第22話 鬼火
鶏冠蛇竜の異端王は、竜種の中では劣等種と呼ばれるバジリスクの亜種。
だが、その身に宿す力は、他の劣等種の比じゃねぇ。
人肉を容易く引き裂く強靭な腕力、乱雑に木々が生える森を俊敏に移動できる柔軟性と敏捷性、猛毒の血液、石化の魔眼など、劣等種とは思えない様々な能力を持っている。
バジリスクの特徴として群れの王である個体程、頭の鶏冠が雄々しくなると言われていた。そして、現在俺達を見下ろす鶏冠蛇竜の異端王は、バジリスクの雄の中にだけ、極稀に発生する亜種。産まれた瞬間から、バジリスクの群れの王となる事を約束された選ばれし個体の雄だ。
故に、バジリスクの力の枠を超えた異端の王と呼ばれている。
通常のバジリスクの危険度は、Bランク。群れの王や女王だとしてもA–ランクだ。
だが、俺達を見下ろす鶏冠蛇竜の異端王の危険度は、少なくてもAランクに認定されるだろうと俺は長年の経験から予測する。
Aランク以上に位置される魔物と戦うなら、最悪でも白金級冒険者と同じくらいの実力が無ければいけない。しかも、鶏冠蛇竜の異端王の力は、最低でもAランクだ。もしかしたら、A+ランクに達する危険性もある。
魔物のAランク以上を討伐するなら、少なくても英雄級の力を持つ冒険者の力が必要だ。
威勢や蛮勇ではなく、正真正銘の英雄の様な力が必要になる。
俺の思考は既に、応えを導き出していた。
「2人は逃げろ!」
「カシムは?」
ミルの声は、強敵を前にして、緊張を隠せていない。
俺は、全身から吹き出す冷や汗と無意識に震える膝を隠しながら、笑顔を2人に向ける。
「安心しろ、適当にぶん殴って逃げるからよ」
ミルは嘘だと直ぐに理解した。
だが、自分たちではあの化け物に勝てないという事も一目で分かってしまう。
「嫌だ、嫌だよ……」
俺は、未だに逃げようとしない2人に苛立つ。
鶏冠蛇竜の異端王も、あれから攻撃して来る事は無くこちらを観察している。
「良いからさっさと行けよ!じゃねーと、俺がぶっ殺すぞ!」
初めて俺は、2人に殺気を混ぜた様な威圧を放った。
「無理ですよぉ」
サティアは、いつも通りの話し方をしているが、所々に緊張が現れており表情も引き攣っている。
「ぁあ?良いから…」
「王がいるなら、必ず近くに女王がいます。逃げても逃げ切れるとは思えませんよぉ?」
くそ、んな事分かってんだよ。
だが、このまま戦えば確実に死ぬ。
「それに、敵が動かないって事は、もう逃げ場が無いって事だと思いますぅ」
「サティア、お前良くそこまで冷静でいられるな」
サティアは、俺の言葉に自嘲的な笑みで返した。
「魔導師はどんな戦況でも冷静であるべし、と教えられましたから。カシムさん、希望はありますよ」
俺とミルは、サティアの言葉が直ぐには理解出来なかった。
「雪さん達なら、勝てるかもしれません」
強く言い切ったサティアは、杖を構える。
「ん、そだね。だから、私達も、カシムを護って戦う」
ミルも続いて弓を構える。
何なんだよ。俺は、お前らを護れればそれで良いんだよ……。護って欲しい訳じゃねぇ。
『……カシム。護られる人間だって、辛いんだ。護ってくれている相手が、大切な人である程、護られた奴も傷付いてるんだよ』
その時、雪の言っていた言葉を漸く理解する事が出来た。
まるで、パズルの最後を嵌め込む様に、静かに言葉の意味が胸の奥底に落ちる。
お前達は、こんな思いをしてたのか。
今まで、俺が護っていたと思っていた奴等は、ずっとこんな思いを……。
罪悪感とは違う、胸を締め付けられる感情が体を支配する。
だが、苦しい訳でも、辛い訳でもない。
まるで、体を縛っていた何かを引き千切った時の様に、体と心が軽くなっていた。
「……あぁ、そうかよ」
いつの間にか俺の膝の震えは止まり、体に力が湧いて来る感じがする。
「だったら、絶手ェ死ぬんじゃねぇぞ!」
俺は、鶏冠蛇竜の異端王の目を見ないようにして走り出した。
鶏冠蛇竜の異端王は、大樹から跳び下りると同時に、鋭い爪の生えた前足を使い攻撃して来るのを何とか凌ぐ。
チッ!初撃は手を抜いてやがったのか!
先程より速度が上がって来ている攻撃を剣で逸らし、防ぎ、躱す。反撃の隙が見つからない。
だが、これで良い。
「来て、精霊。精霊魔法 〝運び風〟」
ミルの周りで風が巻き起こり、放たれた矢の速度が上昇する。
だが、鶏冠蛇竜の皮膚を貫通する事は出来ず、硬い鱗に弾かれた。
「硬い。ただの矢じゃ無理」
そう言いながらも次の矢を素早く番える。
「精霊魔法 〝穿ち風〟」
先程よりも早い速度の矢が、風を纏い鱗を貫通し突き刺さる。それでも、傷が浅いのか、鶏冠蛇竜の異端王は僅かに反応するだけだった。
その間もたった1人で猛攻を防ぎ続ける俺に、サティアが魔法を発動する、
「精霊魔法 〝癒しの光粒〟」
サティアの精霊魔法の発動と同時に、俺の傷が癒えて行く。その後も2人は、絶妙なタイミングで精霊魔法を放ち俺をサポートする。
だが、精霊魔法は自分が契約している精霊に魔力を与える事で発動する。他の魔法には無い多才さや威力はあるが、魔力も当然消費する。
「はぁ、はぁ、魔力結構使った」
「まだ行けます」
攻撃に参加していたミルの魔力は、限界が近い。その中で、的確な状況に絞って魔法を使っていたサティアの魔力には、未だ余裕がある。
まだ戦える、それが一瞬の油断に繋がった。
「グギュルルウォォォオオ!!」
突然の咆哮に、体が強張り動きが止まる。
しまった!これは〝恐怖の咆哮〟か!
その隙を逃さず、鶏冠蛇竜の異端王の尾が俺を殴り飛ばす。衝撃と激痛が、同時に全身を走り抜け、地面に体が打ち付けられる衝撃で強制的に肺から空気を吐き出す。
「か、カシム!?」
「不味い、精霊魔法 〝癒しの光粒〟」
傷が回復するのを待つまでもなく、鶏冠蛇竜の異端王の強靭な腕が振り下ろされる。
「!」
「第五階梯魔法 〝束縛の土鞭〟」
〝束縛の土鞭〟が鶏冠蛇竜の異端王の体を縛り、ミルが石化の能力を持つ目を狙って矢を放つ。
だが、拘束は容易く解かれ、目に向かって放たれた矢は、鶏冠蛇竜の異端王の目が妖しい光を放つと石へと変わった。
あれが石化の能力か。
「逃げろ!」
突然、鶏冠蛇竜の異端王が狙いを俺から2人へと変え動き出す。
不味い!ミルは魔力が限界だ!
俺はまだ傷が治り切っていない体に喝を入れ、立ち上がる。
まだだ!俺は戦える!
俺は魔力を最大まで高める。
その時、今までに感じた事のない感覚が全身を包み込む。
この10日間で強制的に雪達から叩き込まれた魔力操作の技術と戦闘技術が、今まで俺が到達出来なかった領域へと足を踏み入れさせた。
「固有スキル 〝羅刹炎舞〟」
全身から噴き出した炎が俺の体に纏わりつく。しかも、意識する事で自由にその形が変わる。
突如として発言した力だ。その全てを俺は把握してねぇ。それでも、力が湧き上がってくる様な気がした。
「行くぜ、化け物!」
剣に炎を纏わせ鶏冠蛇竜の異端王の胴体を斬り裂く。焼き斬った事で、少量の血が周囲に飛び散った。更に、連続で剣を振るい赤黒い鮮血が地面を染める。
怒りの咆哮を上げ、反撃して来る鶏冠蛇竜の異端王の爪を〝身体強化〟と炎を纏わせた腕で防ぎ逆に皮膚を焼く。
「グキャァア?」
鶏冠蛇竜の異端王は、数歩後ろに後退する。
すると、鶏冠蛇竜の異端王は、自分から体の傷口を傷付けた。
「っ!?」
何を、と思うより早く傷口が治り始めだ。
俺が〝羅刹炎舞〟の炎によって焼き斬った事で、低下していた自然治癒効果を、焼かれた皮膚を自ら傷付ける事で元に戻そうとしている事に気付く。
「はぁ、はぁ、後少しで……ゲホッ」
鶏冠蛇竜の異端王が治癒する前に畳み掛けようとした所で、喉の奥から何かがこみ上げて来る。
我慢出来ず吐き出すと、それは赤い血だった。そして、視界が歪み、全身の傷口に激痛が走り、血が流れ出す。
「なっ!?ぐ、がぁあっ」
これは毒!何処でだ!?
鶏冠蛇竜の異端王の毒には、警戒していた。血にも直接は触れてない筈……。
「カシムさん、そこから離れて下さい!毒が周囲に滞留してます」
サティアの声に思わず飛び散った血を見ると、そこから毒煙が上がっているのが見えた。
なんだあれは?あんな能力、鶏冠蛇竜にはない筈……クソが、あいつは亜種だ。想定外の能力があっても不思議じゃねぇ。
それに気付いた時には、もう遅かった。
全身の力が抜け、〝羅刹炎舞〟も既に効果が切れていた。
だが、鶏冠蛇竜の異端王はせめて来ない。
まるで、強敵と相対した時の様に声にならない音を立てて、俺の隣を睨み付けている。
「何だ、もう終わりか?」
いつの間にか、俺の隣に雪が立っていた。
「うるせぇ、大人を舐めんな」
「第七階梯魔法 〝呪毒破邪〟」
一瞬の詠唱で、俺の体を犯していた毒は消え去り、いつの間にか滞留していた毒も魔法で散らされていた。
鶏冠蛇竜の異端王を前に一歩踏み出した雪の背中は大きく、まるで引き込まれる様な錯覚と共に、城壁が立ち塞がった様な安心感を俺に与えた。
その姿は、両親から聞いた100年前に多くの命を救った会った事もない男の姿と重なった。
「……まるで、勇者じゃねぇか」
小さな呟きは、雪には届かなかった。




