、人々の心を覆う絶望、敵の放つ肌を斬るような殺気。肌に絡み付く様な死の気配。
また、嘗ての記憶と重なった。
俺にとっては、瞳に染み付いた様な光景だ。
絡み付いた死の気配が、絶望へと引き込もうと体を重くする。思考を止め、諦めてしまう様に、と耳元で囁く。
知っている。
忘れたつもりでも、体と心がはっきりと覚えていた。
「……」
俺は、死の気配を振り払うように、鞘から剣を引き抜いた。そして、死の気配を断ち斬るかの様に剣を振るう。
「「「「「…………」」」」」
無言のまま敵に向けて、踏み出した。
背中に、人々から集まった視線を感じる。
身勝手に押し付けられた様々な意思と期待、背負う気もない責任が背中を押す。
死に怯える体の震えや逃げ出したいと思う自分の意思を凌駕して、足は敵へと進んで行く。
懐かしい感覚だ。
嘗ての勇者は、ずっとこんなものを背負っていたんだな。
呆れる程に、馬鹿だ。大っ嫌いだ。滑稽で、自己満足の化身で間違いない。
全てが、今の凍夜と違う。
地球にいた頃は、嘗ての勇者を否定した。異世界に、戻って来ても何度も嘗ての勇者を否定して来た。
その筈なのに……。
気付けば俺は、嘗ての勇者と同じ道を歩んでいたのかもしれない。
ヴィルヘルム達を救い、ヴァーデン王国に来て、カシム達と出会った。多くの人々と関わった。そして、また嘗ての勇者と同じものを背負って歩んでいる。
自惚れかもしれない。間違った事をしているのかもしれない。
だが、気付けばいつも、嘗ての勇者の面影がチラついた。
忘れ果てたと思っていた嘗ての勇者に、どれだけ否定した所で嘗ての勇者は、お前なのだと、真実を突きつけられている気分だった。
足は止まらない。
恐怖は、既に消えていた。
「…………どうして、諦めない?」
ヴィルヘルムか、カシムか、それとも別の誰かだったかもしれない声が、魔物達の威嚇音の中から聴こえた。
だが、その答えは、嘗ての勇者も現在の俺も変わらない。
「生きているからだ」
生きているから、死にたくない。
生きているから、懸命に足掻く。
生きているから、諦める事が出来ない。
生きているから、未来を生きる為に戦うんだ。
それ以上の理由は、俺にとっては必要ない。




