ダシルヴァ夫人の苛立ち 1
三月ほど前、バルザック王国・ベルクール辺境伯領内。
「ねぇ、お聞きになりまして?隣国に新しくできた商会のこと。ここだけの話ですけど、商会設立の資金を出されたのは、マルク様だそうよ」
(今、マルク様って……)
さほど大きくない夜会の場。
辺境伯夫妻の次男であるマキシムと、私の孫・カリーヌの婚約があたかも決まったかのような話をしている最中に、その名が聞こえてきた。
思わず意識がそちらに向き、会話が止まってしまったが、周りの者たちも似たような反応をしていから、気にする必要はないだろう。
声の主はどうやらブスケ夫人で、彼女の周りには引退した騎士や、その妻たちが囲んでいる。
夫人はチラリとこちらを見ると話を続けたが、その声は先ほどよりも小さくなっていて、かなり聞き取りづらい。
(あの女、わざとね……)
私と同年代だが、女ながらに騎士爵を持つブスケ夫人は、前辺境伯夫人である異母姉と仲が良かった。そのこともあり、昔から私に対する敵意を隠そうともしない。
今も、こちらが話の内容を気にしているのを知りながら、わざわざ声をひそめているのだから、忌々しい。
仕方がないので、こっそりと耳に強化魔法をかけると、思いも寄らない名が聞こえてきた。
「しかもその商会には、孫のマキシム様も関わっておられるとか」
少しずつ聴覚の強化を強めながら、聞こえた内容について考える。
(2人が隣国に行ってるのは聞いていたけど、なぜ、わざわざあちらで商会に?)
「しかし、なぜわが国ではなく、隣国の商会なのでしょう?それにわざわざ出資などせずとも、商会くらい、マルク様ご自身で設立されれたほうが早いのでは?」
「しかもまだ子供のマキシム様が商会に関わるなんて、いったいどのような経緯から、そのようなことに?」
いい質問ね、ジラール男爵夫妻。私もそれを知りたいわ。
「どうやら商会の名前に、その理由がありそうですの」
ブスケ夫人さはさらに声をひそめながら周りの人たちを側へと集めると、とっておきの秘密を打ち明けるように言った。
「だってその商会の名前、パシェット商会といいますのよ。この国、特にこの辺境伯領で、そのような名の商会なんて作れませんわ」
こちらに視線を向けると、笑顔で言い放った。
それを聞いた瞬間、息が止まるかと思った。
パシェット。
その名は、この地では特別な意味を持つ。それは領地共々、元々は辺境伯預りの伯爵位だが、前伯爵とその先代が共に、特殊能力者だったからだ。
特殊能力者。ベルクール家の血筋の中から時々あらわれるその能力について、詳しいことを知るのは歴代の辺境伯だけだと言われているが、『真実を暴く力』だということは、領内で広く知れ渡っている。
その力を使えば、どんな秘密や嘘もあばくことができるという。
それが、どれ程の力と金を産むか。ありとあらゆる者の秘密を知り、嘘を暴き、思いのままに動かす事ができるのだ。
その為、王族さえもその力欲しさから、ベルクール家に婚姻の打診をしてくるという。
今は再び辺境伯預りに戻っているが、次代の特殊能力者が現れれば、その者がパシェットの爵位を継ぐことが決まっていた。
そのパシェットの名を冠した商会の設立に、前辺境伯が出資したのだ。しかも孫のマキシムが関わっているとなれば、結論は一つしかない。
(マキシムが特殊能力者として発現したのだ……)
「隣国なのも設立者が別にいるのも、全てはマキシム様が王家から目をつけられないためたじゃないかしら?」
「では、目くらましのためだと?」
「だってほら、王女殿下は5歳になられますでしょう?ちょうどつり合いが取れると思われたら」
「それにベルクール家は、昔から王家との縁談を嫌ってますもの」
周りが次々に憶測混じりの話を始めるが、私は今すぐブスケ夫人に詰め寄り、今の話が本当か問いただしたかった。けれど、そうもいかない。
なぜなら、その場にいた者たち全員の注意は夫人に集まっていて、さりげなさを装いながらも、次の言葉を一言も聞き漏らすまいと聞き耳を立てているのだから。
しかも気づけば私に向けられる視線は、憐れみと侮蔑が混じったものに変わっていた。
先ほどまで吹聴していた婚約の理由を、別のものにすればよかったと、今更ながら悔やまれる。
『マキシムさまは次男ですから。子爵家とはいえ、跡取り娘であるカリーヌとの婚約は、辺境伯夫妻から見ても良い話だと賛成してくれておりますの』
それが全くの偽りだということが、知られてしまったのだ。
なにせたった今ブスケ夫人によって、マキシムがパシェット伯爵となる可能性が高いことを示唆されたのだ。なのに子爵の婿になるなんて話は、あり得ない。その結果。
『赤の他人であるブスケ夫人が知っていることさえ、教えてもらえない大叔母』
『成立していない婚約話を吹聴する、嘘つき』
さっきまで私の機嫌を取っていた者たちまでもが、そんな視線を向けてくる。
あまりの悔しさに扇を持つ手に力が入り、パキンッと壊れる音がする。それが聞こえたのだろう。ブスケ夫人がこちらを見て、扇の影で笑うのが見えた。
***
「よくも、よくも、よくも!私をバカにしてくれたわね!」
馬車が走り出すと同時に、押さえていた怒りが溢れ出た。ガンガンと何度も床を強く踏みつけ、壊れた扇を思いっきり放り投げる。しかしそんなことで収まるはずがない。
転がった扇をさらに踏みつけながら、ブスケ夫人の情報元にも腹を立てる。
「私を!」
ダンッ! (ベキッ)
「のけ者にして!」
ダンッ! (パキッ)
「さぞ、楽しかったでしょうね!」
ダンッ! (ペキッ)
「あの、くそ女!」
ダンッ! (バキン!)




