準備は念入りに ―マキシムの思惑― いち
「あー、くたびれたぁ」
「ゼッタイこれって、訓練よりきついって!」
「顔と膝が固まってる……」
長い時間じっとしていた上に、ずっと笑顔でいたせいで、顔と身体が固まっていた。それを僕達がもんだり動かしたりしている横で、出来上がった似顔絵を見て頷いたお祖父様が、複製を5枚追加注文している。
「出来上がったら、全てここに送ってくれ」
そう言って渡した紙には、ベルクール辺境伯邸と書かれているのが見えた。
(全部で6枚か。その中に僕の分って、あるのかな?)
でも、それならエドガーやエミィの分もあるはずだけと、全部をベルクールの屋敷に届けるってことは、どうやらそれも無さそうだ。
(だったら僕の分も無いな。僕達3人の似顔絵なのに……)
似顔絵を描くために朝早くから起こされて、午前中いっぱいかけて同じ姿勢をさせられたのだから、その結果でき上がった物は、当然欲しい。
仕方ないなと思いながら、帰り支度をしている画家に声をかけ、遅くなっても良いからと3枚追加を頼んで、お金と宛名を書いた紙を渡す。
宛名は僕だけど、送り先はこの屋敷だ。だって、すぐに戻って来るつもりだからね。
いま、僕とお祖父様は、バルザック王国に帰る支度の真っ最中だ。
いったんベルクール辺境伯領に戻って、訓練道具の職人達や、必要な機材を手配するためと、僕の婚約について父様と話し合うためだ。
僕は小さいころ、ずっと不思議に思っていた絵があった。それはお祖父様の書斎に飾られていた簡素なドレス姿の少女の絵で、淡い金の髪をなびかせ、連なる訓連器具を背景に剣を手にして立っていた。
それが誰なのか、どうして後ろ姿なのか、ずっと疑問に思っていた。だけど、亜麻色の髪に、がっしりした身体の祖母とはぜんぜん似ていない女の人の絵ということで、中々聞けずにいた。
「あれは誰ですか?」
確か5歳の時だ。思い切って、お祖父様に尋ねたのだ。
「あれはエルヴィーヌといって、わしの従姉妹だ。隣国に嫁いだが、だいぶ前に亡くなっててな」
妹のような従姉妹と言われ、少しホッとする。
「なぜ、後ろを向いているのですか?」
「エルヴィーヌの夫となった男が、狭量な奴でな。妻の顔が判る絵を、他の男が持つのを嫌がったのだ。妻は持っているから、気になるのなら見せて貰えばいい」
「お祖母様が?」
「あぁ。二人は昔から、仲が良かったからな」
絵の少女が他の人と結婚した上に、祖母とも仲が良かったと聞き、僕の中にあったモヤモヤは消し飛んだ。
「エルヴィーヌの肖像画?あるわよ」
「確かここに」と言いながら、祖母が小物を仕舞う引き出しから出してくれたのは、手のひら程の小さな物だった。
そこに描かれていたのは銀にも見える淡い金髪を高く結い上げ、白い夜会用の衣装を着ている女性だった。左右で色の違う瞳が、不思議な雰囲気だ。
「お祖母様と仲が良かったって……」
灰色の瞳が、懐かしげに弧を描く。
「そうよ。10歳の時に、合同訓練で知り合ったの。華奢でしょう、彼女。でもこう見えて、すごく強いのよ。一つ下なのに、私よりも強かったんだから」
お祖母様はそう言って笑ったけど、僕は驚いた。祖母は一族の中で、最も強い女性として有名だったからだ。
だけど5歳の僕は『謎の後ろ姿の少女』の正体が判ったうえに、モヤモヤも消えたので、その絵に対する興味をやがて失った。
エミリアを始めてみた時、あの肖像画の少女を思い出した。すごく似てたからだ。
だけど、ツンとすました肖像画の少女と違って、目の前の彼女は生き生きとしていて、色違いの瞳はコロコロと表情を変え、大きな口を開けて楽しそうに笑っていた。
それを見ているうちに、心臓がドキンと鳴る。
そして、そこいらの男どもより、ずっと早く駆けていく姿を見たときには、ドキドキが止まらなくなっていた。
髪をなびかせ、ほほ笑みながら僕を含める男どもを軽々と追い抜いて行くその横顔は、日差しを浴びて輝いていて、見ているだけで、どんどん鼓動が速くなる。
しかも僕と剣の腕がほぼ互角のエドガーが、勝てたタメシがないらしい。なんてカッコ良いんだろう!
彼女の横で、ずっとあの笑顔を見ていたい。できれば、それは僕だけに向けてほしい。そんな思いに動かされ、気がつけばその手を握っていた。
(これってもしかして、初恋とかいうやつ?)
だってクロードおじさんに睨まれても、握った手を離す気にならなかったんだから。
そして、感涙するクロードおじさんの言葉で、エルヴィーヌ様が、エドガーやエミィの祖母だと知った。
だから、父さまに手紙を書いた。婚約したい人ができたから、許可してほしいと。
確かにエミィは身分でいえば平民だけど、大きな商会の長女だし、なによりその血筋は文句の言いようがないほど確かな相手だ。
それに僕は跡取りじゃあないんだから、問題ないはずだと思った。
その後も泥棒をやっつけたり、商会の一員として大人相手に交渉したりと、驚きの連続だった。
そのたびに、もっとエミィのことが知りたいと思って、一緒にいたいと思うようになっていった。
どうせなら国に戻る前に、エミィの祖父であるガストン様にも挨拶しておこうと、エドガーと一緒にエミィのロックベール行きに同行したら、そこからはあまりにも目まぐるしく動いていった。
まず屋敷には、なぜかお祖父様がいた。そして、エミィが商会を設立することになり、元辺境伯2人がそれぞれの国で後見人となった。
しかも商会にパシェットの名を使うことが決まり、僕とエドガーがエミィの助手兼連絡係として、それぞれの辺境伯家の窓口になったおかげで、少しばかり事態が変わってきた。
ベルティカ王国ではそんなに知られていないが、バルザック王国の、特にベルクール辺境伯領地において、パシェットの名がもつ意味は大きい。
お祖母様が、肖像画を見せてくれたときに聞いた話を思い出す。
『エルヴィーヌは、前パシェット伯でもあったの。彼女が結婚した時に、こちらに爵位が戻されたのよ。彼女や、その母上のような事が起きたら、すぐに対処できるようにって、彼女の夫が言ってね』
『だから次にパシェット伯となるのは、『能力を発現した者』とすると、マルクが決めたの』
あの頃は判らなかったけど、今なら判る。『誰それがパシェット伯の座を狙ってる』なんて話が、時々耳に入ってくるからだ。
それは言い換えれば、我が一族に時々現れる≪特殊魔法の使い手≫となるのを、期待しているって事だ。
そう言われる者たちの大半が金髪で、緑やそれに近い瞳の色をしているのも、エルヴィーヌ様の容姿を思えば納得がいく。
(色と能力の発現に、何の関係があるんだか。それに、それならエミィが一番可能性が高いことになるし……あれ?)
そこで、気がついた。
(もしかしたら、お祖父様達はその可能性を心配している?なら、僕達は目くらましってことか…)
お祖父様達がパシェットの名をあえて勧めたことや、僕達がエミィの下で働くと言った時に反対しなかったのも納得できる。
おそらく今、ベルクール領では僕かエドガーが、能力を発現したと思われているのだろう。特にエドガーはエルヴィーヌ様の孫だし、金髪だから、彼が発現したと考える者も多いはずだ。
まぁ今後、その可能性が無いとはいえないけど。だけど、僕だという可能性も否定出来ないよね。だって僕、ベルクールの直系だから。
だったら、ベルティカ王国の一部では、僕の価値は爆上がりしているはずだ。なら、なおさら変な縁談を持ち込まれたりする前に、エミィとの婚約を決めてしまいたい。
ありがたいことに、お祖父様は僕を応援してくれるようだし。でも、念には念を入れておかないとね。




